つきたちの花


 一晩を隔て、再び訪れた男を追い返す真似など出来なかった。請われるまま扉を開け、室内に踏み入ってくる足を、ただ茫然と見下ろす。
 すると、不意に顎を掬われ仰向かされた。間近にマイクロトフの黒瞳がある。
「顔色が悪い」
 低い声が囁いて、顎を捉えていた手が離れる。そしてマイクロトフは苦しげに顔を歪めると拳を握り込み頭を下げた。
「昨日は無理をさせた、すまん」
「………」
「俺は…どうかしていた」
「……」
「本当にすまん」
 深く項垂れて謝る男の黒髪を、カミューはただ戸惑って見下ろしていた。なんと答えれば良いのかまるで思い浮かばない。
 だがそうしてカミューが無言でいると、マイクロトフが不意に顔を上げ、じっと見詰めてきた。そしてその唇が開く。
「だが、昨日言った想いに偽りは無かった…」
 真っ直ぐにこちらを見る黒い双眸に、知らずカミューの喉がひくりと強張る。
「マイク…ロト……」
「ずっと想っていた。ずっと欲望を抱いていた。カミューおまえに」
 告白にカミューの眉が苦渋に寄せられる。
「………から」
 そして薄く開いた、血の気の無い唇から細い悲鳴のような声がもれる。
「いつからなんだマイクロトフ!」
 琥珀の瞳は動揺に揺れ、かぶりを振って乱れた髪が額に散る。
「いったいおまえはいつからそんな……っ」
 そんな辛い想いを抱えていたんだ、と。だが最後まで言えず、喉をこみ上げる何かにカミューは目を閉じ口元を掌で覆った。
「カミュー……」
 今度はマイクロトフの方が戸惑うような声を出す。それにカミューは無言で激しく首を左右に振った。
「いつから…俺はいつから……」
 独白のような呟きが漏れる。カミューはそっと顔を上げた。
 マイクロトフは何処かぼんやりとしていたが、やはり苦しそうな顔をしていた。だがカミューが息を詰めて見守る中、それが微妙に自嘲めいた微笑みに変化する。
「いつからなんだろうな。もう…覚えてもいないほど前だ」
「マイクロトフ…」
「気が付けばおまえを見ていた。気付いた後はもう目が離せなかった」
 苦笑めいた顔で言うのに、カミューは泣きそうな気持ちになる。
「騎士の……騎士の叙位を受けた頃は……? あの頃はどうだったんだ?」
「さぁ……何故そんな事を聞く。愚かな俺を笑うためにか?」
「違う…そうじゃないマイクロトフ。ただ…もう直ぐ騎士の叙位式がある。それで思い出しただけだ。あの時のお前との事を―――」
 純粋に幸福だったとカミューが認識している記憶を。
「ああ、そうか。もうそんな時期か」
 不意にマイクロトフの声に、これまで無かった朴訥さが滲む。
「確かにあの頃は、今のような苦しさは無かったな。ずっと目指していた騎士に晴れてなる事が出来て、お前も同じく騎士になって…ただ嬉しかったばかりの思い出がある」
 そして見たマイクロトフの表情には、さっきまであった狂おしさも苦しみも消え失せ、何処か遠くを見ているようではあるが、落ち着いた穏やかさが浮かんでいた。そんな男の表情にも言葉にも、カミューの心は泣き喚きたいほどの安堵をもたらされる。
「マイクロトフ……」
「おかしな話だな。最初は本当に友愛しか抱いていなかったというのに…」
 そして苦笑するマイクロトフを、カミューは僅かに微笑んで見た。
 何とかなるのかもしれない。
 もしかしたら何も変わっていなかったのかもしれない。
 マイクロトフはこうして昔を語れる。昨夜感じた狂気は一時の事だったのかもしれない。
「なぁマイクロトフ」
 そっと穏やかに語りかけた。
「なんだ?」
「話を…話をしよう。沢山、今まで出来なかった話を、しよう」
 そして見つけよう。
 ずっとすれ違っていた互いの想いと、これまでとは違う新たな絆を見つけよう。

 カミューはそしてマイクロトフを室内の、その椅子へと導いた。



 こうして卓を挟んで顔をつき合わせている状態は、まるで昨日の再現だと心の何処かで想う。今度は失敗しない。これ以上何かを失わないために、マイクロトフを取り戻すために絶対に何とかしてやると、カミューは決意に唇を噛んだ。だがその目がふと視界の端に止まった鮮やかな色のそれに止まる。
「マイクロトフ、それは?」
 椅子に座った男がその大きな掌に隠すように持っていたものを指差す。
「あぁ…今年一番の林檎だ。まだ青いが充分に甘いらしい」
 たった1個だけを卓上にぽつんと置く。
「すまん、その…見舞いのつもりだ」
 青々とした林檎。厨房のものから貰ったからと言う、その態度はまるで以前通りのマイクロトフで、カミューは軽く瞠目しつつも立ち上がる。
「切って食べるか?」
 そして棚からナイフを取り出したカミューをマイクロトフは「いや」ととどめる。その両手は確りとその林檎を掴んでいる。
「ナイフは面倒だろうし、どうせ二人だ。割れば済む」
 そう言い置いてマイクロトフはその指に力を込めた。途端にパカンと林檎が真っ二つに割れた。そしてその片割れをカミューの方へと差し出した。
「ほら」
「……おまえらしい」
 受け取りながらつい笑みが零れる。だが、とナイフを閃かせてカミューは首を傾げた。
「皮を剥くのも面倒がるつもりか」
 そして椅子に座るとカミューは手際良く割れた林檎の皮を剥き始める。しかしマイクロトフはふむ、と頷いただけで構わず片身の林檎に齧りついた。
「林檎なんぞ皮ごと食っても構うまい」
「生憎私は構うのさ」
 素早く皮を剥いて、自分もその林檎に齧りつく。そうしてゆっくりと咀嚼した果実は仄かにすっぱく、だが甘くて美味しかった。
 そうして感じる久方ぶりの穏やかな空気に、カミューの胸に僅かな温もりが広がった。なんだか泣きたくなるような平穏さではないか。いったいいつからこんなひとときを失ってしまっていたのだろうか。こんな幸せなひとときを―――。
 そしてカミューは目の前で林檎を黙々と齧るマイクロトフを見て薄く微笑むと、しゃり、と音をたてて林檎を齧った。



 その時、不意にガタンと椅子が床をする音がした。カミューがその音に瞬くと、マイクロトフは突然立ち上がり呆然とした顔でカミューを見た。
「どうか…したか?」
 首を傾げて見詰め返すとマイクロトフはゆるゆると片手をあげ、自分の顔を覆う。その指の間から苦しそうな息が漏れるのが聞こえた。
「マイクロトフ?」
 不審に思ってカミューも立ち上がり、つい手を伸ばす。その手を、急に掴まれ引き寄せられたのは全く予想もしていなかった。
 卓を回り込むように踏み出されたマイクロトフの足先を落ちた視線が捉える。これでは本当に昨日の再現だと、そんな思考が脳裏を掠めた刹那、耳に低く押し殺した声が聞こえた。
「……し…ない…」
「え?」
 条件反射で聞き返すと、掴まれた手に力を込められ、その痛みに気を取られる。だがそこへまたマイクロトフの、今度ははっきりとした口調での言葉が告げられた。
「カミューはそんな風に俺を見て微笑みなどしない…!」
「マイクロトフ…?」
 背中に冷やりとした何かが伝う。間近で見上げたマイクロトフの黒い双眸は、最早カミューを透かして別の何かを見つめていた。
「本物のカミューは…そんな愛しい目で…俺を……見ない……―――見るわけが無いっ!!」
 ―――本物のカミュー。
 ぞわりとカミューの全身に鳥肌がたった。刹那マイクロトフの向こうに妖花の鮮やかな残照が見えた気がした。
「マイ…クロ……ト…フ?」
 悲しくて、名を呼んだ。
 だが応えたのは、手を掴まれる痛みと、脇腹に感じた衝撃だった。
「また俺を、騙すのか…」
 静かな声が耳に落ちる。
「その顔で、声で俺を、惑わすのか……」
 違う、と言いたかったが激痛がそれを許さなかった。だから喉をせり上がる悲鳴を堪えてカミューはその名を呼んだ。
「マイクロトフ…っ」
 がくんと膝から力が抜ける。そのままずるりとカミューの身体が崩れ落ちた。そして光る―――マイクロトフの手に握られたナイフ。その先を濡らすカミューの鮮やかな血。
 カミューはどくりと暖かい血液が溢れ出す脇腹の傷に手のひらを当てた。
「…マイクロトフ……」
 その名を呼んだカミューを迎えたのは、冷たく堅い床だった。



■選択肢(A-13) マイクロトフー!!
 まさか…!
 何やってんだバカー!

■選択肢(A-11)に戻る



次で最終回です
バッドエンドとハッピーエンド
もうここまで来て選択肢の傾向と対策はばっちりですね
上が悪い方で下が良い方です
いやーな気分を回避するのなら次はどうぞ下へ〜…

2001/05/30

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