目を閉じた事で、マイクロトフの掌が肌に触れるのをより鋭敏に感じる事になる。だが、それによってカミューの身体が熱を帯びる事は無かった。
冷えていく。
乾いていく。
まるで、徐々に朽ちていったあの花のように、精気を失い萎れていくカミューの精神。
そして最後には、それと同じようにマイクロトフの手によって潰えていくのだろうか。
不意にマイクロトフの手が止まった。そして耳元に男の息使いを感じる。
「カミュー」
名を呼ぶ低い声に促されてカミューは薄く目を開いた。目前に黒い双眸が迫って、真っ直ぐにこちらを見下ろしている。そして男の口唇が動く。
「何故、抵抗をしない」
何故と問うのか。それこそ何故と、問い返したいカミューだった。
好きなだけ確認の作業をすれば良いのだ。過去を愚かだったとマイクロトフがそう断じるのなら、そして今望む事を思うまましているのなら、カミューに抗う心は生まれない。それが、男の不在の間に青年の中に育った罪の意識だった。
気付かなかった。一番傍に居ながら、結局何一つ分かっていなかった。分かる事が出来なかった。そしてそのままマイクロトフを失っていたかもしれない恐怖。自分さえ気付いていればマイクロトフの苦しみは無く、行方を失っても何らかの絆があったかもしれない。
妖花に惑わされたと言っていた、そんな事態もまた避けられたかもしれなかったのに。
だから。
「抵抗など……しない」
かろうじてそれだけを応えるとマイクロトフは不機嫌な顔をして軽く首を左右に振った。
「おまえは、誰より男からこんな扱いを受けるのを嫌っているはずだろう。抵抗しないはずが無い」
「………」
直ぐには何も応えられず、カミューは言葉をなくす。すると続けざまにマイクロトフが言葉を繋げた。僅かにその精悍な頬に自嘲の笑みが浮かんでいる。
「それとも、俺に情けでもかけているのか。親友だった男を哀れと思って」
「違う。そんなことは、無い」
慌てて緩く首を振るう。
「ならば何故だ」
重ねて問われてカミューは限りない切なさに、まるで喉が潰れたようになって声が出ない。だが応えねばと、逃げてばかりではどうにもならないのだと自らを叱咤してカミューは奥歯を噛み締めた。
そして、告げた。
「おまえを好きだから……」
暫しの沈黙が降りた。
ふと思い出したようにマイクロトフは瞬きをすると瞳を眇めた。
「………なんだと?」
その言葉にカミューは唾液を無理に飲みこむと目を伏せて再び口を開いた。
「わたしはおまえをす…―――」
「ふざけるな!」
カミューに最後まで言わせず、マイクロトフが怒鳴った。
その凄まじい怒気についびくりとカミューの身が竦む。だがそれに構う様子も無くマイクロトフは強くカミューを睨みつけた。
「それで情けをかけているつもりか? そう言えば俺が喜ぶとでも思ったか?」
「……っ」
「生憎だなカミュー。おまえが俺のように愚かな感情を持つはずが無いのは最初から分かっている。おまえはあんな目で俺を見ない。それが現実だと言う事ぐらい流石の俺ももう理解している!」
もう二度と惑わされん、とマイクロトフは口早に吐き捨てた。
「おまえが俺の想いを知れば嫌悪するだろう事ぐらい!」
その剣幕に、しかしカミューは怯まず声を出す。
「…違う……!」
そして何とかすれ違いそうになる心を通じさせようと、カミューは肘を突いて起き上がり片手でマイクロトフの胸元を引き寄せた。
「わたしは本当に! おまえの想いを嫌悪などしなかった。おまえの想いを知ってわたしは…!」
そこでカミューは続ける言葉を見失った。
ふと、胸に冷やりとしたものが落ちる。
それは自身の吐き出した言葉によって蘇った焦燥と後悔。
マイクロトフの想いを唄によって知った時、カミューの胸に去来したのは哀しみと後悔だけだった。それ以上もそれ以下も無く、ただその苦痛に顔を顰めた記憶だけがある。
―――想いを知ってわたしは……その後なんと続けるつもりだったんだ?
衝動のままに吐き出した己の言葉の行方を見失ってカミューは自失する。
苦しかった、と言えば間違い無く別の意味に取られるだろう。
だが嬉しかったと、それも違う。
何故。
それだけがカミューの思考を占領し、他の一切を押しのけ否定する。
そしてそんなカミューの様子に、マイクロトフは薄い笑みを浮かべて見せたのだった。
「所詮、受容れ難い想いに過ぎないんだ。無理をする事は無いぞカミュー。俺は…嫌になるほどおまえの拒絶を何度も思い浮かべた」
それこそ夢に見るほどに。
だからこそ、聡いカミューにさえ知られなかった秘めたる想いなのだ。
拒絶を知っていたからこそ、殺し続けた親友への想い。
「だから、今更友情を楯におまえの情けを請おうとは思わん」
しかしマイクロトフは「だが」と続け、そして再びカミューの肌に指先で触れる。
「諦めようとも思わんがな。好きなだけ抵抗してくれて構わんぞ? それこそ望むところだからな…」
カミューは刹那息を詰まらせた。
何かが、ひどく変容してしまっているような、そんな気がしたのだ。
それはもうカミューにはどうこうできるような次元ではなく。だが限りなくカミューに大きな影響をもたらす何かであり。
身体中の血液が逆流するような意識にとらわれて、カミューは本当に言葉をなくした。
青ざめた顔に安堵を覚えてしまっている。
それは、本来あるべき自分の性質からは遠くかけ離れているのではないだろうか。
元よりカミューに対して、これほど突き放したような言葉を投げるのは、まるで自分らしくない。
だが、胸に広がるこの高揚は何だろう。
未だかつて感じたことのないこの昂ぶりは、カミューの傷ついたような不安そうな表情を見る度に訪れる。そして血の気の失せた頬に激しい動悸を誘われる。眩暈すら、する。
「カミュー……俺は…ずっとおまえを」
朦朧としながら囁いて、マイクロトフは神像に触れるかのような敬虔さでカミューの肌に口付けた。そして強い力でカミューの肩を掴んで、そして押さえつける。
「おまえを、こうしてやりたかったんだ」
触れて、暴いて―――犯して。
更に青ざめたカミューに、マイクロトフは心のどこかでひどく安らいだのだった。
これは、誰だ。
目の前で優しく微笑むのは。微笑んで獣のように歯をたててくるのは。誰だ。
「や……め…」
知らず、拒絶の声が出る。
だが、それで身を暴く手が止まるわけもなく。震えたその声で一層煽られたように、益々乱暴な所作へと変じていく。
「なぁカミュー」
優しい声が落ちてくる。
その声にぞくりと背筋に言い知れぬ感覚が這い登る。
「おまえはもう…俺の想いを知っているんだったな」
耳に触れるほどマイクロトフの唇が近付き、声と共に吹きかけられた吐息にカミューはきつく目を閉じた。
「なら、もう遠慮する事は無いんだよな?」
そろりと耳を食んでマイクロトフは囁く。
「知ったからにはカミュー……俺は容赦するなど器用な真似は出来ん」
処罰を宣告する審判のような言葉は。
「おまえはもう、俺のものだ…な?」
聞いた事も無いような優しい声音で。あぁ、こんな甘い声も出せるのかと、カミューはぼうっとする頭の隅で埒も無く考えた。
■選択肢(A-11) カミューさんをどうするの?
決まってるよね…くす
ひどいことしないでぇぇ
■選択肢(A-7)に
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2000/10/03
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