《楽しみは 身の程超えた 展望を》

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 購読している紙面で,生物の進化を解説している連載記事があります。とても実感できない年数の経過の中で淘汰と進化が繰り返されています。細胞の発生から小さな個体へ,個体が肥大化していく一方で,環境の激変で滅亡し新たな生命体が新たな環境へ移動する能力を獲得したときに繁殖する機会を得ています。
 現在の地球環境では,かつての巨大恐竜は適応できないようで,個体の大きさは鯨や象などまでのようです。この環境で共生している多様な生物の中で,人類は個体として生き抜く身体的能力は,他の動物に比べて優れているとはいえません。それなのに,我が物顔ではびこって,環境破壊をするまでに傲慢になってしまっています。その顛末を概観してみたくなりました。
 一言で言えば,人は支え合うという機能を保有する「社会」という身体を獲得したのです。身体が細胞の集合で構成され手足や内臓など機能を分業化しているように,人がそれぞれ部分となって機能を担い合い社会という巨大生物に進化していると考えることができます。たとえば,日本,中国,米国,韓国といった「国という巨大生物」が出現したのです。
 この国という巨大生物は,自らの機能を集中する原理・原則が異なっています。いわゆる信仰という結びつきの形式を異にしています。その違いをお互いに受入ながら,さらに大いなる原則を案出し受容できればいいのですが,今はその途上にあるようです。国同士のいがみ合いが絶えずに,もがいています。
 大男総身に知恵が回りかね,という言葉を発明したことを思い起こすと,今の国という生物の振る舞いを差配している知恵が及んでいないということになります。大きくなりすぎて,人による自己制御が能力オーバになっているのでしょう。今の時代の進展を自然なものであると認めると,信仰などから無縁のAIがより発達し知恵となって,国を動かしていくことになるのかもしれません。
 それとも,別の進展の可能性も考えることができます。驕れるもの久しからずです。巨大になりすぎて自己統制が不能に陥り,崩壊するという結果もあり得ます。バベルの塔の故事のように,意思疎通ができない,しないようになれば,社会は瓦解し,国は分解し,個人に縮小してしまいます。ご破算になって,再出発という顛末になるかもしれません。どのように進んでいくのか,現代に生きる一人一人が選ぶ総和に拠りますが,誰にも見えないことでしょう。

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(2026年03月22日:No.1356)