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2005 Kanada/F/USA 93 Min. 劇映画
出演者
Dennis Hopper
(Kaufman - 産業界のボス)
John Leguizamo
(Cholo - 野心的な傭兵)
Simon Baker
(Riley - 傭兵)
Asia Argento
(Slack - 売り渡されゾンビの餌食になる売春婦)
Robert Joy
(Charlie - かつてライリーに窮地を救われた傭兵)
Pedro Miguel Arce (Pillsbury - カウフマンがよこした傭兵)
Joanne Boland
(Pretty Boy)
Tony Nappo (Foxy)
Jennifer Baxter
(Number 9)
Eugene Clark
(Big Daddy - ゾンビのリーダー格)
Boyd Banks (Butcher)
見た時期:2005年9月
2005年度ファンタ不参加作品
何でこれがファンタに出なかったのだろう。ファンタ、特に真夜中の狂気コーナー向きの作品です。
ゾンビ映画はくだらない(済みません、ファンの方)と信じ、長い間自分の方から見に行くということはありませんでした。スケジュールの関係でファンタでは見たことがあるのと、ただ券が当たったから見たというのがこれまでの動機でした。自発的に選んで見たのではなくあくまでも成り行き。
それでも近年おもしろかった、見て損はなかったと思える作品がありました。それが以前ご紹介したドーン・オブ・ザ・デッド。ファンタの前夜祭に出た作品なので、自由意思で選んだというわけではありませんでしたが、楽しい一時でした。以前知っていたゾンビと違い、ドーン・オブ・ザ・デッドに出て来るゾンビは28日後・・・のゾンビのように動きが速いのです。それで作品全体にスピード感があふれていました。
今度見たゾンビ映画はただ券。いくつか選択肢があったのですが、ちょうどこの週はすでにファンタで見た映画の一般公開と重なり、こちらから是非見たいと思う新作がありませんでした。それで、たまにはゾンビにするか・・・程度の期待感しか持たずに出かけて行きました。
ランド・オブ・ザ・デッドのゾンビはそれほど動きは速くありませんでしたが、映画はとてもおもしろかったです。「社会派のゾンビ映画を見たのは初めて」と言おうと思ってふと考えたら、以前にも軍が秘密に行っている研究所に若者が忍び込み、その時起きた出来事が原因でゾンビが生き返ってしまうという筋の作品がありました。ゾンビというカムフラージュをしながら社会批判をする監督がいるんですね。この分野まだしっかり研究したことがないので知らなかったのですが、もしかしたら社会批判のカムフラージュが本来の目的なのかも知れません。
作った監督は元祖ゾンビ本舗みたいな人で、この分野のベテラン。珍しくおもしろかったというドー ン・オブ・ザ・デッドも元は彼の手によるのだと知った時はちょっとびっくり。
日本には幽霊、お化け文化があり、成仏できない人が幽霊になって出て来ますが、西洋にはゾンビ文化ができているようです。元々西インドのブードゥーを取り入れたようで、西インドだったらもしかしたらそのまた元はアフリカなのかも知れません。幽霊は西洋も日本と似ていて、何か生前に果たせなかった事があり、心残りであの世に旅立てずにいるということらしいです。お化けはその場所に何か心残りな事があってやはり旅立てない(と落語式の解説)そうです。ゾンビは外見からするとお化け文化みたいですが、内容的には日本の分類ではうまく行きません。他のゾンビに食いつかれて怪我をすると自分もゾンビになるだけで、生前の出来事とは全く関係がないのです。しかしきちんと死に切れていない死人という点は同じ。1度死んだ後、霊ではなく死体が蘇るという考え方で話が進むので、血が滴っていたり、肉が腐っていたり姿は汚らしいです。幽霊には造作のいいのもいますからね。
ランド・オブ・ザ・デッドのゾンビたちは原点に戻り、動きは遅いです。まだ噛まれていない人間たちはゾンビは知能が足りないと思っています。生肉を料理しないで食べる習慣があり、生きている人間を襲ってその場で食らいつきます。ここで体をばらして食べられてしまった人はゾンビになって生きることもできず、そのまま昇天。ちょっと噛みつかれただけの人は1時間ほどで(毒でも回るのか?)ゾンビに変身。そこに至るまでの時間は映画によってまちまちで、28日後・・・では瞬時、ドーン・オブ・ザ・デッドでは数日でした。ランド・オブ・ザ・デッドでは1時間ぐらい。その映画その映画で規則が違うようです。
ランド・オブ・ザ・デッドでユニークなのは2001年宇宙の旅の猿のごとく、ゾンビが文化、文明に目覚めてしまう点。自分たちを襲って来る人間の行動を観察し、自分もやってみるのです。そしてそれを仲間に教える。ゾンビは言語は持たないことになっているのですが、リーダー格の男は仲間に吼えるような声で話しかけます。
映画は傭兵と雇い主という関係で始まります。未来のいつか、ニューヨーク風の大都市は荒廃し、大金持ち、貧乏人、ゾンビという層に3分されています。人種は関係なく、金持ちとホームレスに近い貧乏人が人間。その周辺にゾンビがいて、ゾンビが昔金持ちだったのかは関係なくなっています。ゾンビはゾンビ。
金持たちは自分たちの生活レベルを守るために傭兵を雇っていて、ゾンビ退治をさせています。上流階級は大勢のボディーガードや召使を雇っています。その頂点にいるのがデニス・ホッパー演じるカウフマン。カウフマンはドイツ語の普通の苗字でもありますが(最後にもう1つ n がつく)、本来は普通名詞で商人とかビジネスマンという意味です。ホッパーが演じているのも産業界の大物で商人みたいなものです。
ファンタでも社会派の作品に出演していたジョン・レグイザーモがランド・オブ・ザ・デッドでも重要な役をもらっています。カウフマンに口添えしてもらって高級アパートに住むという野心のある傭兵。ところがカウフマンに一笑に付され、その後起きる事件のきっかけになります。
主演のヒーローはアレック・ボードウィンの弟かと思うような顔の青年。ヒーローとは言っても滅法強いヴィン・ディーゼルのようなタイプではありません。普通の傭兵。ちょっと驚きだったのはダリオ・アルジェントの娘。これまでに見た映画ではちょっと弱そうな役が多かったのですが、ランド・オブ・ザ・デッドではアクション・ヒロインになっていて、体を使うスポーツ的な演技に変わっていました。彼女が出るとは知っていましたが、これがあの・・・とびっくりしました。お父さん監督の映画に出ていた頃とは全く違うイメージになっています。
ゾンビに取り囲まれる生活になってから普通の生産活動はできなくなり、高級な高層都市に住む金持ちたちは傭兵に町に残っている物資を集めさせて暮らしていました。これといったゾンビ対策は無く、町の周辺を垣根で囲わせ、傭兵たちに守らせているだけです。傭兵たちは命令に応じて町へ繰り出し、その辺の放棄された店から物資をかき集め(合法的略奪)、寄って来るゾンビの注意を花火でそらすというごく単純な毎日。時には防衛ではなく遊び半分にゾンビを撃ち殺したりします。元普通の人間だった人が噛まれてゾンビになり、そのゾンビをもう1度人間が撃ち殺した時はその人(ゾンビ)がどうなるのかという説明はありません。またむっくり起き上がってゾンビ活動にいそしむのか、2度目の死でちゃんと死ねるのかは映画が終わるまで分からず仕舞い。町に戻ると、まず出会うのが高層ビルから締め出された層。ホームレス同様の生活をしています。傭兵の中には貧乏な知り合いに抗生物質を分けてやったりする親切な人もいます。傭兵のような仕事でも職業があるだけましです。
主人公のライリーたちは給料をためていつの日か北部へ逃げることを夢見ています。カナダまでたどり着けば人間的な生活ができると考えています。一時ハリウッドにはカナダ・バッシングと言える動きがありましたが、この作品はその反対の立場で作られている様子。出資国にカナダも入っています。
仲間の1人チョロはカナダではなくフィドラーズ・グリーンという高層ビルの中に自分のアパートを手に入れるのが夢。ところが産業界のボス、カウフマンにふられてしまいます。それどころかカウフマンはチョロを消すように部下に命じます。チョロはこれに怒り、傭兵が武器として使っていた重装備の大型トラックを盗み出し、カウフマンを脅しにかかります。
ちょうどその時ライリーたちはゾンビの餌にされそうになっていた売春婦を飲み屋で助けたことがきっかけで撃ち合いになり、豚箱に入れられていました。カウフマンに呼び出され取引成立。豚箱免除の代わりにチョロ捜索に取りかかります。ライリーたちがいとも簡単に任務を引き受けたのには理由があります。カナダへ行く日がこれでいっそう近づく可能性があるからです。カウフマンはライリーたちが目的から脱線すると行けないと大事を取って配下の者を3人同行させます。
カウフマンがチョロの乗る車を必要とするのには理由がありました。ゾンビはバカだと思っていたら、最近は攻め方が巧みになり、しっかり防衛しないと自分たちのお尻に火がつきそうな気配になって来ているのです。1人の黒人ゾンビが頭を使い始め、学んだ事を仲間にも伝授し始めたのです。
にわか仕立ての捜索隊の方は、ライリー、チャーリーと新たに加わったスラックが中心。そこにカウフマンから言い付かった3人が入り車で出発。メンバーはゾンビに襲われたりで減り始めます。ようやくトラックに追いつき奪回。女性が重装備のトラックを操っていまが、彼女はチョロがトラックを奪うとそのままついて行きます。トラックがライリーたちに奪い返されるとそれにもついて行きます。運転席にいて、命令だったら何でもします。カウフマンから派遣された男2人、女1人の3人は1人が犠牲になって死亡。もう1人はカウフマンに忠実。そして3人目はあっさりライリーと合流します。ライリーはトラックが手に入ったらそのままカナダにトンズラということも視野に入れていました。
チョロを発見し、トラックを奪い返したのはいいのですが、話はそれでは終わりません。チョロはゾンビに食いつかれて自分もまもなくゾンビに。前にゾンビに襲われた傭兵は自分がゾンビになる事を嫌い自殺。仲間がすぐ殺してくれなかったので、自分で発砲です。チョロはゾンビになってもカウフマンに対する怨念は忘れなかったと見え、カウフマンに会いに町に戻ります。カウフマンは町を見捨てて金の入ったバッグを持ってトンズラ寸前でした。カウフマン自身は車に1人取り残され、車の中にガソリンを撒かれて立ち往生。運転手は車を去っています。さりげなく、下僕がいない時の支配者の様子が描かれています。結局カウフマンとチョロはガソリンに火がついて不本意ながら心中。ライリーたちは新天地カナダを目指して北上。ゾンビがいるのはニューヨーク付近だけなのか、他の地域は大丈夫なのかなどと疑問は残りますが、時々ぐさっと来るような台詞が入り、なぜ映画を作ったのか手の内を見せてくれます。ラスト・シーンでは、その辺のゾンビをやたら殺すことに反対のライリーが、「彼らも静かに暮らせる場所が欲しいだけなんだ」と言いながら意味のない殺戮にブレーキをかけます。
カーストのような階級、エイズ患者、大国から銃を撃ちまくられる弱小国、貧困社会に手をつけない政府、自分たちだけが贅沢を続けようとする金持ちなど、監督の鬱憤がずらっと並べてあり、最近のニュースを特に追っていなくても何を批判しているのか分かりやすい作りになっています。ゾンビはバカだではなく、ゾンビ映画は頭を使わなくても見られる映画だと思っていた私は認識を新たにしたところです。食わず嫌いは行けません。
ゾンビにしろバンパイヤにしろ噛まれれば同じだと思うのですが、なぜか人間だけ変身しますね。ゾンビに噛まれたゾンビ羊とか、ゾンビ豚というのはまだ見たことがありません。ゾンビに凝っていなかったので、私が知らないだけかも知れません。バンパイヤがらくだを襲って、蝙蝠と化したらくだが空を飛ぶとかいう映画もまだ見たことがありません。
ランド・オブ・ザ・デッドには出て来なかった猫のゾンビについて知りたい方はこちらへ。
参考作品: ジョン・カーペンターのゼイリブ
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