JH2CLV's Topics & Memorandam
November 2009

Nov 29. 2009  友人の訃報・・・部子山へ登る
昨日夜叉ヶ池から戻ると郵便受けに喪中の挨拶状が届いていた。誰からだろうと裏面に目を落とすと愕然。年賀状に自宅療養中と記されていたため、容態を尋ねる手紙を差し上げたが返事が無くずっと気になっていた。第8回静岡県青年の船で同室だった友人は3月に逝去されていた。山中湖清渓寮の研修で彼が見せたパフォーマンス、マニラへの船中で発熱し仲間が看病した事、結婚を祝し船仲間が自宅に押しかけた事など懐かしく思い出している。ご冥福をお祈りする。
今朝は昨日の余韻なのか朝5時半に目が覚めた。内容は忘れたが色々と夢を見たようだ。やや落ち着かない気持ちを払拭するため以前から興味のあった池田町・大野市境にある部子山(ヘコサン1464.4m)に向った。7時に出発しR158からK2とR476で池田町に入り途中左折しK175を上る。最後はダートとなり霜柱を踏みながら走る。気温は-1℃。8時25分どん詰まりのP0駐車場に到着。10分程歩けば部子山山頂。これでは余りにあっけないので、近くのピークも歩いた。写真は途中から見下す池田市街方向の眺望。この季節特有の朝霧が谷間に立ち込め美しい。日本海まで臨める大パノラマだ。オンマウスは第8回静岡県青年の船の仲間(日本丸船上)・・・もう35年も経った。

Nov 28. 2009  今年4回目の「夜叉ヶ池」登山
7時に起床すると雨上がり。稜線は霞み登山気分じゃない。夜叉ヶ池Webカメラも店じまい。しかし来週は12月、今しかないなぁと思い付き家を出ると8時6分。北陸道を南下。今庄からR365を下り途中食料を調達し広野ダム経由で夜叉ヶ池の登山口へ。9時15分、登り出すとレンジャーのK氏とばったり。今年は雪が遅い、3日の雪は良かった等と数分間談笑。雨上がりで露が多く、下も上もカッパ姿。落葉が山道を包んでいる。朝まで降った雨が葉に染み込み独特の感触だ。水が葉や地面に吸収され大きな貯水池になるんだと妙な独り言。辺りは霧で視界数十m。10時50分夜叉ヶ池に到着する。視界が悪く写真どころじゃない。夜叉姫岳方向に登り稜線から池の俯瞰を狙うが霧がとれない。能郷白山登山を諦めた同僚に電話を入れ状況を伝える。握り飯を食べながら30分程待つと急に風が吹き霧が流れ出した。この瞬間を逃すまいとシャッターを押すがデジカメの反応は鈍い。何とか撮影して池まで下りると岐阜県側から家族連れを含む6名の登山客。福井県側は自分だけかと思っていると浜松の御仁が到着し歓談。11時30分下山。途中K氏と再会、変化の無い太陽黒点談義、実は彼もHAM。他4名の登山客とすれ違い12時30分登山口に戻る。

Nov 28. 2009  スペアナの思い出
ネットオークションでスペアナの入札状況を見ていた。10年余付き合うR4131Aは3.5GHzまで使えるものの、低域のIMや飛び込みが多く、またfドリフトがあり分解能も1KHzどまりだった。SSBのIMDを見ようと3KHz帯域に2波立てても正確な分別が出来ない。それで10年程前からPCとFFTソフトの力を借りていた。RFをDBMとDDSのLo-OSCにより直接AF帯にヘテロダインし、AFのFFTアナライザを使うようになった。ただLo-OSC周波数を境にUSB側とLSB側が同じAF帯で重なるため、Lo-OSC周波数に数KHzのオフセットを与え、重ならないように表示してIMDを読んだ。入力レベルをATTで調整しDBMの直線性を考慮した測定をすれば高精度のデータ取得が可能であった。アマチュア的にはこれで十分だし、DBMの競演も楽しめ、PCによるFFTの素晴らしさも知る事ができた。しかし、昨今の中古スペアナ事情を見るとスゴイ。30Hzの高分解能機が思いがけない低価格で出ている。5年振り位に真面目にオークションサイトを調べると時として動揺する価格で落とされている。とにかく数が多い。それでメーカースペック片手に目的の物件を探す。その谷間でタイミング良く破格でゲットしたのが写真のR3265(ADVANTEST/100Hz〜8GHz/分解能10Hz)。

Nov 25. 2009  「ピコラエヴィッチ紙幣」の感動
月刊59誌の編集長JA1ELY草野OMから紹介された「ピコラエヴィッチ紙幣」(熊谷敬太郎著・ダイアモンド社)。まとまった時間がとれずに苦慮していたが、本日名古屋出張があり、これ幸いと往復の電車で残り半分を一機に読みきった。フィクションだが著者の生立ちや執筆の動機が、本文との関係を匂わせ面白い。あたかもノンフィクションでは?と思わせる行があり興味が広がる。小説はロシアのアムール川沿いにある尼港( ニコラエフスク・ナ・アムーレ)が舞台。奇しくもロシア革命勃発直後の混乱期に起きた悲劇「尼港事件」(1920年3-5月)が重なって展開。第2回城山三郎経済小説大象を受賞している。あらすじや書評は関連サイトでご覧頂けるが、是非ともご一読をお勧めしたい。後半から終盤にかけての緊迫感は読む者を引き付けて離さない。そして読み物でこんなに動揺するのかと思う程の感動を覚える。元々シベリア方面の歴史には興味があったが、シベリア出兵(1918〜1925年)の最中、このような悲劇があった事を知らなかった。読みながら歴史資料を紐解くなどして新たな発見を幾つもした。ところで、本文に登場するロシア女性オリガと著者との関係は本当なんだろうか・・・。写真はピコラエヴィッチ紙幣の表紙と読書中のしらさぎ車中。

Nov 21-23. 2009  所要で帰省と大渋滞・・・サーバーダウン
23日に実家でお客様を迎える所用のため21日帰省。昼まで業務対応後15時帰路に就く。三好ICで下り豊田の3男を拾い豊田ICから清水を目指す。福井からは順調だったが一宮手前で大渋滞で豊田には19時着。伊勢湾道合流点の渋滞予報が出ていたがこれは難やり過ごす。ただ追い越し車線に車が集中し速度が上がらず。21時過ぎようやく実家に辿り着く。22日、午前中掃除と準備、午後はミカン切りと貯蔵作業。午後次男が川崎から、深夜長男が名古屋から帰り久々に家族全員が揃う。23日、朝からそわそわしながら土産の荷造りやカミサンと軽ワゴンで買い物に回る。11時半お客様ご一行到着。挨拶の後、家族で昼食と歓談に時間が流れた。最後に、場所をミカン畑に移しミカン栽培の講釈とミカン切りの実演。楽しい時間が流れた。14時半、車で清水港を臨むミカン山を走り清水ICで見送り。私と3男は15時半に帰路に就くが、静岡ICと三ケ日の事故渋滞に豊川〜岡崎の大渋滞。豊田まで5時間、福井まで7時間と過去最高の記録。ところでお客様とは・・・ヒミツ。23日はカミサンの誕生日だったがそこまで気が回らずI'm sorry!。写真は雨上がりのポンカン越しアンテナタワー。オンマウスは静岡IC手前の大渋滞、遠方に高草山。
21日夜メールを見ようとしたらFreeNASサーバーが可笑しい。設置棚を見に行くと電源が入っていない。ははぁ誰かがAC電源を落としたなと楽観視。壁コンからAC電源を伸ばしているので誤って抜いたのだろうと・・・以前に何度もあったから。ところが電源再投入しても立ち上がらない。棚から下ろし様子を見ると、電源ランプは点灯するがHDランプが・・・最初の電源投入では点きっぱなし、2度目以降は一瞬点灯し直ぐ消える。なんだぁこりゃ。ディスプレイをつないでも何も映像が無い。そしてBIOS起動時のピポ音も出ない。また電源SWの長押しでシャットダウンが出来ない。サイコロPCのEZgo+(Celeron1.1GHz)が完全に死んでいる。予備のNEC_LavieNX(Pentium/166MHz)を取り出しアドレスとドライブ設定を行い復旧。ローカルディスクにバックアップしているファイルを写し難を逃れるが、無線業務日誌の最新データが無い。記憶に残る相手と偶々交信できデータ修復が実現。しかし166MHzは今となってはノロノロで辛い。EZgo+を分解したがケミコンの膨らみ具合から電源がやられている感じ。HDをUSB経由で確認したら認識しホッ。写真は実家のターミナル群、再左がFreeNASサーバーのEZgo+(Atoz_Japan)。秋葉ツアーで買い求めたPCだった。

Nov 20. 2009  真空管式カーラジオ復活の興奮
今年8月から復活を試みている真空管式カーラジオ。昨晩ようやく復活に漕ぎつけた。半世紀前の古いラジオが今のラジオ放送を鳴らしている。何とも言えない感慨だ。興奮のまま「ラジオ深夜便」を聴きながら床に就き「ラジオあさいちばん」で目覚め。でも一番感激しているのは40年余も放置され続けたこのカーラジオ自身かも知れない。
実は真空管&ICのコラボに取り組んでいる最中、実家で眠っていたこのラジオを思い出し単身赴任先に持ち込んだ。暫く手付かずでいたが、今週になり真面目に突いてみた。回路図の類は全く無いので実物を見て頭に回路を描く。資料に頼らなくても5極管や7極管のピン番号が分かってしまうから少年時代の記憶って凄い。本体には真空管の名称(配置)が記されず、その判別は配線を見て判断する。2番ピンと7番ピンの配線がどうかで5極管か7極管を区別し管を実装する。電源を入れ暫くするとヒーターが灯り真空管を意識させる。出力側からSGを放り込み動作を確認していく。12V/1A程度の電源で大丈夫だろうと安直に考えていたら半分不足で強化。結局RF増幅管の接触不良が原因でその対策をすると見事に鳴り出した。些細な事だがこの感激は最初にラジオを作ったときと変わらない、永遠の財産だ。

Nov 14-15. 2009  所要で福井県高浜町を訪ね京都府舞鶴市泊
週末は所用で福井県最西端にある高浜町を訪ねた。既に11月も中旬。10時半、北陸自動車道を南下すると色とりどりに紅葉した山々が車窓を流れて行く。特に今庄から敦賀に至る山岳地帯では、雨上がりも手伝いしっとりとした紅葉を味わえた。これじゃ遠くまで足を運ばなくても十分だと車を運転する同僚と笑った。思わずデジカメを取り出し数枚を撮影、おまけにムービーで移動ショットも。敦賀からはR27をひたすら西へ走る。福井から何と2時間半・・・昼過ぎにようやく高浜町に入る。するとひときわ目立つ山が見え出した。地元では若狭富士と呼んでいる青葉山。あの向こうが京都府か・・・と思いながらシャッターを切ったのが左の写真。この直後レストランで昼食をとったが、この辺りの言葉は京都風で経済圏は関西を感じさせる。所用は23時頃に終わったが問題は宿舎。地元で都合出来ず幹事は車で20分程の京都舞鶴に宿舎を確保してあった。初めてR27で京都に入る・・・ちょっとした興奮だ。この夜は所用の打上をJR東舞鶴駅近くの居酒屋で行い深夜2時に解散となった。オンマウスは翌朝7時、宿舎のポートシャインホテルから臨む舞鶴湾。雲の切れ間から停泊中のフェリーに陽が差した幻想的瞬間・・・これがあの「岸壁の母」の港かぁ。

Nov 7-8. 2009  帰省・・・奥大井の紅葉他
親父の「紅葉が見たい」の一言で7日の予定が決まっていた。カミサンは所用で代りに親父の友人K氏を誘う。昨夜25時に帰省、朝6時半起床で相変わらず早起き。7時に朝食を済ませ8時出発。R1を西走。そういえば4年前の、亡くなったオフクロの「長島ダムに行きたい」に似ている・・・その時は大井側西岸を上ったが今回は東岸のK63/77を走りR362へ出た。大井川と聞くと谷深いイメージだが、千頭辺りまでは思いのほか浅く空が広い。親父とK氏は周り見て「庵原よりよっぽど街だ」と笑った。大井川鉄道千頭駅で休憩をとりK77/388で長島ダムに着くと10時45分。紅葉には早いが快晴で気持ちが良い。進路を井川にとり走り出すと徐々に辺りが紅葉。11時半に井川の町を通過。当初は井川で食事して帰るつもりだったが、K60で一般車が行ける一番奥の畑薙第一ダムを目指す。12時10分、ダム先の沼平ゲートに到着。ここは1985年仕事で幾度か通り懐かしい。帰路は赤石温泉白樺荘で昼食後、井川からK60/189/27経由で静岡へ下る。200Km余の長距離ドライブだった・・・静岡は広い。写真は畑薙湖、オンマウスは長島ダムの接岨湖。前者は標高が高く既に紅葉も終り、後者はこれからの印象。それぞれに表情があって面白い。
実は1985年、仕事で南アルプス聖岳の山懐(ベト沢付近)で2週間野営を行った。その時にガイドとしてお世話になった猟師のO氏を思い出した。平沼ゲートの管理人M氏にO氏の事を打診したら、私の前任で80まで現役だったと聞きビックリ。それで暫くO氏の話になり、井川の田代地区でご健在である事と凡その場所を伺った。当時60と記憶しているから既に84。このタイミングでお伺いするのは余りにも急なので、体制を整えてお邪魔しようと心に誓った。
8日は13時から友人のご母堂の葬式に参列した。そう言えば昨日は3年前に亡くなった母の誕生日だった。忘れていたが実はカミサンがフォローしてくれた。一緒にいた親父も恐らく同じではと思うがどうだろう。朝、改めて線香を上げた。さて、斎場にお経が流れた後お孫さんの弔辞が読まれた。懐かしい想い出シーンが紹介され、ご母堂の人となりが心を打つ。こういう時は自前の記憶ビデオも動き出すから面白い・・・母の得意料理は親子丼だった。鶏肉ではなく豚肉を使うから正確には他人丼。四半世紀も食べていなかったが、亡くなる前年(H18)の夏それを話すと、7月5日の晩に親子丼を作ってくれた。懐かしい味だった。それが最後の丼になるとは夢にも思わなかった。嬉しかったと後で噛み締め日記に記した。些細な事だが忘れられない母の味となった・・・ハッとすると「お爺ちゃんとやっと一緒になれるね」と弔辞が結ばれた。何ともほのぼのとした雰囲気が漂う。ちなみにご尊父は21年前に逝去され、親父と同級生だった。14時、友人達に別れを告げ福井への帰路に就く。喪主の友人は、小中学と青年時代にソフトボールや野球に励んだ同級生。その頃の親達の年代に達し感慨深い。写真は向山、散歩中のHanaと第2東名連絡路工事現場。

Nov 3. 2009  今年最も寒い朝・・・久々のSSPA工作
昨日は強風に雨。晩から冷え込みアパートでは寒さを感じた。急な事で寝具の準備もままならず、靴下を履いて寝る始末だった。そして今朝、相変わらずの早起きは5時起床。室温15℃。昨日より5℃も低い。天候回復なら夜叉ヶ池へ今年最後の登山でもと目論むが無理な話だった。夜が明けると東方の稜線に積雪。ニュースによると勝山辺りは雪用タイヤが必要らしい。天候は回復しているが、夜叉ヶ池のWebカメラは霧で全く見えない。ダメだぁこりゃ。それであっさり方針変更。5月以来手付かずだったSSPAの工作を再開。30年前のSWR計からCMカプラを外し、SSPA背面に取り付けFWD/REF電力が測定できるように配線。これに併せVc・Ic用の倍率器・分流器の配線も行いSWによる切替が出来るようにした。ところが久々の工作でとんでもない勘違いやらかしてしまった。リアパネルにシャシパンチで2個穴を開けたのだが、2個目の時パンチの組合せ方向を誤ってしまった。力を入れても開いて来ない・・・可笑しいと思った時はあとの祭り。母材をパンチで潰してしまった。木槌とアルミブロックを使い何とか修復したがトホホ状態だった。写真は天候が回復し、16時45分見事夕陽に染まる福井市越しの白山。オンマウスは久々に突くSSPAの雄姿。

Nov 1. 2009  今年も11月・・・なんて早いんだろう
11月になった・・・実に早い。自作ラジオから流れる高校駅伝中継・・・田んぼの間を走るのどかな晩秋の雰囲気を今日は期待したのだが、実はその駅伝の関係で家を空ける事になった。鯖江で行われた駅伝は、朝から好天に恵まれ順調に終わるかに見えたが、13時頃から雨が降り出し最後は土砂降りに。周回遅れチームのアンカーは大変な状況だったに違いない。それからこの大会、高校男子・女子以外に一般の2種目が同時に行われ、10分ずつ遅延スタートをしても最後はゴチャゴチャになる状況。高校の部は男女とも鯖江高校が制し12月20日都大路を走る。 写真は先月末試作終了宣言をしたその自作ラジオ。電池管12AD6とLMF501T+LM380Nのコラボレーションによる1球2ICスーパーだ。こんなモノ良く作るよと言われそうだが、枯れた技術のAMラジオの筈なのに、やりだすと色々な疑問が湧き、解決のための実験や調査で新たな発見がある。まさに55の手習い。たかがラジオ・・・されどラジオだ。例えば1m程のアンテナでガンガンなるローカル局を、40mのアンテナに変えた時そんなに違わない歪で音量制御をするAGC。昔の5球スーパーはどの程度だったんだろうか・・・などと。オンマウスは朝8時、鯖江市東公園陸上競技場の様子。