Desert rose
―――あぁ、もうきついな。
呟きカミューは一人、室内にいた。
最近では女性のご機嫌取りもままならない余裕の無さだ。以前は安らぎを求めて通っていた筈が、いつの間にか足が遠のいてしまっている。当然、ぱったりと安らぎが無くなり最近の殺伐としたこの気分はどうだろうか。
マイクロトフが傍にいたら良いのに。
気が付けばそんな事を考えている。
あの純正の太陽のような男の存在は、それだけでカミューにとっての癒しだった。仮に、ずっと傍にいてくれると確約が取れるのなら抱かれても良いくらいだった。
しかしそんな事を考えた自分にカミューは瞬間的に顔を顰める。
抱く抱かないはともかく、身体を合わせるなら女性が良いに決まっている。そもそもマイクロトフが嫌だろう……。
どうにかしなければ。
この際、割り切って付き合える相手を選ぶか。
「………」
本当に殺伐としてきたな、と我が身を振り返ってカミューはそんな自分に眉をしかめるのだった。
だが、夢を見る。
荒れ果てた砂の地に独り立っている。
乾いた風が吹き、身の虚を抜けてその都度何かをカミューから削ぎ落として行く。
砂漠に独り。他の生命の息衝きは皆無で、カミューは当て所もなく立ち尽くすばかりで。
マイクロトフ。
今何処にいる。
―――マイクロトフ、マイクロトフ、マイクロトフ…。
自分をこの世に繋ぎとめるたったひとつのよすがのように、その名を何度も繰り返す。だが現実はいっそ無情で、カミューは絶望のふちから今しもその身を投げ出しかねない気分だった。
食い縛った歯から呻き声が漏れる。
涙は出ないが、確実に心は悲鳴を上げて涙を流していた。
カミューは絶え絶えに名前だけを呼び続ける。
もうこんなにも心が痛いのは嫌だ。
救ってくれ。
魂が、死にそうだ。
―――マイクロトフ…………。
縮こまって、ただ何度もその名前だけを呼んだ。
返してくれる存在など、そこにはいない絶望を知りながら。
発した声がまるで全て吸い込まれてしまうような、まるで反響の無い虚無の砂漠に居るかのように。
―――マイクロトフ。
渇望に、癒しだけを求めてカミューは呼んだ。
そして目が覚めて、全身を覆う虚脱と孤独に毎夜吐息をつくばかりだった。
何故なのだろう。
夢の中で何故マイクロトフばかりを求めているのだろう。
自問してみても、既に答えは出てしまっていた。カミューは両手で顔を覆い密かに笑い声をたてた。
「おかしい………」
ひっそりと呟いて、今にも泣きそうな顔で笑う。
いつからこんなふうになってしまったのだろう。そんな未来を望んでいたわけではなかったのに。ただ隣に立っていられれば良かっただけだったはずなのに。
「……わたしは………」
呟いてカミューは震える喉で冷たい空気を吸い込んだ。
―――わたしは。
苦笑して自問の答えを囁いた。
求めているのだ、と。
また雪が降っていた。
以前よりももっと苦手に思えてきたその天からの白い贈り物を掌に掬って握り締めた。重みすら感じないそれは、僅かな冷たさを残して消える。そうして開いた掌に残った小さな水溜りはまるでカミューの心が流した涙のようで。
掌に小さな虚が空いたように痛みを感じた。
「ここのところ、日を置かず夜になると街に下りていると聞いた」
カミューの部屋に、よく通る男の声が響く。
深夜、ひっそりと帰城したカミューを待ち構えていたらしいマイクロトフは、部屋に入るなり唐突にそんな話題を切り出してきた。
早寝が主旨の男にしては目を開けているのが困難な筈の時刻だ。街も城も静まり返って、降る雪に殊更音が吸い込まれておとぎの国のような静寂に包まれている。そんな夜。
日毎、素行が目に余るようになって堪え切れずにやってきたのだろう。或いは何処かで良くない噂でも聞いたのかもしれない。
何しろ望むと望まざるとに関わらず、カミューは何故だか目立つし人の噂に良くのぼる。真面目な友にしてみればあちこちに不安の種が蒔かれているも同然なのだろう。
カミューは何も答えはしなかった。
だがそんな態度も予め予想でもしていたかのようにマイクロトフは気を悪くした様子も無く続けて言う。
「皆が心配しているとも聞いた」
マイクロトフを、カミューはぼんやりとした表情で見詰めた。
「おまえも、わたしを心配してくれているのか?」
「話を聞いて、直ぐにここへ来た」
「……そうか。留守をしていて悪かったな…」
また呟いて俯くカミューにマイクロトフはなんとも言えない憂鬱な顔をした。
「街に恋人がいるのなら、昼間に会え。夜遅くに出歩くのはよした方が良い」
「それは、友人としての忠告かい?」
少し哀しみを含んでしまった声で、そう問うてしまう。マイクロトフは律儀に答えてくれた。
「忠告など偉そうな事は俺には言えない。ただ……俺もおまえが心配だという事だ」
―――ああ、なんて有難い友人だろう。
喜びながら絶望する。
「…有難う。でも―――そんな事を言われても、わたしはもうどうすれば良いのかわからなくなってきていてね」
「何か悩みでもあるのか」
率直過ぎる問い掛けに、カミューは驚いたように目を見開いてから苦笑を浮かべた。
「敵わないな、マイクロトフには」
そしてふと笑みをおさめてぽつりと漏らした。
「―――…あるよ」
しんとした静寂が二人の身を包む。
もしかしたらマイクロトフは、こんな深夜にこんな会話を始めたことを後悔しているかもしれなかった。
こんなに静かな、まるで別世界に切り離されているような空間ではいつものような成り行きにならない気がする。何故ならば、常であればのらりくらりと話を有耶無耶にするはずの自分が素直に頷いている。
「悩みなら、ある」
そして見上げた先で、マイクロトフの瞳は雄弁にその悩みを自分などが聞いていいものだろうかと戸惑いを浮かべていた。だが、カミューはそんなマイクロトフに、少しだけくすりと笑うと椅子の背凭れに身を預けて顔を上げた。
「城下に恋人などいない。だけどね―――女性の肌の温もりは、とても心地良くて好きだよ」
「……」
「時々、胸のこの辺りが抜け落ちたような気分になる―――」
言ってカミューは自分の胸元、心臓の真上あたりに触れた。
「自分がとても頼りなくなる。そんな時に自分以外の肌の温もりを求めてやまない」
弱いんだ。
呟く小さな声は震えていた。そして、ずっとマイクロトフを見詰めていた琥珀の瞳がゆらりと揺れ、途端にマイクロトフが眉根を寄せて何か物言いたげに口を開いた。しかし彼がなにかを言う前に、カミューの小さな声が静寂の夜にするりと零れ落ちる。
「その温もりが、おまえのものであったならと」
言葉のさなか、カミューの瞳が震えて伏せられた。
「こんな事を思うわたしは、もう、どこか、おかしい」
その口元が薄らと笑みを浮かべたようだった。
「―――忘れてくれ。本当にどうかしているんだ、わたしは」
俯いてカミューは片手で顔を覆った。指の隙間から細く長い吐息がこぼれる。
「カミュー」
動揺した声が聞こえて、カミューは顔を掌に隠したまま囁いた。
「まともに相手などしてくれなくて構わないから……おかしいんだわたしは」
「カミュー…」
名を呼ぶ以外に、マイクロトフはかける言葉を見出せない様子だった。そんな男にカミューは仕方なく苦笑を浮かべる。気分はこれ以上ないほど最悪で、それでも何かを捨てさるほどの自棄な衝動も湧かず。
「もう、良いよマイクロトフ」
顔を上げると微笑んで扉を指差す。
「こんなわたしの心配など、もう、しなくても良いんだ」
詠うように囁けばマイクロトフはまだ戸惑っているような表情で、ちらりと扉を見た。そしてカミューが頷いて見せれば、試すように足を向ける。
「今夜は寒い―――早く寝ろ」
「……カミューも」
そしてマイクロトフは扉を開けて、出ていった。
雪の降る―――カミューの嫌いな雪の降る夜だった。
翌朝、降り積もった雪は全てを無の領域に変えていて、窓からそんな景色を見下ろしたカミューは、まるで白い砂漠のようだとひっそり呟いた。
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このシーンは加筆なし。ただし修正は入れまくりです。
2004/03/29
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