マイクロトフの不在によって、己が胸の内で無意識に育んでいた感情をまざまざと思い知らされたカミューであったが、しかしのんびりとそんな感情にひたっていられるほど、事態は呑気ではなかった。
こうなってこそ、以前よりもその危機感はいや増してカミューの精神を追い詰めた。つまり、行方不明のマイクロトフに対する騎士団の対処である。
事故であれ故意であれ、一団を統率すべき団長が長くその席を空けるなどあってはならない事だ。ましてや組織は騎士団と言う、武を尊び武をもって成る集団であるのだ。仮に事故などで身動きが取れないのであれば、それこそ前にカミューが部下にそれを諭したように、統率者の資格など即座に剥奪されるだろう。
そして、決断の日は迫ってきていた。
マチルダ騎士団は大きく三つの組織に分かれている。常ならばそれぞれが独立して自主性を持って団を成している。だが有事の際、三つの団は白騎士団を上位として一団となって事にあたる。つまり、団は分かれていてもそこには明確な上下関係があり、また団内の重役の席を埋める人事決定には、各団の要人が集まる事になっており、且つ他団の人事であれ白騎士団長の発言は多大な影響を及ぼすものだった。
「では、マイクロトフの団長としての地位を剥奪すると?」
静かに問い返したカミューに対し、青騎士団の副長は口惜しげな表情で頷いた。
「はい。ゴルドー様はそのお積もりのようです」
マイクロトフが不在の今、青騎士団の全権を任されている副長は、存外に小柄な知性派の男である。武功をもってその役職に就いたのではなく、その政治的能力によって今の地位があるらしい。カミューでさえ驚くほどの情報網を持っている。
「明後日か早ければ明日―――ゴルドー様の命によって緊急会議が設けられる事でしょう。そしてマイクロトフ様の背任が取り沙汰されるでしょうな」
「そう、なのですか」
カミューは息を吐き出すと、深く椅子の背もたれに体重を預けた。そして左手を掲げると額を覆って僅かに思案する。しかし妙な焦りが邪魔をして上手く考えが纏まらない。苛立ちを抑えて視線を周囲にさ迷わせては、唇を噛む。
今、カミューの執務室には二人だけしか居ない。
朝の閲兵を終えて直ぐ、ここを訪れた青騎士団の副長がそれを望んだからである。そして独自に入手したゴルドーの動向を、内密にカミューに伝えたのである。そして、テーブルを挟んで正面に座る彼もまた、何事かを思案するふうに黙り込み、背筋を正して組んだ手を見下ろしていた。
そして痛い沈黙の後、待っていたかのようにその口が重い言葉を吐き出した。
「ゴルドー様の事でしょう―――これを機会にマイクロトフ様の騎士団追放までも言い出しかねません」
「………」
常日頃からゴルドーは、その信条の違いからかマイクロトフを疎ましがっていた。そしてどうやらマイクロトフをどうにか退任に追い込もうと目論んでいるらしいのだが、流石に例え地位が上であっても、一団の長を簡単には退任させる事は出来ない。また、日常の瑣末な事であれば常にカミューや周囲のフォローがあったので、マイクロトフもゴルドーに弱みを掴まれずに済んでいたのだ。だが今回だけは、状況が状況だけにフォローが効き難い。
「それはマイクロトフが戻ってきさえすればどうにでもなります。いや、どうにかします。わたしが……」
「戻ってこられれば―――ですな」
戻ってくれば団長の職は失っても、騎士として在りつづけることは可能だ。だが今の問題はマイクロトフが戻ってくるかどうかであった。
「未だ手掛かりは有りませんか」
「…はい」
短く答えて、小柄な副長は背筋を伸ばしていたその身体を深く前に折り曲げた。
「―――ようやく……漸く、最近慣れてこられたというのに……!」
感情的に吐露された叫びはマイクロトフの団長としての在り方を言っている。
マイクロトフが青騎士団の団長に就任したのは、つい一ヶ月前のことだった。
初めは自分よりも年嵩の副官や隊長達に命令を下すことに躊躇いを見せていたマイクロトフだった。だが日を追おうごとに周囲の信頼と自身の責任を実感していったらしい男は、最近になって漸く伸び伸びとその指導力を発揮するようになってきたのである。
マチルダ騎士団が結成されて百数十年。その歴史の中で過去、激しい戦の折りにたった数日だけの団長が居なかったわけではない。しかし、こんな時代に今、こんなわけの分からぬ事態でそれを失うには、マイクロトフと言う騎士はあまりにも惜しい。
「マイクロトフ様だけではありません。我等青騎士団一同も、あの若き優秀な団長に漸く慣れてきたところです」
よくよく見れば疲労の色濃い副長は、まるで祈るかのような体勢でぐっと手を強く握り合わせている。騎士団の統率と団長の捜索だけでも大変なのに、白騎士団長ゴルドーの横槍まであっては流石にどれほど強靭な精神力の持ち主であろうとも、弱っていくのかもしれない。
実際、こうして青騎士団の副長がカミューを訪ねてきたのは、マイクロトフが姿を消してから初めてだった。
出来るだけ青騎士団だけで物事の収拾をつけようとしたらしい。だが、どうやらそれも限界かとゴルドーに対する牽制を、彼はカミューに頼みにきたのである。
「胸中お察しします。わたしもマイクロトフが今の地位を失う事を望んではいません。彼ほど…騎士らしい騎士はいないのですから」
多く騎士として名乗る事を許された男たちが、この騎士団にはいる。だがその中で芯から騎士として尊敬を受けられる人物は、実はそう多くは無い。
戦にあっては勇猛果敢であり、弱きを守り礼節をわきまえ、誰恥じる事無く己の信念を全うする。「騎士の心得」などというものが有るが、文字として並べ立てられているそれは、いざ身に付けそう行動しようとしても難しい。だがマイクロトフは、それを実現して尚、余りある騎士としての魂が輝いている男だった。団長として他の騎士たちを導くのに、これほど素晴らしい男はいないだろう。
そして青騎士団の副長は、静かに顔を上げるとカミューとの間を挟むテーブルに両手をついた。
「カミュー様。図々しくも今はこの通り、お頼みいたします」
そしてこんな年嵩の誇り高い副長を、他団のやはり年下のカミューに向かって頭を下げさせる事まで出来る男なのだ。マイクロトフと言う騎士は。
「顔をお上げ下さい」
「いえ……今はこれだけしか出来ぬ身ゆえ…!」
苦しげに吐き出された声は、カミューの胸に痛く響いた。
こんなにも望まれているのに。
一瞬、顔をしかめてカミューは唇を噛んだ。だが直ぐに平素の表情を取り戻す。
「承知致しました。ゴルドー様の事はわたしがどうにか致します。ですからどうか……あなたにこんな真似をさせたと知れば、わたしがマイクロトフに怒られてしまう」
柔らかい口調で言うと、副長はハッとして顔を上げた。
「そ、それは……」
口篭もる男にカミューは笑いかけた。
「あなた方には一刻も早くマイクロトフを探し出していただきたい。その為の助力が出来るのなら、彼の親友としてわたしもまた尽力させていただきます」
そこまで言うと、副長は漸く気が済んだようで、今度は軽く頭を下げた。
「宜しくお願い致します―――必ず、我が騎士の名にかけてマイクロトフ様をお探し致します」
「はい。ですがわたしはマイクロトフは戻ってくると信じていますよ」
「カミュー様…」
「だいたいあの男が、漸く形になってきた早朝訓練を、ここで放り出すわけがありませんからね」
中途半端が大嫌いな奴ですから。そう軽口を言って見せると、副長の口許がふっと笑みに綻んだ。
「…我が団長は良いご友人をお持ちですな」
呟いて彼は立ちあがった。
「今日のところはこれで失礼致します。何かあれば真っ先にお知らせに参りますので」
「はい」
ここに訪れに来た時よりは、幾分浮上したらしい顔付きの副長を見送ってから、カミューは一人思案に耽りはじめた。
「さて……どうするか」
呟いて青年は、かの白騎士団長の存在をこれほど厄介に思ったことはないなとひとりごちたのだった。
その午後、カミューは先手を打つためにゴルドーの執務室に出向いた。
事前に使いをやってはいたものの、相変わらず白騎士たちは無愛想である上に、長く待たされた。そして漸く面会できる頃になると、ゴルドーは酷く機嫌が悪いようだった。
寸前まで会話を交わしていたらしい白騎士に対して、怒鳴り声で当り散らす。
「我々は忙しいんだ。農民の家出人騒ぎなどにかまけてなんぞおれん。そのくらい分かっておれ!」
「申し訳ございません」
そうして白騎士は深い礼を向けると陰気な顔で辞していった。それを横目で見送ってからカミューは白騎士団長に視線を向けたのだった。
翌日、早速ゴルドーの名で会議が開かれた。
召集されたのは各団の団長副長と、大隊長たちである。しかし当のゴルドーは会議が始まっても発言せず、上座でむっつりと黙り込んでおり、それをやや不審そうに横目で見ながら、白騎士団の副長が議題を読み上げた。
「……さて、青騎士団の方での調査はどうなっておられる?」
「はい。鋭意捜索中であります」
青騎士団の副長はその得意の鉄面皮で事も無げに言い放った。
「未だ何の手掛かりも掴んでおられないのか」
「捜索には全力であたっておりますので、必ず結果は出ると信じております」
「まだ見つかってはいない。そう言う事ですな?」
明確な返答を求める言及に青騎士団の副長は渋々頷いた。
「…はい」
「結構! 聞いての通りですゴルドー様。このような事態は前代未聞であります。早急にマイクロトフ青騎士団長の進退について話し合いを行なうべきかと思われますが」
高々と言い放った白騎士団の副長ではあったが、対するゴルドーはそれにちらりと視線を寄越し、ふむと僅かに頷いただけで、それは誰の目にも興味が無さそうな様子だった。
うろたえたのは白騎士団の副長である。
「ゴルドー様?」
「うむ。その件はまだ良いだろう」
「まだ、と申されますと?」
するとゴルドーは慇懃に姿勢を正すと、自団の副長を苛立たしげに見た。
「分からぬ奴だな。奴が消息を絶ってまだ数日ではないか。奴の気性は皆も知っての通りであろうが、進退を決するにはまだ早いと申しておる」
これには皆が絶句した。いや、ただ一人カミューだけは密かに口元に笑みを湛えている。
そして暫らく、やにわに喜色を浮かべはじめる青騎士団の面々と、長に倣って傍観を決め込む赤騎士団。そして団長を除き、狼狽する白騎士団という状態で会議はうやむやのうちに終わった。
会議室を後にして直ぐさま。青騎士団の副長が声をかけてきた。
「カミュー様! まるで魔法のようだ!」
信じられないとでも言いたげな、だが心からの感謝の意を込めて彼は深く頭を下げた。
「ありがとうございますカミュー様。いったいどのような事をなさったのですか?」
「いえ、たいした事はしておりませんよ」
答えておいて、カミューは胸のうちで呟く。
―――自尊心と虚栄心をくすぐってやっただけだ。
口の端を軽く持ち上げたカミューに、副長は漸く安堵の息を吐き出した。
「…ともかくゴルドー様の心変わりはありがたい。あとはマイクロトフ様を……」
見つけるだけ。
声無く呟いて副長はカミューに深い笑みを向けた。
「必ず、お探し致します!」
カミューはただ黙って頷いたのだった。
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まだまだ続く
しょ、消化不良
無理矢理に書き上げたって感じですわ……申し訳ない
2000/08/10
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