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デイブレイカー / Daybreakers /
Vampiros del día

Peter Spierig, Michael Spierig

2009 Australien/USA 98 Min. 劇映画

出演者

Ethan Hawke
(Edward Dalton - ブロンレイ社の血液学者)

Michael Dorman
(Frankie Dalton - エドワードの弟、ブロンレイ社の人間狩り傭兵)

Sam Neill
(Charles Bromley - 製薬会社の社長)

Isabel Lucas
(Alison Bromley - 人間、チャールズの娘)

Willem Dafoe
(Lionel Cormac、別名エルビス - 元吸血鬼)

Claudia Karvan
(Audrey Bennett - 人間)

Vince Colosimo
(Christopher Caruso - ブロンレイ社の血液学者、エドワードの同僚)

Christopher Kirby
(Jarvis Bayom - 人間)

見た時期:2010年3月

2010年春のファンタ参加作品

スターが出ていること、スタイルに気を配っていること、吸血鬼物としてはストーリーに工夫があることなどを考えると、春のファンタの作品の中では豪華な部類に入ります。うっかりしていると良い評価をしてしまいそうになりますが、良く考えて見ると「待てよ」という面もあります。

★ ストーリー

去年パンデミックが起きたという設定で、それから10年後の英語圏の世界での出来事が描かれます。

大規模伝染病が蔓延し、2009年からの10年で人類の95%が吸血鬼化してしまいます。人間の血液を飲まないと苦しいので、人間狩りが行われ、捕まえられた人間はブロンレイ社のラボの柱に家畜のように固定され、血液を採取されることだけに生存の意味があります。ブロンレイ社は吸血鬼の食料に当たる人間の血が非常に不足しているため、片方で吸血病を治す方法を研究、その一方で代用血液の開発にも取り組んでいます。代用血液は動物実験では成功しかけています。そこで働く優秀な血液学者エドワードが主人公です。

エドワードは10年前弟のフランキーに噛みつかれ吸血鬼化しました。弟の職業は政府の人間狩り兵士。エドワードの収入は良くて、豪華なアパートに住んでいます。しかしエドワードはあまり吸血鬼が好きではなく、血液も自分から好んでは飲みません。例えて言うなら菜食主義の吸血鬼。

日光に当たれないなど不自由なことはありますが、吸血鬼は不死なので伝染病が起きたことを喜ぶ人もいます。吸血鬼が感染していない人間の血液を飲むことを拒むと体が徐々に変質して行きます。まずはとんがり耳になります。そして徐々に知性を失い、コウモリ風の体になり、最後にはサブサイダー(劣化、低脳)になってしまいます。血液コーヒーを飲みたがらないエドワードに社長は飲むように勧めます。でないとエドワードの血液学者としての知性、能力が失われてしまうからです。

そう言われても十分に血液を飲んでいなかったため、ある日集中力を欠いてエドワードは軽い交通事故を起こしてしまいます。相手は3人の人間。そこへ人間狩りをしている吸血パトカーが近づいて来ます。エドワードは3人に大急ぎで自分の車に乗るように言います。彼の車は紫外線対策が施されていて、外から車内が見えないようになっています。警官はまさか人間が吸血鬼の高級車に匿われているとは思わないので、3人はとりあえず安全です。エドワードが警官に3人が全然違う方向に逃げたと証言しているのを見て、3人の人間はエドワードを信用します。中の1人は彼のIDカードを目にします。

自宅に戻ったエドワードを弟フランキーが訪ねて来ます。この日はエドワードの本来なら45歳の誕生日。吸血鬼になってからは死なないので、10回目の35歳の誕生日となります。お祝いに赤ワインの代わりに血液のボトルを持って訪ねて来たフランキーですが、2人は意見が合わずボトルを壁に投げつけるような喧嘩になり、血液が飛び散ります。そこへ飛び込んで来たサブサイダーが壁の血液をなめます。格闘、ちゃんばらの末、サブサイダーは討ち取られます。検死官が身元を解明。元エドワードの庭師だった男でした。

自分から血液を拒むとサブサイダーになってしまいますが、その他に血液を買うことができない層もサブサイダーになってしまいます。エドワードは超エリート階級。巷には貧乏吸血鬼がホームレス状態でうろついています。格差社会は吸血伝染病が蔓延した後も引き継がれています。

その後間もなくして交通事故の時に知り合った人間の1人が訪ねて来ます。エドワードが ブロンレイ社の人間でありながら人間に対して理解があると感じ、助けを求めに来ました。彼女に導かれてエドワードはエルビスというニックネームの男と会います。

エルビスは元吸血鬼だったのですが、ある日日光に当たり、体が燃え出した時にたまたま川に飛び込み、気がついたら人間に戻っていました。そのため彼なりの理論を組み立て、太陽に何か吸血鬼を元に戻す作用があるのではないかと考えていました。それを科学者のエドワードと相談したかったのです。

話変わって、ブロンレイ社の社長には悩み事があります。自分は癌を宣告され死ぬ直前に伝染病が流行り不死になったので幸運だったのですが、実の娘が吸血鬼を嫌い、家出したままでした。社長は娘のアリソンを見つけ、吸血鬼にすることをフランキーに頼みます。言われた通りに娘は捕まり吸血鬼に変身。ところが血を飲むことを拒み続けサブサイダーになってしまいます。永遠に娘と暮らせると喜んだ父と、親の心子知らずの娘。

エドワードとフランキーの兄弟の関係も同じでした。兄とずっと一緒にいられると思ったフランキーですが、兄は血液を飲みたがりません。エドワードは一生懸命血液の研究をして、間もなく人間狩りが無くて済む世の中が来ると夢見ています。

隠れ家ではエルビスがエドワードに治療のアイディアを説明し、エドワードはエルビスたちの協力を得て人間に戻ります。治療法に確信を抱いたエドワードは会社に働きかけるべく同僚を呼び出し、説明します。ところが友達のはずの同僚が警察を呼んでしまい、戦闘になります。製薬会社は1人1回きりの治療より代用血液を供給した方が長期に渡って利益を生むと計算し、治療は捨て、代用血液の採用が決まっていました。

血液を飲むことを嫌ったアリソンはサブサイダーになってしまい、処刑されます。それを目撃したフランキーは初めて考え始め、兄に共感し始めます。兄とエルビスを前にフランキーはなぜ兄に噛み付いたかを説明。弟なりに兄を助けるつもりでした。しかしそこで激しい喧嘩になり、フランキーはエルビスに噛み付きます。するとなぜかエルビスには変化が無く、フランキーが人間に変わってしまいます。

エドワードとエルビスは、エルビスの例に倣ってエドワードに日光を当てて燃え上がらせ、大怪我をしないうちに火を消すというまどろっこしい事をしたのですが、フランキーが証明するように毎回バーベキュー騒ぎをやらなくても吸血鬼が人間に戻る方法が見つかったのです。1度吸血鬼から人間に戻った人は免疫ができて、2度目は吸血鬼になれない、しかも噛み付いた人も人間に戻ってしまうことがはっきりしました。

その後はバトルです。発端はブロンレイ社の社長の死。人類を救う道を放棄した社長は、エドワードとコンタクトを取って来た人間の女性を人質に取っていたので、エドワードたちは奪還に向かいます。社長室でもめた結果社長はエドワードをがぶり。そのため社長も人間に戻ってしまいます。

エドワード一行は社長を椅子に縛り付けてエレベーターに乗せ、向かって来る大勢の吸血警備員に投げ出します。何百人もの警備員は社長の人間の匂いを嗅ぎつけ、一斉に襲って来ます。社長の血液を舐めた吸血鬼はみな人間に戻ってしまいます。その人間の血液を嗅ぎつけた周囲の吸血鬼が襲って来てがぶり。その繰り返しでその辺は人間に戻る吸血鬼が続出。その騒ぎの中で、フランキーもエドワード一行を救うために犠牲になります。最後はかつて吸血病が流行ったのと逆の方向に伝染して行き助かるというハッピーエンドです。

★ 最近流行の身勝手な反省映画

ボーンアイデンティティーが出た頃から時々妙な反省映画が作られるようになって来ました。ハリウッドは一方で勇ましい戦争映画を作り、他方でインテリ風な反戦映画を作るという矛盾した所。最近のインテリ組は反戦映画ではなく、反省映画を作るようになっています。

反戦映画の時も自分たちで戦争をおっぱじめておきながら何が反戦かといささかムッと来たのですが、同じ国にいくつもの選択肢があるところが民主主義なのかとできるだけ好意的に取るように心がけていました。しかし国がああまで大きいとマッチポンプの連続にならざるを得ないのでしょう。

Daybreakers にはいくつかの要素がありますが、1つは製薬会社の揶揄。吸血鬼になることを伝染病と捉えることでまず笑いを取りますが、演じている方は大真面目です。そして吸血鬼になっても懲りずに元人間は金儲けを優先し、人間に戻る方法が出来上がっても、無視してしまいます。いくつかの病気に対して製薬会社がこんな対応をしていることを皮肉っているのでしょう。

もう1つの要素はお涙頂戴の親子愛、兄弟愛。家族がばらばらになってしまい、やっぱり最後のつながりは家族だった(お涙)という流れ。ならば元から家族関係を壊すようなことはするなよ、君。

製薬会社の中で人間がどういう風に扱われているかも色々象徴しているつもりなのだと思いますが、これが現状を象徴しているのか、将来を予告しているのかは見る人の人生観によって意見が分かれるところでしょう。

そしてもう1つ表に出ていない点。大枠はここに出て来る製薬会社のようなシステムに乗り、巨大な利益の恩恵を受けて暮らしておいて、その中でちょっと反省映画を作ってもらっても、下々の人が喜ぶかどうか。最近反省映画が増えている中で、これが慰めになるのかも考えてしまいます。わりときれいな出来の作品だったので、ホールを出た直後はなかなかいいなあと思ったのですが、家にたどり着くまでにバスの中で考え込んでしまいました。

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