2. 見合い


 冬の木立ちが寒々しい。落葉樹の落ち葉が並木道を埋め尽くして、冷たい風が吹くたびにさざ波のような音が浮いては消える。城の外周に林立するそれらも例外ではなく、この時期は従騎士達の仕事に城内要所の枯れ落ち葉集めが加わる。
 毎年のように赤い騎士服のとある人物がその枯れ落ち葉で焚き火を支度して、厨房から失敬―――調達した芋だのを焼いているのは、こんな時季である。



 男は皺の目立ち始めた顔を笑みに赤く染めた。
 場所は青騎士団長執務室の手前にある、応接室である。ここに通される人間は騎士を除き一般人では数少ない。本来ならばここに居るだけで大抵の人間はガチガチに緊張してしまうものだが、この男に限っては例外のようだった。男の名はオリオール。マチルダの南東部に位置する一帯の領主である。
 オリオールの家は歴史ある名門で、一族からは数名騎士を輩出しているし、その資産の一部も毎年騎士団に寄付をしている。その現当主である男は青騎士団長マイクロトフに対峙して、物怖じする事なく己の血筋を誇りに堂々とひとりで延々と喋り続けていた。
「悪い話では無いでしょうな。器量も良いし親の口から言うのもなんだが美人で申し分の無い娘だ。年の頃もちょうど良く、あなたにふさわしいでしょう」
 早い話が縁談である。このオリオールは野心家でありつつ騎士団の熱狂的な信奉者でもある。彼の一番上の娘は既に白騎士団の隊長と添い遂げており、残るもうひとりの娘も当然騎士と、と考えてマイクロトフと面会を始めるや、娘のあれこれを並べ上げ始めたのである。
 しかしマイクロトフにしてみれば青天の霹靂のような申し出だった。といっても以前から何度となくこのオリオールはそれらしい事を仄めかしてはいたのだが、面と向かってこれほど具体的に切り出されたのは初めてである。マイクロトフは焦った。
 縁談などとんでもない。己にはカミューと言う唯一無二の相手が既にいるのだ。
「申し訳ないが……」
 断りかけたところで、オリオールが大声で遮った。
「いや、言わずとも承知しております」
 掌を突き出して首を振るう。それから意外なほどに親しみやすい表情を浮かべてにかっと笑った。
「失礼ながらお噂は耳にしておりましてね。聞けば女性との交際が苦手とか? それこそ大いに結構ですマイクロトフ殿、誠実であればこそ大切な娘を託せられるというもの」
 慣れていることの方が心配ですな! と豪快に笑ってオリオールは膝を叩く。
「実は今回は娘もロックアックスに連れて来ている。都合の宜しい日に是非、一度話でもしてやって頂きたい」
 娘はあなたに会うのをそれはもう楽しみにしていて、と言われても会うわけにはいかない。
「オリオール殿……」
 と、マイクロトフが困った顔をすると、すかさずオリオールが身を引いた。
「あ、いや。しかしマイクロトフ殿もご多忙でしょうからな」
 そう断ってから、こちらの身勝手だから本当にちらと会って頂くだけで構わない。娘は暫くこちらに住まわせて色々を学ばせようと思っているから、別段急ぎはしないのだとまで言ってのけた。その押し引きの絶妙な事と言ったら、マイクロトフが何も言えないままに会談が終了してしまったくらいのものだった。
 マイクロトフが我に返ったのは、オリオールが退出して従者が出されていた茶を片付けてしまい、副長が気の毒そうな、それでいて今にも笑い出しそうな顔で肩を叩いてくれた頃だった。
 ハッと顔を上げ縋るような眼差しで副長を見る。
「オリオール殿は俺に何を……っ」
「縁談をお勧めになったのでしょうな」
「縁談……誰がだ。俺か? 俺が誰とだ!」
「オリオール殿の御次女でしょう。お名前はエリスティナと仰るようですね。お年の頃は十八歳……お可愛らしい風貌で優しげな気性のレディである、とはオリオール殿のお言葉でしたかな」
 親の欲目を差し引いても白騎士隊長に嫁いだ長女を見たことのある副長は、あの娘と姉妹なら平均以上の美貌であるのは間違い無いだろうと思った。
「はっきりとは、お受けもお断りもされなかったようですが」
「断る!」
 即答に副長は笑いを噛み殺した。
「ですがオリオール殿は随分と乗り気のご様子でしたが」
 あちこちで娘が団長と見合いをするのだと仰っておいでです、との副長の言葉にマイクロトフは蒼褪めた。
「あちこちでだと!?」
 副長がこっくりと頷くとマイクロトフは険しく眉根を寄せて、唸り声を上げた。それを苦笑で見下ろしつつ副長は、これでは騎士団内にこの話題が走り抜けるのも、そう遅く無いことだろうと思った。



 そしてその話題がカミューの耳に届いたのは早かった。
 なにしろオリオールが各所で吹聴しているのだから。確かに彼の地位とその娘ならば騎士団長と縁組を結ぶのに何の支障も無いだろうし、彼自身青騎士団長との縁組を進めることに舞い上がってでもいるのだろう。相手構わず告げて回るのだが、もしこれが駆け引きの不得手なマイクロトフを追い込むための策略ならば腹立たしい事この上ない。
 カミューは執務を終えての深夜。自室に戻り寛いだ格好で酒を舐めながら親指の爪を噛んでいた。
 透明な蒸留水は生のままの香りと味しか無く、そのほんの僅か胡椒のような刺激が舌を突付く程度の味わいだった。それでも酔いを巡らすには充分で、カミューは順調に干してそれがボトルの中ほど以上を空気に変えた頃、控えめなノックの音を聞いた。
 張り番の騎士の声でもなく、従者のそれでもない。耳に馴染んだ音声が重厚な扉越しに聞こえてくる。カミューはちらりと爪を舐めて親指を握り込むと立ち上がった。

 扉を開けると案の定。
「マイクロトフ」
「あぁ、カミュー。飲んでいたのか」
「うん……―――聞いたよ、見合いするんだってな」
 さり気なさを装って聞いたつもりが、失敗したらしいのはちょうど扉を閉めたところのマイクロトフが大袈裟なほどの勢いで振り返ったからだ。がしっと両肩を掴まれて、唾を撒く勢いでマイクロトフは叫んだ。
「断る! 絶対に断るぞ!」
 カミューは驚いて思わず目を丸くする。
「え、その場で……断らなかったのか?」
「……あの御仁の押しの強さに呑まれてしまった」
 悔しくてならない風情でマイクロトフは俯き唸る。それをカミューは何処か遠くから見下ろすように見ていた。
「俺の都合に合わせるから、絶対に令嬢と会えと言う……俺がはっきりと断る前に出て言ってしまって参った」
 そうか、まだ断っていないのか。それなら―――。
 カミューは口の端だけを持ち上げて笑った。だがそれは一瞬の事で、ふと顔を逸らせて自分の肩を掴むマイクロトフの腕に手の甲を押し当てて振り払い、一歩下がってそっと身を離す。それから酒を置きっぱなしのテーブルへと戻りながら言った。
「随分と、見込まれたものだな」
 つい皮肉めいた言葉が口をつく。それから、瞬間的な自己嫌悪を自覚しつつカミューは喉の奥から込み上げるそれを抑えつつ、やはり何気なさを装って振り返り言った。
「会えば良い。オリオール殿は騎士団にとって重要な方なのだから」
「カミュー」
 黒い瞳が驚いたように見開かれる。カミューはそれに反するように瞳を細めて、椅子に腰を下ろしながら慇懃な訳知り顔で傲慢にも諭すようにする。
「失礼があってはならないよマイクロトフ」
「無礼は向こうだ」
 何を言っているんだと困惑混じりの不満げな顔をするマイクロトフの瞳を、薄い湯気越しに眺める気分でカミューは凝視していた。
「……彼はそれが許される。知らないわけでは無いだろう? オリオール殿がどれほどの影響力を持つ人物なのか」
 流石に人事にまでは直接口出しはさせないが、少なからずの影響はある。その寄付金の額が白騎士団長の裁量に影響を及ぼすと言った方が良いだろう。彼にとって不利益なことが騎士団にあれば、その寄付金を取り消されるとでも思っているのだろうか。だがあの白騎士団長の性質を鑑みるに有り得ない事ではなかった。
「断るにしろ、きちんとお会いしてからの話だよ」
「カミュー! 俺は会わんぞ」
 酒の残るグラスを見下ろしていた間に、マイクロトフは靴音も高く歩み寄るとテーブルに掌をついた。
「そもそも見合いなど……!」
 吐き捨てるように言うその態度は怒っている時のそれだ。よもやカミューが会えなどと言うとは思っていなかったのだろう。当然だ。どうして恋人が他の人間との見合いを勧めると言うのか。
 だが、カミューにはマイクロトフにそうしろとしか言えなかった。
「マイクロトフ」
 椅子の背に凭れてカミューは顔を上げる。そして、部下に命じる時のそれに似た眼差しでマイクロトフの瞳を見つめた。
「騎士団長の地位を甘く見るな。嫌だ嫌だで何もかも避けて通るとでも思っているのか」
「見合いと騎士団長の地位と、何の関係があるっ!」
「大有りだよ。有力者との繋がりを多く持つのは指導者の勤めだ。それなのにおまえはただでさえ夜会の出席率が低い。このうえ見合いなどと言う絶好の機会までも握り潰すつもりなのか」
 マイクロトフの絶句が見て取れた。驚愕がその黒い瞳に広がっている。爆発は早かった。
「カミュー! 馬鹿を言うな!!」
 大声にカミューは顔を顰めた。だがマイクロトフの声量は抑えられない。
「それではまるで見合いがただの政治手段に聞こえる! おまえは、まさか……」
「断るんだろう? ならそれ以外に何がある」
「相手の娘はそれでは何だと言う!!」
「この場合……ただの飾り物かな」
「カミュー!」
 怒鳴っているのに見上げるマイクロトフの顔は情けなく泣きそうな顔だった。その中の何よりも雄弁に語る黒瞳に射貫かれて、カミューの胸の底にわだかまる黒々としたものが騒いだが、今はそれを無理やりに押さえ込んで冷笑を浮かべた。
「静かにしろマイクロトフ。わたしは見合いも有効な機会だと言っているだけだ。何も相手の娘を本当に道具扱いしろとは言っていない。優しく接して、そしてやんわりと断れば良い」
 それだけでどれだけ相手の心象を良くすると思う。
「折角の機会を、顔も見ずに断るのは良くないと言っているだけなんだよ」
「俺は……断る!」
「見合いを? わたしの意見を?」
「どちらもだ!」
 短く怒鳴ってから、不意にマイクロトフは沈黙すると深い溜息を吐き出した。その顔を片手で覆って緩く首を振る。
「何故、俺たちは言い争いをしているんだ……?」
 片側の顔を掌で覆ったまま、マイクロトフは理解が及ばないと言う。カミューの言いたいことがまるで解らない、どうしてそんな事を言うんだと、訴えるような眼差しを指の間から向けてくる。ついそれから顔を逸らして酒の揺れるグラスを手に取った。
「主張を曲げないからだろう? おまえは見合いをしないと言い、わたしはそれをしろと言っている」
「……違う」
 マイクロトフが低く否定する。カミューはぴくりとだけ肩を揺らして耳を傾けた。
「俺は何故見合いをしなければならないんだと聞いているのに、おまえがそれをはぐらかすからだ」
「答えているつもりだが? 有効な手段を逃すなと言って―――」
「おまえは俺の何だ?」
 カミューの言葉を遮ったのは怒気の見え隠れするマイクロトフの声。カミューは俯いてグラスから少しだけ酒を舐め取った。
「俺はカミュー。おまえを愛している」
「………」
「俺は、おまえ以外の誰も見るつもりはない」
 今も、これからもだ。言ってマイクロトフは俯けたままのカミューの頭を見下ろす。
「それなのに、おまえは俺に不実な真似をしろと言う……」
「割り切れば良いだけの話じゃないか……?」
 誰も不実を働けとは言わない。それに、相手だって断られこそすれ見合いの事実があっただけでも良いと思うに違いない。オリオールはマイクロトフとの強固な繋がりを望んでいるのが見え見えだ。それならそれを利用させてもらえば良いだけの話ではないか。
 そう考えつつも、心のどこかでそれは詭弁だと喚く自分がいるとカミューは知っていた。
 本当はそんな事を言いたいんじゃ無い。有効利用とか政治的だとか、そんな赤騎士団長としての建前ではなく、マイクロトフ個人を愛しているカミューと言う一人の男として叫びたい心がある。
 だが、その心そのものが、今それを表に出すなとも言っているのだ。
 今それをマイクロトフにぶちまけるのは、彼の為にならない。
 青騎士団長としてのマイクロトフの為に、彼の未来の為に、自身を押し殺すのは昔からの習い性だ―――今更そんな性分は変えられない。どうしたって無意識に思考がそっちへそっちへと行ってしまうのだ。己よりも相手を、と。
 カミューはグラスを静かに置くと、再び顔を持ち上げて間近に立つマイクロトフを見上げた。そして、ふっと笑みを刷くと挑戦的にその名を呼んだ。
「マイクロトフ。何より、わたしがそれを不実だと思っていない。どころか推奨しているのだから、何を憚る必要がある」
「違う! 俺が聞きたいのはそんな言葉ではない!」
 頑是無い子供のように首を振ってマイクロトフは訴える。それに僅か痛みを覚えつつ、カミューは素知らぬ振りで溜息を吐いた。
「大声を出すなよ―――ともかく見合いは受けろ。オリオール殿に決して失礼はするな」
「カミュー!」
 悲鳴のような声で名前を呼ばれてカミューは瞬間、顔をゆがめた。そして続く言葉に本当に胸がずきりと痛んだ。
「俺の、言葉を……無視をするな…!」
 苦しげな訴えは、真実を衝いている。だがカミューは心外だと言わんばかりの表情を浮かべて見せる。
「していない。わたしはちゃんとおまえの言葉を聞いている」
 しかしそんな茶番はマイクロトフと言う男には通じない。精悍な面差しは苦しそうな表情に彩られていて、ぐっと奥歯を噛んでいるらしいその顎が固く引きつっている。
「聞いてなどいるものか。おまえは……カミューは……―――どうしてこんなに傍にいるのに、俺はおまえの言葉が聞けないんだろう」
 マイクロトフの顔がくしゃりと歪む。
「ちゃんと、言ってくれ」
「……マイクロトフ」
「俺は、ここにいるのに、カミューだけが、ここに……いない」
 ひっそりとこぼしてマイクロトフは両手をだらりと下げると、床を見詰めて黙り込んだ。そしてそれきり、マイクロトフは暇も告げずに部屋を出て行った。その去り際に見せた背中が、なんとも言えず孤独でカミューは呼び止めようとする自身を制するのに、随分と労力を使った。
 だってそうする他に術を知らない、と呟く声さえ押し殺して。



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冒頭の枯れ落ち葉の描写の辺りですが、実はサイトの短編とリンクしております。
興味がございましたら是非どうぞ。「あたたかいもの

2007/02/28>

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