映画のページ
2002 USA 117 Min. 劇映画
出演者
Tom Hanks
(Michael Sullivan - 殺し屋)
Jennifer Jason Leigh
(Annie Sullivan - マイケルの妻)
Tyler Hoechlin
(Michael Sullivan, Jr. - マイケルの長男)
Liam Aiken
(Peter Sullivan - マイケルの次男)
Paul Newman
(John Rooney - マイケルの育ての親)
Daniel Craig
(Connor Rooney - ジョンの息子)
Ciaran Hinds
(Finn McGovern)
Stanley Tucci
(Frank Nitti - シカゴ・ギャング)
Jude Law
(Maguire - フランクに雇われた殺し屋兼ジャーナリスト)
James Greene
(Bill - 田舎の農夫)
Peggy Roeder
(Virginia - ビルの妻)
見た時期:2003年1月
メンデスの2作目。映画評は好調なのに、映画館からはすぐ消えてしまいました。私が見たのも小さな安い映画館。雑誌で誉めてあったので期待していましたが、まあまあ。
トム・ハンクスにまあまあと言うと、普通の俳優だったら絶賛という意味です。共演がまたなかなかの顔ぶれで、みな余裕を持って演じています・・・と言うかそれほど実力を出していません。これもあまりフェアな言い方ではありません。他の映画でもっと凄い演技見てしまったから、ロード・トゥ・パーディションが押さえ気味に見えてしまうということで、下手だとか、手を抜いているということではありません。がんばれば何でもできてしまう人が3人も集まってしまったため、みなで立ち往生と言ったら良いのでしょうか。それとも見せ場を作りにくい役をもらってしまったと言ったら良いのでしょうか。
ジェニファー・ジェーソン・リーはジョージア、カンサス・シティー、黙秘などを見てしまった人には物足りないです。家庭の主婦で、大抵は台所におり、殺される時はそのシーンが出ません。そのシーンが出ないのは、この映画の方針の1部ですから、文句を言えません。
ポール・ニューマンは苦悩する男。彼の演じる苦悩は顔の表情だけで足り、物を言う必要もないぐらいです。出来の悪い実の息子コナーと出来の良い息子同様の他人マイケルの間で選択を迫られるお父さん。
トム・ハンクスはと言うと、ニューマンに拾われ、育てられ、家庭まで持たせてもらい、ひとかどの男になってもう長い殺し屋マイケル。殺しという仕事が悪い事だということは重々承知、できれば子供にはちゃんとした道を歩んでもらいたいと考えています。躾のきちんとした家庭を築いており、ジョンはマイケルの2人の息子を本当の孫のようにかわいがっています。
出来の悪い息子コナーが問題。これが性悪。父親が他人を息子のようにかわいがっているのが気に入らないのか、あるいは多少狂気を持ち合わせているのか、その辺のところははっきりしません。1つ間違えばミス・ブランデッシの蘭ですが、そこまで狂ってはいません。父親が死ねば縄張りは自分の物になるということはしっかり頭に刻んでいます。
舞台はアイルランド。ただでさえあまり天気のいい場所ではありませんが、作品中は寒そうな冬のシーンが多いです。冒頭葬式から始まります。弟(兄?)が殺され、残ったフィンは「次は自分か」と怯えています。その話をつけるということでコナーが出向きます。マイケルも一緒について行くよう言われます。「話をするだけだぞ」と念を押してあったにも関わらず、コナーはフィン殺してしまいます。フィンはこの間ロシアの大統領をやっていた俳優です。彼がなぜ消されなければならなかったのかは最後に分かるような仕掛けになっています。
直後に問題発生。この時車にマイケルの長男マイケル・ジュニアが潜んでいました。そろそろ思春期という年齢で、父親が何を仕事にしているのかに不信感を持ち始めていました。殺しの現場を見てしまったマイケル・ジュニアはショック。ばれてしまった父親もショック。そしてコナーはマイケル・ジュニアが生きているとヤバイと考えます。それが一家半分殺害事件に発展します。
生き残ったマイケルとマイケル・ジュニアはシカゴに落ちのびます。そこでアイルランドの息のかかったマフィア、フランクに殺し屋の仕事を引き受けると申し出ますが、アイルランドからはすでに連絡が入っており、仁義の都合で、マイケルを雇うわけに行きません。このシカゴ・ギャングをやっているのがスタンリー・トゥッツィー。シカゴにはジョン、コナー親子も来ています。そしてマイケルたちにはジュード・ロウ演じるところのマグワイアーという討手がかかります。
ジュード・ロウの役は他の燻し銀のような演技をする俳優に比べ派手で目立ちます。ジャーナリストを装う殺し屋。殺した現場写真を雑誌に売ったりもします。こちらは本当に狂気もちらつく演技です。
だから彼だけが上手いかと言うと、そういうものでもありません。彼とコナーは目立ちますが、それは他の2人が地味にやっているからその対比で目立つだけで、異常な人物を演じる方が演技は簡単なのではないかと思います。異常な人物ですと、俳優にはどういう風に演じるかという時、かなりの自由が許されます。要は観客に「この男は異常だ」というメッセージが届けばいいのです。普通の人物を演じるとなると、その辺の知り合いと対比して、それなりに似ていなければ行けません。その上、苦悩を抱えるとか、子供に対して秘密を抱えているとかいうドラマ進行上の演技も要求されます。それをあくまでも正常な範囲で演じるので、制約が多いでしょう。
それで私は、ジョニー・デップ、ショーン・ペン、レオナルド・ディ・カプリオなどが知恵遅れの人やちょっといかれた人物を上手に演じても暫く評価を待ちます。ジョニー・デップの場合私の個人的な評価がとても上がりましたが、それは
(1)スリーピー・ホロー、エド・ウッドなどティム・バートンと組んで独自の分野を開拓したことと
(2)ニック・オブ・タイムでその辺にいる当たり前のサラリーマンを上手に演じていた
ためです。このあたりまで見てからだと、「ああ、両方できるんだな」と納得。反対にエミネムや元パフ・ダディーのようにいきなり普通の人物を演じて上手だった人には最初から感心します。
さて、物語はシカゴからの追跡に変わります。最初からショックを受けっぱなしだったマイケル・ジュニアは少しずつ成長して行きます。こうするしか生きて行く道がないと分かるとギャングの片棒も担ぎます(子連れ狼か、という話が雑誌にチラッと載っていました)。プロの父親が教師です。マグワイアーに追いかけられ、1度は撃たれ、死にかけます。ここから方向転換。反撃に出ます。まずは事情を調査。金の流れを調べて行くうちに、本当の悪が誰だか分かり始めます。で、必殺仕置き人になる決心で、シカゴへ乗り込んで行きます。そこでジョンから意外な事を聞きます。残るは最後のおとしまいとばかり、本当の悪を退治に出かけます。
ところがその後時間がまだ余っています。映画は終わりません。そうです。ミステリークラブの人だったら、まだ勘定が合っていないことに気付きます・・・。
と筋はまあ山あり谷ありですが、原作が漫画というところがおもしろいです。そのためか全体のカラーが統一されていて、ニューマン以下があまりしゃしゃり出ないのも分かるような気がします。みなで雰囲気を作ろうとしているんですね。それが私にはあと1歩の所で足踏みしてしまったように映ります。この評価は原作の漫画を知っている人と、ベテラン俳優の他の演技を知っていて、期待してしまった観客の間で分かれるかも知れません。
優等生俳優トム・ハンクスは主人公がアル中という設定をはずさせています。お利巧過ぎるかとも思いますが、この上父親がアル中だったら、マイケル・ジュニアの役が現実離れし過ぎるかとも思います。このマイケル・ジュニアを演じた少年、役が暗めなので暗い雰囲気が漂いますが、ベテラン俳優を相手に堂々たる演技です。
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