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2004 I 115 Min. 劇映画
出演者
Malcolm McDowell
(Andrej Romanovic Evilenko - 教師)
Marton Csokas
(Vadim Timurovic Lesiev - 事件の調査官)
Ronald Pickup
(Aron Richter)
Frances Barber
Alexei Chadyuk
(Captain Ramenskij)
Ostap Stupka
(Doctor Amitrin)
見た時期:2005年8月
私は菜食主義ではないと前に書きましたが、毎食に肉がないとだめというタイプではなく、放っておくとたまにしか食べない人間です。それも日本で普通に売っているような肉だけで、ドイツではわりと楽に買えるウサギなど他の肉には自分の方からは手を出しません。ですから人間の肉を食べる人の気持ちは全然分からないのです。一種の儀式、敵を倒す祈願のためとか言われる方がまだ理解しやすいのですが、それでもねえ・・・。というわけでそういう人物を勉強せざるを得なかった俳優に同情。
アンドレー・チカティロという実在の人物の話です。タイトルは英語の《邪悪》という言葉を使いロシアの人名前風に変えてあります。事件が起きたのは当時のソビエト連邦、制作国はイタリア、主演、共演の多くは英国人。
あまり殺人事件のドラマとして盛り上げず、アンドレー・チカティロという男の足跡を追うだけにしてあります。彼は履歴を読むだけで人が震え上がるような男なので、監督が特に扇情的な表現を持ち込まなくても十分恐いです。マクドウェルも押さえた演技。そこにマクドウェルがいるだけで恐いというのは彼の演技力でもありますが、チカティロのやった事にもよります。殺したという事、その数よりも、生活態度の方から何とも表現しにくい拒否感を持ちました。そこにマクドウェルの演技力がうまく生かされていたのだと思います。
ちょっと気になったのは台詞の発音。全体は一応英語で進みます。それはマクドウェルや共演者が英語を話す人だからかまわないでしょうが、妙なアクセントをつける必要があるかという疑問を持ちました。フリーダの時も同じような感想を持ちました。英語を話す人達が外国が舞台の映画を作ったとしても、設定はその国の中でその国の言葉を自由に操る人たちの出来事。ですから《ロシア語をロシア人のように話しているのだというお約束》にして俳優はみな普通に英語を話せばいいと思います。
欧州的な雰囲気は十分出ています。撮影は実際にウクライナで行われたようです。ドイツから北、東の方に向けては似たような雰囲気の場所が多く、チカティロ/エヴィレンコのような輩がうろついているとなると恐いです。普段は自然に恵まれて散歩にいい環境です。天国がこういう男のために地獄になってしまいます。
マルコム・マクドウェルは時計仕掛けのオレンジに出ていた頃は悪役とは言え、陽気な青年でした。時計仕掛けのオレンジが彼の人生を変えてしまったのでしょう。詳しい事は分かりませんが、その後見た映画ではどれも厳しい目をした暗い男に変わっています。ちょっと残念に思いますが、エヴィレンコを演じるには現在の彼のアウトフィットがぴったりです。チカティロという実在の男にかなり近い雰囲気を出しています。
★ 実際の事件と比べながら
現在はウクライナという国になっていますが、事件があった頃はソビエト連邦の一部。そこで生まれたアンドレー・チカティロという男が噂によると100人近く、当局がつかんでいるだけで50人ちょっとの人を殺したという話です。犠牲者のほとんどが未成年、まだ学校に行くような年齢の子供です。
長い年月の間の出来事ですが、当時のソビエト連邦の体制、思想が盲点になって捜査が速やかに行われなかったのが、解決を遅らせ被害を大きくした原因の1つです。アメリカではある程度の域を越えた殺人事件にはFBIが乗り出して来てすぐ広域捜査を行い、地元警察の資料と合わせ効果的な捜査を行いますが、ソビエトにはそういう体制、考え方が無く、逆に連続猟奇殺人は資本主義の生んだもの、我が国にはそういう事は起きないとの考え方が事の重大性を把握する邪魔になったようです。実際の事件があった時代(60年代から前段階の事件が始まり、1982年に大筋がばれ、90年代に決着)でしたら日本の警察でも優秀な捜査をしたことと思いますが、ソビエトではまだこういった大掛かりな猟奇殺人に当局が直面したことが無かったというアメリカとは全く違う事情もあったのではないかと思います。
作品中マクドウェルも表現していますが、犯人は党に忠実な共産主義者。党のためには何でもいとわない夫婦として描かれています。まるで夫婦仲を党が取り持ち、危機を乗り切るのも党のためと考えているかのような熱心さです。党が悪いとか思想が悪いという問題でなく、この2人はこういう形でしかつながりを持てなかったのでしょう。夫人の生い立ちにはあまり触れていませんが、チカティロ/エヴィレンコの問題点にはいくつか触れています。
現代では精神医学の知識が一般にも広がっているので、素人でも話についていけるようになっていますが、チカティロは子供時代にいくつかの問題を抱えていた様子。中で一般人にもショッキングなのは身内が飢餓で地域の人に食べられてしまったという事件。真偽のほどは不明ですが家族の間ではそういう事になっていたらしいです。仮に事実でないにしてもそんな話が家の中で出るということ自体尋常ではありません。
映画では直接触れていませんが、ウクライナ、飢餓、カンニバリズムと言われて思い出すのはハンニバル・レクター。レクターの生い立ちにはドイツも関係します。レクターの話は舞台が違う国になっていますが、ドイツ兵が妹を・・・という話になっていました。チカティロの場合は父親が戦時中ドイツにつかまるという出来事が絡んで来ますが映画では深く追求していません。
本人は職業を身につけ、結婚をし、子供をもうけ、取り敢えず一般市民の生活。1度失敗した大学受験にめげず、2度目は成功。その後教師に。ところが猥褻行為がやめられず職が危なくなります。働き者で真面目な性格とこういった面が矛盾。結局逮捕になり、住居、職場を変わり再び地方で教師としてやり直します。
猥褻行為から殺人に移ったのが70年代後半。猥褻行為の頃は犯行がばれて通報され、逮捕、首などと処分を受けていました。殺人になってからは当然通報などはされず、一部は犠牲者の肉を食べたりもしていました。映画では夫よりずっと党に忠実な妻として描かれている女性ですが、実在の夫人は夫のスキャンダルにも関わらず別れず、重要なポイントではアリバイの証言をしたそうです。映画の方ではこんな問題でも党の思想を持ち出し夫を叱咤激励する強い女性という描き方で、歯車が狂ってしまっているところをうまく出しています。その彼女の演技に応えるマクドウェルも絶妙な演技で、その結果こういったシーンの方が、多くの映画に出て来る殺人シーンより恐かったです。
映画の中ではレジーエフという実直な捜査官が登場し、彼が周囲を説得しながらエヴィレンコに迫るという運びにしてあります。彼も党に忠実な共産主義者。しかしプロファイラー的な経験は無く、上司からできるだけ早く片付けろと言われ、仕事に取り掛かります。
エヴィレンコは普段仕事だけでなく、何事にも熱心で几帳面な男でありながら内側から来る衝動を押さえ切れず、一旦そのエンジンがかかると殺人が終わるまで止まらないという風にしてあります。そういう運命を背負ったからと言ってエヴィレンコに同情はできないような演技。マクドウェルを起用したのは正解です。個人的な意見を言うと、エヴィレンコには《ここが俺の領域だ、これが俺の住処だ》と言える物が無いような、いつも誰か、何かに合わせて生きるしかないような面があります。これもマクドウェルの演技の結果ではないかと思います。
日常生活は普通に送り、その合間に殺人。その数は尋常ではなく、当局も放ってはおけない状態に入っていて、かなりの人員が捜査に投入されていますが、皮肉なことに彼自身その捜査に協力しています。警察の囮捜査も行われた模様です。
ようやく逮捕、90年代前半に裁判。裁判中は奇行が目立ったとのことです。映画で表現されている裁判の様子(セット)は実話に近くしてある様子です。52人について有罪、死刑判決、1994年執行。
犯罪映画には時としてマジで震え上がるぐらい恐い作品もありますが、たいていはエンターテイメント。エヴィレンコはエンターテイメント性はかなり押さえてありました。それでも映画は映画。絵空事です。実は実話の方がずっと恐く、エヴィレンコは2時間弱あってもチカティロがやったことの氷山の一角をかすっただけ。実話の方はゲテモノ的要素が強く、マクドウェル版ではそれはかなり押さえてあります。もし役作りのためにマクドウェルが犯人の資料を勉強しなければならなかったのだとすればご苦労様と言うしかありません。
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