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2004 Luxemburg/F/Belgien 90 Min. 劇映画
出演者
Laurent Lucas
(Marc Stevens - 巡業中の歌手)
Jackie Berroyer
(Paul Bartel - 宿のおやじ)
Jean-Luc Couchard
(Boris - 犬を探している男)
Philippe Nahon
Brigitte Lahaie
(老人ホームの責任者)
Gigi Coursigni
(老人ホームに収容されている女性)
Philippe Grand'Henry
Jo Prestia
Marc Lefbvre
Alfred David
Johan Meys
見た時期:2004年8月
だいぶ道草を食い、ファンタから離れていましたが、また戻ります。
アジア映画では地球を守れ!が怖さの頂点でしたが、それと似た怖さがこちらの Calvaire。どこまで行くか想像がつかないという怖さです。地球を守れ!のようなドタバタ喜劇ではなく、非常に地味な作りです。
後記: 変態村とはまた何というひどい邦題をつけたのでしょう。フェアではありません。人間の悲しい面を描いた非常に地味で真面目な作品です。
私は西洋人でもなく、キリスト教徒でもないので、色々画面で暗示をしている部分が分からなかったというハンディーもあるのですが、キリスト教、死などが原題と結びつくようです。そういう知識がスパっと抜けていても恐さはそれなりに伝わって来ます。
地味で、小粒の作品ではありますが、ファンタなどに来る人は絶対に見逃せません。ファンタではドイツで公開されないもの、すぐビデオやDVDに行ってしまう物などが、ノーカットでスクリーンで見られるという利点があります。Calvaire は大型ホールでなく、やや小型のホールで上映されましたが、小さめのホールがぴったりです。特殊効果、音響効果などとは縁の無い作品で、まやかしは必要ありません。ある男の身の上に降りかかった災難を淡々と描写して行く作品です。それが恐い。田舎で1人家で見たりせず、小さ目の映画館に行き最終の回で、外へ出たらあたりは真っ暗などという状況は避けた方がいいです。見終わったらなるべく他の人と接触できるような環境がいいです。でないと、恐いよ、本当に。
ベルギーの国民的歌手、サルバドーレ・アダモが落ちぶれたらこんな風になるんだろうなと思えるような歌手が主人公のマークです。アダモは落ちぶれるどころか、現在でもドイツの有名雑誌に近況が報道されるぐらいの大歌手。曲は自分で書く上、最近の世相などを取り上げて人生を歌い上げるので、固定ファンがつき、地位は揺らぎそうにもありません。もし彼が途中で人気を失い、それでも歌を続けていたらこういう風になるんだろうなと想像させるような歌手が冒頭に出て来ます。
普通免許で運転してもいい1番大きいサイズぐらいのバンで町や村へと旅をしながら仕事をしている歌手がいます。彼の車の中には仕事、生活に必要な物が全部揃っています。衣裳は何着もきちんとハンガーにかかっています。カラオケの道具、マイクも1箇所にまとめてあります。中で食事もできるようになっていて、眠ることもできるようです。しかし恋人などはいないようで、何もかも自分でまかなっているかのよう。青年と中年の間ぐらいの年、特にハンサムでもありませんが、歌はちゃんと歌え、ワンマンショーで数十人の観客を沸かすことができます。
最初のシーンは老人ホーム。かつてはちょっとは知られた歌手なのでしょうか、それとも若い男性が田舎のホームに来てくれるというだけでありがたがってしまうのでしょうか、年を取った女性から熱烈な愛を告白されてしまいます。ホームの世話をしている中年の女性からもラブコール。そういうのも仕事の一環とわきまえているのか、特に大騒ぎもせず、次に来るのは1年後というような余韻を残して静かに去って行きます。
人里離れた場所を走っているうちに車が故障してしまいます。前にぼくの好きな先生という作品を紹介しましたが、あの冒頭に出てくるような田舎で、天気も悪いです。(なぜか私がいた時はいつも晴天でしたが)ベルギーというのは天気は悪いと評判の国で、その中でも監督は特別な気候の地域を選んで撮影しています。そこだけはシベリアのような気候なのだそうです。
暗い上に近くにガソリン・スタンドなどは見えません。ガソリン・スタンドがあれば安心というわけではありませんが、それすら無いのです。途方にくれていると、犬を探している男が通りかかり、そのつてで近くの宿屋にたどり着きます。長い間客を泊めていなかったようですが、それでも一応宿屋。おやじは部屋を1つくれます。村に来る訪問者など珍しいのか、疲れている歌手を夜長く引きとめて、宿の親父は話し込みます。次の日、おやじは車を修理するのを手伝ってくれると言います。何でも自分でやる癖がついていたマークは遠慮がちですが、おやじは積極的で、バッテリーがいかれているなどと言いながら、どんどん車を調べて行きます。部品は暫くしたら届くということで。
宿屋のおやじは前の晩何年か前に妻に逃げられたという話をしました。久しぶりの泊り客を歓迎しているかのよう。彼は以前は道化として芸能界にいたという話。静かな夜が過ぎ、次の日からマークの受難がエスカレートしたのです。
おやじは車を点検し、修理をするどころか、マークに散歩を勧め、彼のいない間に車が完全に動かないようにしてしまいます。バッテリーを取ってしまうだけでなく、車を燃やしてしまいます。なぜやっているかは分からないのですが、一直線に目的に向かって行きます。宿に足止めを食ってしまったというだけでなく、自分の車を奪ってしまった男にマークは戸惑いを覚えながらも、村に出て救出を求めようとします。しかし宿のおやじは村には絶対行くなと、トラブルになる前からしっかり釘をさしています。村には何か秘密があるかのように。これでは最近大ヒットしたシャマラン監督のヴィレッジの逆のようです。聞くところによるとシャマラン監督のヴィレッジ・ピープルは「森に行ってはいけない」と言うのだそうですが、変態村の宿の親父は「村に行ってはいけない」と言っていました。きっと村の人は「宿に行ってはいけない」なんて言ってるんでしょうねえ。ヴィレッジには《口にしては行けない人々》というのが出て来るそうですが、変態村にも何かありそうで・・・。
シャマラン監督のヴィレッジを見た人の中には頭に来た人もいたようで、ベルリンの雑誌では公開当日にネタを大々的にばらした有名雑誌がありました。大きな写真、長い解説付きでした。しかし変態村 にはインチキ臭い話はありません。監督は1つテーマを決めていて、それを90分全体で表現したかったと言っていました。そう言われてみると、テーマからはずれていません。
どんどん凶暴性を発揮するおやじはマークに女装を強制し、納屋に縛り付け、拷問を始めます。しまいには彼の姿はメル・ギブソンのパッションの様相を呈して来ます。どうにか納屋を抜け出し、村に向かうマークですが、村人の様子も非常におかしいのです。宿のおやじと村人の間には対立があるようですが、マークを挟んでの取り合いで、警察に連絡をしてくれるとかマークを救ってくれるという様子はありません。言い忘れましたが、宿の電話は使えないようになっており、携帯は壊されています。そして村の登場人物の中にはあの Philippe Nahon の顔が見えます。これは危険だ!Philippe Nahon は今や欧州では売れっ子の悪役に昇格し、ファンタでは、この小さな役の他にハイテンションで大役を果たしています。
実は私もこの村に負けないような僻地に暫く滞在したことがあるのですが、周囲の雰囲気が問題。私は羊や牛に囲まれ童話のように楽しい時を過ごしました。駅からは車でかなりの距離ですし、バスは朝1本、夕方1本。週末は何も無し。宿、ホテルの類どころか、店も無し。で、私は民家に泊めてもらいました。うちに客が来たというので、珍しがって訪ねて来てくれた人もいます。隣の家に行っても歓迎されました。それほど外から来る人が少ないのでしょう。こういう村に知り合いも何もない人間が迷い込んで、夕暮れ時に変態村の宿の主人のような人物が現われたら確かに恐いです。頭の中で何を想像するかによって印象はがらっと変わってしまうのです。そしてきっと運命も・・・。
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