映画のページ
2006 USA 149 Min. 劇映画
出演者
Tom Hanks
(Robert Langdon - 象徴学者、アメリカ人、学会でパリ滞在中)
Jean-Pierre Marielle
(Jacques Sauniere - ルーブル美術館館長、殺害される)
Audrey Tautou
(Sophie Neveu - 暗号解読専門の刑事、暗殺された館長の孫、フランス人)
Garance Mazureck
(Sophie Neveu - 13歳)
Daisy Doidge-Hill
(Sophie Neveu - 子供)
Lilli-Ella Kellehner
(Sophie Neveu - 幼児)
Crisian Emanuel
(ソフィーの母親、交通事故で死亡)
Paul Herbert
(ソフィーの父親、交通事故で死亡)
Ian McKellen
(Sir Leigh Teabing - ラングドンの長年の知り合い、シンボルの専門家)
Jean-Yves Berteloot
(Remy Jean - サー・リーの執事)
Jean Reno
(Fache - パリ警察の刑事)
Etienne Chicot
(Collet - パリ警察の刑事、ファシェの上司)
Charlotte Graham
(Mary Magdalene)
Alfred Molina
(Aringarosa - 司教)
Paul Bettany
(Silas - 司教の腹心の部下)
Hugh Mitchell
(Silas、若い頃)
Tina Maskell
(シラスの母親)
Peter Pedrero
(シラスの父親)
Marie-Françoise Audollent
(Sandrine - 修道女)
Jürgen Prochnow
(André Vernet - 現金輸送車の運転手)
見た時期:2006年5月
元ネタはジョン・タートルトーブ監督のナショナル・トレジャー、失礼、ダン・ブラウンの推理小説ダ・ヴィンチ・コード。かなり売れたそうです。
主人公は推理小説作家のような名前の象徴主義学者ロバート・ラングドン。映画化に当たって主演俳優がインタビューで強調しているように、これはエンターテイメント作品。あまりマジに受け取らず、ナショナル・トレジャーのような乗りで見ると血圧が上がらなくていいです。「これはフィクションではないぞ」などという断わり書きもあるのだそうですが、映画の方は宝捜しの冒険物語の趣向になっています。宗教問題に発展するのは時代の趨勢。お互いに相手を尊重してあまり引っ掻き回すようなことはしない時代もありますが、現代はちょっと突っついてみる時代のようです。
レンヌ・ル=シャトーの謎の関係者からは盗用だとしてクレームがついているようですが、「色々な話を参考にして書いたフィクションだ」という振れ込みにしておけば問題は起きなかったのに・・・と思います。
この作品がなぜここまで大騒ぎになったのか。恐らく時代の流れに加え、宣伝の力でしょう。ベルリンでは公開の日に合わせて、町中にマーケティングの一環としてタダ券が配られ、ファンタも開催される町1番の映画館に行って見ると、19あるうちのホールが4つ、午後は1時間毎、夜は30分ごとにダ・ヴィンチ・コードの上映に当てられていました。上映時間が2時間半近く、大スターが出る話題作だというので、私も力を入れて見るつもりでした。ところが見終わってインディアナ・ジョーンズやナショナル・トレジャーと変わり無い、宣伝に力が入り過ぎたという感想になりました。
監督はロン・ハワード。私が見た作品は数が多くないのですが、ハワードは映画界のベテランで、かなり色々な作品を作ったり、出たりしています。その上最近批評家の間で好評だった女優ブライスのお父ちゃん。家族に映画関係者が何人かいます。彼が作った他の作品の方が気合が入っていたような気もします。
あまり話題になる上、カンヌ映画祭でも大々的に宣伝されていたので、いかなるお手並みと思っていたのですが、インタビューに答えるトム・ハンクス他はしきりに「これは単なるエンターテイメントだ」と強調。オードリー・トトゥに至っては「有名になり過ぎた、間もなく女優を辞める」と言い出す始末。控え目なトム・ハンクスが謙遜して言っているのかと思っていたのですが、実際には彼は本当のところを語ったようです。
インタビュー記事を読んだ時には普段しっかりした演技のトトゥがなぜ俳優を辞めるなどと言い出したのか不思議に思ったのですが、見終わってすぐ納得しました。日本やドイツにはそういう人はいませんが、他の国には俳優が演じた役を現実と取り違える人もいます。そうなると、彼女の立たされた立場は確かに微妙で、普通の生活を維持することができなくなる可能性も・・・。お気の毒。
ナショナル・トレジャーとほとんど変わらない内容。象徴主義という学問を学者らしく見えるよう努力しているハンクスに説明させて子供のお遊び的な雰囲気を消し、宝捜しの替わりに宗教の歴史を書き換える事実が飛び出すというショーダウンが用意してあるという違いがあります。
ドイツには「複雑かつ長い小説の映画化で、小説を読んでいない人が映画だけ見ると、話について行くのが大変だ」という報道がありますが、ナショナル・トレジャーを見てからダ・ヴィンチ・コードを見るという手があります。すると混乱しません。というか象徴主義に惑わされるとストーリーの流れが見えにくくなります。象徴主義はこの映画の中では観客を惑わす霧です。
中世の古文書などに凝っていた時期があるので、2000年前、中世などの色々なシンボルを追って行くのは楽しいですが、それが全世界を支配する力を持っているとは思えません。西洋の世界では重要な意味があったとか、アラビア世界ではこういう意味があった、仏教ではこういう意味があったなどとそれぞれの時代、地域、分野で重要なシンボルには違いありませんが、よその国に行くと全然違う意味になっていて、あれっと驚くこともありますからご注意。トム・ハンクスが冒頭学会に出席して講演するシーンにそれが少し紹介されています。
ハンクスは記号(シンボル)が社会でどういう意味を持っているかを考える学者の役なので、いくつかの報道に象徴主義(シンボリズム)という言葉が使われていますが、ここでは記号学者と呼ぶことにします。
アメリカから学会のためパリに来ていたハーバードの記号学者ロバート・ラングドンは自著のサイン会の真っ最中にパリ警察から呼び出されルーブル美術館に連れて来られます。裸の殺害された死体が横たわっているだけでも困った事態ですが、妙な記号や意味の分からない文章、数字が現場に残されていました。
被害者はルーヴル美術館館長ジャック・ソニエール、後から捜査に加わった女性ソフィーは解読専門の刑事でソニエールの孫娘。事件担当刑事はファシェとコレー。アドバイザーとして呼ばれたラングドンはなぜか容疑者の範囲にも入っています。
長編小説を2時間半の映画に押し込むのは大変な作業で、時々唐突な展開を見せます。ラングドンに疑いの目を向ける刑事の裏をかいて、ラングドンは協力してくれるソフィーと一緒にぎりぎりまで美術館に残された手がかりを使って謎を解こうとします。その後逃避行。
ソフィーにはソニエールが自分にダイイング・メッセージを残したと考えるだけの根拠があり、その後ずっとラングドンと一緒にその謎を追い続ける運命。ソフィーは祖父から名指し、ラングドンは成り行きでの巻き込まれ事件です。
美術館の中ですでに1ヶ所に残された手がかかりが他の場所を示し、そこに残された手がかりが次の場所を示すという徴候が見られます。このまま行くとナショナル・トレジャーのように観客は振り回されます。御覚悟を。
案の定、フランス国内だけでなく、近隣の国も絡んで、2人は逃げながらの謎解き。追い掛けて来るのが警察だけですとまだ楽ですが、カソリック教会の一団体のオプス・デイまでついて来ます。こういう殺人も絡む推理物に登場するといかにも秘密結社的な雰囲気が漂いますが、実はこの団体、秘密でも何でもないそうです。会員の関係が密で、必要な時には協力体制が固いので、秘密めいて見えることもあるのでしょう。
動いている人たちを整理すると話が分かり易くなるかと思います。(先入観を除くために五十音順に並べてあります。)
これが取り敢えずの状況。ここで謎とか秘密と言っている内容にまで触れると、映画館で楽しみがなくなるので、伏せておきます。とは言うものの、巷の報道にはもう出てしまっていますから、ネタばれをやってもあまり驚かない方の方が多いかも知れません。
主演はミスキャストではないかと思います。実力、個性のある2人をこういう風に使っていいんだろうかと思いました。ハンクスはしかめっ面をして最後にソフィーに対して父親的な愛情をチラリ。わざわざハンクスを呼んで来た意味がありません。
小説では「ハリソン・フォードのような(いい)男」ということになっていたそうで、キャスティングの時はラッセル・クロウも候補に挙がっていたそうです。クロウよりは良さそうに思えるので、ハンクスにやらせるのは無論構いませんが、それならもうちょっと陰影を出せるような演出にしたらと思いました。
オードリー・トトゥーもストーカーのアメリを見た限りおもしろい女優で、好き嫌いはともかく、個性はたっぷりでした。それが平坦なメイク、平坦な演技、平坦な表情で、アメリーとは全然違います。狙っていた役どころは頭の良い女刑事か、色々な出来事に翻弄される親を失った若い女性。ところがなぜか彼女もハンクスも能面のようにワン・パターンのメイク、表情で、全然良さが使われていませんでした。マーケティングの成功から言うとこれは彼女の代表作になるのでしょうが、演技の面からは全然です。
その上ドイツ語版では《これがフランス人の話すドイツ語だろう》と考えてつけたアクセントが強く、邪魔に感じられました。ベルリンで何度もフランス人が話すドイツ語を聞いたことがありますが、それに比べ映画は「ありゃないだろう」でした。
ジャン・レノーやイアン・マッケランはいつも通りの役でいつも通りの演技。安心して見ていられますが、安全パイ。その中でいつものように悪役ですが、一応存在感を示していたのがポール・ベタニー。ヌード・シーンもありますが、後ろからなので、お子様連れの方でも両親はそれほどバツの悪い思いをせずに済むかと思われます。ただ宗教には苦行で身を清めるような習慣もあるので、それをご存知無いとびっくりするかも知れません。また、彼はアルビノの役なので白塗りです。少年時代虐めがあって、現在の彼があるという役どころなので何か他の人と違う点がないと行けなかったのでしょうが、別にアルビノという条件をつけなくても個性的な人を演じるのが上手な役者です。ダ・ヴィンチ・コードでは死に際の悲劇が良く出ていました。しかし同じ健康問題を抱える一般の人は迷惑でしょう。うちの近所でも太陽に当たると体がつらいので、対策をしながら外出しているドイツ人女性を1人見かけます。当事者は大変そうです。
あれだけお金をかけ、有名どころの俳優を動員し、博物館、金持ちの館、教会、飛行機まで動員し、歴史のシーンも画面で見せるのだったら、何かもうちょっとひねった方が良かったと思うのです。例えば与太話に決まっているナイト・ウォッチが最高におもしろかったのはその、一捻りがあったから。今DVDが売り出されたところなのですが、買おうかと迷っているところです。
宗教的なテーマを扱っているので、教会側から抗議があったり、白子を悪役にしているので、代表する団体から抗議があったりするそうですが、私は一歩下がって、これはフィクション、エンターテイメントだとする制作側の意見に賛成せざるを得ません。「なぜマジに取るの?ナショナル・トレジャーと変わらないじゃない」と言いたいのです。しかしあの軽いタッチのナショナル・トレジャーと比較されては制作側は嫌がるかも知れません。
本編は予告で受けた印象とかなり違う展開になり、最後まで見るとカンヌ映画祭で失笑が漏れたという話も分かるような気がします。強引にマーケティングで押し切ったようですが、もう少し方の力を抜いて楽しい与太話という路線にした方が良かったかも知れません。
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