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2003 Kanada 97 Min. 劇映画
出演者
Patrick Huard
(Thomas Roy - 売れっ子作家)
Michel Côté
(Paul Lacasse - 精神分析医)
Catherine Florent
(Jeanne - 精神分析医)
Jean L'Italien
(Charles Monette - タブロイド誌のジャーナリスト)
Nicolas Canuel
(Henri Pivot - 牧師)
Jean Pierre Bergeron
(Boudrault - 牧師)
Albert Millaire
(Lemay - 牧師)
見た時期:2004年8月
いかにもファンタに合いそうな作品というのが何種類もありますが、Sur le seuil もクラシックな作りで、そういうジャンルの1つに入ります。ちょっと毛色が変わっているのは、カナダ製で、使われている言語がフランス語だった点。スタイルはオーメンを彷彿とさせ、何十年も前の秘密が解き明かされるなど、オカルト要素がたっぷり。画面もきれいで、見易い娯楽作品です。
今年はフランス映画を全面的に見直してしまう番狂わせの年になりましたが、フランコ・カナディアの映画もその一端を担っています。カナダは一時アメリカの芸能界からバッシングに遭っていましたが、安いコストで撮影できるというメリットのため、アメリカ映画の関係者がカナダへ行って撮影し始め、現在ではかなりの数になっています。
私がカナダで撮った映画に惹かれるのは、町並みなどが自然に見える点。ハリウッドから出て撮影する場合、欧州、特に東欧が最近流行っていますが、身近で、英語も通じるカナダはアメリカに取ってもっと条件が良いわけです。
外国で撮影するというのは何も今に始まった事ではなく、セルジオ・レオーネの頃にもイタリアやスペインが大いに使われました。ストーリーのおもしろさでは軽くハリウッドを抜いてしまい、映画スターより格が落ちると見られるテレビ俳優や地元のイタリア人俳優でまかなった安物と言われていながら、アメリカ自身がそのスタイルを受け継いで作り始める、オスカー級の俳優も乗り出すなど、面目を保っていました。タランティーノもマカロニ・ウエスタンへの尊敬の念をキル・ビルで表明しています。かつて名作を次々と出したイタリアが、がらっとスタイルを変えて再生した時代の話です(最近停滞気味ですが、そのうちにまたしぶとく出て来るでしょう)。
ハリウッドがスタッフに労賃として大金を払い、そのため制作費が膨大になるのは、地元のためには良い事ですが、それが入場料に跳ね返って来たりすると、観客は離れかねません。それでやはりどこかでコストを下げなければという需要と、無茶苦茶なお金でなくても技術は提供しますという外国との間で話が合ってしまったのでしょう。ハンガリー、チェコなどが名乗りを挙げ、近年どんどん撮影が行なわれています。ドイツではポツダムという終戦の時有名になった町にスタジオがあります。ここは冷戦当時東に属していましたが、ベルリンからは目と鼻の先。東京から横浜と言うより、吉祥寺から新宿と言った方がいいぐらい手軽に行ける場所にあります。壁があった時でも西に滞在している人が東へ行って撮影ということが時々ありました。技術的に劣っているというような話は聞いたことがなく、新しい機械を導入してアメリカ映画の要求に耐えるだけの力はあるのではないかと思います。カナダがこれと同じような下請けをするというのはよく分かる話ですが、それに加えカナダ映画が欧州に進出してくるという副作用もあり、私は大いに喜んでいます。ファンタ関係では東欧からはまだそれほど積極的な参加はありませんが、今年のオープニングのような例外もあります。これをはずみに今後は常連になってもらいたいものです。
その進出して来たカナダですが、これまでは主として英語の作品でした。キューブにはビックリさせられたものです。そのナタリ監督はその後もサイファー、ナッシングと順調にレギュラーとしてファンタに参加しています。今度初めてフランコ・カナディアの作品を見ましたが、犯罪物、ミステリー系でなくオカルトでした。私はあまりオカルトは好きではなく、馬鹿ばかしいと思ってしまうのですが、この Sur le seuil は良くできています。
ケベックのスティーヴン・キングこと Patrick Senécal の同名小説の映画化。リメイクも決まったようですが、この作品の方がいいに決まっているという評を何度か聞きました。リメイクするならよほど工夫しないと、この作品の質より落ちる危険があります。
話は現代から始まります。町では突然殺人鬼と化した警察官に児童が10人も殺されたなどとセンセーショナルな報道がされています。同じ日ホラーのベストセラー作家トマ・ロイ(ロワ?)が壮絶な自殺を図りますが失敗して精神病院に収容されてしまいます。精神に異常を来たしているから入ったのか、あるいは自殺未遂患者は自動的にまず精神病院へという国のシステムなのかは分かりません。トマはしかし本当に精神面のケアが必要。それで2人の医師パウルとジャンヌが治療に当たります。ジャンヌはトマのファンだったので大喜び。金の卵を産む作家に死なれては困るので、エージェントも必死。ぜひとも治ってまた書いてもらいたいのです。トマの伝記を書きたいジャーナリスト、シャルルも寄って来ます。それぞれの思惑はありますが、皆秘密を解き明かしたいという点では意見が一致。本人だけが何も言いたくない、早く死にたいといった様子です。
当のトマはためらい傷などという生やさしいものではなく、もう絶対に書かないぞと決心して、ご丁寧に指を全部自分で切断してから飛び降り自殺を図っています(ドイツ語などでは指と言うと10本でなく8本をさすことがあります。親指は別な名前がついています)。ですから書けと言われてもその気はゼロ。わけを聞いても話してくれません。演出と演技が良くて、トマの俳優の本職がコメディアンだなどというのは全くばれません。その上オカルトというイメージは全然沸いて来ず、トマは犯罪に巻き込まれたのか、パラノイアになったのかという印象で話が進みます。そういう話ですと私も興味津々。
理性的に仕事をしようとする精神分析医の所に徐々に集まって来た情報を総合すると、トマが物語を書くと、その後そっくりの事件が起きるという展開になります。トマが事件に絡んでいるのかが焦点になって来ます。しかし時間的に見ると小説を書くのが先で、事件が起きるのが後。目が据わってしまい話を拒むトマを見ていると、書くのが恐くて指を切り落としたという解釈も成り立ちます。
ある日トマの入院先の病院を訪れた牧師を目にしたパウルは追いかけて田舎町へやって来ます。このあたりからは医者の領分を離れ、探偵になってしまいますが、そんな事は一向に構いません、ストーリーがおもしろければ。この白髪の牧師が過去の話をしてくれます。それがトマとどういう関係があるのか、そしてこの先どうなるのか、まだ話は半分ほど残っています。
このあたりから初めてオーメン風になり、オカルトとなるのですが、ファンタではホラーという触れ込みになっています。もう1つ監督が参考にしたらしい有名映画があるのですが、その名前を言うと、完全にネタバレになってしまうので、それは引っ込めておきます。新味は無いかも知れません。しかし、従来のオカルト映画の要素を上手に組み合わせ、犯罪映画風にカムフラージュし、最後まで上手に持たせています。
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