exorcist 6
今回に限ってどうして二人で組まされるのか、目の前の男の言葉に素直に頷いたこの時になってカミューは漸くその理由が理解できた。
自惚れるつもりはなくカミューは己の悪霊祓いの腕に自信を持っていた。そしてその特殊能力故に誰の助けも借りず常に独りで戦ってきたと言う自負もある。
今更誰と手を組めと言うのかと、最初は相手を完全に無視する気でいた。第一カミューの特殊能力を知れば大抵の司祭は怖れ嫌悪する。それならばはじめから嫌っていればいいと思っていた。
悪魔の姿が見える。
それがどれ程の意味を成すのか知らない司祭はいない。
生身の人間は悪魔の姿を見ると魂を抜かれてしまう。過去の事例に、交霊術を行っていた若者四名がいたが、その際に誰かが『テーブルの下に悪魔がいる』と言った。三名の若者はそれを信じず、或いは恐れて動かなかったが、一人の若者だけが無謀にもテーブルの下を覗き込んだ。その若者はそのままショック死し、他の三名も相次いで不幸な死に方をしているとされている。それだけ生身の人間にとって悪魔とは相容れぬ恐ろしい存在であった。
だがとある高名な魔術師が、一度死して冥界を彷徨ったと自らの本に綴ったという伝承がある。そこで彼は名高い悪魔と契約を交わし、息を吹き返して後にその悪魔を使役したという。
どちらの伝承も虚実を確かめる術はない。
第一に悪魔や天使の類は本来生身の人間には見えない次元に存在する、いわゆる高次元素霊である。仮に真横に悪魔が存在していたとしても、人間にはその姿を見ることは愚か触れる事も感じる事もできはしない。
その例外が魔方陣や合わせ鏡やといった場に限るのだ。それ以外にも自然界に偶発的に発生する場があり、運悪くその特殊な場に居合わせた生身の人間だけが悪魔の餌食となってしまうというわけだ。
そして一般的に『悪魔が憑く』というのは、その高次から常世への干渉によって起きる事象だった。交霊術をしていた若者の魂を奪った例はあまりに特殊だが、悪魔は意外なほどすんなりと人間の心に語り掛け操ろうとする。
ひとたび人間が心に抱えた闇を悪魔に付け入られたなら、普通に生きてきた者がそれから逃れるのは難しい。心からじわじわと身体を乗っ取られて最後には魂を奪われてしまう。
それを救うのが、エクソシストだ。
そのエクソシストにとって祓うべき対象の悪魔や悪霊が見えるという事は、悪魔に対してかなり立場が強くなるという事だ。つまりカミューは多くのエクソシストの中でも、極めて優位な立場で常に悪霊祓いを行ってきたというわけである。ほとんどのエクソシストが信仰心だけで悪霊祓いを行う現実にあって、それは非常に珍しい事ではあったのだが。
そんなカミューの前に現れたマイクロトフという男は最初にその顔を見た時、生真面目そうで融通の利かない典型的な信仰の奴隷に見えた。
カミューの信仰心は皆無と言っていい。神への希望も信頼もほぼ無いに等しい。何故ならカミューにとっての神は救いを求めても贖罪を求めても何の返答もしない相手だからだ。無心に信仰に縋る者の姿は、はっきり言って理解できない。
そして同業のエクソシストのほぼ大抵の連中が、純然とした信仰心だけで立ち向かう無謀行為を鼻白む気分で見知っていた。カミューのように特殊な力を持って立ち向かう者は別だが、やはり悪魔に対して造詣を深め、瞬時に相対する悪魔の系統を識別しその対処法を行使するには信仰心以外にもセンスが必要不可欠だ。
だがその抜群のセンスがあっても尚、生身で悪魔と向かい合うのは大変な危険と体力や精神力の浪費を余儀なくされる。酷い時は何ヶ月もかかって祓う例まであるのだ。
能力者が処理した方が遥かに効率的であるのは確かだったが、絶対数が少ないために仕方がない。しかしそれでも持てる武器が信仰心だけで立ち向かうには、悪魔は酷く厄介な相手だった。
そしてカミューは最初このマイクロトフという司祭が信仰心だけのエクソシストの方だと思ったのだ。
ところがひとつの車に同乗して間近にこの男の目を見た時、その印象が変わった。
黒い瞳。
だがそこにある強い光は。
意志を含んだ迷いの無い眼差しと、そこに秘められた不思議な引力にも似た奇妙な感覚。
真っ直ぐに心の奥底を見透かしてくるようなその眼差しにいつの間に毒されたか、カミューはそれまで誰にも語った事の無い自分の真実の過去を吐露しそうになって、驚いた。
そして悪魔と対峙してはじめて明かされた男の力。
『見る』のだと。そういえば司教のテンコウがそんなような事を言っていなかったか。いや、あれは確か『斬る』だったろうか。聞いた時は他人のことなど興味が無かったから聞き流していたが、確かに『斬る』には『見る』力が必要だと今更ながら思った。
古びた重々しい剣を構えた男の立ち姿は、まるで絵画から抜け出してきたかのように、形になっていた。そしてその眼差し、言葉、指の動きさえもカミューの目を惹き付けて止まない。
流石は祭司と言おうか、その声は朗々と響きカミューの胸の奥まで届かんばかりの威力で、見えざるものを見るらしい瞳は不思議な引力で持ってカミューを視透す。
別に自分と同じ特殊能力者だから見る目を変えたわけではなかった。どちらかと言えば逆で、あまりに自分と違ったから、目を引いた。
―――なんて、瑕のない男だろうか。
生まれてからこの方、悪意も傷も穢れも負った事がないのではないかと思わせる男だった。もちろんそんな人間が居る筈はなかったが、それでもそう信じさせてしまうような清廉さが男にはあった。
あまりに自分と隔たった場所に立つエクソシストだった。
同じエクソシストなのに。
短時間でもカミューにはマイクロトフが優秀なエクソシストであるのは分かる。おそらく実力は同等程度だろう。それだけに、自分とこの男とのあまりの差異に気付いた時、目が眩みそうになった。
この男の哀れみはどこまで施されるのだろう。
担当する区域の教会の中でか。それとも懺悔に訪れた全ての人間にか。それとも世界中の罪深き人類全てにか。
誰一人も自分自身でさえ赦せないカミューにしてみれば、マイクロトフと言う男は理解不能すぎる相手で、それなのに何故だろう―――手を、伸ばしたくなった。
その慈悲深い心に手を伸ばしたら、マイクロトフは自分の真っ黒に染まった手を見て弱くて愛しいと言って哀れんでくれるだろうか?
「好きなように言え。俺は俺だ。俺の信じるように生きる。どこかに俺の手を欲する者があれば、駆けつけて貸してやる。だからなカミュー、俺の前で『生まれてこないほうが良い』などと馬鹿げた事は金輪際言ってくれるな」
その瞳の強さでそう言うのなら、少しは信じてみようか。
カミューが、生まれてきて良かったなんて、言える日が来るかもしれないと、少しは希望を託してみようか。
これまでエクソシストとして人を救ってきたばかりの自分が救われる可能性を、探してみようか。
「分かったよ……」
信じる事は不得意で、希望を抱く事を知らず、可能性を見出す努力など考えた事はなかったけれど。
この男はカミューに欠けたものを、確かに持っているのだから。
おそらく今回の仕事は、これまでとまるで違った決着をカミューに見せるだろう。このマイクロトフと言う男の存在ゆえに。
もしかしたら教会はそんな変化を望んで、二人を組ませたのかもしれないと、マイクロトフの言葉に頷いた時にカミューは思った。
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2005/06/19