今日のニュースほど腹の立つものは最近ない。4大メガバンクと呼ばれる銀行が土曜日も手数料 |
を搾取するという。(最初のUFJに他行が追随した。)今、100万円を一年定期預金しても百円程 |
度しか利息がつかない。(そこからさらに税金を取られる)本当に大銀行の奴らは大盗人共である。 |
(注:大手銀行にお勤めの方はこれ以上、読み進めないでください。気分を害されますので。) |
平日でも18時以降は105円も引き落とし手数料を取られるし、土曜日まで手数料を盗られること |
となると普通に働いている人間は無料でお金を下ろすことができなくなるではないか。ただでさえ、 |
公的資金(=我々の税金)をちょろまかしている銀行にここまで好き勝手にやらせていいものであろ |
うか。私はその為に昨年から普通に引き落とす為の口座を郵便貯金に作った。あこぎな大手銀行 |
とは違って、郵便貯金では18時以降でも手数料を盗る事はないので安心してお金の引き出し及び |
預入れを行う事ができるのだ。皆様にも是非、給料の振込先を郵便貯金へと変更されることをお |
勧めいたします。更に、他行の預金を下ろす場合は210円となる。これを泥棒とは言わずして何と |
呼べばいいのだろうか。それだけの利息を得るためには私達はいくら預金すればいいのだろうか |
と考えればムカッとくるのも判ってもらえるであろう。その一方で債権放棄という形で数千億もの大 |
企業の要求には何度も対応している。我々預金者はそんなことを一度も認めていないのにである。 |
銀行の手数料はほとんど銀行の利益となる。時間外だ休日だと言い訳を大銀行をするだろうが、 |
先日、都道府県対抗女子駅伝が京都で開催された。関西人としては兵庫、京都のワンツーフィニッ |
シュという結果は十分満足出来るものであった。(ちなみに大阪は18位でした。)それにしても当家 |
の者はとにかく無類の駅伝好きである。私には全く興味はないのだが、親は年始の箱根駅伝をそれ |
こそ食入るように毎年見ている。年末の高校駅伝から始まって、たくさんの駅伝が放送されるのだが |
、何と我が家での駅伝視聴率は100%近くとなっている。駅伝にここまで惹きつけられる魅力は何で |
あろうか。それは抜きつ抜かれつのレースの展開も面白いし、それぞれの走るランナーの出来不出 |
来にも大きく左右するところの人間ドラマがあって素晴らしい。しかしそれよりも大きいのは彼ら彼女 |
らの疾走する姿の美しさではないであろうか。私は小さい頃から長距離が極めて苦手な体質の人間で |
マラソンどころか1500m走でも苦しくなる体質であったのである。だから逆にそうした長距離を走れ |
る人間に一種の憧れを感じてしまうのであろう。特に都道府県別対抗などになってしまえば、自然と |
地元の応援に力が入る。来週は広島で男子の都道府県別が開催されると思うので、また力を込めて |
見入ってしまうに違いないのである。何度も言うが、たすきをかけて走る彼ら彼女らの姿は本当に美し |
い。一度は写真に撮ってみたいぐらいである。この駅伝の発生は日本であると聞くが、今では全世界 |
に通用するスポーツ競技になっている。一体どの時代からどうやって始まったのであろうか。とにかく |
私は一人で走るマラソンよりも、多くの人によってつながっていく駅伝という競技を愛してやまない。 |
私は通信販売の番組を見るのが、誰よりも好きなのかもしれない。しかしながら、購入することは過去 |
に3度のみであって、それも雑誌の通販で購入したもので必需的な商品であった。今でも重宝はして |
いる。(ビデオテ−プ等を整理するボックス3個)それよりも、通販番組のわざとらしさが私の琴線に |
触れるのである。出てくる番組案内ゲストの中途半端なところがいいし、その見事なゲストの驚き方 |
にも感心させられしまうのである。そして商品案内をする人も大体決っていて、その話のもっていく |
方法も素晴らしい技を感じさせる。ただし、地上波ではそんなにいつもやっている訳ではないので、 |
私はスカイパーフェクTVでの無料で見れる通信販売のチャンネルを見ることにしている。これが結構 |
面白くて、例えば家電のコジマやタカタといった有名会社番組から、世界中の商品を紹介する番組ま |
で様々である。フ〜ン、成る程、こんなものもあるのかと必死になって見入ってしまう。でも、決して |
買おうとは思わないのである。お金がないのが理由の第一だが、それよりも番組を楽しみたいと思う |
気持ちが強いのである。それと宣伝文句が怪しいものが多い。限定何個というのも怪しいし、今回に |
限って税込み価格というのも怪しい。ある番組では○レックスの時計が限定30個といいながら、一年 |
中紹介されている。一年中かけても30個も売れないのだろうか?それはないやろと突っ込んでしまう。 |
また、通販で紹介した便利商品が発売されるやいなや、いろいろなところでまがい物が安く販売される |
ことになっている。実際に我が家でもふとん圧縮袋とか、便利クリーナーなどをそうした店で安く購入し |
て使用しているが、通販で紹介するものと機能的には全く遜色のない商品である。 |
年の初めからつまらないことを書こうとしている。何と、テレビ自体が開局してから今年で50年を迎え |
るそうである。小さい頃は完全にテレビの番組にはまっていたので、今回どうしても書きたくなった。 |
私の家にいつからテレビがあったかは定かではない。意識がある頃には、リビングに御鎮座なされて |
いた。ただ当時は、一軒に一台であったのでチャンネル権は当然のように父親にあった。もう番組 |
自体はカラーになっていた。あの当時のテレビは家具調であったので、テレビを使わない時には |
前垂れをかけて、本当に大切にしていた。小さい頃はやはりヒーロー物が好きで、ウルトラマンや |
仮面ライダー、仮面の忍者赤影、スペクトルマン等にはまっていた。父親の帰りが遅かったので、 |
夜の7時代は子供達がチャンネルを支配していた。しかし、日曜なんかになると一日中父親に支配 |
されていた。父も当時はバラエティや映画が好きだったのでよくコタツに入りながら見ていたことを |
思い出す。当時、バラエティで妙に好きだったのは「ゲバゲバ90分」という番組で、その番組で流行っ |
たハナ肇の「あっと驚く為ゴロ〜」を未だに鮮明に覚えている。当時はビデオもなかった時代であった |
ので、ラジカセに音だけを録音するしかなかった。ただ、映画音楽狂だった私はそちらに一生懸命で |
、残念ながら当時のテレビの録音はない。ああそうそう、「時間ですよ」の堺正章と悠木千帆の掛け |
合いの笑いや、「寺内貫太郎一家」での小林亜星演ずる親父さんの暴れん坊ぶりをワクワクしながら |
見ていた記憶がある。自分の部屋に14型のテレビをもらえたのは高校生ぐらいになってであろうか。 |
今年(2002年と記すのもいまいましい!)も今日が最後の日である。今年の2月に発病以来、野鳥 |
撮影に全く集中できず、ほとんど外にも出向けなかった月の方がはるかに多かった。もちろんのこと |
撮影結果も知るべくもなくして最悪であった。年始めに希望していたAクラスの写真は1枚も撮れず、 |
それどころかBクラスの写真でさえ数枚だけの撮影開始以来最悪の年となってしまった。何よりも辛 |
かったのはこの一年もの間、一度として楽しく撮影に出向けなかったことである。重い荷物が全く気 |
にもならなかった昨年とは段ちの差があった。そういえば去年の今頃は、夢の自費出版の写真集も |
出せて正に充実の時を過ごしていたのである。もうすっかり過去の話になって、この年末年始もどこ |
にも出かけられないであろう私がいます。何もかもがうまくいかずに沈んだままの毎日が本当に苦し |
かったです。正直なところこのHPを更新していくことさえも、時には苦痛となって私を襲いました。 |
だからといって、来年になってこの病気が急激に回復するとは楽観視しておりません。ただ今年以上 |
には落ち込まないように、気持ちだけはしっかりと持っていきたいと思っています。 |
この一年入園して頂いている皆様にも、気分を害されるような書き込みが多々あったと反省しておりま |
す。私個人の苦しみを、まるでウイルスのように皆様にまで伝染させてしまっただけのようでしたから。 |
今一度、昔の野鳥撮影を心底愛せて、出かけられるようになりたいと今から希望しております。ですか |
今までに何足の靴を履き潰したことであろうか。とにかく私という人間は歩くことが大好きなのであ |
る。もちろん車やバイクといったものを使わない為に、野鳥撮影はひたすら歩くことしかないので |
ある。しかし、撮影でなくても歩くこと自体が大好きでなのである。当てのない散歩などは特にお気 |
に入りの歩き方です。昔仕事で毎日1万歩以上を平均で歩いていたのだから、非常に健康体で |
あったのであるが、最近は達磨のような生活になってしまい、体力が落ちる一方なんです。撮影を |
始めた頃はとにかく歩きに歩いた。特に歩いたのが神戸市立森林植物園への道である。神戸 |
電鉄の北鈴蘭台駅より歩く。片道35分で結構距離はある。(タクシー料金で言うと、1020円と |
なる。)その道を往復し、かつ中が広〜く、かつアップダウンのきつい園内を歩いたのだから、 |
一日で約10キロ以上は歩いていた。それも10数キロの荷物を背負ってである。本当に当時は |
野鳥撮影することが楽しかったので、きついや辛い等思ったこともなかった。特に雪の日に歩いて |
行ったあの日は忘れられない。関西でも珍しいくらいの雪で、植物園への道も放置された車が |
途中に数台乗り捨てられていた。園内に朝一番に入ると誰もいないシーンとした雪道。誰も汚して |
いない道をザクッザクッと音を立てて歩く、一種の幸福感。「ああ、私は今この雪を独占しているん |
だ」あの時のことは本当に一歩一歩が鮮明に記憶として思い出されてくる。帰ると靴がグジュグジュ |
で、足先が氷のように冷たかった。さて歩くことは健康にもいいらしい。テレビなどではジョギングより |
DVDについて一度書いては見たが、いざ使い慣れてしまうと本当は使い勝手がとてもいいことに |
気がついたのである。しかし購入してからまだ一年も経っていないのに、今ではハードディスクを付属 |
したり、値段もびっくりする程安くなってしまっている。パソコンと同じくその進歩ぶりは恐ろしささえ |
感ずる。かつては8mmビデオで全て映画を録画していた私には、そのビデオデッキの製造廃止 |
は驚天動地の事態であった。その後の余りのSONYの対応の悪さに憤慨して、当時勢いで思わず |
DVDを購入したのだった。まず何よりも素晴らしいのはその画質と音質の良さである。その良さを |
実感したのはDVDに録画した作品をVHSビデオに移し替えた時である。画質の良さがVHSビデ |
オになってもほとんど落ちないのである。今は8mmビデオで取り貯めた作品をDVDに移し替えて |
いるのだが、8mmビデオの画質が極めて悪い為に、DVDの本来の素晴らしさが発揮できないの |
が残念である。それと一発頭出しもとても便利である。例えば「じゃりん子チエ」というアニメを一話 |
ずつ録画していくとなると今までのビデオではいきなり4話や10話から見たいなと思っても、早送りと |
巻き戻しを駆使して探さなければならないが、DVDでは1話ずつ区切って録画している為に、リモコ |
ンで簡単にセレクトすることが出来る。また、ビデオでは標準と3倍で録画した際の画像の良し悪し |
がはっきりと判るのに対して、DVDではほとんどその差異が感じられないところが素晴らしい。 |
私は本当に怒っている。先日、千葉県松戸市で5人の人間が飲酒運転した愚か者の為に殺され |
たのである。であるにもかかわらず現行法では最高で15年の懲役にしかならないのである。それ |
も過去の被害者の遺族の方々による運動によって、ようやく最近に最高刑が変ってこれである。 |
以前書いたように私は酒を飲まない。それに車も運転しないので、加害者になることはない。 |
しかし被害者になる可能性は十分にあり得る話である。現行法では飲酒運転では殺意が認めら |
れないから、傷害致死扱いで重い量刑を課せられないのである。今回の被害者及び家族の皆様 |
の無念さは、察するに余りある思いがする。普通に道を歩いていたというのに、飲み会で飲み |
すぎた馬鹿野郎に殺されたのである。そうである、これを殺人といわずして何と呼ぼうか。自分が |
被害者になった事を想像するだけでも腹が立つのだ。現行法では酒気帯び運転でもたった罰金 |
30万ですむのである。幸いなことに私の周囲には交通事故の被害者や加害者になった話は聞い |
たことがない。(自身は一度自転車で自動車にぶつかったことがあるが。)それでも、いつ何時そう |
した不幸が我が身にふりかかってくるか判らないのである。ここで私は提案したい。酒気帯びだけ |
で免許10年間剥奪及び罰金100万円、飲酒事故による殺人については量刑を無期懲役または |
死刑のみとし、二度と娑婆には出られないようにすべきであると。 |
そうすれば飲酒運転など怖くてとても出来なくなるであろうと思う。テレビの警官ドキュメントの飲酒 |
久しぶりにどうしても封筒と便箋を買う必要があったので、文房具屋に行くことにした。しかし、 |
文房具とはどうしてあんなに人を虜にする魅力があるのだろうか。封筒や便箋だけでも数十種類 |
もあるからどれを使ったらいいのかいつも迷ってしまう。そして必ず当初考えていた物以外も購入 |
してしまう私がいる。今回もあるサインペンに魅入られてしまって思わずの衝動買いをしてしまっ |
た。家の中にはもういいという位にペンが存在しているにもかかわらずである。本当に文房具屋 |
さんにいると、見ているだけで幸福にさせてくれる変な熱情に近いものが私の中に発生する。子供 |
時代は筆箱や学習帳に鉛筆や消しゴムを、大人になっても万年筆や便箋等がいつも私を誘惑 |
するのである。家には数十種のボールペンやバインダーなどが私の部屋を占領して困っている。 |
ハサミだけでも4つもある。ハサミだけはこだわりを持っていて、ヘンケル製しか使わない。切れ味 |
が他のものとは格段に違うのである。(つまらない自己満足である。)封筒だけでも6種類の大きさ |
のものが整然と並んで部屋に居座っている。最近は百円均一の店が流行っていて、何でも揃うそ |
うではあるが、文房具に関しては必ず私は文房具屋で購入することにしている。それは数多くの |
文房具に囲まれる至福の時を感じていたいからと自己で勝手に推測している。あの紙やインクの |
匂いの中では、私は無抵抗な一匹の子羊となり果てて、見事な買い物地獄に陥ってしまうのだ。 |
パソコン時代には適していないアナログな私は、いつまでも便箋や万年筆で字を書くのが誰よりも |
最近、びっくりしたことがある。それはGメン75という昔の番組をテープからDVDに録画してい |
た時、タイトルを書き込む際に漢字を結構ど忘れてしまっていることに気付いたことである。 |
例えば警官の警という字や拳銃の拳という字が思い出せなかったのである。とてもショックで |
あった。というのも昔から漢字が大好きで学生の頃に、今はメジャーとなっている漢字能力 |
検定でも3級を取ったことがある程であった。小さい頃から漢和辞典を見ながら遊んでいると |
いうことも多かった、変った子供であったのだ。この大きな要因はパソコンの利用率の上昇が |
大きな割合を占めると思う。今はパソコンで文章を書くことが多くなって、変換のキーを押すこと |
で簡単に難しい漢字も出すことが出来る。パソコンの利用は便利な半面、人間を怠惰にさせて |
いるし、覚えるという大事な行為をも失してしまわせているのではないだろうろうか。情報にして |
も新聞を読まなくても、今ではインターネットだけで検索することによって事足りるのである。 |
私のHPを含めて多くのページで誤字が散見されることが多く、とても気になる。「おいおい、それ |
は間違ってるやろ」と突っ込みを入れたくなる欲望に駆られることが多々ある。私は数ヶ月に一 |
度は自分のHPの書き込みをチェックすることがあるのだが、恥しいような間違いに気付くことが |
多いのである。特に漢字が間違っていたりすると、本当に恥しくて情けなくなってしまう。 |
私は現在迷っております。症状が芳しくなくて、医者から入院を勧められています。しかし、入院 |
を生れてこの方経験したことのない私には不安でしょうがありません。それにこのホームページ |
が入院してしまうと休園、若しくは閉鎖へと追い込まなければならなくなるのが非常に辛いです。 |
病名はどうしても言えませんが、入院となると数ヶ月は出られなくなるでしょう。それに同じ症状の |
方たちと一緒にいることの苦痛が想像されます。私は人間と接するのが極めて苦手なタイプな |
もので、数人の部屋に押し込まれると考えるだけでおかしくなってしまいそうです。医者には私に |
とって入院は苦痛以外の何物でないと、来週にでも説明をしてみるつもりです。しかし一方で病気 |
を少しでも早く治したい自分がいるのです。もう発病してから1年近くが経とうとしています。医者が |
言うには選択肢として一度考えてほしい、と今日告げられました。(今回で二度目です。) |
しかし、そうなると今冬は全く撮影をあきらめなければなりませんし、楽しみにしている弊HPの |
掲示板への返信を書くことについても断念しなければならなくなるのです。 |
家族に相談すると、入院は決してこの病気の治癒にはならないと反対しています。こうしてこんな |
ことを書いている私は誰かに聞いてもらいたいのかもしれません。一体どうすればいいのか毎日 |
が苦痛の日々です。(すいません、暗い話になってしまって。<(_
_)>) |
いつでも蛇口をひねれば当たり前のように水は出てくる。そんな普通なことを我々は当然と考えて |
いる。今は当たり前のようになっているが、水が「六甲の水」に端を発して普通に売られるようにも |
なってきている。水道水は飲まずに、販売されているペットボトルのみを飲料用にしている家もある |
やに聞く。私の家では数年前からアルカリイオン水が飲めるように器具を購入して取り付けている。 |
酸化した水はもったいないので風呂の水に使っている。日本だけではないだろうか、安心して水道 |
水が飲めるようになっているのは。ヨーロッパでは水は買うものと当然とされているし、発展途上国 |
や砂漠の多い国でも水自体がお金と同等かそれ以上の貴重なものとなっている。 |
日本は川や森林が多くて、その自然から大きな恩恵をもたらしてもらっている。水もそれらから多く |
生み出されている。その自然に感謝することもなく、破壊だけを延々と続けている我々日本人に |
自然から強烈なしっぺ返しをいつかくらうような気がしてならないのだ。夏の水の貯水率が減少する |
時期だけに水の有り難さを思うだけではいけないのではないか等と今も考えている。 |
私は水を飲む時には、いつも感謝している。もちろん水道水もその料金が払えなくなったら止めら |
れてしまうのだが。山での湧き水など飲むと、本当に水が生きていることを感じさせてくれる。そう、 |
私には水こそが地球の一番の宝だと思っている。 |
以前、光ケーブルが普及するまで今のISDNのままにするとここに書き込んだのだが、その唇の |
渇かないうちにADSLのフレッツ・モアに変更した。私自身は今でも変更は全くしたくなかったの |
だが、共同で利用し、書き込みにも協力してくれている弟より、今のままでは遅すぎて話しになら |
ない。悠長に光ケーブルが安くなるまで待つということはとても我慢できないとのたまうのです。 |
こちらとしても色々とHPの更新に協力してもらっている以上、反対するわけにはいかずやむなく |
変更に至りました。本当に言動不一致で穴があったら入りたいぐらい恥しいです。 |
ところで、フレッツ・モアに変えるとやはり速いですね。正直、びっくりしています。特に写真の多い |
私のようなHPを見るには最高です。今までのISDNで満足していた私だというのに、コロッと態度 |
を変えてしまうくらいの速度です。(光ファイバーならこの十倍ちかくになるのか、信じられない速さ |
なんでしょうね。)今後は野鳥関係を中心に写真の多いHPを重点的に見て回ろうかと思っていま |
す。例えば、弊HPの探鳥地案内に深泥池を例にとると、今までは全ての写真を見るのに1分程 |
まつ必要があったのですが、今は数秒で全ての写真が出てくるのですから。弟にごり押しされて |
変更と相成りましたが、メリットは結構大きかったのではないかと満足しております。ちなみにCM |
で天海祐希と出ている、めがねの大空テントさんという芸人さんの大ファンです。誰も知っておられ |
紅葉はどうして私をいつもドキドキさせてくれるのだろうか。季節の変り目のほんの一瞬だけのこと |
だというのに。紅葉シーズンの十数年続いていた森林植物園での紅葉詣では体力の関係上、今年 |
は断念せざるを得なかった。ここが好きなのは世界のいろいろな紅葉が見れることである。紅葉と |
いえば赤くなるとは限らない。イチョウの黄色もコナラの茶色もそれぞれ色は微妙に違うけれど、 |
見事な紅葉であることに間違いはない。私もたくさん写真を撮影してきているのだから、一般的モミジ |
が美しいということは認めざるをえないが、それでも違った種類の紅葉に心惹かれる。 |
特に好きだったのは京都の北山にある深泥池の紅葉である。ここにはモミジ類の木は確かなかった |
と記憶しているが、本当の雑木林が色づくのである。近い内に、ネイチャーフォトの部屋で深泥池の |
紅葉を紹介しようと思っている。(いつまでもアジサイのままとは、我ながら情けなや。)モミジ類には |
一見したところ人工的に見える、言い換えればわざわざ植えているイメージが強くてならない。それ故 |
に先出の神戸森林植物園ではカエデ類(ハウチワカエデやイタヤカエデ等)の紅葉が富に美しく感じる。 |
葉の一枚毎に時間の違いからか、微妙に葉の色づき方が違うのである。テレビのニュースで見たが |
、特に今年は紅葉の出来が富にいいと聞く。確かに私も今年は山田池公園にしか行けてはないけれど |
第二次世界大戦が終っても、世界のどこかで戦争は絶えることはない。多くの女性や老人、子供達と |
いった弱者が被害者となっている。今ではイラクに対する戦争危機。イスラエルとバレスチナの紛争、 |
インドとパキスタンの国境を巡る紛争など目白押しである。特にブッシュというチンピラ大統領を中心 |
とする世界一愚かな国アメリカは、最悪の国家である。先日、彼らが湾岸戦争やアフガン戦争で使用 |
した世にもおぞましい兵器が紹介されていた。劣化ウラン弾という名前で、大きさはタバコほどのもの |
だが、その威力は数十メートルのコンクリートを貫通するものであるとのこと。また放射能の影響も |
あり、正に悪魔の兵器である。その兵器によって何の罪のない一般の国民達が被害を受け、後遺症 |
に今でも悩まされているとのこと。過去の米ソ対決という構図がなくなりアメリカの一人勝ちになっている |
今、愚かな国アメリカを抑止する国はなくなってしまっている。近い内に核実験の再開を計画している |
との情報もあるし、対イラクについてもどうにかして戦争に持っていこうと意欲満々である。アメリカは |
国際貿易センターへのテロを口実に戦争をどんどんと創り出している。これは彼らの国の主産業でも |
ある軍需産業とも密接に結びついているのである。チンピラ大統領であるブッシュを中心に差別主義 |
に蝕まれたアメリカには自浄能力がなくなってしまっている。先日の中間選挙の結果でも明らかである。 |
戦争は罪の無い多くの無抵抗な人々の犠牲に成り立っている。しかし、その犠牲はアメリカに言わせれ |
ば許容範囲と考えている節がある。たかだか200数十年しかたっていない歴史も反省も僅かな愚弄な |
人間にとって人生の3分の1は、平均的に睡眠にとられる。そう考えれば睡眠の時間はとても貴重な |
時間と言えるのではないか。最近は長く眠ることが出来ずに4,5時間程度がやっとである。どうも |
睡眠時間が短いと一日ボーッとしている場合が多い。暢気なためか電車やバスなど昔はどこでも平気 |
で」眠れたのだが、最近はどうもそういう訳にはいかないようである。 |
夢も話によると人間は一回の睡眠で3,4つの夢を見るという。寝起きに覚えている夢は最後に現れ |
たものという。ただ私の場合ははっきりと覚えている夢はそんなに多いことはなく、うろ覚えでこんな |
感じかなというものが多い。今までの最高睡眠時間は20時間。ボーイスカウトに入っていた時に |
キャンプから帰って早めに布団に入った。起きるとまだ暗かったので、デザートでももらおうと母に |
聞いたら、「何言ってんの、もう一日たってるで。」エエ〜ッ!何かもの凄く一日を損した気分になって |
いた記憶がある。最低はもちろんゼロ。学生時代は試験前になると結構無理をした。しかし、そう |
無理をしたからといって試験中に眠くて集中出来なかったので、あまり意味はなかったのだが。 |
最近は睡眠に入る前に必ずラジオドラマを聞く事にしている、不思議なことにそうしなければ眠れない |
体質になってしまったようである。それと旅行にいった先のホテルのベッドが私は大の苦手でまとも |
に睡眠できた試しがない。また睡眠には枕も重要なアイテムである。私は東急ハンズで購入した今の |
枕がとても気にいっている。首へのフィット感が素晴らしいのである。何にしましても睡眠することは |
川が好きでたまらない人間です。小さい頃から遊びに行くといえば、近くの安威川に魚とりや虫とり |
に行くことが多かったのです。当時はまだコンクリートで塗り固められた醜い川ではなく、自然その |
ままの姿でした。オイカワやモツゴといった魚やザリガニにクサガメ等多くの生き物を捕まえては |
家に持って帰り、育てていました。安威川は小さい私にとってとても大切なフィールドでした。今の |
変わり果てた姿には溜息ばかりです。それでも先日、行ってみると多くのユリカモメにヒドリガモ、 |
オナガガモにコサギやダイサギ、アオサギといった野鳥達に出会えることが出来て嬉しかったです |
ね。川もよく見るとたくさんの魚が泳いでいました。自然の再生力には本当に畏敬の念を持ちます。 |
新幹線で東京へ数十回は往復したことがある私にとって、大きな川を通過時に見るというのも密か |
な楽しみでした。(揖斐川、大井川、天竜川等)また短期間東京に行きました時に、利根川の河川敷 |
へオオセッカの写真を撮影しに行きましたが、反対側の土手がかすむほどの川の大きさには本当 |
にびっくりしてしまいました。今はご存知のように大阪の代表的な川である淀川の魅力にはまって |
おります。私が撮影する地域などは淀川全体からみればほんの僅かな場所に過ぎません。それでも |
多くの生き物との出会いを演出してくれる淀川には大変感謝しております。淀川にはワンドという保存 |
すべき大切な地域もあるようですが、その一方で大阪の人間達を適当に遊ばせてくれるようです。 |
(公園や河川敷ゴルフ場等)しかし、これ以上の淀川の環境破壊は許されてはなりません。今の私に |
は大切なフィールドとなったのですから。あと十三あたりの干潟も渡り鳥にとっては重要な場所です。 |
今の私は本当に孤独感が強い。いっそ○○○しまおうかと考えることが多くなってきている。小さい時 |
から人間関係が極度に苦手な故に、絶えず強烈な孤独感に苛まれてきた。もちろん、少ないながら |
も友人もいるが、今すぐに会える友人は私の近くにはいない。どこかにいってしまおうか、誰も知ら |
ない街に消えてしまおうかと常々考えてしまう。相談したいことが多々あるというのに、真剣に聞いて |
もらえる人も全くいないのである。思えば、私のこれまでの人生はゴミ溜めのようなものであった。 |
一度として満足を感じることも出来ずに、絶えず欲求不満を感じながら辛うじて息をしている。夏場 |
の酸欠不足で川から口を出してアップアップしているフナのようである。このつれづれも多くのことを |
思いつくままに書いてはきているが、一度として満足出来る文章を作れてはいない。時々のぞいて |
くれる皆様の為に、一生懸命には書いてはいるが振り返ればどちらかというと過去の話が断然多い。 |
現在や、未来のことについては私は怖くて何一つ書けないでいるのだ。 |
私のひとりぼっちへの苛立ちを辛うじて抑えてくれているのが、この関西野鳥園というホームページ |
かもしれないと、今ははっきりと言える。皆様の為に、定期に更新していこうという僅かな意欲だけが、 |
現在の私を人間として存在させているのかもしれない。最近、溜息ばかりつくようになり、家族からも |
腫れ物に触るような扱いをされている。そうだ、このつれづれの文章が途切れる時に、私という人間は |
その存在価値すら失ってしまうであろう。どうにも陰気臭い話になって申し訳ないのだが、これは現在の |
私の家は路地裏にある。車などでは入れない小さな路地である。大きな道路にも面しておらず、 |
昔からある種の恥しさを感じていた。友達を呼ぶにもとても判りにくく、また世間から忘れられて |
しまったような感覚もあった。昔は本当の長屋で8軒の家が並んでいた。そもそもこの場所は母親が |
祖父の遺産としてもらった土地である。どれもが数十年も経つ古い建物であったが、8軒には連帯感 |
というか暖かいまとまりがあったように思う。小学校へ通う時はそこでの子供達が一緒になって通って |
いたのであるが、それが結構楽しかった。一学年上に長島さんという人がいて、リーダー・シップを |
取って私達を守ってくれたし、遊んでくれたりした。小さな路地裏でキャッチボールをしたりかくれん |
ぼやべったん(メンコ)をしたりといろいろな楽しい思い出しか残っていない。大雨さえ降ろうものなら、 |
雨漏りがひどいものであった。それはどの家も同様であっただろうが、みんな元気に仲良く楽しく暮ら |
していた。調味料や食べ物の貸し借り、おみやげの交換などが本当に頻繁であった。今はもう無人 |
の家になってしまったり、仲良くしていた方々が引っ越されたりとだんだんと疎遠になっていくことを |
寂しく感じている。当家も父親の退職金をメインに家を立て替えたので、あまり長屋感覚というものが |
なくなってしまった。(他にもう一軒が建替え)しかし当時の路地裏での子供達がどんなに仲良く遊んで |
、大きな一体感を持っていたかは住んでいたものにしかわからないであろう。 |