白騎士団は、長年ゴルドーが安定した権を存分にふるっている。
赤騎士団は若きカミューが、驚くほどの才覚を持って見事に導いている。
そして青騎士団は、一時行方知れずとなったものの、勇猛果敢なマイクロトフがその団長の位に就いてからは随分と頼もしい気風を醸すようになった。
もう、誰もが、マイクロトフが行方知れずになっていたなどと、忘れ掛けていた。
執務机の上に溜まった書類を片付けながら、カミューはケホンと小さな咳をした。
それが、最近とみに回数が増えて、今日などは朝から数える事すら困難な回数だったので、つい副官は案じる視線を向けていた。だが、何気なく目が合った青年は、心配要らないと言うような眼差しを返してくる。
だが、やはり少し経つとまた小さく咳をする。
「カミュー様、何処か具合を悪くされているのではありませんか」
たまらず副官はそう問い掛けていた。
「いや、どこも」
短い応えは、しかし掠れた声だった。
「まさか風邪など召されているのでは」
しかしカミューは緩やかに首を振って否定する。
「どこも悪くない」
どこも。
身体はどこも。
心が、凍えて死にそうなだけで。
執務の合間にも襲ってくる気配が、不意に胸を詰まらせて咳でもしなければ誤魔化しが出来ない。
込み上げる何かが、喉につかえて息苦しい。
そしてカミューはまた小さく咳をした。
「花をくれ」
日毎カミューは花を買う。
「そう、いつもの赤い花を」
別に買う店は決まっていない。城の側まで売りに来る花の屋台からだったり、少し行った先の道端の花売りからだったり。ただ記憶の隅に残るあの色に近いものをいつも求める。
そして毎夜それを部屋の扉の傍に置く。献花の如くそっと横たえさせる。
魔除けのように。
護符のように。
祈りを込めて。
だが。
いつもそれは踏み躙られる運命にあった。
有無を言わさず開いた戸から踏み出された靴が、一時の躊躇も無しにそれを踏む。
まるでそれが見えていないかのように、無造作に踏みつける。
「カミュー」
花を足蹴にそう呼びかける声は、しかし今日もまたひどく甘く。
「あぁ、マイクロトフ」
応える声は虚ろで。刹那に込めた祈りの甲斐もなく、毎夜希望を打ち砕かれて徐々に疲弊する精神は、もう後戻りなど出来ないほどのところまで来ている。
「カミュー、今日街へ行ったろう?」
「あぁ」
擦り切れた心のままに虚ろな返事を返す。その眼差しは今は伏せられて、いつの間にか側へと来ていたマイクロトフの靴先がじわりと霞んだ視界に入るのを、見た。
花を買いに、いつも城まで来る花売りの屋台が今日は来なかったから。
胸のうちでそう応えてカミューは目を閉じた。
城から少し下りた先の花売りから花を買った。何度か同じ花を買った覚えのある花売りだった。
「でも、直ぐ戻った」
花を買えさすれば用はない。
真っ直ぐに城に戻って、そしていつものように花を置いた。踏みつけられるための花を置いて、そして待っていた。今日も、昨日と同じように。
だが。
「それは知っている。見ていたからな」
「…え?」
意外な言葉に顔を上げたところで、突然間合いをつめられ、迫ってきた手に後ろ首を掴まれ引き寄せられる。そして穏やかな眼差しが間近で微笑みかけてきた。
「何度目だ? あの娘と言葉を交わすのは」
しかし問い掛けられた言葉は、そんな表情にはひどく不似合いで、カミューは直ぐにはその意味を理解できなかった。
「なん…だって……?」
「今日だけでなく、その前にも何度か会っているな」
「…知って…?」
毎日カミューが花を求めているのを知っていたのか。
知っていて毎日―――。
カミューが呆然とした目で見遣った床の上。踏み躙られて散った赤い花の残骸が、網膜に焼き付いた。しかしそんな考えたくもない期待は、酷薄なまでにあっさりと裏切られた。
「今度はあの娘が相手か? カミュー」
低い声に頭から冷水をかけられたように、カミューの全身の血が下りた。
「な………」
喉が強張ってうまく声にならない。何の事だとも何故だとも言えない。ただ覚えのある展開に途端に鼓動がはね上がり、全身に冷や汗が吹き出た。
「言ったはずだカミュー。おまえは俺のものだと」
「マイクロトフ」
「なのに何故凝りもせず女性を誘惑するような真似をする」
「違う」
「おまえは昔からそうだ」
「誤解だ」
これまでにも、何度となく繰り返されたやり取りにそれでもカミューは毎回必死で抗弁する。なのにそれを信じてもらえた事が一度としてないのは、いったい何の因果か。
「誤解も何も、俺は知っていると言っただろう」
後ろ首を掴むマイクロトフの指に不自然な力が込められ、同時に襟足の髪を取られてカミューは痛みに顎を上げた。
「俺はこの目で見たことしか信じない。なぁカミュー。おまえは今日もあの娘と言葉を交わし笑みを送っただろう?」
「何でもない。何もない。ただ花を買っただけだ!」
「花? なんだそれは」
ああ。
どうして。
その目は、あの花を映さないのか。
想いの全てを込めた花を映さないで、ありもしない虚構ばかりを映すのか。
どうして―――。
黙り込んだカミューに、だがマイクロトフは何を思ったかその口許に薄らと笑みを浮かべた。
「まぁ、良い。今日限り会わないと約束をするなら、今度もこれっきりにする。だがカミュー、一時とは言え俺を裏切った、その償いはしてもらうぞ?」
甘く優しい声で囁くのを、カミューは何処か遠い場所にいるような心地で聞いていた。
今日もまた断罪者はカミューを責める。
もう許してくれと叫ぶ事すら許されず、何処で何を間違ったのかすら分からない。
何かが違うとだけ、それだけが確かな事実だった。
end..
.
■選択肢(A-11)に
戻る
許さないで下さい…もうもう…駄目だぁ(笑)
けど頑張ったしね、精一杯
これで終わりだなんて絶対に許せない方は続きがあるので探してみましょー
2000/11/06
企画トップ