One is alive


 カミューの剣技を舞踏のようだと誰が言ったか。
 幼い頃に目の当たりにしていた独特の剣遣いが影響を与えているのだろう。正規の剣を習得した今となってもその舞い踊るかのような足捌きは変わらなかった。
 軽やかに、捉えどころが無く。
 それを力弱さと侮るものはその身をもって間違いを知れば良い。軽いからこそ早く鋭く。だからこそ読めない剣筋は捉える事が難しい。
 白刃の描く軌跡に赤い飛沫が飛ぶ。さながら芸術のように。
 天才的な舞い手はまた天才的な武闘家の才能を持っているという。ならば舞踏のようだと揶揄されたこの剣の技は、最高の賛辞を得たと同義であろう。
 彩りは相対する敵の血潮。
 さぁ舞踏を続けよう―――。







 それは毎日の変わり映えのしない訓練風景だった。
 少しだけいつもと違ったのは、常は目立たぬよう訓練している赤騎士の中隊長が、その日に限って訓練場の中ほどで幾人かの部下に指導をしていたところだった。
 赤騎士中隊長のカミューは、その実力は若いながら中隊長の位にあることから周知のことだった。しかし、彼の友人である青騎士のマイクロトフほど訓練馬鹿でもなく、どちらかと言えば彼の訓練の様子を知る者は滅多にいない。
 訓練に参加していたとしても、それは基礎訓練の繰り返しであったりして、実際にカミューが剣を振るい誰かと立ち合う様はなかった。誰もがそんな赤騎士の剣を間近で見たいと望んでいたが、その囁かれる実力の程に、大抵のものが立ち合いに二の足を踏むような状態だった。
 ところがこの日、彼は珍しく模擬刀を手にし、部下たちに身振り手振りで剣技の指導をしていたのだ。しかも、見ている限りではどうも不調を思わせた。そして基礎訓練をせずに指導に徹しているのはその為だろうかと皆の首を傾げさせていた。
 それが、唯一を釣るための罠の端々であるとは、誰も気付きはしないほどカミューの態度は極自然だった。

 その罠にかかるべき相手は、カミューの目論み通り容易くのってきた。それは予想されるべき事態ではあるのだ。何故ならカミューはあのマイクロトフの大の親友なのだから。
「カミュー殿、少々お時間を頂けるかな」
 声を掛けて来たのは見知らぬ青騎士。そもそもから他団の騎士はマイクロトフに関するところ以外良く知らない。だが頷いて案内された先にいた人物は良く知っていた。
 青騎士団副団長ベイオルフ。
 一見豪胆な素振りの逞しい体躯の騎士であるが、その性根は小鼠のようだとカミューは認識している。確かに卓越した剣の腕もあろうが、戦場においてそれが遺憾なく発揮されたという評判は聞かない。上官の顔色を読む事が何よりも得意だとは、密かに流れる中傷のひとつだった。
「赤騎士団中隊長のカミューだったな」
 張りのある声は自信に満ちている。だが所詮紛い物だ、とカミューは礼を取りながら内心で吐き捨てた。
「青騎士のマイクロトフと交友があるらしいな。良く手合わせをするとか。あれの剣の腕は誰もが認めるところだが生憎今は怪我で療養中でな、稽古の相手を志願して順番待ちをしていた者たちが不満を言うのだ」
 そしてベイオルフはカミューを足元から頭上までをゆっくりと舐めるように眺めあげた。その目は青年のしなやかな身体つきに対する油断を余すところなく伝える。
「どうだろう? 他団の者に頼むのは筋違いだろうと承知の上で、ウチの者どもの相手をしてやってくれないか」
 来たな、とカミューは笑って頷いた。
「わたし如きでお相手が務まるのでしたら喜んで」
 構え直した模擬刀はいつにもまして軽く感じた。



 敢えて息切れをして、ぎりぎりで勝ちを取るその綱渡りのような成り行きが、カミューの故意によるものだと気付く者はいまい。それほど巧妙であった。
 五人目の模擬刀を弾き飛ばした時、カミューはぐったりと息切れした様子でベイオルフを仰ぎ見た。
「流石に青騎士の方々は力が強い。わたくし如き軟弱者の手には少々余ります」
「そうか?」
 その声に含まれる愉悦はもう隠すつもりもないのだろうか。
 カミューは背筋に僅かな嫌悪を覚えつつ、微笑みを浮かべて模擬刀を構え直した。

「あと、お一人が限界ですね」

 この言葉に引っ掛かってくれると良いが、と思いながらカミューはベイオルフを見上げた。
 一瞬の沈黙が下りる。ただ、カミューの息遣いだけがひっそりと響いていた。
 そして。

「では最後に俺とどうだ?」

 途端に、カミューは惜しみない笑顔を浮かべて頷いた。
「望むところです。ベイオルフ様」
 あなたのその言葉を待っていたのですよ、とカミューは密かに嘲笑う。
 さぁ、舞踏会の始まりだ。
 マイクロトフならばこそ容易に翻弄できただろうが、場慣れた自分はそうも行かない。それに、結局は他団の騎士―――いざとなればどうとでもなる。
 物騒な事を考えているなどとは微塵も感じさせない微笑と足取りで、カミューはベイオルフの前に進み出る。
「どうぞ宜しくお願い致します。さて、獲物はこの通り模擬刀で宜しいのですか?」
「いや、真剣がよかろう。実戦さながらの気合を期待するぞ」
 聞こえたその言葉の意味にカミューは細く息を吐いた。
 ―――尚更都合が良い。
 カミューはそして不意にその秀麗な面差しから感情を消した。そうすると整っているだけに酷く造りものめいて何やら非人間的に見え、相対する者を怯ませる威力を醸すのだった。
 例え相手が勇猛を誇る青騎士団の副団長であってもそれは同じであった。
「ベイオルフ様」
 カミューの踏み出した靴音がやけに高く響く。
「それでは謹んでお相手つかまつりましょう」
 置いた模擬刀の代わりに抜き放ったユーライアは、気高く白刃の煌きを放った。



 いつしかその闘気に、場内が騒然とした空気に包まれていた。

 そもそも柔和な容姿から誤解を受けがちではあるのだが、本来カミューという騎士は不屈の誇り高い魂を持っている男だった。
 しかし誰に相対する時も穏やかで思慮深い応答をし、またその剣を操るさまがまるで剣舞のように他者を魅了する美しさを持っているため、理性と知力ばかりが目立つのだ。
 だが、戦場において惜しみ無く闘気を散らせる青年を見た事のある者ならば、その印象が大間違いだと知るだろう。しかし赤騎士である彼と、さほど密な作戦を共にしない青騎士にしてみればそれは知り得ようの無い秘された真実であり、日頃の訓練においてカミューが本気を出すことなどまずないから、知らなくて当然であった。
「どうなされた」
 張りのあるよく響く声は、常のそれよりもいっそう魅力的に耳に響く。
「来られないのならこちらから参りましょうか?」
 寸前浮かべられた美しい微笑は、しかし血気に逸る剣士の見せる迫力に劣るようなものでは到底無く、間近にそれを垣間見てしまったベイオルフは背筋に寒気を覚え反射的に身をかわしていた。
 鋭い一閃が光を成して空を切り裂く。
「防戦一方では見物している者に示しがつきませんよ」
 空振りに終わったユーライアを返しざま、息もつかずカミューは切っ先を突き出した。しかし、踏み込みも無く繰り出されたその剣は軽さゆえに簡単に弾かれる。しかしカミューの優勢は全く位置を変えなかった。
「副団長ともあろうお方が、一介の中隊長に遅れを取られるおつもりか?」
 カミューにとってベイオルフの動きはあまりに緩慢で、急所と言う急所が全て隙だらけだった。返ってその現実に闘争心が削がれるほどであり、いつでも追い詰める事が出来る筈がその為にずるずると手合いを長引かせていた。
 だがそれでも脳裏に包帯姿のマイクロトフが過ぎった刹那、カミューの闘争心に火がついた。
 息もつかせぬ早業でべオイルフの剣にユーライアを添わせると、手首の捻りだけでそれを弾き飛ばした。そして―――。
「騎士に堕落者は要らない」
 素早い密かな囁きと共にユーライアの切っ先が男の眉間を狙って静止し、琥珀の瞳がその奥を射抜いた。そして呆気なくついた勝敗にその場の誰もが呆然と言葉を無くす。その時だった。
「そこまでだ」
 鋭い声がカミューのそれ以上の行為を制した。一同が我に返って振り仰げば、青騎士団長グリフィンが階段を降りて来るところだった。
「ベイオルフ。貴様のおかげで青騎士団も地に落ちたな」
「グリフィン様!」
 青騎士が一斉に振り返って驚きの声を上げる中、カミューはゆるゆると詰めていた息を吐き出しユーライアの切っ先をベイオルフから逸らせた。そしてゆっくりと階段を降り切った青騎士団長を見つめる。
「君がカミューという赤騎士だな。評判は青騎士団にも届いている。流石だな」
 青騎士団長グリフィンはそして辺りをゆっくりと睥睨するように見まわした。
「対して青騎士。たった一人によってたかってこのざまか?」
 腰に手を当て、グリフィンはやぶ睨みでベイオルフを見下ろした。
「まったく良い恥じを掻かせてもらった」
「グリフィン様、これはっ」
「黙れ。おまえが手合いと称して真剣を使い故意に対戦相手に傷を負わせている事実、私が知らぬとでも思っていたか」
 グリフィンの言葉に、ベイオルフの顔からすうっと血の気が失せた。
 カミューはその傍らで静かにユーライアを引いて鞘に収める。途端に吹き出していた闘気がそろそろと身の裡に収まって行こうとする。
 そんなところへグリフィンの一転した穏やかな微笑が投げかけられた。
 戸惑って言葉をなくしていると、青騎士団長は手を伸ばしてカミューの肩を叩く。
「見掛けに寄らず無謀な奴だな。見直したぞ」
 そしてニヤリと笑った。
 充分に収まり切らないでいた気勢をあっさりと根こそぎ削がれて、カミューは呆然と震える吐息をついた。そしてそんな立ち尽くす青年の若さに眩しさでも覚えたようにグリフィンが目を細める。
「だが、まだまだだな」
 くっくっ、と喉の奥で笑ってグリフィンはカミューの肩から手を離す。
「グリフィン様―――」
「いや気にするな。さぁ君はもう自分の訓練に戻るが良い。青騎士の相手をして疲れただろうがな」
 そしてグリフィンはカミューの背を押しやると、それきり青騎士らに対して厳しい叱咤をはじめた。どうやら騒ぎの始末から除外されたようだと気付いてカミューは大人しくその場から離れる。
 青騎士団の副長を相手に思うさま勝手にしたつもりだったから、後で非難のひとつも被ろうかと覚悟をしていたのだが、グリフィンの様子からはそんな文句がカミューへ、若しくは赤騎士団へ向けられる心配はないようだった。
 そうして事の次第がついたと思った途端、疲労がずしりと襲ってきた。

 ―――あぁ、もう。

 何を熱くなっていたのだろうとカミューは我が身を省みて嘆息した。
 無謀だと、まだまだだなとのグリフィンの言は正しい。
 それでも疲労感と一緒に漂う達成感は否めない。まるで困難な生存競争に生き残ったような気分だった。少しばかりの矜持と自我を守るためだけの行為に過ぎなかったのだが、それはひどくカミューを満足させるものだった。





 後日。
 怪我を完治させたマイクロトフがカミューに会いに来ての開口一番が次の言葉だった。
「カミュー! おまえベイオルフ様と真剣で手合わせをしたと…」
「あぁ…おまえにしては耳が早いな」
 ベッドの上に寝転がって読書をしていたカミューは、扉を開けるなり駆け込んできたマイクロトフの言葉に、先日を思い出してウンザリとして頷いた。途端にマイクロトフが不満げに顔を顰める。
「カミューはあの試験の時しか本気を見せてくれなかった。だが見ていた奴らに聞いたらベイオルフ様を相手にした時かなり本気だったらしいな」
 ―――あぁ……あんな疲れるもの、そうそう何度も繰り返してたまるものか。それに能ある鷹は爪を隠すとか何とか言うんだろう……?
 げっそりとした気分で天井を仰げば、それを覗き込んで来る顔がある。
「俺とも本気で手合わせしてくれ」
「いやだね」
「カミュー!」
「あー…もう、疲れているんだ喚くな」
 拳を握るマイクロトフからそっぽを向いてカミューはひらひらと手を振る。
「そのうちな」
「絶対だぞ」
「はいはい」
「はいは一回だ!」
「………」
 更にどっと疲れを感じて、それでも和やかな気配に苦笑を浮かべてカミューは顔の上に本を乗せ、目を閉じたのだった。



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どこかに加筆は出来ないものかと思いつつ結局丸写しでした。

2004/03/24

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