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少年は残酷な弓を射る /
We Need to Talk About Kevin /
Tenemos que hablar de Kevin /
Temos de Falar Sobre Kevin /
Precisamos Falar Sobre o Kevin /
...E ora parliamo di Kevin /
E ora parliamo di Kevin

Lynne Ramsay

UK/USA 2011 112 Min. 劇映画

出演者

Tilda Swinton
(Eva Khatchadourian - 作家)

John C. Reilly
(Franklin Khatchadourian - エヴァの夫)

Ezra Miller
(Kevin Khatchadourian - エヴァとフランクリンの長男、ティーンエージャー)

Jasper Newell
(Kevin Khatchadourian - エヴァとフランクリンの長男、子供時代)

Rock Duer
(Kevin Khatchadourian - エヴァとフランクリンの長男、幼児)

Ashley Gerasimovich
(Celia Khatchadourian - エヴァとフランクリンの長女)

Kenneth Franklin
(Colin - Soweto)

Leslie Lyles
(殴りかかる女性)

Mark Elliot Wilson
(弁護士)

見た時期:2012年3月

2012年春のファンタ参加作品

要注意: ネタばれあり!

見る予定の人は退散して下さい。目次へ。映画のリストへ。

女性作家の原作、女性監督の作品で、主演がティルダ・スウィントンだというのでベルリンでは受けています(前評判)。ただ、ファンタのファンからは私も含めて「ファンタ向きの作品ではない、ベルリン映画祭向きだ」という意見が強かったです。主催者はこの作品をファンタに持って来るためにカンヌまで出向き苦労したそうです。カンヌとゴールデン・グローブにノミネートされていますが受賞は逃しています。

見終わってみるとやはりファンタには向いておらず、また受賞を逃すのも納得します。理由は後述。原作はライオネル・シュライヴァーの長編小説。シュライヴァーは女性で、ティーンの頃ライオネルという名前に改名しています。

★ エヴァの視点から見たあらすじ

大きな事件が発生し、警察や救急が出動しているところか始まります。少年は残酷な弓を射るはここに至るまでの家族の話をたどります。主人公として登場するのは母親のエヴァ。成功した紀行文の著述家で、事件発生まで夫フランクリンと子供が2人いました。

冒頭の事件の説明は無く、話は少し過去に戻ります。あまりぱっとしない家に1人で住んでいるのがエヴァ。失望の連続だったようですがもう1度意を決して就職の面接に出かけます。すると意外なことに採用。「字が書けて書類の整理ができるなら雇う」と言われ大喜びで帰宅。観客はすぐ彼女の知性がその仕事よりずっと高いと気づきます。現在は1人暮らし。赤ワインが友達のようです。

彼女の白い家には赤いペンキが投げつけられ、正面が真っ赤。家の前に停めてある車のフロントガラスも真っ赤に染まっています。何かがあったことが容易に察せられます。その上面接の後帰宅しようとした時2人連れの中年の女性が近づき、1人がいきなり彼女の顔にパンチをお見舞いします。通り魔的に殴られた彼女を見て、近くにいた通行人が助けようとしますが(通報など)、「いえ、結構です、私が悪かったんです」と言って感謝しながら遠慮。その場の状況は明らかに逆。

変だなと感じている観客をそのままに話はさらに過去に戻ります。幼い長男ケビンと夫婦が豪華な家に住んでいます。長男はまだオムツをしていて、母親が色々教えようとしますがうまく行っていません。最初は自閉症か何かを疑ったようで、医者にも見せたようです。痩せて背の高い、化粧っ気の無い母親は心から心配している様子。医者はしかし検査をして「これと言って問題は無い」という結論に達します。エヴァは息子が重病か難病であってくれたらよかったかのようにやや失望した表情。

真新しい大きい家に住む3人。しかし幸せは訪れません。主としてエヴァの幸せを壊しているのはまだ幼児のケビン。何を言っても、何を教えてもなつきません。しかもエヴァにだけ拒否の姿勢を見せ、父親とはうまく行きます。

エヴァはかつて世界を旅行して歩き、ルポルタージュを書いて成功した作家。自由な人生を送っている彼女はフランクリンに恋われて結婚し、ケビンを生みます。そのことで家庭に入る決心をしキャリアは諦めます。平凡でも楽しい人生を想像していたエヴァの人生はケビンの誕生後地獄になって行きます。

ケビンは何をやらせようとしても、何を教えようとしても拒否、反抗という答しかくれません。エヴァが自分の部屋を改装するとそれをめちゃくちゃにしたり、結構な年齢になっているのにオムツを使ったり、順調な成長を示しません。夫が入って来ると問題は即座に解消。明らかに息子はエヴァだけをターゲットにしています。

ある時意を決して彼女は2人目の子供を妊娠。夫には相談しておらず、ケビンに取ってはだまし討ち。2人目は娘でシリアという名前。彼女の存在はエヴァに取っては慰めになります。しかしケビンはシリアさえもエヴァを苦しめるための道具に使い始めます。シリアお気に入りのペットが殺され、片目を失明するに至ってエヴァは認めたくなかった事を認め始めます。ケビンは自分を攻撃している・・・。

しかしその事を言うと夫からは「頭がおかしい」と思われ、「精神分析医の所へ行け」と言われてしまいます。やがて2人の間には決定的な亀裂が入り、夫婦は離婚の相談を始めます。離婚はケビンに取っては一大事。普通男親の所に間もなく成人する息子が引き取られ、母親がまだ幼児の娘を引き取ることになるからです。母親は離婚後また外国に行ってしまうかも知れない・・・。

常々思い切った事をするケビンはあと数日で16歳になるという日、未成年者としてリトルトンの事件に近い大事件を起こします。まだ15歳なので罪は一段階軽くなります。冒頭エヴァを殴った女性は自分の身内、恐らくは子供をケビンに奪われた人ではないかと想像できるようになっています。ということはエヴァが言った「悪いのは私です」が深いところでは正しい。

ショーダウンのところでケビンが大勢の人を殺し、中の2人はフランクリンとシリア、自分は無傷で刑務所に入り、刑期は被害の大きさに比べ軽いようだということが分かります。

★ 別な視点

あらすじはエヴァの視点から描かれており、観客もその方向で誘導されます。一歩下がってこの家族の視点でないところから見るとこんな具合になります。

☆ 飛ぶ鳥を捕まえたフランクリン

自由に世界を飛び回っている女性を見たフランクリンは彼女を自分の元に置く決心。結婚し妻は子供を産みます。旅行がちだった妻は定住し始めます。そして輝かしいキャリアは中断。「ま、いい所まで行ったのだから」という気持ちだったのか、自由に疲れて定住を選んだのかは不明。少年は残酷な弓を射るの中でははっきりしません。

恐らくエヴァはフランクリンの申し出を影響を承知していながら、どこかにまだ自分の方針にはっきり線を引いていなかったのでしょう。息子と対峙する時に無言の中で態度に現われていたのかも不明。この時旅の多い自由な生活にピリオドを打ち、「これからは家庭生活を満喫するのだ」という風に人生の章を切り替えていれば全ては違った方向に行ったと思われます。

☆ きっちり屋のエヴァ

そこだけあいまい、いい加減なエヴァですが、他は何事にもきっちりした性格。「家族とはこうあるべき」という雛形が頭の中に先にあり、それに家族を合わせようとします。家族のキャラクターを見て、「こういう人だからこういう風に対処しよう」という順序ではありません。同時に夫の間にも役割分担ができてしまい、夫は子供に物事を教えたり、褒めたり、物を買い与えたりする役目、自分は息子がちゃんとしていない所を矯正する役目にはまってしまいます。本来は2人の親が両方の役割をかわりばんこにやるべきですが、この家では役割がはっきり分かれてしまいます。なのでケビンの間違いを直すのがエヴァの仕事になってしまいます。

☆ 何とかする時間、方法はあった

夫婦仲は悪くなく、夜2人で大人の用事があり、ちょうど・・・という時になると、なぜかケビンが現われ、「オムツを替えてもらいたい」と言いに来たりします。ケビンがその年齢で何もかも理解していることは無いとしても、ちょうど子供に来てもらっては都合が悪い時を選んでいます。そして間もなくケビンも年が行き、F ワードなどが理解できるようになります。

フランクリンは子供のケビンにおもちゃの弓と矢をプレゼントし、使い方を教え始めます。高校生ぐらいになった時にはスポーツとして本物の矢を射るようになり、実力をつけて行きます。

その年齢の頃にはエヴァはもうくたくた。娘が息子に苛められ、片目を失明するに至って我慢の限界に来ています。つまりエヴァとフランクリンは2人で協力してモンスター・チャイルドを製造してしまったわけです。子供というのは2人いれば必ず反対の性格になると言われています。善玉と悪玉といったように先に生まれて来た子供が善玉の優等生の役を取っていれば、次に生まれた子供は容易に悪役を得てしまいます。逆の順番ですとケビンとシリアのようになります。なので、「シリアはまともな子供なのにケビンは異端児に育ってしまった」と感じているエヴァは事態をよく見ていないことになります。子供が3人で女の子ですと、立派な行動、優等生の長女、誰にもかわいがられる、ややわがままな3女、間で忘れられる次女と言ったパターンもあります。先に生まれた子供がいずれかの役割を取り、後から生まれた子供はそれ以外の役を選ぶ、最近は子供が2人以内の家が多いので、善玉と悪玉パターンが多いというわけです。無論それ以外のケースもあるでしょうが、巷でよく見かけるパターンというのがあります。

エヴァもフランクリンも大きな問題があると分かっていながら全く手を打たないままケビンが16歳になるまで待っています。

例えば夫が「精神分析医の所へ行け」と言った時、エヴァは行っていません。精神分析医というのは頭がおかしくなった人の治療をするものではなく、例えばエヴァのように近視眼的になりストレスを溜めまくっている人に新しい視点を紹介するような仕事もします。日本がかつて家族、親戚、長屋の隣人などで解決していた問題を、核家族ばかりで相談相手がいなくなった現代には精神分析医がサポートしているという面があります。それでがっぽり儲けています。長屋では無料。

分析医は患者としてやって来るのがエヴァですとエヴァしか扱いませんが、エヴァのケビンに対するアプローチ、ケビンに対する考え方には一定の影響を及ぼします。エヴァの視野が広くなり問題点の自覚が強まると、エヴァ自身が考え始め、ケビンに対するアプローチが変わって行きます。これまでまんまとケビンの作戦に引っかかっていたエヴァが引っかからなくなるとか、ケビンがエヴァを傷つけようとしてやった事にエヴァの方が鈍感になって行けば、2人の関係はおのずと変化して行きます。

そういう意味では夫の忠告は1つのチャンスでしたがエヴァはそれを逃しています。エヴァはケビン以外の事では非常に聡明で物事をよく考える性格。なのになぜ精神分析医を自分のために使おうとしなかったのかは不明。全体的に他では成功しているのに、ケビンだけは上手く扱えません。

他の方法として例えばエヴァが家庭に入っても週に1、2度どこかで働くとか、家にいても書いた文章をどこかの新聞に寄稿したり、かつては旅行を素材に書いていた文章を、今度は家庭に切り替えて書けば、それなりに仕事になったと思われます。原稿料が無くても、1度名を成した作家なら記事は載せてもらえるでしょうし、そうやって10年ほど経って、1冊本を出すなどできたと思われます。

そういう活動を通して編集者とコンタクトができたり、読者から手紙が来たりと、自分の家庭、問題児ケビン以外の所にも目が行ったと思われます。そうすればエヴァの心にいくらか余裕が生まれたのではないかと思いますが、彼女はその方向は選んでいません。夫とケビンが許さなかったかも知れませんが、あれほど自由で成功した人なので、周囲が何か言うより前に始めていれば通せたかも知れません。

結婚後の職業的な成功は自分の方から放棄したエヴァですが、それでも似たような考えで強行したのが2人目の子供の妊娠。夫は一時的に頭に来ます。「相談ぐらいしてくれれば良かったのに」という理屈は無論正当ですが、正面切って相談したら却下されたかも知れません。ケビンも無論反対するでしょうが、この時ばかりはケビンには発言権がありません。夫はかなりの金持ちで、ちゃんとした収入があるらしく、もう1人子供が増えても経済的には困りません。

とは言うもののケビンにはエヴァの意図がすぐ察知され、シリアは犠牲になってしまいます。最初はシリアの飼っていたペットが殺され、次にシリアの片目がつぶされ、最後は殺されてしまいます。ここに至ってケビンの動機は歴然。エヴァはそれでも理解しません。

☆ モンスター・チャイルド製造法

ではなぜケビンがモンスターになってしまったのか。オーメンですと、元々悪魔の子供だったという説明で片付きます。実際の生活ではそういう与太話は 通りませんし、ケビンはダミアンのような超能力は持っていません。子供がこういう風になるに当たっては、先に生まれて子供を待ち構えていた親の方に責任があります。ある知り合いが「愛しなさい、甘やかしては行けません」といった趣旨の本を出版したことがあるのですが、欧州を見ていると子供に指示をするのではなくお願いをする親、何でも買い与える親、物だらけにして子供に貰った物の価値を考える暇も与えない親など色々です。結果としてモンスター・チルドレンも団体で作られて行きます。

私の実家はジリ貧では無く、中の下程度。生活、学校などに必要な物は買えましたが、近所と比べるとテレビはずっと遅れて買いましたし、衣類は親、親戚が大人の服をつぶして作った物も着ていました。おもちゃも誕生日に貰った物を長く使ったりしました。一部は今でも持っています。自分が貧乏だと感じたことが無かったのは、親が使うべき時にはぱっとお金を使っていたから。親の頭の中に一定のルールがあって、「何でも買ってもらえると思うなよ」というスタンス。親自身も無駄遣いはしていませんでした。ねだることは自由で、本などはよく買ってくれました。子供はねだっても拒否されることに慣れていましたが、ねだっても怒られるわけではないので聞くだけは聞いてみようというスタンスでした。

ドイツに来て親の様子を見ていると「ノー」と言わない親が多く、人から「ダメ」と言われた事の少ない子供が多かったです。1番驚いたのはかなり多くのインテリ層、中産階級の親が子供を躾ける時に「お願いします」と言って《子供様にやっていただいている》こと。私の親が特別だったのかも知れませんが、うちでは《これはこういうものなんだ》という風で、幼児は夜遅くまで起きていないものだとか、甘いものは食べないものだとか、親がルールを決めていました。論争も何も起きず子供はそういうものなのか・・・という風に従います。大きくなったら〇〇はやってもいいとかも言われました。

そして意外なことに大学の年齢になった時にユースホステルを使うなら一人旅をしてもいいことになり、早速旅に出るようになりました。親の側としては結構勇断だったと思いますが、それまでにしつけをしてあるから1人で出しても大丈夫だろうと判断したのかも知れません。あるいは親の1人が旅大好きの性格だったので、子供が真似をすると言い出した時にいいだろうと思ったのかも知れません。

ケビンを育てているエヴァは外から見ているとケビンに密着し過ぎていて、少年は残酷な弓を射るを見る限り周囲に近所の人も、親戚も、誰も登場しません。もしかしたら原作は長いので時にはそういう《他人》も登場するのかも知れませんが映画の中には出て来ません。エヴァの相談相手は夫1人。そういうタイトな関係の中で「これはこういうものなんだ」とか言っても常にケビン対エヴァだけの対立になってしまうので、エヴァは社会を背景に物を言うことはできません。本来親というのは子供が社会に参加する準備をする役を担っているわけですが、エヴァの視野はそちらには全く向いていません。

全体を見ていると
 ・ 夫がエヴァを見初めて家庭に閉じ込めた
 ・ エヴァは仕事を辞め、家庭に専念
 ・ エヴァのコンタクトの大部分はケビン相手となる(過干渉)
 ・ 夫はそれまで通り外に仕事の付き合いがある
 ・ エヴァも夫も本当に問題が生じた時その話を避ける
という流れで、モンスター・チャイルドができ上がってしまいました。

ケビンの側から見ると母親を喜ばせるか失望させるかの選択肢が最初からあり、失望させる方を選んだ様子。母親がうろたえる姿を楽しむようになります。逆に親の顔を見て敏感に親の希望を悟り、いつもいい子を演じる子供もいます。そういう例では子供が疲れ切ってしまい、これまたいつか大きな事件に発展することもあります。ブラック・スワンの主人公はこちらの例に近いと思います。親が不幸になるか、子供が不幸になるかの選択肢になります。ほどほどにしておけば四方丸く収まるのですが、それでは小説にも映画にもならない・・・。

私は夫がエヴァを家庭に閉じ込めたと書いていますが、夫が悪いという風には考えていません。彼女には家でパーティを開く、近所の人と仲良くする、慈善活動をする、半日仕事をするなど、いくつか選択肢がありますし、1年に数日子供を人に任せて旅をしてもいいはず。夫は旅の好きな女性と結婚したのですから、そのぐらいは承知しなければ行けません。不思議なのはエヴァにいくつか選択肢があったのに別な道を選ばなかったこと。

エヴァは聡明な女性のように見えながら、自分の人生の方向が自分で理解できていなかったことになります。今後ケビンを刑務所に訪ね続けるでしょう。そしてケビンが釈放されたらどういう生活が待っているのか・・・。私なら欧州かカナダかどこかへ移住しますね。ケビンは重罪の前科があるので、ビザが下りないか、当分アメリカに留め置かれるでしょう。間もなく成人するので、エヴァがケビンの生活費を払う必要も無い。恐らくは被害者への賠償で夫の資産は使い果たしているのではないかと彼女のあばら家から伺えます。ここまで来てしまったら1度解体すべき家族です。それぞれがこういう事を理解した後での再会はいいですが、今このままの再会をすると、小説の続編ができそうで怖いです。

★ キャストへのクレーム

いくつか意見が分かれていて、夫を演じたライリーがダメだとか、スウィントンの演技がすばらしいとか、いやダメだとか色々言われています。邪悪な息子を演じたミラーを美男子だと褒める論調もあります(日本人が美男だと褒める顔は私にはなぜか全然ハンサムに思えないのですが、ロン・パールマン・ファンの私ですから、他の人と意見が違うのは仕方ないかも知れません(笑))。物語の解釈についても息子を悪と取り、スウィントンを犠牲者のように見る人もいます。なぜ息子はスウィントンを殺さなかったのかという意見もありました。

モンスター・チャイルドを作ったのは親の方だという解釈で見た人と、オーメンのダミアンの視点で見た人に分かれたのだと思います。ファンタの仲間で「ベルリン映画祭向きだ」と判断した人たちは、私も含めモンスター・チャイルドを親が作ったという判断をしています。ファンタに来てもおかしくないと思った人たちは、ダミアンがエスカレートして大事件を起こしたという流れで見ています。

私はライリーは脚本を理解した上で控えめに演じたと思います。いいとこ取りの父親との自覚はあったと思います。スウィントンはちょっと出過ぎた印象を受けました。無論自分が主役だと思っているでしょうから悩む母親を目いっぱい演じたのだと思いますが、この役が彼女に向いていたかは疑問です。もしスウィントンで押し切るなら、かつてどういう自由な生活をしていたのかをシーンとして出す方が良かったと思います。例えば独身の彼女にライリーがプロポーズをするシーンとか、外国で出会ったシーンをちょっと入れた方が良かったように思います。

ま、この作品有名になると思うので、場違いのファンタとは言え見られたことは運が良かったと思います。主催者の1人がカンヌで大感激して、紆余曲折の末ベルリンに持って来ることに成功したそうです。

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