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2005 USA 124 Min. 劇映画
出演者
Bruce Willis
(John Hartigan - 明日定年退職予定の刑事、少女を助けようとする)
Makenzie Vega
(Nancy Callahan、子供時代)
Jessica Alba
(Nancy Callahan - ハーティガンが救おうとした少女、19歳)
Powers Boothe
(Roark - 上院議員、町の有力者)
Nick Stahl
(Roark Jr. - 刑事に大怪我させられたロークの息子、変態悪漢)
Michael Madsen
(Bob - 悪徳警官)
Mickey Rourke
(Marv - ストリップ・バーの客、ゴールディーの復讐を誓う)
Jaime King
(Goldie - 売春婦、Wendy - ゴールディーの双子の姉)
Elijah Wood
(Kevin - 変態青年)
Clive Owen
(Dwight - シェリーを助けようとする男)
Brittany Murphy
(Shellie - ストリップバーのウエイトレス)
Benicio Del Toro
(Jackie Boy - 悪徳警官、シェリーにつきまとう)
Rutger Hauer
(Cardinal Roark)
Josh Hartnett
(殺しが趣味の男)
Rosario Dawson
(Gail - 赤線地区の元締め)
Alexis Bledel
(Becky - 売春婦、新顔)
Devon Aoki
(Miho - 売春婦、刀、手裏剣の使い手)
Michael Clarke Duncan
(Manute - 悪漢の元締め)
見た時期:2005年8月
2005年ファンタ参加作品(ベルリンは一般公開が先だったため除外)
その後聞いた話。
馬鹿社長さんも間もなく見るというシン・シティー。ドイツでは短命かと言われ慌てて映画館に飛んで行きましたが、ファンタ後10月に入ってもまだ上映している館があり、思ったほど短期間には消えなかったようです。
映画を見た時点、記事を書いた時点ではまだよく知らなかったのですが、その後いくつかおもしろい話を耳にしました。
まずこれはいわゆるハリウッド映画ではなかったのです。制作されたのはテキサス州オースティンにあるロドリゲスの自宅。ガレージに買い込んだコンピューターをズラズラ並べ、近所にホールを借りて撮影してはすぐ編集。あれだけのスターを使って手作り映画を作ってしまったそうです。これはシン・シティーだけのためにやった事ではないらしく、スパイ・キッズの特殊撮影の部分もここで撮ったらしいです。
この程度で驚いては行けないそうで、それよりも何よりもどうやってあの《ノーと言えるフランク・ミラー》に《イエス》と言わせたか。このエピソードがおもしろかったです。
これまでに多少映画界に関係したこともあったフランク・ミラーはその成果に大いに失望し、今後は映画界には顔を突っ込まないぞ、とまで考えたかどうかは分かりませんが、少なくとも《俺の大事なシン・シティーだけは渡さないぞ》と固く決心していたと見え、ハリウッドから何度声がかかっても《ノー》としか言わなかったそうです。
そこへ登場したのがヘル・ボーイのギレルモ・デル・トロに負けるとも劣らない漫画オタクのロベルト・ロドリゲス。自分が好きなものだから当然原作をめちゃめちゃにしてしまおうなどとは考えておらず、どうやって原作に忠実に再現するかが彼の課題。
ミラーに連絡を入れたらつれない返事だったので、ある提案をしたそうです。「テスト版を作るからそこに立ち会え。仕上がりに不満だったらその世界に1本しかないテスト版を持って家に帰っていい」というのが条件。興味をそそられたミラー登場。ハリウッドでなくオースティンだったから目立たなかったのでしょうか、いずれにしろ2人は、ジョシュ・ハーネットを呼んで来て赤いドレスの女性のシーンをたった1日で仕上げてしまったそうです。ロドリゲスはミラーの絵を参照し、光の具合、ポジションなどを厳密に再現。その出来にえらく感心したミラーは OK を出したそうです。建速須佐之男命の悪さに呆れて天岩戸に引き篭った天照大神に岩戸の外へ戻ってもらう苦労に比べるとあっさり行ったようです。鏡を使って上手く天照大神をおびき出したのが神々。ミラーをうまくオースティンにおびき出したのがロドリゲス。まさかロドリゲス、洒落のつもりだったわけではないでしょうが。(この駄洒落、日本語でしか通用しません。恐らくフランク・ミラーの《ミラー》はドイツ語の《粉屋さん》あたりが語源。多分《鏡》とは無関係。)
普通エゴの固まりの監督業ではスタジオで命令を出すのは《俺1人》と考えるものなのですが、ロドリゲスはそういう人ではなかったらしく、ミラーを監督として自分の隣に据えることを決めてしまいます。するとこれは何かの規則に反するらしく、監督組合から脱退することになったそうです。しかしまあ監督という地位にあこがれる人ではなく、映画を作ることにあこがれる人だったので、本人にはあまり問題ではなかった様子。《俺1人》は元々嫌だったのでしょう。ついでにタランティーノを呼んで来て、彼にも一部監督を任せています。それでいてストーリーがばらばらに見えなかったのは、2人の相性の良さでもあり、また映画1作に漫画の3つの話が絡んでいたため、分けやすかったのかも知れません。どうやらタランティーノはクライブ・オーエンとベニシロ・デル・トロのシーンに関わったようなのですが、これは確認が取れていません。
いずれ出る DVD の方ですが、ただのエクストラではなく、劇場公開版では混ざっていた3つの物語をきっちり分けて、長くして出すという話も耳にしました。伝聞なので実際にどうなるか分かりませんが、DVD は劇場用よりもっと凝った物になることだけは間違いないようです。
2005年のファンタの前半、南部の町では参加、後半北部は一般公開の時期と重なったため、ファンタからは除かれた作品です。私はファンタ開催直前に珍しく正規の料金を払って見ました。くじ運は良い方。同じ時期に一般公開の初日の券に当たった作品があったのですが、なんと2003年のファンタのフィナーレだったヒラリー・スゥオンクの11:14。もう見ていたのでこの券は知り合いに譲りました。
シン・シティの予告編を何度も見ていたので、画面に工夫のある作品だということは最初から分かっていました。こういうのは暗い映画館の大スクリーンで見るのがいいと分かっていました。ファンタ開催直前に、「この作品は短期間で映画館から消えそうだ」という噂。それで飛んで行った次第です。
恐らくは名作に数えられるようになるでしょうが、女性に取ってはちょっときつい作品でもあります。後半に入るとなぜ前半がこうなのか少し納得が行きますが、もろ手を挙げてこういう表現に賛成はしたくありませんし、18歳になる前、特に子供時代にこういう作品を見てしまうと、見た子はこういうのが社会の規則なんだ(ある程度現実を反映していますが)、これでいいんだ(いいはずないでしょう)、という考え方にはまってしまう可能性もあります。成人映画に指定されたのは当然の結論だと思います。成人の判断力ができ上がっていれば、《これは漫画、エンターテイメントなんだ》という認識があります。そうなると、おもしろい映画だということになります。監督はしっかり意識してポリティカリー・インコレクトなシーンをテンコ盛りしています。「女性に取ってきつい」と言いましたが、若い女優がバンバン殴られ、そのたびに私まで顎のあたりが痛むような気がしました。
自主規制団体などが成人映画に指定した理由はもしかしたらセックス表現ではなく別な所にあったのかも知れません。ドイツでは暴力が大手を振って表現されるとクレームがつくことが多いです。この映画では女性は胸出しっぱなし、お尻丸見えなのですがそれはさほど問題ではなかったのかも知れません。アメリカでは逆にセックス表現があからさまだとクレームがつきます。要するにシン・シティーはどちらの国に持って行ってもクレームがつくようにできています。ですからファンタでもないとノーカットで見るのは難しいかも知れません。ところが残念ながらベルリンのファンタはシン・シティーをはずしてしまったのです。開催日より前に一般公開になっていたので仕方ありません。で、私は一般公開、ドイツ語バージョンで見ました。ですから何か欠けているかも知れません。
漫画の映画化なのですが、私と漫画というのは傾いた関係にあり、大ファンというのでは絶対ありません。漫画を見る件数が非常に少ない上、見た作品については注文のうるさい人間。アニメも「絶対見ない」という風に斬り捨てたりはしませんが、「良い作品を厳選したい」というモットー(最近は良い作品が増えたという印象を持っています)。原作が漫画、俳優を使っての映画化となるとこれまでは失望の連続でした。原作を見ず、映画化した作品だけを見た場合が多いので、この辺りは本当の漫画ファンが映画化した作品を見て何か言うのとは全然違い、私の意見はもっぱら映画だけを対象にしています。その辺は先にお断わりしておかないとフェアではありません。
と、あれこれ言った後で考えるにヘルボーイとシン・シティーがいいなあというのが現在までの結論。見た順番もこれで良かったです。ヘルボーイは大好きな俳優が堂々の主演だったのでうれしかったのですが、先にシン・シティーを見ているとやや色褪せて見えます。そのぐらいシン・シティーには気合が入っています。デル・トロ監督も原作に惚れ込んで作者を担ぎ出していますが、ロドリゲス監督も同じ戦法。そういう話を後から聞くと、これが私に気に入られるための正しい戦術なのかという気がします。監督が2人ともスペイン語系の人だというのは偶然の一致なのでしょうか、それともスペイン語を操る人は漫画に対するフィーリングが繊細なのでしょうか。とにかく2人はこの戦術で成功しています。
ロドリゲスがタランティーノと仲がいいのは昔から知られている話。タランティーノばかりが大出世してしまった感がありますが、ロドリゲスの仕事を見に来たタランティーノと意気投合してしまい、タランティーノまで監督してしまっています。3人で監督した作品だそうで、誰がどこを担当したか興味深々ですが、3人ばらばらではありません。フォールームズは元からはっきりしたオムニバス形式でしたが4人ばらばらという感がぬぐえませんでした。ホテル内の出来事だという以外は共通点がありませんでした。それに比べシン・シティーは章によって雰囲気に違いがありますが、中心人物がガラっと入れ替わるので、違和感が出ません。どの主人公もベーシン・シティーという町で起きた出来事に深く関わっているため、その要素が嵌め絵パズルのように組み合わさります。ロドリゲス色とかミラー色という風に分かれたのか、あるいは3人寄って、主人公毎にカラーを変えたのか、知りたいような気もします。いずれにしろ全体がばらばらということはありません。
1番おもしろかったのはミッキー・ロークが主演の部分。たっぷり時間も取ってあります。この人がこんなにいい演技ができるとは知りませんでした。私が見た作品ではあまりいい役をもらっていなかったのです。デル・トロのおかげで堂々の主役を取り、泣かせる演技をしたロン・パールマンと似た所もありますが、ロークの人生は真面目なパールマンとは違い、1度脱線したようです。そんな話は一切無視して見ていてかまいませんが、ロークは貰った役をよく消化し血と肉にして、マーヴを解釈。感動的な演技です。2時間を越える長丁場の中で1番笑えるのも彼主演のシーン。彼のシーンは泣ける上に笑えるのです。入場料の元はここで回収。
彼のおもしろいシーンをしたたか見た後で他の人を見ると、そちらのおもしろさが色褪せてしまいます。これはなんとも気の毒。というのは、他の人も実力を発揮しているからです。その中でロークに続いてきらりと(ぐさりと?)光るのがイライジャ・ウッド。一般にはロード・オブ・ザ・リングの主演を張ったということで、優等生風坊やの印象が強いですが、私はその前にいくつか彼の作品を見ていたので、シン・シティーの彼の方が自然な感じがしました。ハリウッドは俳優個人のキャラクターと全く反対のイメージを作ってしまうことが多々あり、《これが本来の自分》と思っているのとかけ離れた役ばかり来るケースがあるようです。本来の自分でない役をやってこそプロの役者なのかも知れませんけれど。
ディカプリオがジュニアの役を断ったのは残念としか言いようがありません。ケビン(=ウッド)とジュニア(カプリオにオファーがあったという噂の役、スタールに行った)は《狂気、変態を嬉々として演じられる》役柄で、2時間の上映時間の中2人がピリリと辛子が利かせてくれます。ウッドはこの役を断わらず、役を実に正しく解釈して、これ以上は考えられないという効果を挙げています。彼のシーンはお見逃し無く。
私個人の評価で最高(ローク)、ほとんど引けを取らない2番目(ウッド)を先に出しましたが、3位以下がダメと言っているのではありません。2人に強く光られてしまって、他の人の陰がやや薄くなっただけの話で、その人その人を見ると、ぴったりの演技をしています。ブルース・ウィリスはこれまで色々な役を演じていますが、演技で光るという人ではありません。彼はスターなのです。そう考えるとシン・シティーではスターとして巾をきかせることのできる役をもらったと言えます。本人もそれをしっかり認識して、ハードボイルド映画の主演を我が家に帰ったという態度で演じています。これぞウィリスという役。で、そういうシーンにぴったりの顔を見せます。ここはもう彼に合わない他の作品、プライベートなゴシップは全部忘れてスクリーンの彼だけを見ましょう。
クライブ・オーウェンは最近大出世して次期ジェームズ・ボンドかとまで言われていますが、実は渋い演技の助演向きの人。そのあたりを監督はしっかり分かっていて、これまたきっちりはまる役をあげています。そしてベニシオ・デル・トロ。彼も1人で主演を張る大スターというタイプの人ではなく、良い役、悪役に関わらず主演の横でばっちり印象を残す助演のタイプ。悪役も嫌いではないようで、シン・シティーでもばっちり決めています。ハーネットは出番が短いですが、ロドリゲスがウッドと一緒にパラサイトで使って、その後2人ともスター街道を歩んでいます。(後記: と軽く書きましたが、どうやらハーネットのシーンがなければ映画化は実現しなかったらしく、そういう意味では重要な役目を果たしたようです。)
ローク、ウッド以外の人たちもそういういう意味では重量級で、そういうシーンを次から次から見せてくれるので、観客にとっては贅沢な作品です。出た本人たちは自分が1人で大きくスポットライトを浴びないので不満に思ったでしょうか。そういうことは無いと思います。この作品に顔を出せて良かったという感想なのではと思います。
俳優に取ってはやり甲斐のある作品ですが、それ以上の話題は画面の作り方。俳優はブルースクリーンを前に演技し、それを白黒にしたり、着色したりだったそうです。車の走り方1つ見ても、特殊撮影だろうと思えるシーンが多く、それが漫画チックな効果を出しています(これがまた楽しい)。人間がぶっ飛ぶというシーンでは本当にぶっ飛びます。予告を何度も見ていたので白黒、画面ざらざらの映画だということは知っていました。
2時間近く見ていると、こういう方法を選んだのはばっちり鮮明なカラー映画あふれる現代では非常に斬新で、ロドリゲスの芸術家としての才能が見え隠れします。難を言うと、せっかくの俳優の顔がしっかり見えないのですが、これだけの大スターが寿司詰めになっていて、その俳優を通常のカラー撮影で出してしまうと、ストーリーがかすんでしまう危険があったかも知れません。
全体が白黒になっているので流血シーンもほとんど血の色は赤くありません。そうなると血のシーンは墨汁を使って撮影しただろうと思いたくなるのですが、どうも白ペンキを使ったようです。ジュニアのシーンだけは黄色。嫌な奴だというところを是が非でも強調したかったのでしょう。
女性軍はほとんどが肉体を商売にしている役。白黒でも美しさはばっちり出ます。前半女性蔑視シーンの連続で、この町がいかに腐っているかという状況説明に裸同然の女性たちが動員されます。こちらの我慢も限界に来たかと思われるあたりから方向転換。女性が反撃するシーンが増えます。見終わってそれでも割り切れませんでしたが、世の中は実際には女性が期待しているほど女性解放も進んでいませんから、たまにはこういう話を見せられて冷水を浴びるのもいいのかも知れません。たかがエンターテイメントでも私が結局納得しなかったのは、一部の例外的な男性が女性のために命を賭けて戦い、他は女性が殴られっぱなしというストーリーの前提があったからでしょう。見終わってほっぺたや顎が痛いという幻覚を持った初めての映画です。
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