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1988 USA/F 120 Min. 劇映画
出演者
Harrison Ford
(Richard Walker - 外科医)
Betty Buckley
(Sondra Walker - リチャードの妻)
Emmanuelle Seigner
(Michelle - フランス娘)
Dominique Virton
(ホテルのフロント係)
Ste'phane D'Audeville
(ベルボーイ)
Laurent Spielvogel
(ポーター)
Alain Doutey
(ポーター)
Jacques Ciron
(ホテル・マネージャー)
Roch Leibovici
(ベルボーイ)
Patrice Melennec
(ホテル付きの探偵)
見た時期:2004年7月
・・・ですが、もう時効でしょう。
これほど記憶に残らない映画というのも珍しいです。有名な監督、有名な主演。しかし私の頭に残っていたのは、セニエの赤い衣裳とハリソン・フォードが屋根から滑り落ちそうになるシーンだけ。何かの事件に巻き込まれる話だという記憶はありましたが、どんな事件なのかもすっかり忘れていました。最近また見たので筆を取りました。忘れるにはそれほど年月が経ったとは思えない1988年の作品です。
改めて見て、勉強し直した筋はここから。
★ ストーリー
アメリカ人の外科医ウォーカーと妻ソンドラは中年の夫婦。子供を家に残して、第2の新婚旅行のような雰囲気でパリにやって来ます。学会で論文を発表の予定。夫リチャードはフランス語がからきしだめですが、妻のソンドラはちょっと行けます。
予定より1日早く到着。トランクが1つ取り替わっていたことに気づきます。TWA の貨物係と話がつき、届けることになります。しつこく連絡して来る同僚をすっぽかして、シャワーを浴び、着替え。リチャードがまだシャワーを浴びている時ソンドラが何か言いますが、水の音で聞き取れません。いつもの身勝手で話を無視してシャワーを浴び続けます。ようやく終わって髭を剃っている時にベルが鳴ります。妻が応対に出るものと思っていたのですが、姿がありません。妻の不在を変だとは思いつつ自分で出てみます。
その後もいずれ戻るだろうと思っていたのに戻って来ないので探し始めます。言葉が分からないため、リチャードのストレスは増えます。それでも何とかホテルの係員に届け、警察に届け、大使館にも届けます。皆、失踪だの拉致だのと考える前に、ただの外出とか痴話喧嘩というごく普通の理由を頭に浮かべていることがありありと見えます。このあたりでは心配するのはリチャードと、スリラーだと知っている観客だけ。リチャードはいらいらしながら妻を自力で捜し始め、道にブレスレットが落ちているのを発見してからはすっかりマジ。長い間結婚している夫には妻が絶対にやらない行動というのが分かっていますから心配は増大。
大スター、ハリソン・フォードは演技力ではあまり強さが発揮できませんが、脚本に書かれていた通り演じているだけでも、観客に「普段自分は仕事のことばかりかまっていて、細かい事は妻に任せっぱなしだったなあ」と感じさせるには十分の演技です。1度目に見た時は感じなかったのですが、2度目はこのあたりの描写がやや長過ぎると思いました。手際が悪く、長々とリチャードの様子を見せるのです。それはフォードの責任ではありません。脚本と演技が冴えていたら、ごく短時間でスパっと表現できるでしょう。
妻は消えた切り、ホテルの業務はいつも通り、大使館はフランス警察のやり方を知っているので、カリカリしても仕方ないと半ば投げ出したような対応。それで自警団ではありませんが、リチャードは自分1人でやるしかないと決心。他に何も手がかりが無いので、間違って届いたトランクを調べて見ます。女性の持ち物がゾロゾロ出て来ますが、役に立ちそうな物は無し。化粧品やニューヨークの観光土産などが入っているだけで、二重底にもなっていない。この探し方が何とも不器用で、普段こんな事をする仕事についていない、慣れない事をやっている人だなあという感じはよく出ています。何のあても無い中、紙マッチに何か書いてあるので、それを頼りに動き始めます。他に何もそれらしき物が見つからなかったので、絶望して藁にもすがる気持ちだということなのでしょう。現実の世界では、それが何にも関係のないただの電話番号という可能性も大きいのですが、そこは大スター中心のスリラー。プロットの弱さには目をつぶって先に行きましょう。
《運良く》それは手がかりでした。訪ねて見るとそこからまた先へ行く手がかりが・・・と、考えられないような運の良さで、ついにデデなる名前の死体に行き着きます。ご都合主義は仕方ないでしょう。このあたりで、謎の女性、その女性を追う謎の男たちが登場し、何かの争奪戦にウォーカー夫妻が巻きこまれたのだと判明します。
争奪戦は一見麻薬密輸に見えるのですが、実は違い、自由の女神の像の中に隠されている核兵器の部品が目当てでした。アラブ系の人物が謎の女性ミシェールに密輸させたのに、トランクが入れ替わってしまったため予定の人物に届けられず、死人まで出ることになったわけです。そのアラブ人の中にイスラエル人が密偵をもぐりこませていたため、もう1人死人が。ようやくソンドラをめぐって直接取引きになったところで撃ち合いになり、また死人が・・・とまあそれだけのことに私たちは120分振り回されます。
★ 冷戦終結前のストーリー
1988年頃と言えば冷戦も終わっていなかったので、こういう話はありだと思います。イラクが核兵器を作ろうとしていたかどうかは分かりませんが、どの国でもこういう部品を手に入れれば、自分が使わなくても高くよそに売れますから、何かのメリットがあると考える人が出てもおかしくありません。しかしこの辺の話は今見ると描かれ方が古いなあという感じです。反対にホテルの部屋、出演者の衣裳、建物、車などは2004年に見てもそれほど古い、ダサいという印象ではありませんでした。それどころかミシェールの衣裳は現代でも気が利いていて、すてきです。電話機はやや古臭く見えますが、それほど目立ちません。結局核兵器の部品だと言われて見せられる物が真空管をちょっと変えただけのように見え、そういう重要な品を検査に引っかかりもせず若い女性がトランクに入れて持って来てしまうという単純さが古そうな印象を生み出すのだと思います。
後記: イラクが核兵器のどの程度関与していたのかは今になると分かりませんが、全然やっていなかった、本当にやり始めていた、本当にやり始めたが交渉が成立して後に止めた、本当にそのままやり続けていたのいずれかで、核とイラクという言葉は確かに結びついていました。
核の話の横で化学兵器の話も出、何かしら大量破壊兵器を持っていただろうというので、マット・デイモンが出動して探し回る騒ぎにもなりました。しかし出て来なかった。イラクの実態がどうだったかは分かりませんが、まだ冷戦にけりがついていないこの時期に既にイラクと核兵器を結びつけたドラマが娯楽映画として作られていたことにはちょっと驚きを覚えます。(2011年12月)
★ フォードの路線変更
なぜこうもきれいに筋や画面を忘れてしまったのだろうと思いましたが、よく考えてみると、その後見た他の映画のようなドラマが無いためではないかと思えて来ました。そして、主演の大スターがみっともなく見えるシーン満載で、フォードをコケにするために作ったのかとすら思える場面が何度かありました。フォードは昔の陽気な英雄を止めたとしても、ブレードランナーのような暗い顔をした英雄にもなれる人。その人がみっともなく失敗したり無謀な事をするシーンの連続です。ここでふと思ったのは、フォードは《これを転機にして、コメディー路線に変われなかっただろうか》ということ。できたかも知れません。しかしフォードはそのチャンスを逃してしまった・・・。この役を同じくスターのケビン・コストナーにやらせたらどうかとも思いました。私の個人的な意見ですが、コストナーの方がやや良い出来になったのではないかと思えます。ただの印象の問題ですが。
盛りを過ぎたスターがウイスキーのコマーシャルを撮影するために来日という作品がありました。あれを見た時チラっとハリソン・フォードを連想したのですが、主演のマーリーは見事この作品で評判を上げました。みっともないフィットネスのシーンなどもありながら、若い女性との淡い恋などという儲け役。重要な賞にいくつもノミネートされたり、受賞しました。
ポランスキー監督が出したかったのは、《異国で1人きりになってしまったアメリカ人》というテーマではないかとも思えます。確かにパリというのは世話をして貰うのに慣れた人には難しい町です。言葉が分からない人にも大変な町です。普段仕事以外の事にはあまりかまっていなかった人間が、妻の捜索と自分の事は自分でやるという両方を1度に片づけなければ行けなくなるという状況は、ハリソン・フォードで十分役が務まっています。ずっこけるシーンでもう少し徹底的にずっこけたら、《ユーモラスな演技もできるフォード》として生まれ変われたかも知れません。ちょっと惜しい。
後記: 大分後になって思いついたのですが、ポランスキーにはこのフォードのドジの系統のユーモアがあったように思います。もしかしたら自分が演じるであろうユーモラスなシーンをこの作品に盛り込んだのかも知れません。だとするとポランスキーのフォードに対するプレゼントをフォードが上手く使いこなせなかったことになります。
フォードはその後もあまり調子が良くないのか、「自分は元々は大工なのだ」という発言を何度かしていたという記事を読んだ事があります。確かにダフォーやマルコビッチのような演技派で、スターになろうという意欲の全然見られない俳優でもなく、トム・クルーズやケビン・コストナーのように《スターとはこういうものなのだ》と割り切ってスター業をやっている人でもなく、クリストファー・リーのように、昔のイメージを保ちつつ小さな役でもアクセントを添えるために顔を出すという人でもなく、スターでありながらプロデュースに乗り出すというわけでもありません。フォードはあまり器用な人ではないのでしょう。潜水艦の艦長をやった時も、格下げになってフォードの下に置かれてしまったライアム・ニーソンの方が演技では勝っていました。
★ 異国のポランスキー
1960年代からポーランドに戻らなくなっていたポランスキー監督ですが、1988年と言えばアメリカへも戻らなくなって10年が経っています。ただ、パリはポーランド人にとってはそれほど違和感のある国ではないでしょう。ポーランド系の住民は結構たくさんパリにいます。ポランスキー個人にとってはパリは故郷のようなもの。ポランスキーが馴染めなかったのはアメリカだったのだろうかという疑問もちらり。悲劇の人という印象の強い監督ですが、彼自身はそういう目で見られることにうんざりしているようです。冴えた作品も作れる人なのに、私生活の方が映画より劇的になってしまって気の毒です。ちなみに彼の本名はドイツ語の普通の単語で、意味は《ダーリン》です。しかし戦時中のドイツにはひどい目に遭った人です。ポーランドにも嫌な目に遭った人です。アメリカでも嫌な目に遭った人です。結局またフランスに戻りましたが、今度の結婚は長続きしていて、どうやらフランスが安住の地になったようです。外国に長く住んでいると、亡命した人や、国籍を変えた人と知り合うことも多いので、故郷が無い、故郷に帰れないというのがどういう事なのかだんだん分かって来ます。ポランスキーはそういう意味では、本人が自分の運命にうんざりしていてもやはり悲劇の人に違いありません。
忘れたついでに音楽のこともけろっと忘れていたのですが、改めて聞いているとマルコス・ミラーが作ったデビッド・サンバーンの曲がかかり、グレース・ジョーンズのタンゴも出て来ます。ポランスキー自身が選曲したのかどうかは分かりませんが、上手く画面にはまっています。
ポランスキーは知らないうちに見た作品が溜まっていました。
色々評判の高い作品もありますが、私が見ていて冴えているなあと思ったのはテナント/恐怖を借りた男です。あまり有名ではありませんが。(後記: ゴーストライターも久々に冴えた作品でした。)
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