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副題: 贅沢でない男の贅沢
2003 D 114 Min. 劇映画
出演者
Horst Krause
(Schultze - 西プロイセンの岩塩労働者)
Harald Warmbrunn
(Jürgen - シュルツェの同僚兼友達)
Karl Fred Muller
(Manfred - シュルツェの同僚兼友達)
Ursula Schucht
(ユルゲンの妻)
Hannelore Schubert
(マンフレッドの妻)
Wolfgang Boos
(ゲートの係員)
Leo Fischer
(音楽友の会の会長)
Loni Frank
(シュルツェの母親)
Elke Rümmler
(看護婦)
Rosemarie Deibel (Lorant)
Gunnar Schlafmann
(料理ショーのホスト)
Wilhelmine Horschig (Lisa)
Volker Rößiger
(牧師)
Kerry Christensen
(ヨーデル歌手)
Hans-Peter Rößiger
(医者)
Kirk Guidry
(Captain Kirk)
Anne V. Angelle
(Aretha - 船に住んでいる女性)
Danielle Krause (Shareen)
見た時期:2004年10月
ドイツ人とポップス、ブルース、ジャズというのは、レゲー、ラップに比べて相性が良くないようです。ドイツ人自身はビートルズの登場以来、何とかしてドイツ語をああいう明るく楽しい音楽に乗せようと努力して来ていますが、一部才能のあるソングライターを除き、まだ乗り切っていません。
ブルースとジャズはドイツでは何となくインテリ風の匂いがするので、愛好している人が多いですが、評判の割に肩に力が入り過ぎていて、アメリカ南部の人のように楽しみ、リラックスしながらやる音楽だとは考えていないようです。眉間に皺を寄せながら演奏する人、聞く人、両方ともテンションは入れているようですが、まじめ過ぎるかも知れません。
それに比べレゲー、ラップはある日彗星のようにベルリンの上空に現われ、ベルリンの若者があっという間に自分の物にしてしまった感があります。ハンブルク、シュトゥットガルトでも同じような現象が起きています。
さて、私はタイトルにブルースとある上、主人公が中年の東ドイツ人だというのですっかり好奇心にかられ、見に行ってしまいました。ところが何分待っても、そして結局は2時間近く待っても、ブルースのブの字も見えませんでした。代わりに聞こえて来たのはへんてこりんなヨーデル、ドイツ人が大好きなポルカ、アメリカ人が南部で演奏するブルースとはかなり違う音楽。してやられたのです。ブルースというのは何も音楽だけを意味しているわけではなかったのです。
うたむらさんに何かおもしろい報告ができるかとも期待しながら映画館に入ったのですが、全くの当て外れ。ところが作品見終わって非常に満足。心の平和を得たような気がしました。
あまり地味な作品なので日本では普通の映画館には行かないかも知れません。それにドイツの習慣や風土を知らないと分かりにくい点もあるかも知れません。ですからこの先を読むの敢えて止めません。見る機会のありそうな人は退散して下さい。
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のっけのシーン: 主人公のシュルツェは50歳ぐらいになったところで平均よりやや早く、友達と3人で年金生活に入りました。(シュルツェというのはドイツでは山田さん、佐藤さんぐらい頻繁にある名前です。脚本を書いた人はもしかしたらシュルツェという名前をつけて、「主人公は当たり前の普通の男だ」と言いたかったのかも知れません。)特定の健康を害しやすい職業では、早期の引退が許されています。シュルツェは塩山で働いていました。仕事最後の日、電気スタンドにした岩塩の塊を記念に贈られ、仲間が合唱してくれました。それが長い長い職業生活の最後。これからは会社の入り口で、自転車のベルを鳴らして《遮断機を上げろ》と催促することも無くなります。
定年というのはあっけないものです。私は会社がプレゼントしてくれたスタンドと同じ物をデパートで見ましたが、安い物です。2000円程度。スーパーでも売っています。
仲間といつも連れ立っていたので、引退後も一緒に行動しますが、3人の一致した意見は、《する事が何も無い》です。一緒にビールを飲みに行く、釣りに行く、チェスをやりに行く、それだけ。木更津キャッツ・アイが年を取るとこういう風になるんだろうか、どうせ若い頃から「ビールっ、ビールっ」と言っていたんだろうなあという3人。
若い頃からずっと一緒だったのにまだ家に招いたことが1度も無かったことに気づき、シュルツェは「料理をするから」と、仲間を家に呼びます。料理なんぞはしたことが無かったので、テレビを見て、言われた通りに作ってみます。テレビは《…の後…分間そのままにして煮る》と説明しています。シュルツェがこっそり鍋の蓋を空けようとすると《私は「そのままにして煮る」と言ったぞ!》とテレビに怒られてしいます。
シュルツェは親の代からアコーディオンを趣味にしていたので、仕事をしている間も音楽愛好会に入っていました。それで引退後も集まりがあるとアコーディオンを弾いていました。曲はドイツ人が大好きなポルカ。
ところがある日ラジオからポルカとはちょっと違う音楽が聞こえて来ました。なんだか楽しくなって《これなら俺も弾けるぞ》と試してみます。弾ける、弾ける、俺にも弾ける!感激の一瞬です。
気を良くして、次の会で弾いて見ますが、観客には受けません。他の催しで弾いてみても受けない。でもシュルツェはこの曲でうきうきしてしまうのです。これがアメリカの南部ルイジアナの曲だということがだんだん分かって来ます。
シュルツェは旅行会社が大安売りをしていたの見つけ、お金をためてアメリカに行ってみようと思いつきます。ところがせっかくアルバイトをしてお金をためたのに、次に行ってみると、また定価に戻っていました。これでアメリカ行きの夢はパー。
音楽の会は結成50年。シュルツェの年と同じぐらい古いです。記念にドイツから代表をアメリカはテキサスに住むドイツ人会に送ろうということになります。選ばれたのがシュルツェ。で、2人の友達ユルゲンとマンフレッドに送られて、出発。着いた先の(ドイツ系?)アメリカ人はポルカやヨーデルを聞きたがり、シュルツが新しく覚えた曲はチャンスが無い様子。あきらめてその地を離れるシュルツェ。向かう先はルイジアナ。
シュルツェの年齢は50歳前後。現在の話となっています。ドイツ統一は1989年末。ですから彼は人生の重要な部分をほとんど東ドイツで過ごしています。東ドイツでは当時国内でもあまり自由に移動はできず、自家用車を買いたくても順番待ち。外国旅行は東側の国に制限されていました。西側に出られるのは、外交官、芸術家、スポーツ選手、文化交流に参加する劇場関係者などごく一部でした。ですから一介の労働者シュルツェに取ってアメリカというのは西側で育った私たちとは全く違う意味を持っています。最初は資本主義の敵国というイメージで育っている、しかもベルリンなどの国際都市ではない場所で育ったシュルツェにとっては途方も無く遠い国です。それなのに、一旦アメリカという国に上陸してからのシュルツェは躊躇うこと無く、どんどん自分の夢を実現して行きます。その様子を監督は静かなトーンで描いて行きます。
ふとしたきっかけでシュルツェは川辺でその辺に放り出してあった小船を見つけます。1人で修理して出発。特にあてがあるわけではありません。でも大きな川が目の前にあって、自分には船がある。走ってみたくなるのは自然の成り行き。行った先々で親切な人に助けられながら、シュルツェはある日聞き慣れたメロディーに出会います。《ラジオから聞こえて来たのはこの音楽だったんだ!》
それはケイジャンの音楽で、ルイジアナの南西部に残っているそうです。うたむらさんが詳しいかも知れませんが、ちょっと調べてみたところによると、フランス、アイルランド、アフリカ、クレオールなどを源流とした音楽で、フィドルやアコーディオン(シュルツェ!)が使われます。どんどんいろんな物を取り入れているうちにカントリー&ウエスタン、ブルース、R&Bの要素も入ったそうです。ですからタイトルが《ブルース》となるのも一理ありますが、シュルツェが演奏しているのはカントリー&ウエスタンのフレーバーの方が強く、あまり現代の人が考えているブルースという雰囲気ではありません。どちらかと言えば Herr Lehmann の英語のタイトルが Berlin Blues となっているように、音楽よりストーリーをブルースと解釈したようにも思えます。
喉が乾いて船の住宅に住んでいる女性に水を分けてもらったら、「食事をしていけ」と言われます。一緒にダンス・パーティーにも出かけます。あの音楽で踊ります。船の上で休みます。これで彼の一生は終わってしまいます。どうやら肺癌だった様子。
というだけの話です。私は悲しむべきなんでしょうか、喜ぶべきなんでしょうか。仏教的な考えをする人は喜ぶかも知れません。これは長い間真面目に働いた、贅沢をしたことのない、実直な男の話です。一生に一度夢がかなった、その頂点で一生を終えた男、壁が開くまで国の方針に従って実直に働いていた男、壁が開いても国境からは遠い所に住んでいて、それほど大きく生活は変わらなかった男、幸い会社はつぶれず、定年まで働けた男です。母親は年を取り、ホームの世話に。痴呆が始まっているのか、普通の話はできなくなっています。兄弟、配偶者はいません。趣味はアコーディオンだけ。何もかも自分でやり、誰の世話にもなっていません。友達はよくしゃべりますが、シュルツェは始終無言。感情の起伏も激しくありません。
その彼がはじめて味わった感動があの楽しい、ポルカでない音楽だったのです。私は別にポルカに反対はしませんが、シュルツェは一生ポルカしか演奏できずに終わってしまうところ、最後にこれまでとは違う音楽に触れ、心がうきうきしたのです。あとはもうその曲に向かって一直線。はるばるアメリカ南部まで来てしまいます。
具体的にどの程度悪化していたかを分かっていたのかは不明ですが、肺癌ではないかとは自分でも察していた様子。それも思い切ってアメリカへ行かせるきっかけになったのかも知れません。旧東ドイツの出身でこの年齢だと、ロシア語は分かるかも知れませんが英語はからっきしだめ。それでも身振り手振りで言葉が通じ、心が通じます。
ドイツ生活が長いので、船が泥に乗り上げて動きが取れなくなっていた時に海上警察が近寄って来たシーンでは何かいちゃもんをつけられ、「身分証明書、免許証を見せて下さい」とやられるかとはらはらしました。しかしそうではありませんでした。綱で引っ張って助けてくれます。食事をご馳走してくれる女性も警戒心など抱かず、すぐ家に通してくれます。ダンスホールで知り合った女性が消えたので、嫌われたかと思って出て行ったのですが、その女性は飲み物を2人分持って戻って来たのです。
こういう風にシュルツェは次々人の親切に出会います。私は70年代に初めて1人で欧州ににトランク1つでやって来た時の事を思い出しました。外国に出たのはこれが初めて。私はフランス語は今でもだめ。英語は学校で習っただけ。ドイツ語もまだ使い物にならないといった状態でした。それでも色々な人が1回ずつ助けてくれ、そのリレーでベルリンにたどり着くことができました。まだ時代が良かったのだと言えるのかも知れません。あるいは怪しそうな人は本能的に避けていたのかも知れません。
シュルツェはドイツにいた時と同じで、普段はほとんど誰とも話さず、黙々と自分の目的に向かって動きます。ドイツにいた時は、《朝岩塩の採掘場に行き、夜仲間と一時ビールを飲み、帰宅、眠る》これが毎日を生きる目的。アメリカに来てからは途方も無く大きな土地で、どこへ行ったら良いのかはっきり分からない中、少しずつ移動します。彼の目はこれまで見たこともない自然を頭にしまい込み、子供のような純真な感激を次々と味わって行きます。
後になって考えてみると、結局映画にするようなドラマは何も起こっていません。まるで平凡な男のドキュメンタリー映画のようなものです。事故も無し、喧嘩も無し、事件も無し。普通に死ぬ人は死に、生きる人は生き続けます。観客はザクセン・アンハルトの景色とルイジアナの景色をゆっくり見ながらシュルツェと共に移動して行きます。
ドイツに慣れていない人はザクセン・アンハルトのシーンを見て、荒涼とした場所だ、寒々としているなどという印象を持つかも知れません。私も20年前ですときっとそういう風に感じたでしょう。しかし滞在24年目になると、故郷のような気分になります。私は主としてベルリンに住んでいますが、時たま田舎にも行きます。ザクセン・アンハルトというのはわりと南の方なのですが、映画に出たシーンは北ドイツと似た景色でした。こういう何にも無い野原、鉄橋、川などは今では私に落ち着いた気分を与えてくれます。私もあそこ歩いてみたいという気分になるのです。ドイツは散歩をするのに良い場所がそこいら中にあります。散歩をしている間何も起きないのですが、それでも退屈しません。この何も起きないというのが北ドイツの特色なのですが、どうやらザクセン・アンハルトも同じようです。
そこで50年近く静かに目立たず暮らしていた男がある日思い立ってアメリカまで行く、これはある種のミッドライフ・クライシスなのでしょうが、普通と逆で、彼はスランプに陥るのではなく積極的になるのです。自分に残された時間がもう僅からだらというあせりは見えません。マイペース。
結局親切にされた船の家で彼は眠るようにして亡くなるのですが、故郷の葬式のシーンがいいです。船の家の黒人の女性と娘がドイツまで来て、シュルツェの灰を届けます。葬儀の最後はブラスバンドが音楽を。《これはアメリカ南部のしきたりではなかったか?》とふと思いました。アメリカでは黒人が現世で苦しい生活をするので、死んだら救われると考え、見送る時に陽気な音楽を演奏します。シュルツェの人生は、差別をされたとかいう苦しさはありませんが、定年になってみて、何もできなかった、何も残っていない、空っぽだったような気がしたのです。ところが最後の数ヶ月にやりたい事をやり遂げて死んだのです。友人たちもですからそれほど悲しそうではなく、どちらかと言えばシュルツェのために良かったと考えているような感じです。シュルツェから送られてくる絵葉書をドイツに残った2人は眺めて、あいつは元気だろうかと思いをはせるシーンもあります。満足している雰囲気がこれまでのドイツ映画と違います。
この作品も間もなくご紹介するアグネスと彼の兄弟と同じく補助金が色々出ています。その上、アクションもドラマも無い作品なので、本来ですと作る側が無理やり作って、観客はまたかという気分で見せられるようなタイプの作品はずでした。ところが監督が取ったスタイルは全然違います。デトレフ・ブックと似た間の取り方で、《喋り続けて出すおかしさ》でなく、《何も言わないで出すおかしさ》を効果的に使っています。監督が何を言いたいかというのは最初の1こまを撮影する前に出来上がっていた様子。観客にはストレートに伝わって来ます。
演技はドキュメンタリーかと思わせるほど自然で、隣近所のおじさんたちが普段裏庭でしゃべっているのと同じトーン。脚本無しで、その辺の会話を録音して集めたのかと思わせるようなスタイルです。ですからいつ誰が口を開くか全く予想がつきません。有名なスターを集めて作ったアグネスと彼の兄弟はその反対です。あちらはここで夫がこう言うと、妻がああ言って、という風にかっちり組み合わせとタイミングが出来上がっていて、人工的な感じがします。
最近ドイツ映画では愉快な物、楽しめる物もできていると時々書いていますが、シュルツェ、ブルースへの旅発ちは一見、ちょっと前の《新しいドイツ映画》というカテゴリーに入る作風に見えます。観客の事など頓着せず自己中心的な作り方で、客に《これを見て感心しろ》と強います。ところが実際にシュルツェ、ブルースへの旅発ちを見ていると、監督は観客が物語に快く入っていけるよう気配りしています。それでいて迎合はせず、言いたい事、見せたい物はきっちり入っています。
シュルツェはある意味では孤独な、贅沢には全く縁の無い、人生の喜びを知らない人間です。しかしそれを愚痴ったりせず、淡々と生きて来ました。別な考え方をすると、世の中が天地がひっくり返るぐらい変化したのに、平静を保ち、身近には長年一緒に仕事をした仲間がいる、自分を1人で放り出したりしない仲間、自分にアメリカ旅行をプレゼントしてくれる会の人間もいる・・・といった具合です。無理にハッピーエンドに持ち込む、何かおとしまいをつけるという手法ではありませんが、幸せと不幸にバランスを取ってあり、考えようによって観客はシュルツェに同情するか、良かったと感じるか、選べるようになっています。
こういう作品だったら補助金どんどんあげてしまおう。
ドキュメンタリーのように淡々とシュルツェを演じたホルスト・クラウゼはドイツでは評価の高い俳優で、私も1本前に見ています。あれもロードムービーで最後どこへ行き着くか分からないコメディー・タッチのストーリーでした。あの時の兄ちゃんという雰囲気からおっさんという風になっています。それに連れお腹もかなり出っ張っています。やはり木更津のように私生活で「ビールっ、ビールっ」とやっていたんでしょうね。
あまり地味なので興行収入がどうなるかというのが心配ですが、欧州では監督も高い評価を受けたので、この監督に次の企画が来る可能性は大。クラウゼはキャリアの長い人で、またもや成功したので、当分おまんまの」食い上げということは無いでしょう。
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