悲しみはどこまでも近く遠く。
青年は目を閉じた刹那に流れた己の涙に気付いたのだろうか。
靴先がたてる濡れた音に、マイクロトフは首を傾げた。
赤い、何処までも赤い光景に怒りが沸騰する。大切な何かを傷付けられた気分がする。前もこうして赤い花びらを散らせてやった。ダンスニーで一閃した時の断末魔の悲鳴が今も耳に鮮やかだが、自分を惑わす許し難い存在を滅ぼせた安堵は何にも勝った。
今も足元には赤い色が散っている。そこに横たわる何か―――。
赤く汚れた白い透き通る肌。錆びついたように赤い色彩を纏わせ散った髪。そして閉じられた瞼の端から薄らと流れ落ちた涙の痕。
「…カミュー?」
力なく床に這った青年の指先は、マイクロトフへと縋って伸びていた。
「カミュー…どうした?」
もう憎い存在は無い。惑わされようとした、その怒りはまだ残っているが、もう大丈夫だ。
燻る恋情を焦がすような誘惑をしてくる者はいない。まがい物が、切なげに愛しげに微笑む真似など、もう見なくて良い。
だからまた、以前通りカミューを…カミューを。
「カミュー?」
床に膝をついて、その伏せた身体に手を伸ばした。肩に触れて揺さぶっても反応は無い。
マイクロトフは軽く息を呑むとその青年の身体をひっくり返した。
しっとりと濡れた室内着が揺れて、血が跳ねる。
真っ赤に染め上げられた室内着の内側、その身が流した夥しい量の血に濡れた身体は、触れただけでマイクロトフの手や服の袖を汚した。
「カミュー……」
呆然と力無く横たわる青年の身体を見詰めた。
これは、どう言うわけだ。
いったい、何があった。
退治したのは、妖花では無かったか? だのにこれはどういう結末だ。
「おい、カミュー」
揺さぶる。だが、閉じた瞼はぴくりとも動かなかった。
「カミュー!」
少し語気を強めて読んでみても、反応は無かった。マイクロトフは慌てて青年の背を支えて抱き起こした。まだ温かい。
「カミュー。おい、カミュー」
頬に触れる。少し青ざめ、こけていたたそこは、他と同じく血に濡れていた。マイクロトフはハッとしてカミューの首筋に指の腹を当て、そこから伝わってくるはずの感触を探る。しかし。
「……死んだのか?」
ぽつりと呟いた。その瞬間、マイクロトフの中で何かが動くのを止めた。
死んだのか?
「カミュー?」
なぁ、と呼びかける。
「何故だ?」
問いかける。
「教えてくれ…」
わけが分からない。
ただ…驚いて……感情がうまく働かない。カミューならこんな時、どうすれば良いか教えてくれるのに。
「カミュー…」
呼んでも返事をしてくれない。
マイクロトフは困ってどうすれば良いかわからず、取り敢えず腕の中の身体を抱え直した。
そう言えば、こんな風に触れるのはいったいいつぶりだろう。どうにも記憶が混乱していて解からないが、久しぶりのような気がする。
「そう言えば…花はどうしたんだ……」
カミューを想って買った花はどこへ行ったのだろう。室内に視線を巡らせるがどこにもその赤い花の片鱗は無い。
「カミュー、知らないか?」
腕の中の青年に問い掛けるが返事はやはり無い。
「あれはなぁ、おまえを想って買ったんだ……」
呟かれた告白を聞く者はいない。
「自分の気持ちがもどかしくて、抑え切れずにいた。だが、こうして触れられるのなら別に良いか」
力を抜けば床へと沈みそうになる青年の身体を、何度と無く抱えなおして抱き締める。
「好きだったんだ」
愛しげに血に汚れた髪を撫でる。
「触れたくて、だが触れられなかったんだ」
血の跳ねた瞼を撫でる。
「だがおまえはいつも何気ない顔をして、俺の想いなど素知らぬ様子でいた……正直、あれは辛かったぞ」
少しぼやくような口調で、だが無性に愛しくてならない声音でささやきかける。
「好きでたまらなかった…」
沈黙が、おりる。
「カミュー…」
そっと、動かぬ青年の、こめかみを濡らす透明な痕をなぞった。
「悲しい事でも、あったのか?」
限りない優しさを込めて問う。
「カミュー……?」
end...
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お定まりの結末のひとつです。
(はい…ゴメンナサイ〜やっぱり幸せな結末が良いわと仰る方… こちらへ
2001/06/02
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