Moonlight





 ―――その温もりが、おまえのものであったならと。





 麗らかな日だった。
 それは風も無い穏やかな晴天で、木枯らしが吹きすさびつい身を竦ませずにはいられない冬には珍しい日だった。
 不意にぽっかりと与えられたご褒美のように、ぽかぽかとした陽が射して、ぬるま湯のような空気が漂っている。
 そんな折にマイクロトフは一人でぼんやりと、窓外を見ていた。
 窓辺に凭れるようにして座り、首を少しだけ傾けて何処を見るでなく遠くを見つめている。ゆるく握りこまれたこぶしも腿の上に置かれたままぴくりともしない。
 それを遠巻きに見て、声をひそめる連中がいる。
 青騎士の同僚たちである。

「……ああ全くいらいらする。誰でも構わんから事情を問い質してこい!」
「だが、あのようなマイクロトフなど初めてだ。声をかけるのもためらわれるのだぞ」
「そうだ。下手に声などかけぬ方が良いのかもしれん」
「うむ……単純だが思慮深いところもある奴だからな」
「しかし、それにしても呆け過ぎではないか。いったい何があったのか、皆は気にならんのか!」
「む……」

 でかい図体をした男たちが顔を寄せ合ってごそごそと会話を繰り広げている様は、実に鬱陶しいに違いなく、また異様だ。
 しかしそれを視界の端に収めているはずであるのに、マイクロトフは相変わらず窓の外を、何処を見ているか分からない眼差しで見つめ続けている。それはまるで何も見ていないかのようである。
 それもそのはず。
 マイクロトフは目に映る何も見ていなかった。
 彼の黒い瞳は、今はそこにはいない人の姿を映していた。

 金茶の髪がしな垂れ、俯いた表情はひどく萎れていて。
 自分の問いかけにゆっくりと持ち上がった顔がまた、一段と憂いを帯びていた。そしてマイクロトフをじっと見つめていた琥珀の瞳が、不意に苦しげに揺らめいて―――。
 残像のように脳裏を掠めるのは、何もかも諦め切ったような微苦笑。
 あの、ひときわ整った端正な顔が、重々しい鬱屈を宿して笑っていた。

 そんな情景を思い出した途端、それまで人形のように無感動だったマイクロトフの表情が、ふと歪む。
 黒い瞳がやにわに窓外に敵でも見つけたかのように剣呑な光を宿し、口元が憮然と引き結ばれる。そしていつの間にかこぶしがきつく握り締められていた。
 それは激しい苦悩が蘇ったからだ。

 昨夜。
 あれからどうやってカミューに別れを告げ、部屋を辞したのか記憶が定かではなかった。あまりの動揺にまともな思考が働かなかったのだ。マイクロトフは気付けば自分の部屋に戻り、寝台に腰掛けて頭を抱えていた。
 どうしてあの場で、直ぐに冷静になれなかったのだろうか。直ぐにでもカミューに問い質してみたなら、状況は変わっていたのかもしれないのに。
 しかし悔やんでも過ぎた時間は戻らない。逸したものは、もう取り戻せない。
 マイクロトフはあれから碌に眠れずに過ごしてしまった。今となってはあんな様子のカミューに真意を質す真似など、出来かねた。となれば独りでどうにかするしかない。
 たったひと晩眠らなかっただけでどうにかなるほど柔でもないだけに、マイクロトフは少し遅刻したものの、変わらず早朝訓練に参加した。しかし、まさしく上の空状態だったのは否めない。
 現に今も、早々に仕事を手放し自主的に休憩時間を過ごしている。
 頭の中で処理しなければならないことが、多すぎるような気がした。
 手を止めて、一切を脇に押しやってしまわなければ、とても纏められない複雑な問題のようだった。なにしろ、事は重大だ。
 あの、カミューが。
 思い出すたびに、思考が固まってどうにもならなくなる。
 疲れたようなカミューの憂いに満ちた表情が。
 言葉以上に雄弁に語る琥珀の瞳が。
 マイクロトフの胸の奥を強く握り締めて激しく揺さぶる。

 ―――カミューがどうかしている?

 そうなのかもしれない。
 カミューは確かに言ったのだ。求める肌の温もりが、女性のものではなくマイクロトフのものであったのなら、と。それはつまり、女性を想うような気持ちをマイクロトフに抱いていると言うことなのだろう。

 ―――ばかな。俺は男でカミューも男だ。

 即座にそんなばかなことは有り得ないと否定する。だがカミューの、胸を手で押さえて瞳を淡く揺らしながら告げた姿はあまりに常と違っていて、それが真実なのだと教える。
 あんなにも危ういカミューをマイクロトフは見たことが無かった。
 いつだって冷静で理知的で、人のあしらいがうまく、何にも煩わされる事の無いような飄々とした態度でいるカミューだった。年齢もひとつしか違わないのにひどく大人びていて、その真意はマイクロトフなど及びもつかない高みにあるような気さえしていた。
 そんな印象の全てが、脆く崩れるほどの衝撃だった。

 ―――カミューが俺を…?

 どうして。
 マイクロトフとて同性間でも珍しい事ではあるが愛情が育ちえるのだとは知っている。世間的には少数で概して認められる類のことではない。否定的に捉えられる方が通常だろうが、マイクロトフ自身はそんな事を深く考えた事は無かった。
 そもそも騎士団内においてそれは、はっきりとは示されてはいないが風紀的に禁じられている。別に罰せられるわけでもないし、騎士としての資格を問われるわけでもないが、そうと知れればほぼ間違い無く侮蔑と嘲笑を受けるだろうし、騎士としての理想的な未来は望めないはずだ。
 尤も、暗黙の了解としてこの女性が圧倒的に少ない男ばかりの集団組織で、密かに契約にも似た関係が成立しうることは知っている。だがそれはあくまでかりそめの関係だ。本気ではない。
 カミューもそんな関係をマイクロトフと望んでいるのだろうか? いや、それは有り得ない。カミューならば城下に行けばどんな女性も得ることが出来るし現にそうしている。その上でマイクロトフを望んでいると言ったのだ。
 どうして、とやはりそこに行きつくのだ。

 ―――俺を望む理由はなんだ。

 だがそんな事は愚問であると、今のマイクロトフは気付かない。
 人が人を欲するのに明確な理由などあろう筈も無いのだ。だが、そう遠くない未来に、マイクロトフは身を持ってその心理を実感することとなる。

 この日マイクロトフはカミューの事を考えるあまり眠りについたのは明け方近く、早朝訓練よりも少しだけ早い時刻だった。
 珍しくもその早朝訓練に遅刻してきた男を心配そうに見詰める同僚と部下たちの視線に、当の本人が気付くことは無かった。
 気付けというのがどだい無理な話だった。
 その日から、マイクロトフの頭はカミューの事でいっぱいになってしまったのだった。それこそ、寝食もおろそかになるほど。





 そして、何度目かの夜が明けた朝。
 自室。
 窓辺に置かれた寝台の上に座し、窓枠に背を預けながらマイクロトフはふと天を仰いだ。
 薄く閉じた瞼が微かに震える。
 乾いた唇が、ぽつりとなにかを呟いたが、掠れた喉は声をなさなかった。
 しかし朝焼けの光が射す室内の中でゆっくりと開いた瞳が、遠くを見つめた時。

 ―――そうか。

 唇が、確かにそう動いた。

 そしてその日、久方ぶりにいつもの調子を取り戻して務めをこなし終えてからの事。
 マイクロトフは夜を待って、あの日の夜から一度も訪ねていなかったカミューの部屋の扉を叩いた。



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短くてすみません〜
苦悩する青を! とチャレンジして挫折気味……。

2004/04/03

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