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元祖(?)極限まで切れる男 - マイケル・ダグラス
1993 F/USA 113 Min. 劇映画
出演者
Michael Douglas
(William Foster - 兵器会社に勤めていたサラリーマン)
Barbara Hershey
(Elizabeth Travino - フォスターの離婚した妻)
Joey Hope Singer
(Adele Foster Travino - フォスターとエリザベスの娘)
Lois Smith
(フォスターの母親)
Robert Duvall
(Martin Prendergast - 泥棒担当の刑事)
Tuesday Weld
(Amanda Prendergast - マーチンの妻)
Rachel Ticotin
(Sandra - マーチンの同僚)
Michael Paul Chan
(Lee - 日本語をしゃべっていたけれど、韓国人の雑貨屋)
Agustin Rodriguez
(町のチンピラ)
Eddie Frias
(町のチンピラ)
Pat Romano
(町のチンピラ)
Julian Scott Urena
(町のチンピラ)
Karina Arroyave
(チンピラのガールフレンド、目撃証人)
Irene Olga López
(アンジーの母親)
Frederic Forrest (払い下げ軍用品ショップの店主)
見た時期:2005年7月
犯人は最初から紹介されています。結末はばらしていません。
実はユーモラスな作品なのですが、ダグラスの熱演が過ぎて、ユーモアに気付く余裕が出ません。家に帰って紅茶を飲んで休憩してから初めて「あれは実はジョークのつもりだったのか?」と、第2の解釈を思いついた次第。
ポスターを見ただけで尋常ではないと分かるのですが、その辺のスリラーやホラー映画よりずっと恐かったです。究極の恐さは日常性から出て来るのだと改めて認識しました。効果抜群の描写で、10年以上たった現在でも十分恐いです。
後になって考えると主人公ビルは尋常ではなかったと考えることもできるのですが、最初はごく普通のサラリーマンという印象以外の何もありません。ちょっと保守的で、古めかしい男、きっと几帳面なのだろうと思わせますが、その辺のおっさんで、これといって異常な所は見えません。「普通の役を演じる方がエキセントリックな役を演じるより難しい」と私はよく言いますが、マイケル・ダグラスは冒頭この平凡なおっさんの印象を良く出しています。1本の映画の中で、普通に見えるところから尋常でないシーンまでを継ぎ目無く演じるのは難しいだろうと思うので、ダグラスの演技力には感心しています。もしかしてお父さんカークより上手なのではと思いました。
フォーリング・ダウンは3年後に出たロバート・デニーロのファンと対比できる作品だと思いますが、ダグラスの方が圧倒的な存在感があり、楽勝しています。まず服装、髪型、眼鏡だけでどういうタイプの男かを表現。几帳面で、やや古臭いタイプということがそれだけで分かります。ハイウェイではしきりに「家に帰る」と言っているので、家庭を持った父親という印象。暑い日に渋滞に巻き込まれ予定の時間に帰れないのでややいらついているという印象を与えます。
付近の他のドライバーの態度や、車の中に入ってきた蝿に堪忍袋の緒が切れ、ついに車を放り出して徒歩で家に向かい始めます。途中家に電話をすべく両替を試みますが、店の男に「買い物をしないとだめ」と言われてさらにいらつきます。コーラ1缶が58セント。そのおつりでは電話がかけられないことに怒って、店主に殴りかかります。無理に50セントにまけさせ店を出ます。しかし店は彼のせいでムチャクチャに破壊され、店主が自衛のために持っていたバットを奪って行きます。
この男は映画の中では韓国人ということになっているのですが、ドイツ語の吹き替えでは日本語を一言二言しゃべっていました。事情聴取をする刑事の1人が日本人で、「自分は韓国語が分からない」という台詞まであり、日本滞在が長くて日本語を理解する韓国人という解釈も成立しません。吹き替えのずさんさにちょっと呆れました。
さて、ここから後は特別なストーリーがあるわけではなく、一種のロードムービーになって行きます。車を乗り捨てた現場から娘が誕生パーティーをやる家までの道のりを徒歩で進み、行く先に気に入らない事があると、相手を襲ったり殺したりして歩きます。ドイツ人はマレー語から取った《アモック》という言葉をよく使うのですが、まさにそれがダグラスの行動。何かの理由で完全に頭に来て、一種のヒステリー状態で極端な凶暴性を発揮することを言います。日本で最近《切れる》というのがこれです。ダグラスの映画の印象がよほど強かったのでしょうか、《アモック》という言葉を聞くと、ダグラスが銃を持った姿を思い出す人が多いです。
韓国人の店主が警察に届けたので、今日退職することになっている泥棒係りの刑事マーチンに話が伝わります。ロサンジェルス警察は24時間事件だらけで忙しく、1つの事件に長く関わっていることはできません。実はマーチンはハイウェイでチラッとビルを見かけているのですが、この時はまだその男だとは全然気付きません。観客だけが知っている・・・。
そうこうする間にビルはラテン系のチンピラとトラブルになり、相手をバットで殴り倒してしまいます。その時ついでにフェイス/オフに出て来たような危険なナイフを奪います。チンピラは頭に来ているので、町で電話をしているビルを見つけ機関銃で撃って来ます。ところがなぜかビルだけには当たらず、乗っていた車は事故を起こし、逆にビルにやられてしまいます。とばっちりを食った一般市民からは死者や重傷者が出ます。
ビルは「家に帰る」と言っているのですが、様子が変。妻と娘というのは離婚した元妻と娘だったのです。元妻エリザベスはビルに来てもらいたくない様子。
ファーストフードの店でも一悶着。朝食サービスが終わった時間に来て、昼食を薦められカッとして銃を出します。軍払い下げの品を売る店では警察が来た時匿ってもらっていながら、店主といざこざを起こし、殺してしまいます。
殺人傷害のはしごを続けるビルを、警察の方ではマジで追い始め、マーチンは犯人が特定のルートを徒歩で進んでいることに気付きます。コーラに几帳面に50セント支払い、ファーストフードにも金を支払っているなど、普通ロサンジェルスで見聞きする泥棒とは全然態度が違うことにも気付きます。妻から早く家に戻れとしつこく催促される中、マーチンは聞き込みを続けビルの母親の家を突き止めます。そこで分かったのはビルが普通の男性と違い非常に几帳面なこと、離婚の原因として母親の名前が出たことなど。
ビルの方は貧民街から高級住宅地に移動。そこでも人を脅したり、不法侵入をしたりします。やがてエリザベスの住む家へ。電話がかかった時機転を利かせ、エリザベスは娘を家から連れ出すのに成功しますが、ビルは追って来ます。ついに見付かってしまいます。
そこへビルの行き先に見当をつけたマーチンが同僚のサンドラを伴って現われますが、サンドラは凶弾に倒れます。退職するというのでもう銃を署に返していたマーチンは、サンドラの銃を借りて犯人を追います。ここから後マーチンは話術で勝負。巧みにおびえるエリザベスに助けが来ていることを知らせながら、ビルと話を続けます。一種の交渉人の才能があり、ついにエリザベスと娘をビルから遠ざけることに成功。エリザベスも機転を利かせ、ビルが地面に置いた銃を遠い所まで蹴飛ばします。
しかしビルは2つ目の銃も持っていました。マーチンとの一騎打ち。最後の最後まで息をつく間もない緊張感が続きます。
前半のダグラスがかもし出すテンションは注意深く温和な性格のマーチンが後半長時間登場するので、和らぎますが、それがないとしんどくて見ていられません。普段はハッピーエンドを嫌がる私ですが、この緊張の後ではハッピーエンドにでもしてもらわないと、家に帰る元気もなくなりそうです。
とにかくダグラスの気合が凄いです。オスカーに値するぐらいの演技力(&迫力)ですが、この作品では賞らしい物はほとんど取っていません。映画の中に次々と社会批判のメッセージが出されるので嫌われたのかも知れません。元兵器会社勤務のサラリーマン、離婚して子供に会えない父親、町がこんなに荒れてしまうまで放って置いた市政府、武器を野放しにしている法律、バズーカの使い方を知っている子供、ファーストフードの店で売っている物、1つの事件にきちんと関わっていられない警察署、自分ばかり楽しい思いをしながら高級な場所に住んでいる金持ち等など、社会360度に八つ当たりしているかのように、文句を言い放し。スポンサーからはさぞかし嫌われただろうと思います。そのためでしょうか、資金はフランスから調達したようです。
上映時間のほとんどで切れてしまうダグラスと、周囲の人と上手くやって行ける温和な性格のデュバルを対照的に描いています。この緊張する2時間弱の間にデュバルも2回ほど切れてしまいます。注意深く見ると、デュバルの方は《切れる》という言い方をしてかまいません。しつこく何かを言われていて、堪忍袋の緒が切れて、爆発という順序です。しかしダグラスの方は映画を見終わってもう1度考えてみると、冒頭からもう病気だったようなのです。自分が離婚した身だという事を理解していません。デニーロのファンとそっくりです。離婚の原因はビルの性格。まだ家族が一緒だった頃すでに子供が嫌がっているのに激しい調子で何かを無理強いしたりしています。元妻は今でこそ恐れてピリピリしていますが、本来はゆったりした性格らしいのです。彼女の家はそれほどきちんと片付いていません。ビルの家は対照的。「男は普通ああまできちんと片付けない」とドイツ人の男性が言っていました。
それを聞いて20年以上前の同居人を思い出してしまいました。アパートをその人から借りていたのですが、当時私の周囲にいた数人の男性が「すぐ引っ越せ、危険だ」とのたまわったのです。当時私はアパート探しに非常に苦労していて、やっときちんとした安価な部屋を見つけたと思っていたので、引っ越す気は全くありませんでした。ところが職業も私との付き合い方も違う数人の男性が「引越しを手伝うからとにかく出ろ」とのたわまったのです。それでしぶしぶ私は友人と話をつけて、ある人が借りている学生寮の部屋をまた貸ししてもらいました。おかげで半ホームレス状態に逆戻り。私にはきれいに片付いたチリ1つ無い大きな部屋を借りることができたので運がいいと映ったのですが、友人たちの目にはこれがまさに危険だと映ったのです。1人は心理学を専門にしている人でした。そうやって私をまた宿無しにしておいて、自分の所へでも引っ越して来いと言うつもりなんだろう、とかんぐっていたのですが、そういうアンフェア−な話ではありませんでした。なぜ家主に会わず、私の部屋の様子を見たり、聞いたりしただけでこうもはっきり結論を出すのだろうと不思議に思っていたのですが、こういうキャラクターはドイツでは危険信号と見なされていたのです。知らなかった!
結局そのアパートには契約の最低期間しかいませんでした。詳しく説明はしませんが、友人一同が心配している方向に解釈できないこともない気味の悪い事が起きています。もしかしたら私は爆発前に緊急避難できていたのかも知れません。しかし、まあこのアパートを早々に退散したおかげで色々な友人に助けられ、友情の方は恵まれていました。1年か2年経って、その人と道で出くわしたのですが、その時の変わりようもまた極端でした。太陽のような笑顔。ドイツ人はきれい好きが多く、それはいい性格だと思うのですが、どうもドイツ人にははっきり分かる《限度》というのがあるようです。ダグラスが演じたのはまさにその限度の向こう側に行ってしまった人。
今では幸せな結婚をし、マイペースで仕事にいそしむダグラス。親子関係にも平和な決着がついたようで、四方八方丸く収まった人ですが、心理的に問題のある人物を迫真の演技で演じ、切れる分野で名を上げた作品です。彼の偉い所はそれだけに留まらず、その自分をパロディーにしてみたり、この主人公と全く逆のだらしない男を演じてもさまになる点です。
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