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アレックス /
Irréversible /
Irreversible /
Irreversibel /
Irreversível /
Необратимость /
Alex

Gasper Noé

2002 F 95 Min. 劇映画

出演者

Monica Bellucci
(Alex - 被害者)

Vincent Cassel
(Marcus - 被害者の連れ)

Albert Dupontel
(Pierre - マルクスの友達)

Philippe Nahon (Philippe)

Jo Prestia
(Le Tenia)

Stephane Drouot (Stephane)

Jean-Louis Costes
(クラブで殴り殺された男)

Mourad Khima
(Mourad アラビア人)

見た時期:2002年8月、ファンタ

2002年 ファンタ参加作品

要注意: ネタばれあり!

カンヌで公開されたとたん買い手がみつかるかという問題に直面したそうですが、なるほど、これではね、無理もありません。ドイツでは途中で逃げ出さず最後まで見た人が多かったようで、一足先にミュンヘンでいい評価を受けています。ベルリンでもカンヌのような激しい批判の声は上がっていません。ただし見たのは普通の観客。ファンタを見に来た人たちです。ファンタの観客は、あまり慌てない人たちで、神経も結構太いです。 批評家の反応はまた違うかと思われます。プロの批評家が見るのはまだ先の話です。カンヌに取材に行った人を別にすれば、どこかの会社が買い取り、公開のスケジュールを決めたところで、公開に先だって試写をやるので、まだ時間がかかります。それほど長い作品ではありませんから、時間の都合でカットということはないでしょうが、年齢制限を低くする場合は、その年頃の若者に合わないシーンはカット。そのカットされそうな部分を除くと、映画の存在理由がなくなってしまう可能性があります。とにかくじっくり落ち着いて見て、ゆっくり考えてから判断しないと行けない作品です。そういう意味では問題作と言えます。

ここからネタをばらしますので、見る予定の人は退散して下さい。目次へ。映画のリストへ。

筋は単純です。救急車でどこかの病院に運び込まれる人が映ります。この部分の画面は赤が基調で、揺れが激しく、ドグマ映画よりもっと見辛いです。その理由は見終わる頃に分かって来ます。

場面が変わって、男が誰かを凄い剣幕で探しまわっているシーンが映ります。このシーンは男同士の揉め事、殴り合い、そして、凄惨な暴力という形で終わります。

さらに場面が変わって、モニカ・ベルッチ演ずるところのアレックスがひどい暴行を受けているシーンが延々十分ほど映ります。あまりにひどい様で、実際には倍ぐらいの長さに感じます。自分は客席に座ってスクリーンを見ているだけなのですが、ふと気付くと自分が被害に遭っているのではと錯覚するほど凄惨なシーンです。ここと、その前の男性の暴力シーンがおそらくカンヌで批判を受けたのでしょう。

さらに話はさかのぼり、パーティーに来ていたカップルが映ります。演ずるはベルッチ、カッセル夫妻。男性マルクスはお酒を飲み、コカインを吸って、友達と浮かれています。連れの女性アレックスは興ざめしてか、アパートの外に出ます。そこで偶然ひもに殴られている人を見かけます。パーティーなのでセクシーなドレスを着ていたからか、女なら誰でも襲うのか、はっきりした理由は分かりませんが、その男は対象をベルッチに移し、襲いかかります。

このあたりで頭に来て会場を去ったジャーナリストがかなりいたらしいです。ここで見るのをやめてしまうと、当然ああいう批判になって来ます。ところがこの後の話、話の順序から言うとこの前の話を見ると、全面的な批判をすることにためらいを覚えます。ここでは最後のネタをばらしませんが、幸せな2人の生活が、上に書いたような出来事で、タイトル通り元に戻せないぐらい 破壊されたことが分かります。タイトルは「取り返しがつかない」とか「元に戻せない」(Irréversible)という意味です。

子供に向かない映画だというのは絶対確かです。18歳でも人によって人生経験がかなり違うので、こういう映画を正視できないという人もいるでしょう。タフな神経を持ったファンタの友達でもかなりぐったりしてしまいました。ただ、最後まで見ると、無駄に作った映画ではない、という気持ちになります。皮肉なことに暴力描写が1番大きく批判されているのですが、これを見て暴力がどんなに凄惨かが具体的に分かり、遊び半分で何かしでかそうと思っていた人が、手を引っ込めるようになるのではないかと思えるほどです。暴力描写はファンタにはいくらでもありますが、デーモンラヴァー 殺し屋 1 のように、どこかに遊びっぽい部分があると、ふざけ半分に始める人が出ないでもありません。その辺が各国でもよく批判されています。ところがここまで徹底して描写されると、他人事として、あるいはただの映画だ、遊びだと言って見ていられる範囲を超えています。これを見た後で敢えてこの種の犯罪を犯す人は、映画の真似をしたのではなく、確信犯です。

スターのベルッチが暴行されるシーンに圧倒されて、見過ごしそうになりますが、もう1つ重要なシーンがあります。アレックスの連れのマルクスがコカインを吸うシーン。日本ではコカインを吸うのは大犯罪で、欧州ほどのんびりしていません。それが当然なのですが、日本人はなぜコカインが禁止されているかについてはあまり具体的に知らないのではないかと思います。警察も「ドラッグは悪い」と言うだけで、「なぜ悪いか」はそれほど説明していないのではないかと、ちょっと心配しています。

欧州では金持ちがやるシックなドラッグだという印象が先行していて、手を出す人が後をたちません。欧州の人も具体的には何が悪いのか分っていないのかも知れません。でないとインテリ層と言われる人たちまでが手を出す理由が分かりません。しかしこの作品を見ると一瞬で背筋が寒くなるでしょう。コカインを吸って判断力をなくした人がふるう暴力を見せつけられます。トリックで撮影したのだ、本当に人を殺したのではないのだと分かっていても、目に焼き付いて忘れられない悪夢のようなシーンが出て来ます。

というわけで、これは究極の教育映画なのですが、そうだと気付くまでにかなり時間がかかりますし、ショックを受けます。センセーションを狙って作ったという批判もありますが、私にはまじめに取り組んでいるように見えます。最終的に暴力がいかに不快なものであるか、被害者がどんな苦痛と悪夢を味わうかという点がはっきり伝わって来ます。上辺だけの同情を通り越した理解が生まれるのではないかと思います。

日本でも公開されたファニーゲームという作品がありました。こちらの監督はセンセーションを起こすことを意図して作っています。観客ができるだけ不快感を感じるように意図されています。監督が頭の良さを誇りたかったのは、この映画には具体的に殴る蹴るの暴力は一切出て来ない点です。意地の悪いサディスティックないたぶりが示されるだけで、一家が皆殺しにされます。画面には一切の暴力が示されません。監督の工夫にも関わらずこの映画には教育効果はなく、被害者に対する同情心も起こらず、後味の悪い不快感だけが残ります。それに比べてアレックスでは暴行被害者に対する理解が増すと思われます。暴力を思いっ切り画面で示した結果ですから皮肉な話です。

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