exorcist 2
マイクロトフが外に出ると、教会の前には黒いクーペがいつの間にか停車していた。ちらりと覗くと運転席には先程の男が億劫そうにハンドルに身体を凭せ掛けている。
マイクロトフは助手席側のドアを開くと無言で乗り込んだ。すると男、カミュー神父は一瞥もせずに車を発進させた。
車高の低い車の座席からはまるで路面が滑るように見える。マイクロトフはそうして暫く車がどの方面に向かうのかを黙って見ていたのだが、不意に信号待ちで止まった時に、トンと何かを叩く硬い音が聞こえた。
何かと目を向けると白い手袋を嵌めた男の指先がハンドルを叩いていた。だがそれを見た時、すうっと息を吸い込む気配がして思わずこちらは息を詰める。
「……それは、何かな」
「それ?」
聞き返して直ぐにマイクロトフは己が抱えているものを思い出す。大きな布でぞんざいに包んだだけの細く長い代物だ。持つとずっしりと重量感のある硬質なそれ。
「ああ、俺の悪霊祓いに使う道具だ」
「へえ……不便だな」
「なに?」
そこで漸くマイクロトフは運転席の男の顔をはっきりと見た。やはり綺麗な整った顔をしている。だがその顔は今はフロントガラスの向こうを見据えてこちらを見向きもしない。しかし、明らかに馬鹿にしたような感じて口元を歪めると、男はハッと笑った。
「毎回そんな大きなものを持ち歩いていたら、不便だろう」
なんだと、と声を上げようとした途端、車が急発進をして危うく舌を噛みそうになった。
「…っ。乱暴な運転をするな!」
「それは失礼。ところでマイクロトフ神父。そろそろ説明させて頂いても宜しいですか?」
思わず、う、と言葉に詰まる。突然に言葉遣いを変えて来られると沸騰しかけた思考が急速に冷えていくのだ。なんとも遣り難い相手だと思った。
「……お願いします」
軽い咳払いと共に頷くと、いつの間にか車は安定したスピードで走っていた。
「今回の哀れな子羊は、二十六歳の女性、名前はリサ・テイラー。三年前に今のご主人であるテイラー氏二十九歳と結婚。子供はいない。テイラー氏は町の薬品会社で研究員として働いていて収入はごく一般的。何も不安要素のない夫婦といえます」
カミュー神父はすらすらと何も見ずにマイクロトフに口早に教えていく。こちらもあえてメモなど取らずにただ頷くばかりだった。
だが途中で何気なく呟く。
「二十六…俺と同じか」
途端にカミューの言葉がぴたりと途切れた。そして一瞬後、ぼそりと聞こえたのは。
「嘘だろう……どう見たって私よりも年上じゃないか」
「なんだと?」
思わず聞き咎めて眉を寄せたマイクロトフだったが、返って来たのは胡散臭いほどに爽やかな笑みだった。
「何でもありませんよ。続けます」
そしていつしか車はなだらかな丘陵地帯を走っている。このままでは東にある少し大きな町に着きそうだと思った。
「レディ・リサが一番最初に救いを求めてきたのは彼女がまだ十八歳の頃です。ポルターガイストが起こり、その身体には聖痕が夥しいほどに刻まれました。ですが当時は対応にあたったエクソシストの尽力により魔は祓われ、以来八年間何事もなく彼女は幸せな結婚をしました」
「それが何故」
「分かりません。それを確かめにいった前任者は強力なポルターガイストに吹き飛ばされてアパートの窓から落ちて右足と肋骨を何本か骨折。ガラスであちこちを切ってそれこそ瀕死の状態で病院に担ぎ込まれました」
「なんだと…?」
本来、ポルターガイストとはそこまでの力はない筈だった。せいぜいが家具をガタガタと揺らし、紙や布などの軽いものを動かす程度だ。成人男子をひとり吹き飛ばすなど聞いた事が無かった。
「今回も彼女はポルターガイストを起こしているらしいですが、聖痕はない。以前とは少し違うようですが、その強力なポルターガイストが厄介です」
カミューはそこでちらりとマイクロトフを見たが、視線は直ぐにそらされて前を向く。
「カミュー神父?」
「……我々の仕事は悪霊祓いだが、無茶はするなと言われている。現状を見て、祓うのが無理なら原因を探るだけで良いらしい」
そこまで言ってカミューは今度こそマイクロトフの顔を見た。車道は真っ直ぐな何もない一本道だ。だからと言って余所見運転はごめんである。そのあまりに整いすぎた嫌味なほどの顔にマイクロトフは不満げに顔を顰めた。
「おい、前を向け」
しかしカミューはまたもにやりと口元に薄っすらと笑みを浮かべて言ったのだ。
「実は無茶をするなと言われているのはおまえの方だ。俺はどうやらおまえの制止役に選ばれたらしいが、今までどんな暴走をやらかしたんだ?」
「なんだと?」
これで今日何度目の憤りか。この短い時間でここまで何度も怒りを感じたのは久しぶりのような気がするマイクロトフである。
「上の連中は、優秀だからこんな事でおまえを再起不能にはしたくないらしいな。だが俺だって良い迷惑だ。頼むから足を引っ張ってくれるなよ」
いつの間にか一人称が「私」から「俺」に変わっているカミュー神父が、くくっと喉を鳴らして笑った。
「なんだと貴様!」
瞬時に激昂したマイクロトフであるが、場所は狭い車内である。咄嗟に立ち上がろうとして天井に強か頭を打ちつけてしまった。
「…馬鹿だろう、おまえ」
痛む頭を押さえているとカミューのあきれたような声が聞こえた。
「まぁ、暴走しやすいのは良く分かったよ。この程度の挑発でこの様とはね。それで優秀な悪霊祓いだなんて信じられないな」
「俺だって貴様が悪霊祓いどころか神父であるなど信じられん!」
売り言葉に買い言葉で、ぶつけた頭の痛みもあってマイクロトフは自棄のように怒鳴り返した。ところが対する男は意外なほど静かな眼差しと声で言った。
「そんなもの、俺だって信じてやしないさ」
「な……?」
「俺が神父になったのは他に選択肢がなかったからだ。じゃなかったら今頃、精神病院で死ぬまで軟禁状態にあっただろうな」
「おい。それはどういう……」
「下らない一族の事情―――」
呟いて、カミューは不意に口を閉ざし、それから自嘲するように笑った。
「まあ、単純そうなおまえに言ったところで意味がないな。どちらにせよ、俺は自分で神父が天職だなんて思ってはいないんでね。敬虔な信仰心だなんて求められても困るからそのつもりでいてくれ。それと悪霊祓いの事だが、俺は俺なりの方法でいつもやっている。それを邪魔しなければこのままついてくれば良い。嫌なら今すぐ降りろ」
降りろ、と言われても四方八方は何もない緑の丘陵地だ。車の通りも少なくて民家など見当たらない。マイクロトフはひたすら唖然として言葉をなくした。
それよりも信仰心のない神父がいるなんて。
「…カミュー神父……」
「カミューで良い。ファーザーなんて呼ばれても居心地が悪い。だいたい俺はおまえと違って教区なんて受け持っていないし、教会に所属しているのはエクソシストとしての仕事を請けるためにだけだ」
「なんだ…と……?」
「皮肉な事に俺にはこっちの才能があるらしいからな―――司祭を辞めるわけにはいかない以上他に生きる術もないしね」
「おまえだったらモデルでも何でも、好きな仕事が選べるだろうに。信仰がないのに司祭だなんてふざけている」
「……ふざけちゃいないさ。言っただろう。神父じゃなければ今頃俺の人生はなかったのさ」
「さっぱり訳が分からん」
「分からなくて良いさ。鈍感な神父様」
それからまたカミューは自嘲気味に笑ってハンドルを片手で操りつつ、己の前髪をかきあげた。それから軽く溜息を零した。
「どうかしているな。会ったばかりのおまえに俺はなにをべらべら喋っているんだか。こんな事よりも依頼者の話に戻ろう」
「あ、ああ」
その表情から笑顔すら消し去ってカミューは前を向いたまま厳しい声で再びリサ・テイラーについて語り出した。マイクロトフはそれに黙って耳を傾けるしかなく、それ以上何も、この今日初めて会った神父自身について聞く事はできなかった。
ただ、最初は綺麗なばかりだと思っていた男の横顔が、少しばかり憂鬱を含んでいるように思えて、マイクロトフは何故だかこのカミューと言う男の事が気になって堪らなくなっていた。
いったいこの不遜な男が何を抱え込んでいるのか―――依頼者の女性よりもそちらの方が気にかかるのが自分でも奇妙に思った。
そして一時間後、黒いクーペは閑静な住宅街に滑り込むようにして停車した。
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2008/04/18