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ナッシング / Nothing

Vincenzo Natali

2003 Kanada 90 Min. 劇映画

出演者

David Hewlett
(Dave - 会社員)

Andrew Miller
(Andrew - 広所恐怖症の男)

Martin Roach
(デイヴの同僚)

Marie-Josée Croze
(デイヴの恋人)

Elana Shilling (性悪少女)

Soo Garay
(性悪少女の母親)

見た時期:2004年8月

2004年 ファンタ参加作品

昨年のファンタが終わってから比較的すぐ書いたのですが、その後10月末までファンタの記事が続き、この辺で気分転換と他の記事を入れていたので、出すのが今頃になりました。日本ではどうもまだ公開されていないようなので、手遅れではないと思います。去年のファンタの作品は特に有名でないものでも徐々に日本で公開されたりスケジュールが組まれたりしているようです。

こういう作品を何と呼ぶのでしょう。ファンタジーですか。私には普通のコメディーで始まって、どんどん脱線して行くように思えます。監督はスクリーン上で遊びまくっています。

これがあの恐ろしい SF キューブを作った監督の作品だというところが驚きです。キューブ 2 は他の監督が作ったそうで、見た人の話ですとキューブに 比べやや落ちるそうです。ま、ああいう凄い作品を持ち込まれると 2 を作る人は誰でも苦労します。その本人が去年ファンタに持ち込んだカンパニーマンはちょっと冴えませんでした。凄い作品を先に作ってしまうと、自分で自分の作品を追い越すのも難しくなります。カンパニーマンは別に悪い作品でなく、監督の趣味も生きていますが、インパクトに欠けます。キューブのインパクトが強過ぎました。軽視できないテーマを扱っているのですが、どうもスクリーン上に上手く描けなかったようです。

これが監督の3作目というわけではないのですが、ファンタに来て、私が見た3作目に当たる Nothing は、それまでの印象を全部覆し、全く違うジャンルに乗り込み、そこでハチャメチャに遊びまくっています。

普通のコメディーで始まります。男2人暮らし。アンドリューが家に居つき、もう1人のデイヴが外で積極的という、夫婦のような共同生活を長年送っていました。ウォルター・マッソーも演じていたように性格的にお互いを補い合うような男性のコンビというのがあります。それが長い間上手く行っていました。デイヴはヤッピーのような会社員、アンドリューは決して家を離れませんが、家でインターネットを使い旅行代理店を経営。

問題が起きたのはある日デイヴが「結婚する、家を出る」と言い出してから。アンドリューは1人では暮らせません。エリングのような面を持った男です。で、デイヴを一生懸命説得しますが、出て行ってしまいます。

ところが会社に行ってみるとデイヴは金の使い込み嫌疑を受けて首。婚約者の元に戻ると金の切れ目が縁の切れ目。しかも横領はこの女性がやっていたのです。結婚するつもりだったデイヴは意気消沈して元の家に戻ります。

アンドリューは広所恐怖症のため生活のかなりの部分をデイヴに依存したので、出て行かれて大変な目に遭います。ですからデイヴに去られた後絶望し、現在はカンカンに怒っています。そこへのこのこデイヴが戻って来てもまだおかんむり。

一生懸命デイヴをなだめたり喧嘩したりしながら、アンドリューは家を売ってよそへ行こうと提案します。この家というのが一見ドイツにも良くあるような古い素敵な煉瓦作りなのですが、カメラを引いて全体を映すとビックリ。高速道路の分岐点に立っていて、巾が狭く、高さは高速道路の上まで届くという代物。かなりの騒音のはずです。こんな場所にこんな家を放置しておいていいのかと思っていたら、やはり立ち退き問題が起きます。家は売っても金にならない上、即時立ち退きまで要求されます。その上デイヴが子供に邪険にしたら仕返しをされ、その子は母親に、アンドリューにいたずらされたと訴えるので、警察まで出て来ます。

四方八方から問題がやって来て、周囲を警察に囲まれ、発砲寸前。その時突然沈黙が訪れます。ふと気づくと家と2人だけ。あとは真っ白なトウフの世界。つまり Nothing。これが最初の20分ちょっとで、その後はファンタスティックな世界が展開します。

画面は明るく、話は分かり易く、俳優は必要なだけ目いっぱいオーバーアクティング。観客は先がどうなるのか全く予想のつかない世界に連れ込まれます。ナタリ監督は展開のおもしろさで持たせる作品を作り続けており、俳優の演技はあまり重要ではありません。

この世の絶望的な状況から守備良く逃げ出した2人が行き着いたのは何も無い世界。自分が維持したかった家と友達だけ。しかしその友達とは仲違い。で、1人は出て行こうとします。結局2人いないとだめだという事が分かるまでに長い時間がかかります。しかし監督は必ずしも友情の尊さを言いたがっているのではありません。

ドイツでは70年代、80年代と友人と部屋を分け合って共同生活をする人が非常に多かったです。そうやって生涯の親友を見つけた人もいますが、相手の弱点に思いやりも思慮もなく踏み込んで、人間関係を台無しにしてしまった人もいます。また一生の友情のつもりでいても、自分の方にガールフレンドやボーイフレンドができると、他の関係をあっさり切り捨ててしまうという例もあります。ナタリ監督はそれをこの短い時間に凝縮させ、視覚的にはおもしろおかしく楽しく描いて見せます。漫画チックでありながら、哲学的でもある、厚みのある作品に仕上がっています。

独創性を感じるのは画面からどんどん周囲を取り去ってしまい、最後は人間の体も一部だけになってしまう点。《この後どうなるんだろう》という興味で90分持たせています。ナタリ監督の才能は美術、キューブなど1つの作品をスパっときれいに決めること、予算を最大限カットすることだけでなく、次の作品に全く前と違うジャンルの作品を持ち込んで来るところにもあるようです。これを辺りが真っ暗な劇場で見ることができたのは幸いです。美的感覚の鋭い人にもお薦め。一見の価値あり。

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