One is alive


 マイクロトフが襲撃によって負った怪我は、どれも大して深くはなかった。
 数日もすれば傷は塞がり、汚れた騎士服も血脂にぬめった剣も、元通りとなった。
 しかし、決定的に変わってしまったものがある。
 それはマイクロトフの心構えと、周囲の評価だった。

 大きな戦のない今、騎士団における昇進の理由は日頃の勤勉さや、或いは執務能力の優秀さによる事が多い。だが稀に、盗賊団の討伐や魔物の掃討。或いは国境での他国との小競り合いの決着などで、活躍したものが贔屓されたりもする。
 今回のマイクロトフは、まさしくそれに当て嵌まっていた。
 若い青騎士に対する評価の激変は、くだんの襲撃に遭遇していた他の青騎士たちの発する噂が元だった。
 噂の内容は、まるでマイクロトフが副団長を救った勇者であるが如くの言葉を声高らかに叫んだのようなものだった。
 突然の襲撃者に怯む事無く矢面に立ち、自らが傷付く事も怖れず剣を持って敵に相対し見事撃破した―――それはひどく演義めいた噂話となり、いつしか評判だけがひとり歩きを始めたのだった。
 剣を力とし、正義を抱く若き騎士たちにしてみれば、それはとても勇ましく好ましい姿に映っただろう。だがある程度、世の思うままに任せぬ過ごし難さを知っている年嵩の騎士たちにしてみれば、曖昧に過ぎる英雄像だった。
 事実は、襲撃者にはそこにいた青騎士たちが総出で立ち向かったのである。ただ副団長に向けられた最後の刺客の凶刃を弾き、とどめを刺したのがマイクロトフだったに過ぎないのである。
 そもそもが、嫉みを抱えるような輩にとっては面白みの無い風評であった。

 出る杭は打たれる。
 まさしくその言葉どおりの出来事が起きたとカミューが知ったのはその日の午後。噂好きな赤騎士のひとりが「おい、聞いたか」と教えてくれた。
 それまで生来の人柄によって周囲から好感を得ていたマイクロトフが、よもやそのような憂き目にあうとは思っておらず、だが教えてくれた赤騎士の顔に、それが事実なのだと知ってカミューは舌打ちしたい気分に駆られた。
 異郷育ちの何かにつけて人目を引いてしまう自分ならば理解できるのに、とカミューは現在マイクロトフを取り巻くあまりな境遇に歯噛みした。



 その日、休憩時間をなんとか作り出して医務室を訪れると、そこにいた老齢の医師は全てを承知しているような顔で奥をカミューに示した。
「寝とる」
 カミューは短く礼を述べて衝立の向こうを覗いた。
 ところが医師の言葉に反して、並ぶ白い寝台の奥で今まさに起き上がったその姿を見つけてカミューは眉を寄せた。
「マイクロトフ」
 鋭い声に目にも明らかにぎくりとその身体が強張った。しかしそろりと振り返って呆れるカミューの姿をみとめた途端にその肩がほっと安堵に脱力する。その、包帯に覆われた肩が。
「あ、カミュー」
 その呑気な声にカミューは足早に歩み寄ると、黒髪の下の額を掌でぐいっと押した。
「『あ、カミュー』じゃない。何を起き上がっているんだ?」
 力任せに押し付けるとマイクロトフの上体がぼすんと寝台に沈む。
「―――つっ、乱暴だなカミュー」
「うるさい」
 退けられていた毛布をばさりとかぶせてカミューは盛大に吐息をついた。そして空気を求めて毛布から漸う首を出したマイクロトフを冷やかな目で見下ろす。
「訓練如きで不覚を取ったって?」
「う……」
「馬鹿じゃないのか。訓練で熱くなってどうする?」
「そうだな」
「今回の怪我で訓練を暫く禁止されるらしいな。本末転倒も良いところだ。腕を磨きたいのなら無茶をするのは間違っている」
 マイクロトフは黙り込んで言葉も無い。
「そもそも模擬刀でいいものを、何故真剣を持ち出した?」
「それは……」
 言い淀むマイクロトフだったが、実の所カミューには事のあらましが充分に知れていた。教えてくれた赤騎士は詳しい事までは教えなかったが、言葉の端々に裏事情が十分に窺えた。
 真剣での立ち合い。
 『誰か』が言い出したのだ。マイクロトフが断れないような『誰か』が真剣で手合いをするように。
 それでもそんな無謀な申し出を断り切れなかったのはマイクロトフの甘さだ。
「まぁ良い……ただ、マイクロトフ。次に剣を甘く見るような真似をしたらわたしはおまえを見誤っていたと判断するぞ」
「―――あぁ…二度はない。心配をかけてすまなかった」
 目を伏せて深く反省するマイクロトフに、カミューはしかしそっと痛ましげな視線を寄せた。
 治る怪我で済んで良かったと思えば良いのだろうか。
 否。
 これは許されるべきではない仕打ちだ。
「マイクロトフ」
「ん……?」
 不意に厳しい声音に変じたカミューをマイクロトフがきょとんと見上げた。
「今は怪我を治すことだけに専念しろ」
「…? ―――ああ」
 その後の事は―――。
 カミューはそれ以上口を閉ざし俯いた。
「カミュー?」
「次に会う時はおまえの怪我が完治した時だ」
「え…?」
 それではなとカミューは踵を返す。その背を困惑も露わなマイクロトフの声が追い掛けた。
「次って、完治した…時?」
 何故だ? と騒ぐ声を無視してカミューは医務室を出た。
 ―――何故だと?
 琥珀の瞳を怒りに色濃くしながらカミューは廊下を進む。
 名も知らない『誰か』に対する怒りが沸点に達し、検討違いの被害者であるマイクロトフを怒鳴りつけてしまいそうだからだ。苛立ちがおさまるのはマイクロトフの怪我が癒えた頃に違いない。
 大概自分も熱いな、と舌打ちしたい気分でカミューは歩く速度を速めた。掌に残るマイクロトフの、微熱で少し高めだった体温の感触を握り締めながら。



 その『誰か』はすぐに知れた。
 カミューがマイクロトフと親しいように、他にも団の色を違えても仲の良い連中はいる。だいいち騎士の殆どはマチルダ出身の者が多いので、縁戚つながりの者もいるし、中には幼馴染同士が一緒に騎士になったりする場合もある。
 尤もだからこそ余計に、異邦出身のカミューがわざわざ団も違うのにロックアックス出身のマイクロトフと親しいのが珍しくもあるのだが。
 つまり、赤騎士の中にも青騎士の知人の居る者は大勢いるのだ。
 カミューはそうした赤騎士にそれとなく話題を切り出して情報を集めていったのだ。はじめは確証もない事だから、手間取るかと思っていた。ところがどうやらそれは、青騎士団内ではそれなりに有名な事だったらしい。
 いわゆる、制裁とでも言うのか。もしくはみせしめとでも。
 噂には聞いていたが、青騎士団の副団長という騎士はよっぽど性質の悪い男だったらしい。
 虚栄心のかたまりなだけかと思っていたら、他人の足を引っ張る行為を少しも厭わない正真正銘の下衆だった。
 例の件で、マイクロトフの株が上がったのがよっぽど気に食わなかったらしい。以前から何度も似たような仕業を企てていたらしい。訓練にかこつけて、あまりでしゃばった真似はするなという意味で、相手が根を上げるまでいたぶるのだ。
 その犠牲者の中には重傷を負って騎士を辞した者までいるという、嘘か真か知れない話まであった。だがあながち全てが嘘ではないと言い切れた。
 今回、マイクロトフに課せられた難題は、真剣による待ったなしの時間無制限で行われた勝ち抜き戦だった。仕合うのはマイクロトフ一人で、勝ち抜けば待ち構えていた次の者が出てくる。時間の制限もないから相手が強ければそれだけ戦う時間も長引く。
 マイクロトフは、ああいう性格だから手を抜くという事を知らない。
 生真面目に対戦を繰り返し、なまじ腕が立つからなかなか負けられない。そのうち疲労が極限に達した頃、漸く隙が生まれてそこを突かれた。ただ、その時の対戦相手も真剣勝負にただでさえ気を張っていたのだろう。手加減も出来ずに剣を繰り出したものだから、掠り傷では済まなかったのだ。
 だが、治る怪我で良かったと本当に思った。
 もしも、一歩間違って神経でも切られていたらどうなった。
 しかし負傷したマイクロトフに対して、真剣での対戦を仕掛けた男は、不快げに鼻先で笑ったそうだ。
 ―――神聖な訓練場を血で汚すとは何事か。
 そう一喝した後、剣を避け切れなかったのはマイクロトフ自身の精神の緩みの所為だと断じ、謹慎を申し付けたとか。もっとも、怪我が酷くて仕事も出来ないのでそれも好都合といえばそれまでだが、本人にとっては、謹慎処分にひどく落ち込んだに違いない。何しろ馬鹿がつくほど真面目なのだから。
 何処にでも、馬鹿はいる。
 だが愛すべき馬鹿と、そうではない馬鹿がいるのだ。
 さて。
 愛すべき馬鹿には、怪我が治るまで絶交だと言って既に仕置きをしてやったが、そうではない馬鹿にはどんな仕置きをくれてやろうか。
 何しろ相手は性質の悪い、副団長なんぞという高位の相手だ。
 搦め手でいくと随分手間取るだろうから、ここはひとつ真正面から攻めてみるのも悪くはないかもしれない。あの馬鹿に真面目な男を見習って、その友人らしいところを見せたらどうなるだろうか。
 どちらにせよ、この腹の奥でぐつぐつと煮える腹立ちをどうにかするには、力技で攻めてみた方が良いだろう。
 カミューはユーライアの鞘に触れて、薄く笑った。



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赤さんはやたらと頻繁に陰湿ないじめに合っていそうだけど、
逆に青さんてあんまりいじめに合っていなさそうなイメージ。
いや、もしいじめっ子がいても、その心理が理解できてなくて気付かないかもしれない。
物を隠されても純粋に紛失したと思ったりして。
でもだから余計に大物に目をつけられて大ダメージ、みたいな。

2004/03/18

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