return is impossible 4
夕方にもなり日暮れの差し迫った頃。マイクロトフは、図書館の前で立ち止まり何故かじっとして動かなかった。
考えていたのだ。
カミューに掛ける第一声をなんとすべきかを。
別れてからまだ僅か数時間。しかし出会いが出会いで、再会も再会。なんだかまだあっと言う間の時間しか過ごして居ないのに、マイクロトフの中でカミューと言う人物の占める割合はとても大きくなっていた。
まるで何かに導かれたかのように出会い、知り合い、そして別れた。ここに来てこの勢いを失う事なく付き合いを続けるにはどう言うふうにまた声を掛ければ良いのだろう。
如何せん、親友と呼べる相手もなくこれまで生きてきて、そして何処までも真面目なマイクロトフにとってこれは難しい課題だった。
普通に声を掛ければ良いのは分かる。だが普通とはなんだ。
最も根本的なところで躓いてマイクロトフはじーっとそうして思案していたのだ。しかしそうしていても時間は無為に過ぎるばかりである。今日も今日とてレオナの店で働かねばならないのだからして、このままこうしているわけにもいか無い。そう思ったところでマイクロトフは理由もなく「よし」と頷いて一歩踏み出した。
ごちゃごちゃと考えあぐねても答えの出ないものは、動くに任せるのが一番だろう。
決断するが早いか、マイクロトフはずんずんと突き進むと真直ぐに受付へと向かった。ちなみに、今日は返却すべき本は無い。
目指した金茶の髪は昨日と同じようにそこにあった。
「カミュー」
声を掛けると、これは昨日と違って直ぐにハッとその顔がマイクロトフを見上げて、そしてふわりと微笑んだ。
「あぁマイクロトフ」
すっと心の中に入ってくるようなそんな笑みにマイクロトフは一瞬見惚れた。するとカミューは「ん?」と首を傾げてにこっと白い歯を見せた。
「あ、ねえマイクロトフ。今日もこの後あの店に入るのかい?」
「ああ。大抵毎日入っているが」
問われるままにこくりと頷けば、カミューはまた花開くように嬉しそうに笑う。
「そう。なら今日も行って良いかな」
「それは構わないが」
「良かった。あ、それからあの本。悪いけど暫く借りていても構わないか?」
一転不安な顔をして問うものだから、マイクロトフは苦笑してつい目線の下にあるカミューの髪に手を伸ばしてくしゃりとその髪を撫でていた。
「構うな。好きなだけ貸しておいてやる」
意識せずに触れたその髪は指に滑らかで、ひどく触り心地が良かった。そしてマイクロトフはぽんとその頭を軽く撫でるとその手を振って「それではな」と告げた。
「また店に来るのなら、少しは奢ろう」
「……あ、うん…」
心なしかカミューの顔がさっきより赤い気がするが、気にせずマイクロトフは背を向けた。なんだか、カミューがまた店に来るのかと思うと気が逸るようだった。バス停に向かう足も昨日までと違って軽い気もする。
カミューと会ってから、どうしてだろう。不思議と世界が少し違って見えてくる気がする。
マイクロトフはそんな事を考えつつ、やってきたバスに乗り込んだ。
そして約束どおりカミューは店を訪れた。
今日はフリックはおらず一人だ。昨日と違って真直ぐにカウンター席にやってきてマイクロトフの前に座ると、照れたように笑った。
「ここに座っても、構わないかい?」
「俺の仏頂面しか見えんが、それでも良いならな」
わざわざ聞くのが可笑しくて、そう答えてやるとカミューはきょとんとした。
「……マイクロトフは、良く笑うじゃないか?」
何処が仏頂面なんだと不思議そうに言う。それに「おや」と口を挟んだのはレオナだった。
「なんだい、そんなにあんたに愛想が良いのかい?」
「ええ。マイクロトフの笑顔はとても良いですよね。私は彼の笑顔はとても好きだな」
カミューが嬉しそうに言うのに、レオナは「へえ」と感心したように答えてちらりとマイクロトフを見る。その視線がなんだか気まずくてマイクロトフはごほんとわざとらしい咳払いをした。
「ああ、ほらカミュー。一杯目は奢るぞ、何が良い」
「うんそうだったね。何にしようかな、お勧めは? マイクロトフ」
にこにこと話し掛けてくるカミューと、そして何気なく横目で興味を注いでくるレオナとを相手にマイクロトフは気もそぞろに最近覚えたばかりの新しいカクテルを説明し始めたのだった。
そして、また、マイクロトフは酔い潰れたカミューを見下ろして腕組みをしていた。
「どうする。今夜はフリックにでも迎えに来させようかね?」
「ああ…いや……」
頷きつつ首を振り、口籠もってマイクロトフは眉間に皺を寄せた。
カミューは実は酒に弱い人間なのだろうか。だが昨夜も今夜も結構な量は飲んでいる筈で、大抵の人間ならばこれだけ飲めば充分に潰れるくらいだった。しかし今朝の様子を思い返すと彼はまるで後の残っていない素振りだった。
「強いのか弱いのか、分からんな全く…」
ふうっと溜息を吐いてマイクロトフは昨日と同じくカミューを抱えた。
「また、連れて帰ります」
「おや随分と親切じゃないさ?」
レオナが揶揄するのに沈黙で応えてマイクロトフはそのままカミューを部屋に連れ帰った。そしてやはり同じようにベッドに彼を横たえ、その寝顔を見下ろした。
その無防備な寝顔を見るのはこれで二度目だ。だがまだ出会ってから二日目である。マイクロトフはそんな事実に思い当たって苦笑した。
二日続けてまだ付き合いの浅い男を部屋に上げるのも可笑しな話だが、二日続けて酔い潰れてそんな相手の厄介になる男も可笑しなものだろう。まったくこのカミューとは変な男である。
だがそれにしても、とマイクロトフは眠るカミューの顔を眺めて吐息を零した。
綺麗な男だと思う。実に表情が豊かで笑った顔は特に魅力的だが、こうして目を閉じて眠っているところをみれば、それだけにその整いぶりが際立って見える気がする。そう言えばこれほどに整った顔をした人間に会ったのは今までに無かったかもしれない。
なんとなく、マイクロトフは寝顔に指を這わせてみた。
と、そこで突然ぱっちりとカミューの目が開いた。
「うわ」
「……………マイクロトフ…?」
驚き慌てて引っ込めた手をその目が追い、掠れた声がマイクロトフの名を呼んだ。
「あ、あぁ、俺だ」
マイクロトフは気が動転しながらこくこくと頷いて応える。するとふにゃりとカミューの顔が笑みに綻んだ。そして。
「……好き」
小さな声で、ひどく幸せそうにそう言ったのだ。
え? とマイクロトフは固まった。
そして固まるマイクロトフの手を、カミューのぼんやりとした目が見つめ、いつの間にか持ち上げられていたのかその手でくい、と握られた。
「マイクロトフ……好きなんだ…」
今度はハッキリと。だが相変わらずカミューは寝惚けたような顔で幸せそうな笑みを浮かべたままそう言った。
マイクロトフは、ひゅっと息を吸い込んだ。
「カミュー?」
そっと名を呼ぶが、対してカミューはこれ以上は無いんだと言わんばかりの笑顔のまま、目を閉じた。
そして、手を握られたまま取り残されたマイクロトフは―――。
いつの間にかそんなカミューの横で寝ていた。
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2002/10/13