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脳波はどうなっている? 水面に小石を放り投げると、ぽちょんと波紋が広がる。 静かな池全体に波は上下に動きながら端まで伝わる。 しばらく波紋はいったりきたりするが、やがて消えてしまいますね。 小石を2つ、間を開けて投げ入れると、2つの波紋が途中でぶつかり合う。 ぶつかることで波の高さが変化する。 波の山が重なると高くなり、波の谷と谷が重なると、谷は深くなる。 山と谷は打ち消し合って、やや平坦になる。 結果としてふたつの波は合成されたことになります。 脳内のひとつひとつのニューロンが発火すると、それらは振動し、互いに影響し合うことになります。 協調し合うようにほぼ同時に発火すれば、それはゆっくりとした大きな波となる。 それぞれがバラバラに発火すれば、池に小石をまとめてたくさん放り込んだようになる。 山と谷がそれぞれズレルから、こきざみで小さな山谷のある波となりますね。 脳の各領域で、それぞれが忙しく何かしらの作業をすることは、 それぞれが自分のリズムで発火していることを意味します。 他の脳の領域の活動と連携する必要がなければ、リズムを合わせる必要がありませんから。 でも、お互いに何かしらの連携をする必要が生じると、 相手側の発火に合わせるため、結果として波が大きくなります。 連携する必要とはネットワークを形成することです。記憶のつながりを強化することですね。 つながりを強化するために、一定のリズムで、歩調を合わせることでタイミングをとるのですね。 タイミングを合わせた「同時発火」というやり方で、シナプスはつながりを強化する。 脳波は複雑な形をしています。振動数も振幅も瞬間、瞬間に変化していきますが、 それらは多くのニューロンの発火をまとめたものであって、 もともとの「ニューロンひとつの発火」はどれも同じものです。 ニューロンが発火すると、 ニューロンから枝をだしている「シナプス」に神経伝達物資が放出されます。 枝ごとにあるシナプスは、どれも同じように見えますが、実は序列があります。 つながりが強いシナプスと、そうでないシナプスです。 その違いは圧倒的ですが、つながりが弱いシナプスの協力がなければ 次のニューロンに伝達できません。言い換えると次のニューロンを発火させられません。 発火は電気的で「あるか・ないか」なのでデジタルのような印象があるでしょうが、 アナログであって、周囲の影響を受けやすく、積み重なるものなのですね。 ちょっとずつ変化して、瞬間的に飛び跳ねるように「発火」するわけです。 脳波は電磁波ですから、スマホの電波と同じで、通信ができるだろうと私は考えています。 発信しているのだから、受信する仕組みがあるはず。 ニューロンつながりを主とするネットワークだけでなく、 電磁波による通信という「同調システム」もあるはずと考えています。 脳全体を同時に機能させる基礎となるシステム、それが電磁波による通信ネットワークであって、 夢見において、まさに機能しているのではないかということです。 埋もれていく自己意識と夢 あなたが見ている夢は、他の誰かがすでに見ている。 とても不思議なことだとは思いませんか? もちろん、まったく同じ夢だというわけではありません。 夢ステージや登場人物、背景となる事情等がちがっていても 夢のシナリオがほとんど似ているということです。 生まれた場所も、育った環境も、現実面でのあなたの事情も 何に興味をもっていて、何に取り組んでいるかも違うのに、同じような夢をみている。 身体という外観も、脳という「意識装置」も全くの別物なのに、 同じような夢をみるのは、脳のシステムやニューロネットワークの構造が相似だからでしょうか? あなたが考えていることは、他の人も同じようにぼんやりと考えている。 あなたが感じていることは、周りのだれかもそれとなく感じている。 誰もが、あなたの言葉を理解し、似たような言葉であなたに話しかけてくる。 自分と他の人との境界がありそうで、なさそうな気分になる。 なぜ自分の意識はこの身体に取り込まれているのだろうか? まさにこの瞬間の意識が他の誰かの身体に宿らないのはなぜだろうかと思う。 すれ違った人の意識と自分の意識はどこがちがうのだろうか? 入れ替わることはできないのはどうしてなのだろうと思うことがある。 意識も夢も、身体から離れることはできないのですね。 あなたのみている夢は、他のだれかの夢と同じようであっても やはり、あなただけのものなのですね。 似ている夢であったとしても、あなただけに見せている夢。だからこそ、価値がある。 今日も夢はそれなりの準備をしていますが、その素材は今日のものだけではありません。 一週間程度以前の新奇体験の記憶もかかわっていることがいくつかの調査でわかっています。 一週間という区切りで似たような生活を繰り返すようになったからかもしれません。 続編がある夢? @少し前にみた熊の夢 どこか山間の木が立ち並ぶところに立っている。 眼下の開けた場所に何かしらうごめくものがこちらをうかがっている。 熊かピューマのような動物がわたしに危害を及ぼすかもしれないと感じ、 すぐにでも逃げるか隠れるかしなければならないと思うが、 身体の動きは緩慢で追いつかれそうだ。 逃げ場として、どこかの建物の中に移動している。 隠れる場所がありそうだと感じて、その建物の高いところへ登り始める。 普通の家のはずだったのに、いつの間にか倉庫のような鉄骨造りの建物になっている。 鉄骨の骨組みを手でつかみながら、高い場所へ移動する。 鉄骨をするすると登りながら、身体をひねり、飛び移るように移動する。 このような逃げ方が得意なのかもしれないと感じると、熊のようすを確かめる余裕もでてきた。 すると、予想もしない展開があって、熊のような生き物が別のルートから迫ってくる。 しきりとなっていた壁や屋根裏を引きはがし、足元まで息遣いが聞こえてきそうだ。 もう駄目かもしれないと諦め、無防備に「どうにでもなれ」と身体を投げ出してしまう。 食べられてしまうのだろうか、身体を引き裂かれるのだろうか。 A今日見た夢(熊の夢の続編) 道路に熊らしきものが徘徊している。 窓からみているのだろうか、2階から見下ろしているのだろうか。 熊は家の中に入りたそうだ。ここで、今住んでいる家なのだと気づいた。 縁側の廊下があり、和室の2部屋を挟んで、通路の廊下があり、雪見障子が取り囲んでいる。 雪見障子の下半分はガラスとなっていて、そこを歩く熊の足がよく見える。 障子など軽く押せばこわれてしまうだろうと思いながら、部屋の中で何もできないでいる。 ぐるぐると熊は廊下を歩き回り、気配をうかがっている。 わたしは、廊下にいる熊の動きを目で追って、飛び込んで来たらどうしようかと考えている。 熊の動きが激しくなって、雪見障子の向こうを走り回っている。 障子が外れはじめ、倒れ掛かると、そこには子熊が2枚の雪見障子の間に挟まっている。 もがいている子熊を両手でつかむと、もぞもぞと逃げようとするが動きがつたわってくる。 両手にこれ以上ないほどに力をいれた。動きがなくなったと感じて、つかんでいた手をゆるめた。 少し安心して、ほっとしながら、子熊のようすをじっくりみた。 獰猛にみえた熊が子熊になって、雪見障子のガラスの間に標本のように納まっている。 子熊は死んでいるわけでなく、こちらをみて甘えるようなしぐさをみせている。 熊の正体がなんであるか、わたしは悟った。そういうことだったのだ。 ここ1週間から10日ほど前の記憶をたどり、今朝見た夢を創り出した新奇体験を発掘してみた。 いくつかの書類を作成しなけらばならない時期であった。 簡単な作業であるが、確認すべきことがあった。 確認することは手を抜いてはいけないことで、信用問題が生じる危険もある。 ちょっとした確認ミスが取り返しのつかない結果を引き出すので 作業そのものは簡単で、私の得意分野だとしても間違いは許されない類の書類である。 その書類の枠組みにあたらしい工夫と視点をほどこし、 別の情報と連携させる「システム化」を構築して、次のルーチン作業を楽にしたばかりだった。 年に何回かある「責任ある作業」が当たり前にやって来る。それが熊の正体だった。 破壊力があって容赦しないのは、責任の重さを伝えている。逃げ切ってどうにかなるものではない。 対峙しなければならない対象であって、取っ組み合いをしてでも対応するべきことなのだ。 積極的な取り組みを避け、とりあえずの居場所があればいいと 見通しのよいところにいながらも、何もせず傍観しているわたしへのメッセージだったのだろう。 最初の夢のときは、それとなく不安であっても、どうにかなるだろうと高をくくっていた。 だから、熊はわたしに襲い掛かり、状況が切迫しているのではないかと知らせた。 続編の熊の夢は、熊がすでに脅威ではなく、わたしの手の中に納まるような 「たわいのない業務」に変貌していることに気づかせるためにつくりだしたものだと…・。 脅威の対象がどうして「熊」のような動物なのか、そこのところはしばらく置いておくこととして 夢のはたらきに感謝していることをとりあえず夢日記に記しておこう。
バスの夢 乗り物の夢はよくみている。
感情を共有する夢 夢は感情を伝えてくる。「あなた」だけに向けられたSNSです。
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