October.29,2001 旦那が板についた扇治の『二番煎じ』

10月27日 池袋演芸場十月下席昼の部
        入船亭扇治真打昇進披露興行

        十人真打が誕生したというのに、披露興行を見に行けたのは三遊亭白鳥だけ。上野、新宿、浅草と続いた披露興行もウカウカしているうちに、この池袋で終了。慌てて、池袋に向かう。この日は扇治がトリを務める。

        できるだけ前座さんから見るというのを目標にしているのに、いろいろと用を片付けて池袋演芸場にかけつけたときには、もう2時近かった。前座さん、柳家三之助、柳家喬太郎、柳家亀太郎(粋曲)は終わっていて、桂文生が『本膳』を終えようとしているところ。立ち見こそいないものの、もう客席はほとんど埋まっていた。前の方の空いている席に滑りこむ。

        席の前の机を上げて、メガネ、メモ帖、シャープペン、のど飴を並べているうちに入船亭扇好の『真田小僧』が始まってしまった。まったく慌しいったらない。これだから開演前には入っていなくちゃいけないんだよな。「ねえ、おとっつぁんは寄席に行くよね」 「ああ、行くよ」 「寄席ってところは話を聴く前にオアシ払うの? それとも話を聞いたあとにオアシを払うの?」 「そりゃあ、前だ。お客さんに先に帰られるちゃあ困るから先にオアシを取るんだよ」 なかなかに軽やかな『真田小僧』だ。子供に嫌味がないのがいい。

        柳家さん八。「今日は扇治さんのお披露目でございまして、親戚の方、同級生の方なんかが、たくさんいらしているようでございます。これで寄席が病みつきになってくださるとありがたいのですが・・・もう二度と来ない」 「扇治は東京生まれではなく岐阜の生まれだそうでして、岐阜の山奥の方だというから熊のような男を想像していましたが、ご存知のようにいい男です。役者顔をしています。親とは似ていない、いい男。それはそうでしょう。親は親でもギフ(義父、岐阜)ですから」 ほんとかなあ。

        キリスト教やイスラム教は一神教。それに対して日本の神様は多神教。やおよろずの神、つまり八百万の神様がいた。当時の日本の人口は四百万人。神様の方が多かった。先週、志の輔も言っていたけれど、このいいかげんなところが日本のよさなんだろうなあ。宗教のマクラを振って『小言念仏』に入るが、お客さんがまだまだ入ってくる。「ナムアミダー、ナムアミダー、誰か入ってきたよ ナムアミダー、ナムアミダー、早く座るように言えよ! ナムアミダー、ナムアミダー、人んちに黙って入ってきたよ、どうなってるんだろうね ナムアミダー、ナムアミダー、噺が始められないから早く座ってよ ナムアミダー、ナムアミダー」

        さん八の高座が終わっても、客席は立ち見客がいっぱい。前座さんが「お膝送りを願います」と言ってもなかなか収まらない。そこへ川柳川柳がもう出てきてしまった。「どうかピシッと詰めて座ってください。電車なんかもそうですよね。端からピシッと詰めて座ってないと、ほんのちっょとの隙間があったりすると大きなお尻のオバサンが無理矢理に座ってくる」 ネタはいつものスポーツ話。「高橋尚子残念だったね。せっかく世界記録作ったのに、すぐに抜かれちゃった。今度の世界記録はアフリカの選手だもの。ライオンにしょっちゅう追いかけられているんだもの、早いわけだよ。高橋尚子、ビフテキ2Kg食べるってね。こっちは200gがいいとこ。あっ、今牛肉食べといた方がいいですよ。今なら半額だもの」 そのあとのことはとても書けない。「こんなことテレビでは言えないよ。でもここではいいの。ここは公共の場所じゃないから。ここは[池袋秘密クラブ]」 最後はお馴染み高校野球の入場行進曲の話。何年か前の行進曲にパフィーの『これが私の生きる道』が使われた話をして、「扇治も川柳も、♪これからもよろしくねー」 憎めないジイさんだ。

        津軽三味線の太田家元九郎は例によって、三味線で『アリラン』 『エルコンドルパサー』 『ラ・クンパルシータ』 『イエスタディ』 『パイプライン』 お見事! ただし『イエスタディ』のネタはしょぼいなあ。そして締めもいつものようになぜか『禁じられた遊び』が入ってくる『津軽じょんがら』。

        古今亭円菊。「十人の真打が誕生しました。今日のトリは・・・・・ええっと(上手に置いてある一斗樽の横の札を見て)・・・扇治さんです。十人もいるので分からなくなってしまう」 そうだよなあ。客としても憶えるのはタイヘン。全員分見に来るのも無理がある。そして『粗忽の釘』へ。いつものことながら志ん生のいいところを身につけた噺家さんだ。新婚時代ののろけ話、ふたりで行水を使うところなんて、本当に可笑しい。「チンチンチン、チンチンチン」なんて今だに頭にこびりついて離れない。

        入船亭扇橋は、なにやら話があっちに飛びこっちに飛びというマクラを演っている。風邪をひいている人が多いという話題から、炭疽菌の話題、志ん朝さんのこと、果てはストリップのことまで飛び、いつのまにか『弥二郎』に入っていた。どうもこの、ふわふわふわーっとしたところが扇橋落語の面白さなのかもしれない。

        仲入りに入って客席を見渡せば、すっかり満員。空席はひとつもなし。立ち見客も多い。手足を伸ばし、洗面所でうがいをしてから席に戻る。のど飴をまた一粒。風邪は治ったのに咳が止まらない。まだ当分は飴が手放せない。

        幕が上がると頭を下げている噺家が四人。下手から小三治、扇治、扇橋、円菊だ。おやおや、この日は小三治が司会役だよ。「扇治くんは、扇橋門下に弟子入りして十五年。このたびめでたく真打昇進の運びとなりました。この男は何かにつけ一生懸命でありました。きっと短い十五年だったはずです。とはいえ、真打というのは節目であります。マラソンランナーがこれから走り出そうというスタートラインに立ったばかり。これからが本当の勝負です。この男は上智大学を卒業して噺家になりました。今や落語界は大学出ばかりになっております。上智大学からも今や噺家になった者が三人、四人・・・・・上智大学といえばキリスト教の大学・・・・・(ぷっと吹き出し)・・・・・さぞキリストも・・・・・喜んでいる・・・・・・でありましょう」 小三治は司会役なのだが、話出すと例によって長い長い。

        円菊。「岐阜で行われた落語会で、扇治のおとうさんにお会いしました。帰りがけにお小遣いをもらってしまいまして・・・・それが一番うれしかった。真打になって初めて[師匠]と呼ばれるようになります。師匠! 師匠!と呼ばれて気持ちいいものではあります。それがこっそり[ちくしょう!]なんて呼ばれたりする」 ちゃめっけたっぷり!

        扇治の師匠扇橋。「扇治の生まれたところは岐阜の美濃。それも在のところでありまして、川がチョロチョロ流れ・・・・・」と長々と扇治の故郷の話が続く。円菊が「何言ってるんだよ!」と突っ込むと「いや、今日は親戚の人がたくさん来ているそうだから」 そのあとも話がノラリクラリとあっちへ飛びこっちへ飛び、果ては弟子のカミサンの名前をズラズラと並べ立てていく。何の関係があるのか分からないこの人の口上。落語と同じで取り止めが無い。そこがまた可笑しいんだよなあ。弟子が真打になってうれしくもあるのだろう。そのあとも小三治がまた笑いを取る話を演るものだから、すっかり長い披露目口上になってしまった。円菊の音頭で三本締め。

        二十分押しで出てきた奇術のアサダ二世。「長い口上でしたなあ。だいたい小三治師匠がいけない。延々と15分くらい演っちゃう人ですが、司会やらせても長いですね。扇橋と小三治は兄弟弟子に当たるんですね。あのふたりが揃うと、とにかく長い。普通トリを取る新真打にたっぷり時間をやろうと短めにするものですよ。それを全然考えてない」と、アサダ二世のトークがこれまた長く続いていく。突然気がついたように「それじゃあ私は、という話をしたということで終わりに・・・・というわけにもいかないか」と、鮮やかなロープマジックをひとつだけ無言で演って下りた。

        柳家権太楼は金馬師匠、春日三球・照代とハワイへ行ったときの漫談。「私ら四人でレストランに入ってコーヒーを四つ頼んだんですよ。しばらくしたら韓国人の八人組が入ってきた。大きなテーブルなので相席になったんです。この八人が注文したものが、なぜか一緒の伝票につけられちゃった。『三球さん、ちょっと文句言って』って言ったら、『私は地下鉄なら文句言えるのだけど・・・』。それで金馬師匠に頼んだら、『任せておけ!』って。それが凄かったですね。『ヘイヘイ、カモーン! カモーン、ボーイ! トラブル、トラブル。ジス・イズ・ワンテーブル。ワン・ツー・スリー・フォー、ワン・グループ。ワン・ツー・スリー・フォー・ファイブ・シクス・セブン・エイト、ワン・グループ・・・・・ベツベツ。ソレナーノニー、カンジョウガキ・イッショ。コッチ、ナカヨシ・グループ、シェイクハンド。コッチ・ベツノヒト。ココワココ、ココワココ、セパレーツ、セパレーツ』。しばらくしたら、ココアが十二杯運ばれてきた」 このあとには、相撲取りのタニマチ筋の接待と、落語家のオダンの接待を面白おかしく対比してみせた。客席は爆笑につぐ爆笑。権太楼の漫談というのは初めて聴いたが、面白いなあ。

        柳家小三治は『道灌』。ははあ、先日の白鳥の披露目で演ったのは『道灌』の始めの部分だったのかあ。今回はキチンと最後まで演じてみせてくれた。太田道灌が江戸城に帰ったという表現に反応した八つぁん、「あれは徳川家康の城じゃないんですか? オレのオヤジが言ってましたよ。オヤジは上智大学出ているから間違いない」

        柳家小袁治。わーい、やっとケモノヘンでないエンが出せた。苦労している人に朗報。ついに[袁]の出し方が分かったのだ。くわしくはここを見てね。 ええっと、ネタは『芋俵』。あれっ、この前もこのひとは『芋俵』だったよな。

        翁家和楽・小楽・和助は、時間がないらしく和助の五階茶碗と、和楽、小楽のナイフの交換どりだけ。和楽がちょっとミスをしかかって、ヒヤリ。

        さあトリの入船亭扇治だ。深夜寄席で聴いたことのあるマクラから『二番煎じ』に入った。真冬の噺だが、このところ肌寒くなってきたから、もうかけてもいいのかも。それともこの噺、自信があるのかなと思って聴いていたら、なるほど丁寧な語り口だ。ふたつの班に分けて火の用心に周る町内の旦那連。寒い寒い描写をきちんと演っておいて、番所に帰ってからの火のぬくもりに暖をとる旦那衆の幸せそうな顔の一瞬。実にいい顔をしてみせた。それにつづく始まってしまった宴会の様子といい、旦那の表情がとても決まっている。この歳にして、旦那の表情をこれだけ出せる人も少ないだろう。『二番煎じ』に四十分。じっくりと聴かせてくれた。これはいい真打が出てきたものだ。楽しみ楽しみ。


October.27,2001 志ん朝供養の『浜野矩随』

10月21日 志の輔らくご21世紀は21日 (新宿・安田生命ホール)

        去年から始まった立川志の輔のこの会。タイトルどおり毎月21日に催されている。いつもは夕方からの開演なのだが、日曜に限っては午後2時からの開演。そういえば思い出した。去年の8月のこの会のことである。やっぱり日曜日だったと思う。前売りのチケットを買いもらしてしまい、当日券で入ろうと思って昼過ぎに安田生命ホールの受付前で並んだのだった。すでに何人か並んでいた。しばらくすると係員が整理券を配りはじめた。私も一枚受け取った。一時間後にもう一度戻ってきてくれというので、食事をしに出かけた。



        上の写真がその整理券。大きさはJRや地下鉄のキップの半分くらいの小さなものだった。あんまりカワイイのでデジタルカメラでパチリ。20番という整理券を受付で渡すと座席表を見せてくれて、塗りつぶしてないところが空席だという。このときに私は我が目を疑った。一番前の席ばかり空いているのである。「あっ! 一番前が空いているんですねえ」と言うと、応対してくれた女性、「残念でしたー! 一番ウシロなんでーす。ふはははは」 ええっ! だって座席表の上の方が空いているではないか・・・と思って気がついた。舞台の位置が下にきていた。つまり、こういうチケットを売るときってお客さんから見て、舞台が上になるように座席表を示すのが普通でしょ。それが逆だったというわけ。こちらも可笑しくなって、「ふはははは、本当だあ、ふはははは」と笑ってしまった。落語を聴く前にこんなに笑ったのは初めて。

        今回はちゃんと前売りを手に入れておいたので、こんなことはなく、すんなりと客席へ。前座は立川志の吉『強情灸』。頑張ってね。

        志の輔一席目。「日本はあいまいな国なんですよ。昔からズーっと。アメリカはYESとNOしかない。意思表示をはっきりする国です。ところが日本は[はい]と[いいえ]の間に、[まあまあ]がある」 志の輔は、今回のアメリカのタリバンへの報復攻撃に関して、自衛隊を出すのか出さないのか、YESかNOかと回答を要求するアメリカに対して、日本っていう国民性はこのあいまいさでやってきた国であり、このあいまいさがいいのではないかと話す。「信仰だってそうでしょ。日本には信心はあっても信仰はない。エジプトの方じゃ『アラーの子』なんて言う。アメリカはキリスト教の国。すぐに『オー・マイ・ガッド』とか『オー・マイ・ジーザス』なんて言う。日本では絶対に『オー・マイ・法然』なんて言わないでしょ」 よく言われることだけど、クリスマスも除夜の鐘も初詣も何の違和感もなくやっている日本人。よその国の人から見たらヘンだと思われるだろうけれど、このへんのあいまいさがいいんじゃないだろうか。志の輔は続ける。「根本はあんまりキチンキチンとしない。それが日本なんだもの」

        そんなマクラを振って何を演るのかと思ったら、『猫の皿』だった。掘り出し物を捜して地方を歩いていた道具屋が、ふと立ち寄った茶店で猫を見かける。猫嫌いという設定の道具屋が猫を観察して、ひとり言を呟いている様子が可笑しい。「そうやってオレの言ってることを無視してやがって・・・そんな口の回りをペロペロと舐めて・・・自分で自分の体を舐めまわして、そんなに面白いか?」 やがてはちょっかいを出して、猫に引っ掻かれてしまう。「痛ってー! 引っ掻きやがった・・・おいおい、どうして戻ってきてメシ食うの! オレは人刺したあとにメシ食わねえよ!」 そこから、その猫の皿が高価な絵高麗の梅鉢だと気がついた道具屋が、なんとかその皿を二束三文で手に入れようとする噺。この噺、数ある落語の中でも意外性のあるオチで私は大好きなのだ。

        この会お馴染みの松元ヒロのNHKのニュースを流してのパントマイムというのか当て振りというのかは、いつものことながら楽しい。アフガニスタン空爆などの、ちょっと深刻な問題も、これを見ていると笑いに転化してしまう。そこに松元ヒロ独特の毒が盛り込まれているから、ジーッと見つめてしまう。ものすごい情報量の動きで、うっかりするとそのギャグを見落としてしまう。演る方もたいへんだが、見る方も相当な集中力を必要とする芸だ。

        志の輔二席目。狂牛病の話題から入って、志ん朝師匠のことを話し出した。「忘れもしません。私が明大の落研に入って、初めて志ん朝師匠の落語を見たときのことを・・・。柳朝、志ん朝二朝会でした。あのとき『火焔太鼓』を聴いて、死ぬほど笑って、痺れて動けなくなっちゃった。その場で楽屋に行って弟子になっていたら、また違った人生になっていたかもしれない。志ん朝師匠は高座に出てきた途端に江戸の風が吹いているという感じでしたね。それからコピーが始まった。志ん朝に惚れて、いくら見に行ったことか。『宿屋の富』 『富久』 どれだけコピーしたことか」 そうかあ、志の輔さんも志ん朝に憬れたんだあ。芸風が大分違うし、師匠の談志は志ん朝とは仲が悪かったと聞いていたから、そんなに影響を受けていたとは思わなかった。

        噺は自然と『浜野矩随』に入っていく。名人と言われた金属彫刻師の息子の噺だ。これはそのまま名人志ん生の息子として生まれた志ん朝さんへの追悼の意味があったのだろう。名人の子として生まれた者にかかる重圧。「先代はよかった」と周りから言われる中で自分の芸を磨いていかなければならなかった苦しさ。それは想像を絶するものがあったに違いない。いつになく志の輔の噺にも熱が入っていたように思う。「名人に二代なし」を見事に「名人に二代あり」であることを証明した志ん朝さん。志の輔さん、この噺を演ってくれて、本当にいい供養になったと思いますよ。


October.21,2001 なんでまだ二ツ目! 神田北陽

10月13日 第二六九回花形演芸会 (国立演芸場)

        朝日名人会からのハシゴで国立演芸場にタクシーで駆けつけたのだが、どうもネットを見ていると、この日、東京の落語ファンはかなりの人がハシゴをしていたらしい。それも、私のようなルートではない。浅草演芸ホール昼席の柳家三太楼真打昇進披露興行を見て、そのまま木馬亭の林家染二の独演会へ流れる。こちらの方が通な落語ファンのコースだったようで、このハシゴ組は大勢いたようだ。とすると、私のとったルートというのは・・・。まあいいか。私は私の好みがあるんだもの。

        この日、花形演芸会へ行った目的は、私の仲間にぜひともこの日のトリ、神田北陽を見てもらいたいと思ったからだ。事前に声をかけたら四人が集まってくれた。

        前座は金原亭駒丸で『たらちね』。頑張ってね。

        春風亭朝之助は毎週土曜日のNHKラジオ第一『土曜ほっとタイム』(15:00〜16:00)『科学こども相談室“親子ではてな?”』に出演していると言う。「いろんな質問が来るんですよ。『誕生日に死んだら歳はとるんですか?』とかね」 そんなの何の意味があるんだろうね(笑) 「どうしてお空から雨が降ってくるんですか?」 「いいところに気がつきましたね。それは雷様がオシッコしてるんですよ」 いいのかねえ、そんな答えで! ネタは『権助魚』 こちらに来る前に見たのが名人級の噺家をズラリ揃えた会だったから、さすがにこっちの若手の会になると、噺にアラが目だって見えてしまう。女将さんはなかなか良く演じられているのに、権助のアクが弱いし、旦那の貫禄が弱い。まあ、これからの人だから長い目で見つづけていこうっと。

        いつもここからのコント。この人たちを一躍有名にした、『悲しいとき』から始まった。左の山田が拳を握り締め「悲しいときぃー」と言って、どんなときが悲しいかを叫ぶ。すると左の菊池がスケッチブックに描いたその状況の絵を見せて、リピートするという構成。「悲しいときぃー、ぜんぜん買い物少ないのにレジで待たされたときぃー」 「悲しいときぃー、自分の自転車のカゴをゴミ箱にされたときぃー」 「悲しいときぃー、写真撮るのでポーズとってるのに、なかなかシャッターが下りなかったときぃー」 「悲しいときぃー、ホームランボールを子供から奪い取っている大人を見たときぃー」 なんてのが気に入った。

        もう一本のネタは、これも『爆笑オンエアバトル』で見た記憶がある。暴走族ネタで、これも『悲しいとき』と同じようにリズムのあるパターンで見せてしまう傑作だ。ドーケドケドケジャマダジャマダジャマダという排気音のオートバイにまたがり、コノヤロメで締める。「トーケドケドケジャマダジャマダジャマダ、GLAYのキーボードかっこいいじゃねえかコノヤロメ」 「でも正式メンバーじゃないんだコノヤロメ、カケモチなんだぞコノヤロメ」といった具合。『悲しいとき』の場合もそうなのだが、それほど面白くないネタも大分混ざっている。しかし、このリズムとパターンでやられると、ついつい聴き込んでしまうから不思議。

        林家しゅう平は珍しい噺を持ってきた。私は今まで聴いたことがなかった『袈裟御前』だ。いわゆる地噺で、しゅう平はおそらく三平の『源平盛衰記』を参考にしたとのだと思う。話があっちに飛び、こっちに飛び、時にミュージカル仕立てにして楽しませてくれた。「小さんとか志ん朝の方へ行ってればよかったんです。あっちへ行ってれば、まっすぐな落語が出来るようになったはずなのに、それが私、林家へ行っちゃた」 そんなことないって! なかなかいい『袈裟御前』でした。林家三平の地噺の方法論をうまく持ってきてるけどなあ。最後は『千と千尋の神隠し』を熱唱してくれるサービスぶり。

        アンジャッシュは前にも見たことがある『息子と部下』。お得意のすれ違いの電話ネタだ。これもビデオ化されている。何回見ても面白い、よく出来た話だ。この緻密な構成と演技力。今までこんなによく考えられたコントを演る人たちはいなかったはずだ。アドリブ不要の、このしっかりと出来あがったコント、私は大好きだ。アンジャッシュは、もっともっと評価されていいと思うのだよ。

        女性の噺家というのは難しい。川柳つくしのように新作へ行って自由な落語を演るというのなら別なのだが、古典ともなるとやっかいだ。男性を演じるのがどうも女性には無理があるらしいのだ。桂右団治のように、女を捨ててかかって演るという手法もあるが、この日に初めて見た古今亭菊千代の場合などは、ちょっと苦しいような気がしてしまう。『お見立て』を演ったのだが、花魁の喜瀬川はよしとしても、若い衆の喜助が男になっていない。声はある程度仕方ないとしても仕種などに女が出てしまう。田舎者の杢兵衛はいやらしいアクが出しきれていない。悪気はないのだが、聴いていて少々辛く長く感じてしまった。もっと女性が中心になる噺を演った方が得なのではないだろうか?

        大小ふたつの毬を持ってジャグリングをしてみせることから始めた曲芸の鏡味正二郎、反応のない客席に「こんなんで拍手してもらってもかまいません」と言った途端に、拍手が沸く。「それでは、これだけ20分続けましょう!」 毬の曲芸のあとは、ご存知五階茶碗をいとも楽々とこなしてみせた。最後は傘の曲芸。毬に輪ッかに枡と回したあと、「これからの曲芸師は輪ッかを四ついっぺんに回せなくてはいけません」とパトカーのオモチャを傘の上で走らせていた。

        前半が予定より早く過ぎていたのだが、菊千代と正三郎が長かったせいで、トリの神田北陽は定刻に高座に上がった。定席では持ち時間の関係で、疾風のように現れてドワーッと一席語って、また疾風のように去っていってしまう北陽だが、こういう時間がたっぷりあるときのマクラにあたる漫談が面白い。いつものように、仲間の春風亭昇太や三益紋之助の話から、曲ゴマ師の日本刀や紙切りのハサミがハイジャック防止のために空港で引っかかるという話をおもしろおかしく語ってきかせてくれた。この話術にみんなまずひき込まれてしまう。そしていよいよネタに入ると、今回は古典の『徂徠豆腐』。江戸時代の儒学者荻生徂徠と豆腐屋の交流を描いた一編。背景に赤穂浪士、吉良邸討ち入り後の様子を絡ませながら、見事に読みきってみせた。

        仲間と国立演芸場前のインド料理屋でビール。「いやあ、北陽って上手いねえ」と口々に言ってくれる仲間の声に、私もちょっと鼻高々。誘ってよかったなあ。「あれでまだ二ツ目なんだよ」と教えてあげると、「ええーっ! 信じられない!」の声が一斉に上がる。私もそう思うのだ。なんで今年、真打になれなかったのだろう・・・。


October.19,2001 う〜ん残念! ネットに流せない小三治のマクラ

10月13日 第二十一回朝日名人会 (朝日ホール)

        さすがに体力が衰えてきたのか、ハシゴとオールナイトはやらないようにしているのだが、この日、昼の『朝日名人会』、夜の『花形演芸会』はどちらも逃せない。よおし、ひとつ気合を入れて挑戦してみるか。

        なあんて言っておきながら、雑用を片付けているうちに『朝日名人会』の開演時間が迫ってしまった。慌てて銀座マリオンに向かう。エレベーターに乗って十一階へ。受付で前売りチケットの半券をもぎってもらい、客席にダッシュ。高座は、ちょうど前座さんが終わるところ。ははあ、『たらちね』演ってたのね。名前は分からずじまい。頑張ってね。

        林家彦いちが出てきた。演目表を見ると、『反対車』とある。へへえ、古典を演るんだあ。まあ、客層が客層だから新作なんて演ったらびっくりしちゃうかもね。軍歌好きの桃屋あるいは桃好きの右翼という例のマクラで笑いを取ってから、噺に入る。実をいうと私は彦いちの古典というのは初めて。う〜ん、どんなもんだろう・・・と不安半分、興味半分だったのだが、いいんですよ、これが。

        前半の年寄りの車引きもいいのだが、やはり見せ場は威勢のいい若い男の車引きになる後半。客を乗せるなり猛スピードで駆け出して行く。「どけどけどけどけ!」 「いけませんよ、速く遣ってくれったって、そんな乱暴なこと言っちゃあ」 ドラム缶飛びも見事に決まって、元気いっぱいの高座だ。「大きな川に出ちゃいましたね。橋は向こうですよ、車屋さん。ちょっと遠回りになるけど、あっちへ周るしかないですよ・・・。ちっょと、あなた何かヘンなこと考えてない? ・・・何下がってるの! ・・・ダメだよ!」 「ちょっと捉まっていてくださいよ」 「ど、どこまで下がるの。そういうことは・・・」 ザッブーン! 水中を突っ走る人力車。ボコボコボコボコ。反対側の岸に上がると「お客さん、ちょっと濡れましたか?」って、「ずぶ濡れだよう」 オチもちょっと工夫されていた。芸者が出てくるのだが、これって誰かの型があるのかなあ。

        柳家喜多八は、これまたよく演っている立ち食い蕎麦のマクラから『もぐら泥』に入る。敷居の下を掘って、そこから手を突っ込んで掛け鍵をはずして中に入るという[もぐら]という手口の泥棒というのが昔聴いたときにはピンとこなかったこの話。ようやく頭の中で状況が描けるようになった。今みたいにどこもかしこもコンクリートで固められちゃっている状態では不可能な手口だよね。ただ、いつものことだけれど、泥棒がふん縛られて身動きが取れなくなってからが、こちらの体調の悪いときには辛い。動きが封じられてしまうので、見ていてウツラウツラしてしまうのだ。これはよっぽどの実力がないと持たない部分。喜多八はなかなか面白く演じていたけれど、慌てて滑りこんできて、ちょっと疲れていた私は、ちょっとウツラウツラ。

        いつも楽しみにしている三遊亭円窓のマクラだが、落語家のなったキッカケの話を始めた。「中学三年三学期のことでした。担任の女の先生・・・いい女でしたがね・・・にね、『八っちゃんねえ、勉強しなくちゃダメよ』と言われて、都立文京高校へ行こうと決心したんですよ。入試のための勉強の辛かったこと。そしたら高校へ入って入学式当日、担任の先生がこう言ったんです。『諸君は大学入学目指して今から頑張らなくてはいけない』 そのとき、『ああ、ここにいたらダメになる』と思いました。厭世的になっちゃってね。自分の好きなものの傍に身を置きたくなっちゃった。その先生の一言で私の人生は決まっちゃったようなものですよ。あのときもし、『受験勉強たいへんだったでしょう? 落語でも聴いてノホホンとしてください』って言われてたら違った人生になっていたかもしれない。噺家になったのは、その先生の言葉がキッカケ。その先生を恨んでいいのかどうか困りますが・・・」

        ネタは『甲府い』。店のオカラを盗んで食べた男を役所に突き出すでもなく、自分の豆腐屋で使ってやる。男は江戸に出てきたものの、サイフを擦られ困り果てていたのだ。男は一生懸命働き、店も大繁盛になる。善人ばかり出てくる噺だが、そうなんだよなあ、役所に突き出すこともなく仕事を与えてやれば、いい方に転がることもある。失業率の高い現代、仕事さえあれば悪事も減るんではないか。

        五街道雲助は『星野屋』。旦那と妾の騙し合いのこの噺、筋やオチを知っていても後半の駆け引きは面白い。雲助のも面白いけれど、お妾さんがもう少し老練な感じがある方が私の好み。でもさすが雲助だね。上手い!

        マクラの面白さなは定評のある柳家小三治だが、この日のマクラも抜群に面白かった。もう書きたくてウズウズしているのだが、これだけはさすがにネットには乗せられない。有名人でもないごくごく一般人のある果物屋さんのことを語っているので、ちょっとまずいのだ。やっぱり実際に小三治の落語を聴きに行かなくてはダメなんだよね。この分だと、ワケあって『ま・く・ら』に収録できないものが、大量にありそうだ。

        このマクラを聴けただけでモトを取った気がしたのだが、ここから『味噌蔵』へ。「ケチと倹約は違います。出すべきところは出すんだけど、出すべきで無いところには出さない。これは倹約といって普通のことです。出すべきところも出すべきで無いところも絶対に出さない。しがみついてでも出さない。それをケチっていうんですな」 前半に味噌屋の旦那のケチぶりをじっくりと演じてみせてくれるので、後半使用人が大爆発して大宴会になるのが生きてくる。お泊りになるはずの旦那が帰ってきてしまって大慌ての使用人の反応がまた可笑しい。酔っ払った目をして「どうしようかなあ、このままではまずいですよ・・・みんな、ちゃんとしなさい。赤い顔は止めなさい!」って言ったってもう遅い。このすっとぼけた味わいも小三治ならでは。

        マクラに十分。噺に一時間。今、どこに『味噌蔵』を一時間も演る噺家がいるだろうか。時計を見れば、五時四十五分。ハシゴする予定の『花形演芸会』の開演が六時。あと十五分しかないではないか! 銀座から半蔵門まで地下鉄で移動したのでは間に合わない。幕が下りると同時にロビーを駆け抜けエレベーターで下へ。タクシーに飛び乗り国立演芸場に向かう。ああ、忙しい。


October.14,2001 志ん朝さん、やすらかに・・・(絶句)

10月6日 新宿末広亭十月上席夜の部

        鈴本で三遊亭白鳥の真打昇進襲名披露興行を楽しんだ翌日、まさに寝耳に水のニュースが飛び込んできた。古今亭志ん朝死去。昼時の最も忙しい時間帯が過ぎ、ホッとしていた時だった。「テレビのニュースで、志ん朝さんが亡くなったって言ってましたよ」という店の者の言葉に、一瞬何のことだか理解できなかった。そのまま仕事に追われる一日が続いていった。ようやく我に返って志ん朝さんのことを思うようになったのは、片付けと翌日の仕込みを終えた夜の9時30分。部屋でひとりになって、「そんな・・・」と一言呟くなり、あまりのことに呆然としてしまった。

        志ん朝さんの最後の高座を見たのは、浅草演芸ホール、八月中席昼の部の『住吉踊り』だった。私が行ったのは初日。三日目からは入院して病院から通っていたというから、あのときも相当に辛かったのだろう。ところが、そんな風にはさっぱり見えなかった。ちょっと痩せたかなあという印象はあったが、節制しているからだろうくらいにしか思わなかった。仲入り前に出てテンポのいい漫談で場内を湧かせ、住吉踊りではリーダーとしてほとんど舞台に出ずっぱり。他のメンバーとの愉快なやり取りは、とても病気とは思えなかった。住吉踊り千秋楽と同時に、年内いっぱいの活動を全てキャンセル。療養に専念すると発表した。来年はまた復帰するということだったので、これはいい機会だから完全に治して欲しいなあと思っていたのだった。それが・・・こんな結末になるなんて・・・。

        その夜は、あまりのことに志ん朝さんの死が信じられず涙も出なかった。翌朝、朝の仕込みが一段落したところで、パソコンに向かった。その日の更新分の文章を書こうとして、いつものようにとりあえずメールのチェックを入れてみたら、熊八MLからのものが随分と入っていた。みんな志ん朝さんの死を悲しむ内容のものばかり。読んでいるうちに涙が出てきてしまった。志ん朝さん、本当に死んじゃったんだ。もう、とても文章を書くどころの気分ではなく、ベッドにゴロリと横になって、志ん朝さんのことを思い出していた。

        志ん朝さんは、落語以外にも芝居によく出ていて、三木のり平の舞台には必ず出演していたと言っていいだろう。三木のり平が明治座で座長公演を行うと、毎朝楽屋入り前にウチへ寄り、蕎麦を食べてから明治座へ向かわれていた。楽屋入りが毎日10時ごろだから、ウチへは9時30分ごろに現れる。「まだ早いけど、いいですかね?」と言う志ん朝さんに、「どうぞ、どうぞ、準備中でまだ落ちつきませんが、よろしかったら食べていってください」と答えて、蕎麦をお出ししていた。自然と話をするようになり、やがて「これ、みなさんで召し上がってください」とお茶菓子を持ってこられた時には、本当に恐縮してしまった。一度、大晦日にご家族で年越し蕎麦を食べにいらしてくれたこともあった。志ん朝さんがウチの蕎麦を気に入ってくれている。それは、私の密かな誇りでもあった。三木のり平さんが舞台に立たなくなってからは、ちょっと疎遠になっていたが、『小説新潮』の対談で、ウチのことをふれているのを読んだときには、「ああ、まだ志ん朝さんはウチのことを忘れたわけではなかったんだなあ」と思ったものだった。

        ところが一方、私の方はと言えば、志ん朝さんの高座をあきれるくらい見ていない。定席には行かなくなってしまっていたし、志ん朝さんの出る落語会ときたら、なかなかチケットが手に入らない。たまたま手にしたチケットときたら大きなホールの一番後ろの席。そんな大きなホールで見る志ん朝さんは、はっきり言うと私にはつまらなかった。芥子粒のように小さくしか見えない志ん朝さんの動きや顔の表情は、どうもよく見えない。こんなのじゃ・・・と、それ以来見に行かなくなってしまっていた。それでもテレビで、ときたま放送された志ん朝さんの落語は、いつも見ていた。

        何回も書くようだが、二年前からまた、私はまたポツポツと落語を見に行くようになり、ホームページのこのコーナーを始めたのがキッカケのように、また頻繁に足を運び出した。定席通いも何十年ぶりに復活させた。今年の四月、そんな私を待っていてくれたかのように、志ん朝さんが池袋演芸場でトリを取った。志ん朝さんがトリを取るということで、前に出る芸人もみんな気合が入っていた。私は幸せな時間を過ごしていた。そしていよいよトリの志ん朝さんの出番。百人も入れば満員という小屋に百五十人以上は入っている。みんな志ん朝さん目当てだ。どうも自信なさそうなマクラを軽く振ってから、噺の『お見立て』に入った途端、なにかが乗り移ったように落語の世界に入っていく。びっしりの観客は志ん朝さんのセリフ、表情、動きなどを、ひとつも見逃しまいと固唾を飲んで見ている。たった百数十人を前にしての志ん朝さんの落語。なんて贅沢な時間と空間だろう。そのとき、私は決心したのだ。また志ん朝さんが定席に出るときは必ず行こう。いや、志ん朝さん以外でも時間のゆるすかぎり、いろいろな人のナマの高座を見ようじゃないかと。

        今年の七月のある晩、人形町の商店街の人がウチの店に来て、何やら話し込んでいる。聴くとは無しにさの会話が耳に入ってきた。この秋、商店街主催で落語会をやろうというのである。400人以上入るホールでの落語会。主催する関係者の話では、それだけの人数が呼べる噺家は、今、志ん朝と小朝しかいないと言うのである。それで、どちらを呼ぼうか迷っているとのことだった。小朝は二席演るという。しかし、志ん朝さんは一席だけで勘弁してくれとのことだ。そのかわり、小朝よりもギャラは安くていいという。代わりに、若手を何人か連れて来るということだった。私は、小朝を二席聴くならば、志ん朝さんの一席の方がいいと思ったのだが・・・。やがて、志ん朝さんは健康を理由に出演を辞退してきた。しかし、私は体がそこまで悪くなっていたとは思いもよらなかった。

        十月一日死去。お通夜が五日。そして六日が告別式。告別式は土曜日にあたるので、出席しようかとも思ったのだが、悲しみが増すだけだと思い、告別式には行かなかった。笑いたかった。志ん朝さんのことは忘れて、寄席で笑いたかった。鈴本で見た三遊亭白鳥の真打昇進襲名披露興行が新宿末広亭でもある。白鳥なら笑い飛ばしてくれるだろう。よし、末広亭に行こう! そして、ひょっとしたら出演者の誰かが、志ん朝さんのことを話してくれるかもしれない。

        近く二ツ目昇進だという、前座の三遊亭金兵衛が『素人鰻』を終えようとしているところから入る。最後の方しか聴けなかったが、なかなか上手いじゃないの。頑張ってね。

        替わって、こちらは二ツ目になってしばらくたった三遊亭天どん。「(前座と)そんなに違いがないので期待しないで欲しいんです。でも、今夜出る二ツ目の中では一番面白いですよ。何故かというと、今夜は私しか二ツ目がいないんですね」 相変わらず人を食ったようなキャラクターで、ぶっきらぼうに話す。当初は、こいつ何者だあという感じがしていたのだが、どうもこっちが慣れてきちゃった。これはこれで面白いと思うようになってきたのは、彼のキャラクターの成せるワザか? 「五時には下りなくちゃいけないんですよねー」 天どんが上がってまだ二分。ええっ! あと三分? 五分しか持ち時間無くなっちゃったのかあ? 軽くよたろうさんの小噺を演って下りた。八方破れみたいな高座だが、まとまりがついてきたじゃん。

        漫才の笑組は、白鳥の前座時代の逸話を披露。「ボクたちはの師匠は内海桂子・好江なんです。白鳥(当時新潟)が前座時代に楽屋に飛び込んできて、こぶ平さんの着物が置いてある上を跨いで飛んでいったんですね。それを好江師匠に見られたんですよ。『ちょっと、あの前座こっちに呼んできなさい!』と言うんで、彼に話したら、『オレ行かない』ですからね。好江師匠が亡くなってから四年。日本国中で、ウチの師匠が亡くなって喜んでいるのは白鳥だけですよ」 そりゃあいかにもありそうだなあ。「テレビの英語講座ってヘンですよ。とてつもない日本語が出てくる。『ゆうべは、肉ジャガを召し上がりましたか?』だって。いったい目の前の人がきのう肉ジャガを食べたことを訊く事態って、一生のうちに一度だってあると思いますか?」 ほーんと、そうだよね。日本の英語教育の欠陥を面白おかしく解説していく。この人たち、早すぎず遅すぎずのいいスピードを持っている。こういうのが聴きやすくていい東京漫才だと思う。いつも書くようだけど、ただテンポが速いだけで、話題がコロコロ変わってしまう漫才はごめんだ。

        「寄席文字でゴチャゴチャと三文字書いてありますが、[くらのすけ]と読みます」 橘家蔵之助が挨拶した途端、客席から「大石内蔵助!」の声がかかる。「ええ、初対面の人には、そう言われます。すると『ええ、大石だけに力(主税)がついています』と答えることにしています」 うまい! ネタは相撲取りの小噺から、漫談風の『相撲あれこれ』に入った。 呼び出しさんからや行司のちょっとした薀蓄話をしてくれる。う〜ん、タメになるなあ。

        三遊亭生之助は『がまの油』だったが、ちょっと口上のテンポが遅いようだ。胡散臭い大道商人なんだもの、もう少し煙に巻くような口上でないと騙せないと思うんだけど・・・。まあ、分かりやすい口上ではあったけど・・・。

        アサダ二世はロープの手品を中心に、この日も鮮やかな動きだ。

        誰か志ん朝さんの話をしないかなあと思っていたら、金原亭伯楽が「きょうは、志ん朝さんの葬儀に出席して、先ほど骨を拾ってまいりました。どうも落語を演るという気分になれませんで、志ん朝さんを偲んで、雑談をしてみようかと思います」と言い出したので、客席から多くの拍手が来た。「噺家になるには試験とか素質なんて関係ないんですよ。やりたいという意志があればいい。もう、有象無象の集まりですよ。その中から一割でもちゃんとした噺家がなれればいいという世界です。志ん朝さんは、あの志ん生の次男。生まれつき天才的なものがあったんですね。前座のころから、高座に上がると華がある。話し出すと、こころもちがいい」 

        五年で真打になってしまうというスピード出世だった。ほぼ同期の立川談志とは犬猿の仲だったという有名なエピソード、落語協会分裂騒動での志ん朝さんのとった行動の話と続く。「それにしても、志ん朝さんという人は傍にいるだけで気持ちのいい人でしたね。噺家仲間でポーカーが流行ったことがありましてね、ある日、志ん朝さん負けが込んでいたんですよ。それがね、『いけねえ、明日、紀伊国屋で品川心中演るんだ』って、二階に上がって稽古を始めてしまう。それも、二時間も三時間もですよ。凡人じゃないですよね。私らだったら、博打が気になって稽古に集中できませんよ」 「あの素晴らしい芸も、みんなあの世に持っていっちゃった。我々は追いつけるかどうか分かりません。大きな星が落ちてしまいました」 客席もシンミリと聴き込んでいた。伯楽さん、いい話をありがとう。見に来たかいがありました。

        入船亭扇橋は『弥次郎』だったが、メリハリのないのが辛い。この人、昔はもっと面白い落語を演っていた気がするのだが・・・。

        「白鳥には恨みがあるんですよ」 三味線漫談の三遊亭小円歌が新潟時代の白鳥のエピソードを語り始めた。「新潟が、『今度引越しするんですよ、アネサン』と言うから、『引っ越し祝い、何かあげるわね』と言ったんでよ。普通、こう言われたら、『いえいえ、お気持ちだけで結構です』って言うわよね。それが、『じゃあ、家具調コタツください』だって! しかたない、買ってあげましたよ、家具調コタツ。そしたら、あげたあと、また一ヶ月ほどして、『また引越しましたから』」 『相撲甚句』、そしてお得意の和風ラップ『両国風景』。シメは立ち上がって『かっぽれ』を踊る。

        鈴々舎馬風の代演が柳亭左楽。「代演ていうのは気が重いですね。プログラムに名前が載っていないとお客さんが上を見たり下を見たりして、胡散臭さそうな目でこちらを見る」 ひょっとして馬風は志ん朝さんの葬儀の日に『会長への道』は演りにくくて休演してしまったのかな。左楽のネタは『悋気の火の玉』

        古今亭円菊。「十人の真打が誕生します。どうか最後まで見ていってください。途中で帰ろうとすると、出口で前座が棒を持って待っていますから、お気をつけて」 今回の十人の中には、円菊の弟子である菊若改め駿菊も入っている。駿菊さんの日にも行きたいのだけれど、運悪く全部平日。残念だなあ。円菊のこの日のネタは『風呂敷』だが、本当に師匠だった志ん生に似ている。「お前なんか、シャツの三番目のボタンみたいなものだ。あってもなくてもかわらねえ」なんてクスグリを入れるしゃべり方が、もう、志ん生そっくりなのだ。

        三遊亭円窓。「このところテレビや新聞のトップニュースって嫌なことばかりでしょ。大惨事でなきゃ注目しない。その点、寄席ではせいぜいあってもコサンジ」 この人のマクラは、いつ聴いても違っており、まったく飽きが来ない。この日は、テロ事件にからめたもの。「寄席は二百年の歴史がありますが、いまだに乗っ取りがない。寄席乗っ取り事件なんて聞いたことないでしょ? お客さんが高座に上ってきて、噺家に刃物を突き付けて、『オレにも演らせろ!』なんて言っても、我々は絶対に演らせません。死守しますよ。演らせたら、アッチの方が上手い人が大勢いますから・・・」 ネタは『首屋』。

        仲入り後、三遊亭新潟改め三遊亭白鳥真打昇進襲名披露口上の幕が上がる。下手から、こん平、扇橋、円窓、白鳥、円丈、円菊と並んでいる。鈴本に続いて、司会はこん平。大きな声が響き渡る。それを受けて扇橋、「最初に喋る人が元気がいいと、自然にあとの者が勇気が出てくる。噺家は前座時代は叩かれます。やっと二ツ目になって苦労して、ようやく真打。今までのようないい加減な噺をしてはいけません。その点、彼の場合は他の真打と違ってユニークな・・・」 ほんとに白鳥のことを語らせようとすると、幹部連は困るらしい。持ち上げていいのか、けなしていいのか・・・。

        円窓の挨拶は鈴本のときとほぼ同じ。「白鳥のいいところは、そのユニークさではないでしょうか。意表を突くと言いますか。三百年の歴史でも、こんな個性はない。意外性、意表を突くこのセンスは、凄いものを持っているなと・・・。私は円丈よりも凄いものを持っていると・・・、円丈さん、そう思いませんか?」 円丈小さく「そうです」 「めでたさは、きょう白鳥羽ばたきて!」

        円菊。「相撲でいうと、前座は幕下、二ツ目になって十両。真打になってようやく幕内ということになります。真打になって第一歩ということです。・・・・・・どうも風邪をひいてしまったらしい。ハックチョー・・・なんてね」

        円丈。「高田文夫先生から、白鳥という名前はどうだろうという話をもらいまして、本人と話しましたところ、『鳥は嫌いだ!』なんて申しまして、『好きになれ、バカヤロー!』 醜いアヒルと言われた新潟が本当にきれいな白鳥になれるよう、お引き立てのほどをお願いいたします」

        円菊の音頭で三本締め。

        あしたひろし・順子の出番のはずが、古今亭志ん駒が出てきた。志ん駒といえば、志ん朝一門。告別式にも出ていたはずだ。「ひろし・順子先生がどっか行っちゃいまして、代わりに出てきました。色物の代わりですので・・・」と、いつもの手旗信号と、いつもの踊り。葬儀のあとで辛いだろうに、いつものように明るく元気な志ん駒。偉いなあ。

        三遊亭円丈は『ランゴランゴ』だった。ウワサには聞いていたがね聴くのは初めて。なんと外国人労働者が不況で工事現場での仕事が無くなり、落語家になるという噺。最初、イラン人の落語家が出てくるが、これは当初はアフガニスタン人だという設定だったと聞く。やはり国際情勢から変えたのかなあ。次に出てくるのがザイール人。「ゲムゲムゴムゴム(寿限無寿限無と言っているらしい)」とか「ブンハハ」 「ムンババ」 「ドベンチョ」といった意味不明の言葉が出てくる、この噺。ランゴランゴというのは、落語落語という意味らしい。まことにパワーのある噺で、原始的な力が湧いてくる。客席がパーッと明るくなった。やっぱり、この手の噺が好きなお客さんが多いのかな。

        林家こん平。「只今は、白鳥の師匠円丈でありましたが、めいっぱい演ってましたね。普通はあの半分くらいの力で演るんですよ。本格的に白鳥を潰しにかかったようで・・・」 白鳥のトリの時間が押しているようで、短い漫談だけで早々と高座を下りた。

        紙切りの林家正楽休演。トラが大空遊平・かほりの漫才。本当は膝がわりにはうるさすぎる漫才なのだが、白鳥のノリならどうってことないか? いつものように、かほりが一方的に飛ばしまくる。悪くはないのだが、私にはちょっと騒々しく感じる漫才だ。

        紺の着物に白の羽織姿の白鳥が後ろ幕の真中から現れたのは前回と同じ。「この後ろ幕、ファンの人が手作りで作ってくれたもんなんですよ。アットホームというか、貧乏臭いというか・・・あっ、この文字、外せるんですよ」 三遊亭白鳥という文字をひとつひとつ外してみせた。「だからね、これ、文字を並べ替えちゃうこともできる。こうやると、三白亭遊鳥 ゆうちょう・・・郵便局に気に入られそうでしょ」 自分の名前で遊ぶなっつーの。この日のネタは『ある愛の歌』。売れない噺家のストーカー的追っかけ少女の話。おでんの入った鍋を持って、無理矢理に押し入ろうとする。その作戦のあの手この手。よく考えると怖い話なのだが、爆笑につぐ爆笑。この噺、以前は売れない役者という設定で演っていたはずで、そのときに、これは噺家にすればいいのにと思ったものだから、噺家版が出てうれしかった。これ、噺家の方が合うと思う。噺の中で、師匠の前で下手な『時そば』を演ってみせると、「頭の悪いクマさんがリハビリしているような芸だな」という突っ込みが返ってくるあたりの呼吸が白鳥落語の楽しさ。志ん朝落語とはまったく違った意味で得がたい落語だ。

        地下鉄新宿線のホームへ向かう途中で、オフ会で知り合ったHさんと遭った。やはり今見てきたとこだという。しかも、志ん朝さんの葬儀の帰りに・・・。Hさんはこんなことを言っていた。「こん平師匠、昼トリのあと、夜の出番があるのに忘れて飲んじゃったって言ってたでしょ。あれ、ウソですよね。きっと飲まずにいられなかったんですよ、志ん朝さんのことでね」 そうだろうなあ、私もそう思っていた。さらにHさんはこう言った。「志ん朝師匠の出棺のときにね、こん平師匠、『矢来町、お立ーちーぃ!』ってね、涙声で言ってましたよ。すると、方々から『矢来町!』 『名人!』って声がかかってね」 私も行けばよかっただろうか。しかし、その場にいたら、本当に泣き出してしまったかもしれない。


October.12,2001 異能真打誕生!

9月30日 上野鈴本演芸場九月下席夜の部
       三遊亭白鳥真打昇進襲名披露興行

        この秋、落語協会から十人の真打が誕生した。十日間の各寄席に一日づつ出演をしてトリを取る。全ての新真打の興行に行きたいけれど、とても行ききれるものではない。とりあえず、この十人の中でも異能といえる三遊亭新潟改め三遊亭白鳥の披露興行に行ってみることにした。客席に入ると、もう前座さんと次の柳家三之助は終わっちゃったらしい。お客さんの入りもいい。前の方はほとんど埋まっちゃっている。急いで後ろの方の席に座る。

        「手品って夏はダメなの。失敗しちゃうの。手がベトベトしちゃってね」 アサダ二世がボヤいている。「トランプ当てで、『これでしょ』と言うと、『違う』って言うんだよ。そんなことないはずだって、その隣の人に訊いても、やっぱり『違う』って言う。どうも本当に違うんだね。やんなっちゃうよ。チラッと見るんですけれどね、特に3と5は間違いやすい」 ウソだろう? 手品のネタなんてそんなもんじゃないと思うなあ。黄色い風船を膨らませ、赤いスカーフを拳銃で撃つと風船の中から赤いスカーフが出てくる手品。失敗してた。おーい、もう夏は終わったよー。

        柳家花緑は白鳥の同期で一緒に前座を勤めた仲。花緑は15歳でこの世界に入り、白鳥は大学を出たばかり。わずかながら花緑の方が入門が早かったために、兄さんに当たる立場だ。「無理してるっていうのが、そこかしこに現れるんですよ。最後に兄さんって付ければいいと思ってる。『あっ、ちょっとボクの靴取って、兄さん』 『ちょっとアレ買ってきて、兄さん』 さっきもありました。『お客さん入っているらしよ』と言ったら、『ちょっと見てこいよ、兄さん』 『よせよ』と言ったら、『バカヤロー、兄さん』ですからね。

        どうも花緑の落語とは合わないと思っていた私だが、この日の『宮戸川』は面白かった。将棋に夢中になって遅くなり、親から締め出された半ちゃんと、カルタで遅くなって、これまた親から締め出された花ちゃん。花ちゃんの感じが面白い。「指してたら夢中になっちゃって遅くなっちゃったんだ」 「サスって、人を?」 半ちゃんが締め出しをくっちゃったと語ると、普通は締め出しを食べちゃったと返すところを、「締め出しをたいらげちゃった」 おいおい、逆に女の子らしい言葉遣いじゃなくなってるぞー。ハハハ。おばさんのところに行きなよと半ちゃんがいうと、おばさんは九州だとか、ブラジルって答える噺家さんのパターンなのだが、花緑のはなんと[ピョンヤン] う〜ん、そりゃあ近くて恐ろしく遠いところだ。走って逃げる半ちゃん。早合点の霊岸島のおじさんにあんなきれいな女の子連れていったら、どうゆうことになるかと独り言を言っていると、すぐ後ろで聴いていて、「ふうん、そうなの」 なにより花緑のはスピーディなのがいい。この噺、前半はスピードがあった方がいいと思う。霊岸島の老夫婦のくだりも思い切ってほとんどカットしたのもいい。ただ、ふたりが二階に上がってからのやりとりを説明だけで終わらせてしまったのは惜しい。ここがいいところなんだから。時間がなかったのかなあ。ウフフ、雷が鳴って、お花ちゃんが半ちゃんに抱きつくのではなくて、半ちゃんがお花ちゃんに抱きつくのも可笑しい。「これからお花の尻に敷かれつづけるという由来の一席です」と結んだが、お花ちゃん、本当にしたたか。

        「去年の暮れ、下呂温泉の方へ仕事で行ったんですね」 桂南喬が旅のマクラを振っている。「大型観光バスの車体に宣伝が書いてあったんですよ。[忘年会新年会のご用命は飲み放題食べ放題のゲロ・パックでどうぞ]だなんて」 てんでネタの方は三人旅の『おしくら』

        さあ、白鳥の師匠に当たる三遊亭円丈の登場だ。「弟子の真打披露とあって、紋付を着てきました」 おお、円丈師匠、黒の渋い紋付ではないの。そんなのも持っているんだあ。いつも原色の派手なやつにワッペン付けてるのにィ〜。「こういう日には古典を演ろうかと・・・」 演るわけないだろうと思ったら、「古典と言えば『寿限無』ですね」と『新寿限無』に入る。生物物理学者に名前を付けてもらったものだから、「酸素酸素クローンの擦り切れ細胞壁原形質幕細胞分裂減数分裂食う寝るところは2DK窒素燐酸カリ肥料人間アセトアルデヒドアミノ酸リボ核酸龍角散DNAのRNAのヌクレオチドのヘモグロビンのヘモ助」 これ、けっこう古くから演っているネタだけど、かなりの笑いが来た。やっぱりこの人は名作が多い。

        林家二楽の紙切りは、まずは『桃太郎』。あれっ? この前も桃太郎だったなあ。お客さんの注文は「お月見!」 「満月ね。いいんですか? それなら私、すぐに切り終わっちゃいますよ」と、紙の端っこで小さな丸を切り抜いて、「はい、お月様」 それで終わっちゃ芸ではない。そのあとちゃーんと月見をしているおかあさんと女の子を切り上げた。時間がないのか、そのリクエストだけで切り上げて(シャレのつもり)、お後と交代。
        入船亭扇橋は漫談だけ。「昔は、うでたまご(ゆで卵)といったらご馳走でしたよ。運動会とか遠足があると持たしてくれてね。白身から食べていって、黄身と遭遇した時の感動ったらなかったですよ。まったくいい時代になったものです。うでたまごを毎日でも食べられる。これで戦争がなければ一番いいんですが・・・」 アフガニスタンで戦争が始まろうとしている。そんなこと考えずに寄席に行って、うでたまご食べながら落語が聴きたいよね。

        林家こん平も漫談だけ。声がでかくて耳がキンキンする。この前に出た扇橋は声が小さくて聞き取りづらかったが、今度は逆で声が大きすぎて聞き取りづらいのだ。三遊亭小遊三らとやっている[落語卓球クラブ]の話。「卓球天才少女愛ちゃんとやったことがあります。でも、愛ちゃんとはあまりやりたくない。だって負けると泣くんですもの」

        三遊亭円窓はペット・ブームのマクラから入った。「うちのカミさんも猫を飼っているんですよ。『そろそろ、ご飯にする?』なんて猫に話し掛けてたりする。機嫌が悪いと、こっちには口もきいてくれないのがですよ!? 『オレのは?』って言ったら、『あっ、エサね』なんていって、放るんですよ。それも放るんなら足元に放りゃあいいものを、遠くへ放るんですからね。餓死したくないから、そっちへ飛んでいきますがね」 フハハハハ、本当かなあ。ネタの『権兵衛狸』に入ってからも、狸が戸を叩くという最初のところから本筋を離れて解釈が始まってしまった。この人、こういうの好きだねえ。「狸が戸を叩くっていいますが、体のどの部分で叩くと思いますか? 尻尾だと思いますか? いや、尻尾じゃあ、人間が叩いているような音にはならない。バサッ、バサッとしか音はしないはずです。手で叩きますか? ああいう動物の手は肉球ですよ。とてもそんな硬い音にはならない。手の甲ですか? それでもそんなに大きな音にはならない。最近わかりました。狸は背中を戸に押し付けて、後頭部をコツンコツンとぶつけるんですね」 どうでもいいようなことなのだけど、そういうことをキチッとするあたり、私好きだなあ。

        仲入り休憩でロビーに出れば、七月に落語関係のオフ会で出会った人の顔、顔、顔。みんな好きだなあ。人のことは言えないけど。ある新聞社に勤めるNさん。部下が見に来ているのを発見すると、「こんなの見に来たの?」―――って、こんなのはないんじゃない。言いたくなる気持ちも分かるれど! 白鳥のトリねえ。ハハハ。みんな物好きだよね。

        「女性トイレの洗面所に入れ歯のお忘れ物がございました。こん平がお持ちしております。まもなく開演です」の馬風のアナウンスで慌てて席に戻る。幕が上がって、いよいよ披露口上の始まりだ。下手から、司会役の林家こん平、入船亭扇橋、三遊亭円窓、本日の主役三遊亭白鳥、白鳥の師匠三遊亭円丈、鈴々舎馬風、柳家小三治とズラリと並んだ様子は、さすがに壮観だ。全員頭を下げてかしこまっている。後ろには垂れ幕が下がっている。青い宇宙。上手には白鳥座の絵が描かれ、下手には土星と地球。その下に[三遊亭白鳥]の文字。

        こん平の元気のよい、型どおりの挨拶のあと、ひとりひとりが挨拶していく。まずは扇橋。「ただいま、こん平さんから、すばらしくダッシュのきいた口上がありまして、気がついたら白鳥さんとこん平さんは同じ新潟の出身なんですね。県人会なんでしょうか、いつもより気合が入っていた気がします。新潟改め白鳥。師匠の円丈さんの、円も丈もつかない。勉強しないのが一番いけません。どうかは白鳥だからと言って、フラフラと渡り鳥みたいに飛んで行っちゃまずいですからね」

        円窓。「世間では、十人真打を冷ややかな目で見る方がいます。大量生産であるとか、粗製濫造であるとか、あるいは十っぱひとからげであるとか。そんなこのは間違いだと思います。ひとりことりがいいか悪いかっていうことでしょう。今回の十人の中でもこの人は、そのセンスは今までの噺家にないものがありまして・・・あったら困るかもしれませんが。それをドンと出す度胸と勇気は・・・」誉めてるんだかけなしてるんだか・・・ハハハ。と思っているうちに、さすが円窓、うまいオチをつけてくれた。「今や、師匠より品があるんじゃないですか。円丈さん、なんだかタバコの吸殻みたいになっきちゃいました。そこへいくと、白鳥さん、タバコはスワンというくらいのものですから」

        馬風。「暑さ寒さも彼岸までといいますが、すっかり涼しくなってまいりました。秋と言えばスポーツの秋。ベルリンではマラソンの高橋尚子が2時間19分の世界新記録をたてまして、これも皆さんの支援のたまものと・・・、一方、きのうは曙が引退興行・・・、また、マリナーズのイチローが記録達成・・・、しかし、わがジャイアンツは優勝をのがし・・・」 いつまでたっても白鳥の話題に入らない。これ、いつものパターンらしい。「はなはだ簡単ではありますが、これをご挨拶に代えさせていだきます」 おいおいという他の参列者の表情も、いつものお決まり。

        小三治。「亡くなりました三遊亭円生師匠は正統の中の正統という落語をなさる、なんとも素晴らしい噺家でございました。師匠というのは、弟子を育てるためのコーチでもなければ、先生でもありません。私にとって、師匠の小さんは自分のカガミでございました。鑑。お手本でございます。ところが考えてみますと、円生の弟子にはロクなものがいない。円生は自分のことには気を配っておられましたが、どうも弟子の方には手が回らなかったみたいで・・・。この円丈さんも直系の弟子ですよ。それから川柳も円生の弟子ですよ。円窓はもともとこんなやつだし、円楽にいたってはもう救いようがない。三遊亭の系譜を保っていくのは、この白鳥だけでございます。円生の立派さと弟子のどーしよーもなさ。それほど白鳥には期待がかかっているのでございます。ところが、白鳥の落語というのは、円生とは対極の位置にあるものでして、これが世の流れと思って諦めています。白鳥が新潟の名前で前座だったころは、ヘンな奴だなあと思っていましたが、やっぱりズーッとヘンだった。ひょっとすると白鳥は今が一番いいときかもしれない。不法なのは、この男、真打になると決まったときに金髪を直した。改心したんですかね。この男にはマトモになって欲しくない!」 これまた上げたり下げたりで客席は多受け。異端派の白鳥を小三治あたりがどう言うか楽しみだったのだが、悪く言われても客には受ける。白鳥というのは、今の落語界で得がたいキャラクターだなあ。

        円丈。「真打になるのに名前をどうする? と本人に訊きましたところ、自分で決めてきました。[大福]がいいと言うんですね。それはお前、舐められるぞと・・・。そこへ高田文夫先生から、白鳥はどうだろうと言われまして、こういう名前にさせていただきました」 言葉少なに語る円丈。自分の弟子が初めて真打になる。感無量のものがあるのだろう。「三本締めの音頭はオレにやらせろ」と言う馬風を制して、小三治の音頭で三本締め。

        一旦幕が下り、再び上がると、昭和のいる・こいるの漫才だ。「今は真打昇進披露口上、いいものですなあ。世の中、手作りの古いものがだんだん無くなってきちゃいましたねえ」 「まあ、しょがないわな」 「しょーがなくないよ! 噺家さんは、見習い、前座、二ツ目、真打とありますが、我々漫才には何もありませんからね」 「よかった、よかった」 「よかないよ。誰も認めてくれないということだからね」 へーへー、ほーほー漫才いつもの通り。

        「掛けなさい・・・掛けなさいって!・・・どうして走るの!・・・座りなさい!」 墨を擦りながら代書屋さんが叫んでいる。柳家権太楼の『代書屋』だ。「名前は?」 「湯川秀樹」 「湯川秀樹? あのノーベル賞取った人と同姓同名?」 「あっしも天皇賞取った」 客席は爆笑に継ぐ爆笑。上方落語にある、「一行抹消―――っと」ていう繰り返しがないのが、ちょっと寂しいが、それが無くとも大きな笑いが取れる権太楼、さすがだね。

        柳家小三治は、出てくるなり後ろの垂れ幕を眺めて、びっくりした様子で立ち尽くしてから、座布団の上へ。挨拶も何もなく噺に入ったのだが、これは何という噺なんだろう。ご隠居さんのところにやってきた男と、ご隠居さんの会話が何ということもなく続く。「一日一度はご隠居さんの顔を見ないではいられないんですよ」 「私もそうなんだ。あなたの顔を一日一度は見ないと落ちつかない。これを合縁奇縁というのかな」 『合縁奇縁』という噺なのかなあ。「ご隠居さん、書画骨董なんかには、興味ありますか? おやっ? なんか絵が掛かってますね。白鳥の絵ですか、これは?」 「これからは白鳥の時代だよ」 これには大拍手。小三治、素に戻ると「というわけで、白鳥をよろしくお願いします」と結んで、高座を下りた。うまいねえ。

        鈴々舎馬風は、いつもの漫談だけれど、『会長への道』にも入らず、「白鳥は、今楽屋でヤキモキしてます。野郎、たっぷり演るっていうから、この辺で・・・」と早々に切り上げて楽屋へ帰っていった。毒舌の多い人だけど、さすが、華を持たせることはするんだな。

        ひざがわりは曲芸界きっての美人、柳貴家小雪ちゃん。皿回しに続いては、傘の上で毬を回す曲芸。ピンクの蛇の目傘が鮮やかだね。

        照明が落ち、高座にスポットライトが当たる。後ろの垂れ幕の真中が開いて、三遊亭白鳥が出てくる。寄席の歴史始まって以来の登場の仕方ではないだろうか? 場内割れんばかりの拍手で、これがなかなか鳴り止まらない。「このあと、芸が演りにくくなりますから」と静める姿は照れくさそうだ。いつものピカチューの付いている黄色の着物ではなく、紫色のシックな着物姿。こんなのも持っているんだあ。「今度真打に昇進して、白鳥という名前になるんだとクニの母に言ったんですよ。そうしたら、近所の人に挨拶して回るんですよ。『私が白鳥の産みの親でございます』って。飼育係じゃないんですから」と母親の話から、子供の犯罪をテレビゲームのせいにする世の中の風潮に疑問を呈するマクラを振ったところで噺に入る。母子家庭のケン太くんはいじめられっ子だ。おかあさんはトンネル工事の労働者。自分では[穴掘りクリエーター]、上手に穴を掘る人と称しているが、それをケン太くんは同級生にバカにされている。落ちこんでいるケン太くんを元気づけようと、工事人たちが知恵を出し合って、工事現場で、ロールプレイングゲームの真似事をしてあげる話。工事人の中に出稼ぎに来ているイスラム教信者がいたりして、「暴力はいけません。報復からは何も生まれません」と言うところでは、笑いと大拍手が起きていた。

        異能真打の誕生だ。知り合いと鈴本の入り口で雑談を交わし、翌朝はまた早いので失礼した。このときはまだ、翌十月一日に落語界に衝撃が走ることになるとは、誰も思いもよらなかった。



October.6,2001 ゲストも楽しいPSJ野音ライヴ

9月29日 『日比谷野音だポカスカジャン!』 (日比谷野外音楽堂)

        暑かった夏は過ぎ去り、もう秋になってしまった。4月の『ブルーズに乾杯!』、5月の『ブルース・カーニバル』。日比谷野音で春を感じたのは、つい先日のことのような気がする。ポカスカジャンが今年日比谷野音を押さえてあるという話を聞いたのが正月のこと。「そんな大きなところで大丈夫なの?」と訊くと、「お客さんさんが少なければ少ないなりに演りますから」とリーダーのノンちんのすました顔。採算なんていうことは考えないらしい。まあ、そんなことは事務所側の考えることで、タレント側はどうでもいいのかもしれない。こいつは大物だ!

        全席自由席。開演時間の表記がなく、「3時開場と同時に何かを演っています」というチケットの断り書きに、それならと、会場に早めに到着。すでにして長い列が出来ている。へえー、結構人気が出てきたんだね。モギリでガリガリ君ソーダアイスと、何やら怪しげな袋を手渡される。ガリガリ君を舐めながら袋を開くと、中から懐中電灯と黒い軍手が出てきた。どうも何か趣向があるらしい。

        3時半になると、闘牛士の格好をした3人が登場。ムムム・・・。「この衣装のテーマは[狂牛病に気をつけろ!]です」だと! 「まだ本番じゃないんですよ。これから演るのは[サウンド・チェック・ショウ]です。日比谷野音というところは、午後3時から8時半までしか音を出しちゃいけないことになっているんです。ぶっつけ本番で音を出すわけにもいかないので、これからサウンド・チェックを行いまーす」 ふうん、『ブルーズに乾杯!』あたり3時ごろに行くともう本番が始まってるけどなあ。あれって、ぶっつけなんだろうか? 

        ヴォーカル・マイクのチェックに続いて、ドラムスのチェック。おお! きょうはノンちん、バケツドラムだけじゃなくて、ちゃんとしたドラム・セットも叩くのかな? 省吾くんもウッド・ベースを持ち上げてサウンド・チェック。ちょっと試しに何か演ってみようと、ドラムスとウッド・ベースでブルースのセッションが始まる。さあ、ここに玉ちゃんのエレキ・ギターが入れば完璧と思ったら、ありゃりゃ、エレキの音が出ない。上手のPA係がすっ飛んでくる。どうもアンプとの接触が悪かったようで、やがて復旧。大音量のエレキの音が日比谷公園に鳴り渡った。サウンド・チェックしてよかったね。サウンド・チェックが終わったところで、『港のヨーコ』の替え歌を3人が順番に披露。

        「本番はこのあとすぐでーす」と3人が引っ込んだところで、ケータイの着メロが鳴った。しまった! 電源を切っておくのを忘れた! 慌てて電話に出ると、「長崎ですけど、今、何処?」 「えっ、今何処って・・・」 ははあ、この日私が野音に行くことは誰にも話してなかったのだけれど、長崎くんは私がこの場にいると確信していたらしい。「あのねえ、上手側の真中あたりだけど・・・」と立ちあがって後ろを向くと、「はいはい、わかった。今行きます」 それにしても野音というところは一応携帯電話は使用禁止になっているものの、使っている人多いよなあ。ケータイで実況中継している奴いるもんなあ。

        再び着替えてメンバーが登場。ノンちんがうれしそうだ。「結成5年半。夢の野音です。天気も晴れました。ダフ屋も出ていません!」 うんうん、いつかはダフ屋が出るくらいに人気者になるといいね・・・よくないよくない! 「野音といえば、尾崎豊が骨折したところ。そうだ、キャンディーズが解散宣言をしたのも野音だった・・・あまりいいイメージがないなあ。ちょうどぼくらも3人。すると真中にいるぼくがランちゃんね。省吾がスーちゃん」 すると省吾が「ぼくもランちゃんがいいなあ」 何言ってんだか。「会場には有名人がいらしています。グレート・サスケさん!」 ああっ! 一番後ろの手摺にもたれている覆面の男。確かにグレート・サスケではないの。「それと、赤井英和さん!」 客席からピョンと立ちあがった人物。本当だあ、赤井英和ではないか。挌闘家のファンが多いのかなあ。

        「きょうは、客席以外にもたくさんのゲストが来ています。まずご紹介しましょう。那須ワールドモンキーパークのモモちゃんでーす」 天才チンパンジーのモモちゃんを連れてトレーナーの人が出てくる。ありゃりゃ、モモちゃんショウが始まってしまった。トレーナーの人と椅子に座って漫才のようなものが始まる。と言っても、モモちゃんは喋れないから、こんな調子。「モモちゃん、野音の女の人はみんなキレイですよね」 するとモモちゃん顔を横にブンブン。「もう一度訊きますよ。野音の女の人はみんなキレイですよね」 またもや横にブンブン。相方のトレーナーが喋り、チンパンシジーが無言でボケをかます。首を縦に振ったり横に振ったりで表現してみせるので、最初、なにか合図のようなものがあり、それによってYES、NOを演じわけているのかと思ったが、どうやらある程度人間の言葉を理解してリアクションしているようなのだ。日光サル軍団はバカだが、モモちゃんは本当に知能が高いらしい。

        カラオケも出来る。『伊勢崎町ブルース』が流れたので、どうするのかと思えば、溜息の部分だけモモちゃん歌って(?)みせた。いきなりボカスカジャンがネタを演らないで、ゲストのチンパンジーのショウでたまげていたら、3人がサルの着ぐるみで登場。サルの森進一、サルのピンクレディ、サルの『ロッキー』、サルの『8時だよ、全員集合』 最後はモモちゃんとサルのラップを歌ってみせた。いろんなこと考えるなあ、この連中。

        次のゲストが・・・ガリガリ君! ガリガリ君のキャラクターの着ぐるみが登場。テレビCMのコマーシャル・ソングをポカスカジャンが歌っているのだ。ここでは、テレビでは一部しか流れていないフル・コラス・バージョンを披露。テレビはあまり見ない方なので、よく知らなかったのだが、他にもいろいろと作ってオンエアされているそうで、省吾くんの歌う『エルビス・プレスリー編』、玉ちゃんの歌う『サメ編』、さらにはダンス・バージョンで着ぐるみのガリガリ君、重そうな頭でダンスして見せた。ムークウォークまでしちゃうこの中の人、誰なんだろう。どうもワハハ本舗の若手らしいのだが・・・。

        「おい、人間のゲストは出てこないのかあ?」の声が上がりそうなところで寒空はだかの登場だ。「きょうは日比谷少年少女合唱団の指揮をしにやってきました。そうです、日比谷少年少女合唱団ってみなさんのことですよ。みなさんがこれから歌を歌うのです」と、受付で渡された公演チラシの中に混じっていた寒空はだか作詞作曲の『東京タワーの歌』の歌詞が書いてある紙を出してくれと言われる。「これから私が歌いますから、それに付いて歌ってくださいね。私、リズム感がないので手拍子など打たれると歌い難いので止めてください。もっとも、このあとでカラオケで歌うともっと歌い難い・・・」 何なんだあ!? 「キーはFです。さあ、みんな立って立って!」 おいおい、オールスタンディングにしちまったよ。

        練習終了。ポカスカジャンが繋ぐ間に指揮者の格好に着替えて再び寒空はだかが出てくる。カラオケが流れて、いよいよ日比谷少年少女合唱団の始まりだ。私も一緒になって歌う。


たわーたわー 東京タワーにのぼったわー
たわーたわー 東京が全部見えたワ
たわーたわー 売店でおみやげ買ったわー
たわーたわー 東京タワー良かったワ

        すっかり憶えちゃったじゃないか! 何と、本当にCD出てるのね。

        ここからはポカスカジャン3人のソロ・コーナー。まずは省吾くんのコーナー。バックにバンバンパザールの連中が付く。ほほう、豪華ではないの。『アイ・キャント・ターン・ユー・ルーズ』のメロディに乗って省吾が出てくる。当然、黒のスーツに黒の帽子サングラス。ひとりブルースブラザースだ! ブルースが好きで本当は憂歌団のようなバンドを作ろうと夢見て上京した省吾、まずは『スイート・ホーム・シカゴ』を熱唱。「夢がかないました。なんだかただの気持ちよく歌っているだけのオッサンみたいですがね」 なんだかお笑いライヴじゃなくなってきたぞ。ここは『ブルース・カーニバル』かあ?

        「ブルースブラザースというよりは、デブルブラザースですが、ぼくたち、バンバンバザールと一緒に演るときは、別の名前にしています。バンバンジャンっていうんですがね、中華料理みたいで面白いでしょ」 バンバンバザールもそういえば太め体型が多いかなあ。省吾、セミの被り物を取り出した。ひょっとして、これはあれかなと思ったら、やっぱりCD『Kおとわざ』に入っている『浪花ミンミンブルース』だ。長い間土の中で眠っていて、ようやく羽化して大空に飛び出したセミの様子をコミカルかつ哀愁を漂わせて歌うこのアップテンポのブルース、好きなんだよなあ。さあ、あとのふたりも戻ってきて、シメはこのところよく演っている『親父の海ゴスペル』。原曲を換骨奪胎して、ほとんど「親父の海」と「ハレルヤ」しか歌詞が残っていない。あとは「エンヤートット」くらいかな。熱狂の渦と化したステージ。いつ見ても楽しい。本人たちも楽しいんだろうなあ、これ。

        玉ちゃんのコーナーは、ひとりでフォークの弾き語りを演るという。昔のヒッピーみたいな格好をして出てきた玉ちゃん、「俺は一人ぼっちで演るぜ。青森から出てきて早15年。やっと日比谷野音に立つことができました!」と始めたのが『ねぶたフォーク』なるもの。田舎の親父のことを歌ったという曲だが、これ聴いていると、玉ちゃんの親父さんってヤクザじやないの? 途中で入る♪ラッセェラ、ラッセェラ、ラッセェラッセェ、ラッセェラ の掛け声が印象的。二曲目がコブラツイスターズ時代の曲をフォークバージョンにしたという『アジアの台風』。「民主主義は間違っている。封建制度に戻れという熱いメッセージを込めた歌だったのですが、津軽弁だから分からなかったみたいです」と言ってはじめたのだが、そんなことぜーんぜん言ってないじゃないの! ♪アジアの(チャンチャン) 台風ぅ(チャンチャン) 吹き荒ーれーろー! この曲も一回で憶えてしまっちゃったじゃないか! 

        「ここでゲストをお招きしています。幻のフォークミュージシャン! 今は事務所の経理係(ガクッ)、フォークの巨人、大魔神の登場です!」 『大魔神』のテーマが流れる中、大魔神の被り物をした人が現れる。この人、どうやらワハハ本舗の経理係らしい。「こんな大勢の前で歌うのは初めてです」と井上陽水の『傘がない』を演りはじめた。これがもう本人には悪いが場内抱腹絶倒。ギターのリズムと歌がバラバラで笑いが起こる。側で見ていた玉ちゃん、ひっくり返っている。傘が無いのではなくて、リズム感がない。おいおい、これをフルコーラス歌わせるなよー。こんなの見せちゃっていいのかあ? 「すごいリズムでしたねえ。ほとんどプログレフォーク。変拍子の嵐でしたねえ」 フハハハハ! さて、あとのふたりも出てきて、これまた『Kおとわざ』に入っていた、さだまさし調の『八兵衛の一番長い日』。

        ノンちんのコーナーはウルフルズのギタリスト、ウルフルケイスケと一緒。「意外な組み合わせだと思われるかも知れませんが、昔一緒に路上でコンビを組んで演ってたんですよ。ノンケイズって名前でした」と、まずは『ガッツだぜ』の替え歌(?)『ガッツだぜPart2』。渋谷のハチ公前で演っていて宝くじ屋のオバさんに「あいつらうるさい」と警察を呼ばれてしまった雪辱戦をはらそうと、昔のナンバー『ブルースカイ・ガードマン』やら『ニューオリンズの空から』などを歌う。お笑いは一切なし。マジだったんだね、あのころ。

        次のゲストは、待ってました! 神田北陽だ! 会場からワハハ本舗の柴田理恵が呼ばれる。すっかり出来あがっちゃってる柴田、缶ビールを飲みながらご機嫌だ。「私、この人の講談の弟子なんですよー。師と仰いでます」と北陽を叩いていた。すごい弟子だなあ。「野音で演るというのは、講談界初でしょう。池袋演芸場500回分の観客を前にして演るのも初! 野で聴くものじゃない」と言いながら、『ボカスカジャン一代記』を語る。頭に板を乗せた人が出てきて、北陽の前に座る。これが釈台代わりというわけ。立ったままの姿勢でやる講談というのも初めて見た。おそらく講談なんて聴くのは初めての人も多い観客席、みんなジッと聞き入っている。初心者でも引き付けてしまうこの人の実力。もう真打になってもおかしくないのになあ。

        北陽の講談がポカスカジャンの紹介のようになって、ようやく3人の本来のネタに入る。「ぼくたちを初めて見るという人いますかあ?」の声に、手を上げる人が結構多い。今までコーナーは何だったんだろうと思う人も多いだろうなあ。さあ、こからは怒涛のネタの洪水。『アリスの[アルプスの少女ハイジ]』 『つんくの[ドリフの大爆笑]』 『オフコースの[ムツゴロウと愉快な仲間たち]』 『淡白宣言』 『[瀬戸の花嫁]十二支バージョン』 これらはもう演りつくしたというだけあって、何回か聴いたなあ。

        新曲『真夜中すぎに阿藤海』。ノンちんが阿藤海のものまねをしながら歌う、コミックソング。阿藤海には了解を取っていないそうだけど、面白いなあ。真夜中に路上で突然阿藤海に出会ったとしたら・・・ハハハ。なんだか知らないけど妙に可笑しい。省吾くんは、もうお馴染みになってきた演歌(?)『猫よあれがとう』。客席から猫ダンサーズなる一般観客がステージに上る。ポカスカジャンファンの人たちによる素人集団だ。ざっと100人近くいるぞ。もう舞台いっぱい。猫のフリで踊っている。

        猫ダンサーズが下りたあとは、玉ちゃんが歌う番だ。ノンちんがドラムセット、省吾がベースを握り、玉ちゃんはエレキにスイッチ。「ブルースって何だか知ってるか? ブルースはなあ、喋るんじゃないんだ! 感じるんだ! ブルースはなあ、うずくんだ! オレの体の中の金魚がはしゃぎだすぜ!」 始まった始まった。春も聞いた『北酒場ブルース』の始まりだ。♪北の・・・・・・バーボンストリートでは・・・・・・髪の縮れた・・・・・・黒人の女がひとり ウッワァオー! ・・・・・・玉ちゃん、乗りすぎ、はしゃぎすぎ。でもいいや。

        ここでまたまたゲスト。モスラの幼虫の被り物をした人物が現れ、被り物を脱ぐと、現れたのがLA−PPISCHのMAGUMIだ。これも春に聴いた吉幾三の『酒よ』のレゲエバージョン。さすがにMAGUMI歌がポカスカジャンたちに比べると格段に上手い。

        「最後の曲です」というノンちんに「エ―――ッ!」の声が上がる。まだ1時間くらい時間が残っている。「と言いましても最後の曲は40分あります。ポカスカジャンのネタ、ヒットメドレーです!」 さあ来た来た。『浅香光代の[ドント・レット・ミー・ダウン]』 『前科者の[マイガール]』 『ダースベーダーの[オッハー]』 『松山千春の[VACATION]』 『武田鉄矢の[仮面ライダー]』 『気になって眠れない』 『笑点ベンチャーズ』 『笑点・バイ・ミー』 『おら東京さ行くだボサ』 『津軽ボサ』 『五十音ミュージックシリーズ/あ行のバラード、ま行の憂歌団、な行の演歌』 『ローハイド・ラーメン・ブルース』 『恋の山手線物語』 『マーメイド・ブルース』 『ラブ・ユー・両国』 『競りフラメンコ』 『ドラエモン絵描き歌』 『反抗的じゃない尾崎豊』 『エーちゃんの[ロック・アラウンド・ザ・クロック]』 『カンコクロック』 『ドラッグボーイズ ラリラリ天国』 『甲斐性なしのブルース』・・・・・・。初めて聴くネタもいくつかあった。

        バンバンバザールも再び出てきて、『シェイクシェイクシェイク』。客席で見ていた高田文夫をはじめ、いままで出てきた出演者総登場で盛り上がる。入場のときにもらった懐中電灯をみんなでシェイクシェイクシェイク!

        アンコールで戻って来たメンバー、涙ぐんでいるようだ。ラストナンバー『さよならの歌』。「また来年も野音で演りましょう!」とノンちん。本当かなあ。でも是非見たいな。夜になってちょっと肌寒くなってきた客席。秋も深まってきたようだ。

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