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副題: ドイツの笑い ー 説明するのが大変だ
2003 D 105 Min. 劇映画
出演者
Christian Ulmen
(Herr Lehmann, Frank Lehmann - クロイツベルク区の飲み屋 Einfall のバーテン)
Detlev Buck
(Karl - レーマンの親友、クロイツベルク区の食事も出す飲み屋で働く男)
Katja Danowski
(Kathrin - カールの店のコック)
Janek Rieke
(Kristall-Reiner - 仲間)
Uwe Dag Berlin
(Jürgen)
Martin Olbertz (Marco)
Hartmut Lange
(Erwin - フランクの雇い主)
Margit Bendokat
(フランクの母親)
Johann Adam Oest
(フランクの父親)
Annika Kuhl (Heidi)
Tim Fischer
(Sylvio - ゲイの青年)
Michael Beck (Klaus)
Michael Gwisdek
(Hans - 飲んだくれ)
Sven Martinek
(犬を保護する警官)
Bernhard Schütz
(犬を保護する警官)
Stefan Baumecker (Stoner)
Karsten Speck (Detlef)
Fabian Oscar Wien (Rudi)
Heidi Züger
(Christine - カールのガールフレンド)
Christoph Waltz (医師)
Thomas Brussig
(東ドイツの役人)
Ümit Inaler
(ケバップ店の店主)
Pepe Danquart
(Elefanten の Walter)
Steffi Kühnert
(飲み屋の酔っ払い客)
Thorsten Ranft
(Eastern-Jürgen)
出演犬
名無しの犬 (Otto)
見た時期:2004年3月
久しぶりにいいドイツ映画を見ました。グッバイ、レーニン!や Sonnenallee に比べるとやや小ぶりのヒットですが、成功作です。ハウスマンはドイツでヒットした Sonnenallee でデビューした映画監督。舞台の監督もやり、映画では出演作にヒット作が何本もある人です。主演のクリスチャン・ウルメンはテレビやラジオで活躍する人で、制作、ライター、監督などあれこれやっています。自分のショーも持っています。準主演のデトレフ・ブックはハウスマンよりずっと有名な監督で、私は偶然最初の作品ができた頃を知っています。当時に比べるとかなり太りましたが、監督にしておくには惜しいぐらい演技ができ、俳優にしておくには惜しいぐらい演出が上手。で、両方やっています。「デトレフ・ブック全作品集」が発売されれば是非買いたいところ。他の出演者は一部映画に何本か出ている人もいますが、そうでない人も多いです。制作はブックの会社で、ブックという人は素人っぽい人を作品に上手にはめ込む術を知っています。ハウスマンもそのスタイルで Herr Lehmann を作りました。
原作はスベン・レーゲナーの小説。この人の本職は Element of Crime というバンドの作詞と歌手。Element of Crime という名前の映画もありますがレーゲナーのは音楽。
この作品の1番のネックはドイツ人でない人には分かりにくい話、ベルリン人でない人には全然分からない話だらけで、一体作った人の意図を理解できる人が世界に何人ぐらいいるだろうかというところ。翻訳しても全然意味をなさない会話が至る所に出て来ます。この時代にこのあたりをうろついていた人だけが大喜びする作品です。例えば私。
井上さんからドイツの笑いの話題をと言われ久しいのですが、筆が進まなかった理由は Herr Lehmann の解説を聞いていただくとお分かりになると思います。しかし相手に話が通じないぐらいのことではめげません。ではその通じない話を始めましょう。
まずタイトルの Herr Lehmann とは何ぞや。
英語に直訳しますと、ミスター・レーマン、日本語に直訳するとレーマン氏。レーマンは苗字で、Herr はミスターなのです。珍しい名前でなく、普通の名前です。中川さんとか山下さん程度に普及している苗字です。大分前に書いたレーマン・ヴィッツ対競馬ギャグという話のレーマンもマイク・レーマンという人の名前。映画でちょっと変わってるのは、「お前、俺」と言い合う親しい仲なのにファースト・ネームでなくミスターで呼ぶところ。
冒頭二日酔いのレーマン氏がクロイツベルクという西ベルリンの壁に近い区の通りをおぼつかない足取りで歩いています。レーマン氏は犬が苦手と見え、通りにどっかと陣取った犬と対決する羽目になります。持っていたウイスキーでどうにか手なずけ、犬とは仲良くなります。そこへ通りかかった警官に犬は保護され、レーマン氏は放り出されたまま。ー そこがおかしい(と解説しなければならない)。
このシーンだけで、ベルリンを知っている人はすぐ映画の世界に引き込まれて行きます。クロイツベルク区というのは金持ちの住む区ではありませんが、当時のベルリンで1番おもしろい事が起こる区でした。私の家の近所にある《ドイツで1番美しい市場》とライバル関係にある《鉄道通り市場》というのがこの地区にあり、冒頭のシーンに登場します。その近くの角の道路の名前も映ります。レーマン氏が犬と対決する通りのアパートの様子、地下鉄が地上を走っている様子など クロイツベルクだと分かるシーンがいくつも続きます。そして当時のベルリンを知っている人にはレーマン氏がベルリン人ではないなとピンと来ます。なぜベルリン人ではないのが分かるのかって? − そんなこと説明できません。
その後は物語が緩やかに進行しますが、物語の深い意味が分からなくても当時のベルリンのクロイツベルクの友情、恋愛、暮らしなどがスケッチのように見えて来、それだけで充分なのです。深い意味なんて無いかもしれない。
ざっとストーリーの構造を説明しますと、鉄道通りやスカリッツァー通り、コトブス門あたりにたむろする飲み友達が数人登場し、その1人のレーマン氏は親友カールの店で働くコック、カトリンに一目惚れ。守備良く恋人にします。カールはいい男で、普段はレーマン氏の仕事場の飲み屋《アイディア》とさほど離れていない所で食堂兼飲み屋を営業しています。小柄なレーマンを苛める奴が出て来ると、巨体のカールがやって来て懲らしめるというような仲です。
レーマン氏は仕事のある時はウイーン通りの職場《アイディア》に、仕事のない時は《市場》という名前のカールの食堂にいます。大好物はロースト・ポーク。朝っぱらから注文。これはベルリン人の食べるような物ではない上、朝っぱらから注文するような物ではありません。「ここで朝っぱらからそんな物を注文するとはけしからん」と抗議に来るコックのカトリンと一悶着ありますが、それを機にレーマン氏はカトリンに夢中。
カールとレーマン氏の友達数人はこの2つの店の間を行ったり来たり。ビールが飲めるのならどこにでも行く人たちで、全員ややしおたれたおじさん。1980年代の終わりの話なので、支払うお金はドイツ・マルク。この時期ベルリンはまだ壁に囲まれていて、市の経済はほとんど補助金に頼っていました。西ドイツ政府が全面的にバックアップしてくれるので、皆のんびり暮らしていました。しかしそののんびりした暮らしには大きな落とし穴がありました。
あまり甘やかされると人間は目的意識を失ってしまい、空中スピンを起こしてしまうのです。この時期クロイツベルクに住んでいたのは、
・ お客さんとしてトルコから呼ばれて来た労働者。もっぱらドイツ人がやりたがらない3キの1つ、汚れ仕事やベルトコンベアーなどの退屈な仕事を引き受けていました。トルコ人は勤勉で、家賃の安いクロイツベルクに住み子供を育て、堅実な家庭生活を送っている人が大半でした。
・ 西ドイツの兵役を逃れて西ベルリンにやって来た男子学生。あるいは兵役の義務が無くなる年齢に達するのを待っている、元学生。
西ドイツには兵役があったのですが、兵役は忌避できました。その場合は市民奉仕の仕事をします。ところが手続きが面倒だとか、政府の言う事を聞くのは原則的に嫌だという若者がおり、その人たちは西ベルリンに亡命して来ました。西ベルリンというのは西ドイツの領土ではなく、特別占領地のまま、まだ戦後が終わっていなかったのです。東ベルリン、東ドイツは、敗戦後4カ国統治になった時のソビエトの領域。そのまま独立国になり、東ベルリンは東ドイツの首都になりました。西は宙ぶらりんのまま。米国、英国、フランスは統治権を放棄しておらず、周囲をソビエト地区に囲まれ陸地の孤島になってしまったので、西ドイツに返還もしていませんでした。西ドイツの法律が及ばない地域なので、兵役は無し。しかしそれ以外は西ドイツの通貨、切手が使えるし、言葉も同じだし、学校も西ドイツに引越せば取得単位の大部分が認められるという風に、生活に大きな違いはありませんでした。東京の中で、新宿区を壁で囲って、そこだけ政治的に別なステータスを持っているような感じです。
・ ベルリンはおもしろいだろうというのでやって来たよそ者。よそ者にもドイツ人と外国人という2種類あり、クロイツベルクは外国人の多い町でした。
・ 家賃の安さに引かれて来た者。クロイツベルク区にはあまり高級住宅は無く、戦後暫くして建った家や、戦争を生き延びた戦前からの建物などがあります。かつては目抜き通りもあった場所なので、通りは広々していて、素晴らしい眺めです。しかし家主が家の手入れをしないまま何年も放ってあったため、家賃が安かったです。放置してあるアパートを不法占拠して暮らす若者もたくさんいました。
というわけでクロイツベルク区の住民には本当のベルリン人の割合が少なく、よそから来た人たちが摩訶不思議なおもしろい雰囲気を作り上げていました。Herr Lehmann に出てくる場所はリトル・アンカラと呼ばれることもあり、トルコ文化もたっぷり味わえます。
カトリンとルンルンのレーマン氏ですが、彼も普通人なので両親が苦手。特に母親からしょっちゅう「電話しろ」と催促の電話がかかって来ます。西ベルリンに住む西ドイツの若者の典型です。その上両親が訪ねて来ると言い出したので大変。酒場でバーテンをしながら食いつないでいるなんて言うと失望させてしまうので、カールの取り計らいもあり、レーマン氏はカールの店の持ち主ということになります。俄仕立てのテーブル、高級ワイン、口裏を合わせた仲間のおかげで戸惑いながらもレーマン氏はその場を繕います。
その時両親にとんでもない事を頼まれてしまい、受難。東ベルリンに住む親戚に500マルク届けてほしいというのです。500マルクは当時東では最低でも2500マルクに換金できたのです。当然東政府から見れば違法行為。レーマン氏は手際が悪く、捕まってしまいます。西から東へ行く時検問を受ける場所は何箇所かありましたが、レーマン氏がとっ捕まってしまった場所は Tränenpalast と呼ばれている所です。ここは冷戦終結後、劇場になり、小野洋子も催し物をしました。私は1度ザ・テンプテーションズ(この記事は別な会場のライブ・レポート)を見に行きました。Tränenpalast というのはいわばニックネームで、訳すと《涙の宮殿》。身内が東西に裂かれて、涙・・・。ここで捕まって、レーマン氏はふてくされて取調べを受けていました。
レーマン氏が成功するのはカトリンをベッドに誘うことぐらいで、他はたいてい失敗談。最大の試練は親友のカールの発狂。カールは店の経営をしながらモダン・アート、ガラクタをつなぎ合わせて大きな彫刻を作っていました。あと数日で展覧会が開かれる、それもクネーゼベック通りという目抜き通りの近く、東京で言えば銀座4丁目近くの細い通りのような所で開かれるというのに、直前に発狂し、自分の作品を破壊してしまうのです。友達に呼び出されてレーマン氏の出動。現実が分からなくなってしまったカールをレーマン氏は精神病院に連れて行きます。医者は正しくも、こうのたまう。
「このところ寝てないんだって?ふうん、それで仕事は?何、芸術家。食堂の仕事で食いつないでいる?そりゃ、食堂はちゃんとした仕事だが、展望というものがない。やってもいいが、やらなくてもいいんだろう。芸術も先は分からん。しかも数日後に大きな催しを控えて・・・。こういう時って危ないんだよ。びびることもあるしな」
最初変な医者だと思っていましたが、ちゃんとお見通し。カールには「帰ってもいいよ」と言いながら「口をアーンと開けて」と言って錠剤を放り込み、水を飲ませてしまいます。すると何日ぶりかでカールは眠りにつき、無事入院。
芸術家に関しても当時のベルリンをよく現わしています。ドイツ、特にベルリンは芸術が多大な保護を受けている場所でした。芸術にあまり理解のない国日本から来ている自称画家もいました。ベルリンには画家、彫刻家などとして正式に税務署などに登録している人も多く、本当に芸術専門大学を卒業している人もたくさんいました。そして大小さまざまな展覧会が開かれ、補助金が支払われ、小さなギャラリーはわりと安く借りられたので個展も頻繁に行なわれていました。ほとんど毎週金曜日の夕方は個展のオープニング・パーティーで、当時私もこういう人たちを色々知っていたので、一時は金曜のスケジュールが何週間もふさがっているなどということもありました。
家族に絵画や彫刻に関心のある人間がいて子供の頃から色々な展覧会に連れ回されていた私は、自分では何もできないのに目だけは肥えていて、そういう目で見ると、ベルリンで芸術だなあと思わせる作品にはほとんど出合ったことがありません。芸術家をほとんど認めない日本も極端だけれど、ちょっと絵でも描けば芸術家になれてしまうベルリンも甘いなあと思っていました。政府は補助金を出し、何百人という芸術家を色々な面からサポートしていますが、本当に才能のある人が何人いたかは謎。それに比べればレストランの仕事をしながらこつこつガラクタを積み上げているカールは偉いなどと変な所で感心してしまいました。
ちょうどカトリンに失恋したばかり、その上親友の入院で、レーマン氏は失意のどん底。自分の店からちょっとはずれた飲み屋でビールを飲み始めます。その時テレビを見ていたら、壁が開いたというニュースが飛び込んで来ます。これでストーリーはおしまい。
こんな説明を聞いても皆さん、ちっともおもしろくないでしょう。私もそう思います。この作品は見て、聞かないと良い所は全然分からないのです。例えばカールの食堂の木の壁。ああいう建物は減りつつありますが、まだクロイツベルクにはいくつか残っています。ドイツがこういう国だと知らないでやって来ると、がらんとして殺伐な印象を受けますが、町に居付いた人には我が家のようで、店を改装してきれいな化学建材の壁にしてしまうと涙を流す人が出ます。
レーマン氏が行くトルコ人のケバップ店も雰囲気がそのまま出ています。最後のシーンの飲み屋も私が入った店に良く似ていました。途中で乱闘騒ぎのある飲み屋の隣の映画館は私が毎年行く場所です。実はクロイツベルク区ではなく、私の区にあります。野外と屋内の2つ会場があり、夏場は野外でも上映します。Herr Lehmann に出て来るのは屋内の方で、雨天の場合は私もここで見ます。レーマン氏がカトリンと会うプールも私が行った場所。プールのシーンと売店のシーンは別な場所で撮って、1箇所のようなフリをしているのではないかと思います。売店のシーンはうちの近所のプールの売店にそっくりです。デトレフ・ブックは一時うちの近所に住んでいたので、ロケの場所を探す手伝いでもして、ここを選んだのではなどと勝手な事を考えています。
ベルリンの町が出て来る映画としてはローラが走る!が有名ですが、あれはインチキが多く、銀座3丁目から4丁目の町並みなどと言いながら実は一部新宿の通りを映したり、というような編集をやっています。Herr Lehmann はそういうインチキが少ないです。
見ていない人にシーンの説明をするのですら、こうも上手く行かないのですが、台詞と役者の表情から出るユーモアは一体どうやって説明したらいいんだろう。しかもベルリンや、北ドイツの笑いは、しゃべりにあるのではなく、黙りにあるのです。
デトレフ・ブックは特に黙りの魔術師。自分が監督する作品には必ずその種の笑いが入っています。木訥にぶすっと何か言って、あとは黙ってジーっと見ているのが得意のスタイルで、それはブック1人でなく、北ドイツの人はほとんどこういうスタイルです。ベルリン人は早口で、頭の回りが速く、まくし立てる人が多いですが、北ドイツ・スタイルの人も混ざっており、それが Herr Lehmann でも上手にミックスされています。
木訥にぶすっと口から出る言葉がこれ以上当たり前の事はあり得ないというようなあったりまえの内容。それがあまり当たり前なので、こちらは思わず呆れてしまうか笑ってしまうか、2つに1つしか道がないのです。それを Herr Lehmann では数人の男が集団でやるので、映画館で笑いをこらえるのに命懸けの苦労をしました。こういう作品、自分だけが分かるユーモアがあると、他の地域から来たお客さんに睨まれてしまうのです。下手をすると嫉妬にあってリンチ。「何でお前だけがここで笑うんだ!」、袋叩きです。それほどハウスマン、ブック、ウルメン、演出、演技、タイミングがぴったり噛み合っています。
ドイツの批評家は繊細な感覚が欠けている、ジョークのタイミングがずれていると批判しています。私はこの批評家と全く反対の意見です。このボケーと立って、ずれているところが本当らしくていいのです。ベルリンや北ドイに来て繊細さを求めるとすれば、批評家は中部以北を知らない南の人ではないか、などとかんぐったりもします。ベルリン人がデリカシーを理解するようになってしまったら、あのマイク・レーマンのどうしようもない番組がまず10年続いて、それからようやく葬られた事実をどうやって説明したらいいのでしょう。
サイトを見るとひどい評価です。なぜ?ドイツ人が作った映画の中で久しぶりに楽しい、人間味のある、ユーモアのある、ペーソスのある作品を見たと喜んだばかりなのに。唯一の悩みは日本の友達にどう説明するかだけだったのに。
別なサイトには「原作を読んだ人なら、この作品を見て絶対に失望しない」と書いてありました。私は読んでいませんが、失望しませんでした。ちょっと 前の無料のタウン誌には良い評価が載っていました。ベルリンに住み着いた人からは高い評価、よその人からはけちょんけちょんということなのでしょう。
本当にある住所をタイトルにした Sonnenallee が成功したので、HerrLehmann もベルリン36区というタイトルにしても良かったかも知れませんが、私は Herr Lehmann の方が良かったと思っています。クリスチャン・ウルメンは普段図々しい口を利くことで有名な司会者なのだそうですが、この作品ではあたたかい 心の持ち主、当時ののほほんとした若者を、まるでドキュメンタリー映画のように自然に演じていました。名優ブックと対決しても全く引けを取りません。本職 が俳優でないと知って驚きました。
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