exorcist 4


 寝室は他の部屋よりもずっと暗かった。まるで夜のようだとマイクロトフは感じつつ、カミューの後ろから室内の様子をぐるりと見回す。
 ベッドは随分と奇妙な場所にあった。
 壁から斜めに置かれて部屋の中央に、奇妙に迫り出しているのだ。そしてその上に女性が一人、まるで人形のようにひっそりと静かに眠っていた。
 不意にカミューがぽつりと呟いた。
「……間違いないね」
「なにが、だ?」
「正真正銘の悪魔憑きに、間違いがないようだ」
「分かるのか」
「残念ながらね……。申し訳ありませんがテイラーさん。部屋を出ていただけますか。暫く我々だけにしてください」
 カミューは唐突に振り返ると、家の主人であるテイラー氏にそんな要求を突きつけた。ただ、これはマイクロトフも馴染みの事である。
 悪魔悪霊にとってエクソシストは憎むべき対象である。それと対峙した時、憑かれた対象者の変貌は実に恐ろしく、親しい身内には要らない恐怖感を植えつける事となるからだ。
 それは前に来たエクソシストの時も同じだったのだろう。テイラー氏は何も言わずにただ縋るような眼差しだけを残して、部屋を出て行くと静かに扉を閉じた。

「さて」
 すうっと息を吸い込みながらカミューが囁くような声を出す。それからおもむろに窓辺に向かうと遮光カーテンの布地に手をかけた。
「おいっ!」
 止める間もなかった。
 室内に眩しい陽の光が差し込む。それまで薄暗く湿った空気の篭っていた場所が、それだけでハッと目が覚めるような刺激に包まれた。
 途端。
 絶叫が迸った。
「止めんか!」
 悪魔憑きに太陽の光はまずい。特にこうやって閉じこもっている相手には絶対にしてはならない行為だ。しかしカミューはカーテンの端を握り締めたまま、軽蔑するように笑った。
「何のために真昼間にやってきたと思っているんだ? 俺のやり方に口出しをするなと言っただろう」
「だが彼女が苦しんでいる!」
 ベッドの上、先程まで死人のように静かに横たわっていたリサ・テイラーが陽光が射したただそれだけの事で悲鳴をあげてのた打ち回っている。
 それなのにカミューはそんな彼女を一瞥しただけで再びマイクロトフを睨んだ。
「それがどうした。おまえがこれまでどんな祓い方をしてきたかは知らないが、これが俺の方法なんでね」
「こんな無茶なやり方があってたまるか! これでは彼女の身体に負担がかかるばかりではないか!!」
「長引けばな」
 その言葉に、マイクロトフは息を詰めた。
 元来―――悪霊祓いは時間がかかるものだ。根気強く、悪霊をその人間の身体から追い出していく、それはそれは気力と体力の要る持久戦である。だが。
 言葉をなくすマイクロトフを横目に、カミューはくるりと背を向けると他の窓のカーテンも払い除けていく。その度ごとにベッドからこの世のものとも思えない悲鳴があがるのに、カミューは厳しい顔のままカーテンどころか窓さえも開け放った。
「俺のやり方はただひとつ」
 室内に涼しげな風が吹き込んで、たまった重苦しい空気を払い流していく。そしてカミューは漸く、ベッドの上で狂犬病患者のように震えているリサ・テイラーに向き合った。
「美しいレディの身体から、一刻も早く連中を追い出すだけだ。さあ出てくるんだ、神に背きし忌むべき者よ」
「うがああああ!!」
 唐突に女性の身体がベッドから跳ね起きる。しかしまるでそのタイミングを計っていたかのように、ベッドに向けて真っ直ぐに伸ばされたカミューの右腕の先―――その指が弾けて高い音をたてた、その次の瞬間、彼の右手に炎が生まれていた。
「なっ!!」
 良く見ればその手には安物の紙でできたマッチが紙ケースごと握られていた。彼はどうやってか片手だけでそれを折り火をつけたらしい。
「……まどろっこしい真似は嫌いでね。出てこなければ今すぐ貴様は丸焼けだがどうする」
 その挑戦的な声は紛れもなくベッドの上に起き上がった女性に向けられていた。だがその言葉の内容にマイクロトフの方が目を剥く。
「馬鹿な真似はよせ!」
「マイクロトフ、おまえには聞いていない、黙れ。俺は、レディを操っている『こいつ』に聞いているんだ」
「……こいつ?」
 奇妙な言い回しだった。
 だがカミューは苛々とした口調で、マッチの炎越しに女性を眇めるような眼つきで睨んだ。
「見たところ低俗な奴だ。醜くて汚い姿をしている……見ているだけで吐きたくなるが―――どうしてこんな低級が何ヶ月も…」
 最後の呟きの意味は分からなかった。だがカミューの言葉にマイクロトフは信じられないと首を振った。
「おまえ、見えるのか」
 するとカミューはマイクロトフを振り向きもせず、尊大に頷いた。
「生憎俺は不感症じゃないのでね」
 見えるさ、と。
「馬鹿な」
「嘘は、言わない」
 マイクロトフは悪魔の姿など見た事がない。また、見たという話も聞かない。いや―――。
「一度死んだ者だけは、見えると……」
 無意識に呟いた、その自分の言葉にマイクロトフは再び驚愕した。
「まさかカミュー、おまえは…!」
「話しは後だ。あいつ、よほど太陽の光が嫌いらしい」
 カミューが素早く言うなり、じりじりと消えかけていたマッチをまた新しく擦って炎を大きくした。
「しかもレディの裡は随分と居心地が良いようだな」
 途端、部屋中の家具がぎしぎしと音をたて始めた。ポルターガイストだ。リサ・テイラーはその間もずっと苦しげに呻き声を上げ続けている。その彼女自身の横たわるベッドもまた激しく揺れていて、なるほどこれが妙な配置の原因かと納得できるほどの強い力だ。
「カミュー! どうするつもりなんだ!」
「黙って見ていろ」
 言うなりカミューの右手が動いた。
「があああああ!!!!」
 絶叫が迸ったかと思うと、リサ・テイラーが突然それまでの苦しみ方とは違う、もっと酷い悲鳴をあげてのた打ち回り始めた。
「おまえ、何を…っ!」
 怒鳴りかけたマイクロトフの目が、有り得ないものを見る。
 リサ・テイラーの身体から幻ではない煙が立ち昇り始めた。まるでその身を焼かれているかのように。
「レディは焼いちゃいない。焼いているのは悪魔のほうさ―――この浄化の炎でね」
 そしてカミューはまた新たなマッチを折って炎を擦り熾す。
「そろそろ、観念して出てくる」
 何が、とはもう聞けるようなマイクロトフではなかった。
「この炎に焼かれるのはさぞかし苦痛だろう。神に背いた者ならば尚更だ。さあ逃れたければ神に赦しを乞うが良い」
 おかしい。
 大した信仰心などないと言い放った男が、神の名を口にするのは不自然な光景のはずだ。それなのに今、悪魔を追い詰めるカミューの口調は真剣そのもので、生半可な迫力ではない。今のこの男を前にすればどんな悪人だって罪の意識に懺悔したくなるに違いなかった。
「神の名の下に俺はおまえを罰する力がある。それ以上、彼女の裡にしがみ付いていても苦しみが続くだけだ」
 ところが、ずっと炎越しにリサ・テイラーに語り続けていたカミューの強い口調が、不意に和らいだ。
「苦しいのは屈辱だろう。何も俺はおまえを苦しめたいわけじゃない。レディを諦めたらそれで許してやるし、追うような真似はしない。神はそれほど暇じゃないさ」
 なんという言い様だろうと、マイクロトフは呆気に取られた。
 しかし驚愕は一瞬だった。マイクロトフは、カミューが今まさに悪魔に取引を持ち掛けていると理解した時点で、ずっと手に持っていたそれを覆う布を取り払った。
 マイクロトフには悪魔の姿を目視する事はできない。そもそも、人間は悪魔の姿を見ることはできない。何故なら、見たその瞬間に魂を抜かれてしまうからだ。だから今でもカミューがまるで悪魔に対して話し掛けているように見える情景も、半信半疑だった。
 それでも見逃せない事はある。悪魔や悪霊の類を人間程度が滅する力はない。ただ神の御名において追い払うしかできない。だがそれは取引でもって追い払うものでは決してない。もう二度と悪魔や悪霊が入り込む隙など与えないように、完全なる神への信仰の力によって追い払わねばならないのだ。
「カミュー、おまえのやり方はだいたい分かった。だが俺はそれを認めない」
「ならば出て行け」
 カミューは全身から拒絶のオーラを醸し出している。そもそも最初からこの神父はマイクロトフを拒絶していた。口調も態度も視線も。きっと今も早く部屋から出て行けと心底思っているに違いない。
 だがそうは行くか。
 カミューにカミューのやり方があるように、マイクロトフにもやり方というものがある。今日ここに、自分は見物をするためだけに来たのではなかった。
「そうはいかん。俺は司教さまの信頼を受けてここに立っている」
 テンコウ司教は、マイクロトフ一人では手に余ると言った。そしてもう一人を呼んだのだと。それがカミューだ。しかしそれは裏を返せば、カミュー一人でも手に余るという事ではないか。
 しかしカミューはそうは思っていないらしい。
「責任感が強いのは結構な事だが、俺は最初に言った筈だ。それ以上まだ何かを言うつもりなら本気で窓から放り出す」
「―――できるものならやってみろ」
「なに…?」
 マイクロトフは手にしていたそれが、震えるのを感じていた。
 カミューは確かに悪魔の姿が見えて、こうして実際にやりとりまでしてみせて、それは確かにエクソシストとして優秀なのかもしれない。だがマイクロトフとて伊達に何年もこの役目を受けてきたわけではなかった。
「俺の予感は当たる。カミュー、気をつけろ」
「何を言って……」
「来る!!」

 刹那、寝室の窓硝子が弾けるように砕け散った。

 陽光に粉々に砕けた硝子がキラキラと舞う。そのさなか、マイクロトフは手にしていた鞘から抜き放った『それ』を構えた。瞳は真っ直ぐにベッドの上の女性を見据えて。

「なんだそれは」
 カミューの驚いたような声が聞こえる。その視線はきっとマイクロトフが右手に持った長い諸刃の剣へと注がれているのだろう。
「ダンスニー。俺の、剣だ」
「見れば分かる。いったいどうしてそんなものを」
「言っただろう。これが俺の道具だ」
 その時、マイクロトフは確かにその力を感じて、ふっと腹に力を込めた。
「カミュー、伏せろ!」

 きっとその力が、前任者のエクソシストを窓から吹き飛ばした力なのだ。
 ベッドの上のリサ・テイラーから噴き出した、負の感情のかたまり。それは放射状に広がって寝室中の全てを圧迫するように迫り出した。その力に押されて、マイクロトフの声に反射的に身を屈めていたカミューの身体が、それでも耐え切れずに壁へと吹き飛ばされる。
 しかしマイクロトフは叩きつける圧迫感の中、迷いもなくその手のダンスニーでその禍々しい気のかたまりを両断するかの如く切り裂いたのである。
 一瞬後、破裂するような音が寝室中を震わせて、ポルターガイストが収まった。

「……痛っ」
 呻き声がしてちらりと目をやると、硝子の散った床の上でカミューが顔を顰めて身を起こすところだった。
「無事か」
「…なんとかね」
 それでもふてぶてしい声が返って来て、マイクロトフは思わず苦笑する。
「怪我がないなら良い。少し休んでいろ。これからは俺の領分だと思うからな」
「マイクロトフ、今、おまえ何をしたんだ」
「ふむ。おまえの言い方を使うと、俺もそう不感症ではないと言う事だ。俺は悪霊は見えんが『力の流れ』が見える性質だ」
 だから、とマイクロトフは剣を構えなおして背筋を伸ばした。
「こうした荒っぽい悪霊憑きは俺の専門だ」
 覚えておけ、と。
 言った視界の端で、出会って初めてぽかんとしたようなカミューの顔を見て、マイクロトフはこんな緊迫した状況だというのに、何故だか笑いたくなる衝動を感じていた。



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2005/05/10