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2002 UK/Irland 119 Min. 劇映画
出演者
Anne-Marie Duff
(Margaret - 従兄に暴行を受けた少女)
Nora-Jane Noone
(Bernadette - 美人の孤児)
Dorothy Duffy
(Rose, Patricia - 未婚の母)
Geraldine McEwan
(Sister Bridget - 修道院長)
Eileen Walsh
(Crispina - 未婚の母)
Mary Murray
(Una - 脱走した後父親に連れ戻される少女)
Chris Simpson
(Brendan - バーナデットの脱走を助けてくれない少年)
Peter Mullan
(ウナの父親)
見た時期:2002年12月
ゲイ映画祭に出品されていましたが、よりによってカソリックの国イタリアの映画祭で金のライオン賞をもらっているため、普通の映画館に来るだろうと思って、見ていなかった作品です。どうやら本当に映画館に来るらしく、クリスマスのプリヴューの1作に入っていました。
力作です。マイ・ネーム・イズ・ジョーで主演だったピーター・ムーランが監督した作品で、本人は悪役で登場します。アイルランドという、教会が今でもかなりの権力を持っている国の作品。映画は教会に真っ向から戦いを挑んでいます。そのため批判続出。アメリカでも配給会社に教会系ロビーから圧力がかかったのだそうです。現在の法王は時々教会の間違いを正そうという姿勢も示す人なので、こういう批判的な映画でも受け入れるかと思いましたが、事はそう単純でもないようです。
★ 3人の背景
冒頭3人の少女の経歴が軽く紹介されます。
マーガレットはおよそ合意の上とは言えない状況で身内の結婚式が行われている最中に従兄に暴行されてしまいます。ショックを受けて姉らしい女性に事情を説明。姉は放って置けないと男性の身内 − 恐らく父親も中にいたでしょう − に報告。現代映画を見ている人は当然この従兄が責められるものと思います。ところがマーガレットはある日突然父親に起こされ、牧師の乗る車に押し込まれてしまいます。親に拉致されてしまうのです。行き先は修道院。弟がその様子を目撃しますが、事は臭いものに蓋という形で決着。被害者の彼女が家の恥となってしまったのです。
バーナデットは孤児院で育つティーンエージャー。美人なので、男の子が孤児院の前に集まり、卑猥な冗談を言ったりします。彼女の美しさは孤児院で恨みを買い、それだけの理由で修道院送り。まだセックスの経験はありませんでした。
ローズは病院で未婚の母になったばかりです。病院に付き添っている両親は赤ん坊の顔を見ようともせず、ローズとも口を利いてくれません。ついでに呼ばれて来た神父はローズに子供を養子に出すよう説得し、書類にサインさせてしまいます。それだけで充分苦しんでいるローズですが、ついでに本人も修道院送り。1950年、60年代では未婚の母は家の恥です。両親は娘も孫もこうやって片付けてしまいました。
★ まるで刑務所
この3つのエピソードが短く語られ、物語が始まります。前半修道院の規則、仕事、罰などが詳しく示されます。時代はどうやら50年代から60年代に変わる頃らしく、ケネディーの写真が飾ってあったり、これまで手で洗っていた洗濯物を洗濯機で洗うようになります。
収容されている少女からおばあさんまでの女性は全て、カソリックのおきてに反する事をしたか、あるいは魔女裁判の時代と間違えたのかと思うような理由でここに収容されています。刑事事件を起こしたわけでもないのに、宿舎、門には鍵がかけられており、外部の人間との接触、内部でも友達を作ること、お互いに話をすることなどが一切禁止されています。
2002年の視点で見ると「なぜ」と聞きたくなるような時代錯誤のような規則がまかり通っている中、脱走を試みた少女がひどい拷問を受けたりする様子、多少頭の弱い少女を利用してセックスをする牧師などが紹介されます。せっかく脱走に成功したのに父親に連れ戻される少女もいます。アムネスティー・インターナショナルは第3世界の独裁者の元で暮らす市民のために時々救済の手を差し伸べますが、当時の欧州の西側にもこういう問題があったと気付いたのはいつなのでしょう。
話の中心になるのは上の3人と修道院長。修道院長は非人間的な過酷な仕事を娘たちにやらせておいて、せっせとお金を溜め込んでいます。この修道院にはふしだらな女ばかりが収容されているという評判は町中に知られているため、助けてくれる人もまずいません。
★ 3人はまあ助かったけれど・・・
4年経って成人した弟がマーガレットを連れ出してくれます。残った2人は自力で脱走。1人はすぐ就職して警察の手が回らないようにします。もう1人は友達に服と金をもらってイギリスに逃げます。弟に助け出されたマーガレットはその後学校に行き、先生になりますが、一生結婚しません。バーナデットは見習いとして就職し、やがて1人前になり美容院を開きます。ローズは結婚し子供を産み、無理やり養子に出さされた息子を90年代になって発見します。
悲劇は続きます。脱走して父親に連れ戻されひどい罰を受けたウナは結局抵抗を放棄し、教会にとどまり修道女になる決心をします。自分をここまで苦しめた組織の一部に自ら望んでなるという結論を出します。 多少頭の弱い、人のいいクリスピーナは修道院にいる間牧師にセックスの相手をさせられていました。ひょんな事からそれが世間に知られ、彼女は「この牧師は神の家を守る人間としてふさわしくない」と人前で大声で糾弾します。すると彼女は頭がおかしくなったということにされて精神病院に閉じ込められてしまいます。彼女が未婚の母になった時、姉が生まれた息子を引き取ってくれ、時々修道院の柵越しに子供を見せに来てくれていましたが、姉にはクリスピーナが精神病院に収容されたことは伝わっていませんでした。ようやくその事が分かって姉が訪ねて行った時は遅く、クリスピーナは発狂していました。やがて拒食症で死亡します。
こういう事が1996年頃(別な情報源では80年代まで)まで続いたいたのは事実らしく、ムーランはただそれを描いただけですが、かなりきつい批判を受けたようです。
★ キャスト
出演者ですが、少女たちはほとんどが新人。まだそれほど大きな役を演じた人はいません。いじめの権化修道院長シスター・ブリジットを演じる Geraldine McEwan はアードマンのアニメ忘れたハンドバッグで叔母の声を担当した人です。
小さい文字で書かれた契約書をちゃんと読まず、悪魔と契約をしてしまったために殺されてしまう叔母さんの役ですが、ハンドバッグを前世に置き忘れて来たため、脅かしたりして止めようとする悪魔を振り切って、前世に取りに戻ります。その強引さが何ともおかしいというアニメ。制作したのがドイツ人なので、この作品はウォレス&グルミットと並んでドイツでは知られています。Nicht ohne meine Tochter (Not without my daughter という意味) というアメリカ人でイラン人と結婚した女性の「苦難の実話」本をおちょくったタイトル。
Nicht ohne meine Tochter はアメリカ女性が結婚して娘が生まれ、イラン人の夫の故郷に行ったら、イランがとんでもない国だったということで、娘を連れて必死の脱出をした話で、映画にもなりました。本はベストセラー。しかし Nicht ohne meine Tochter はイスラム教の住民も多いドイツでは普通のキリスト教のドイツ人にも評判の悪い本で、異文化を全然理解していない、思い込みがひどい、アメリカ中心の本としてよく批判されます。そのタイトルをもじってドイツ語のタイトルは Nicht ohne meine Tasche(意味は英語と全く同じ)となっています。アードマン・アニメの叔母さんはとても愉快です。その同じ人がサディストの強欲ばあさんに変身。なかなか演技が達者なおばさんです。
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