1233年 (貞永2年、4月15日 改元 天福元年 癸巳)
 
 

7月9日 癸亥
  大風以前の出挙利倍の事、窮民を救わんが為減少の法を定めらる。畿内・西国の事は
  六波羅に仰せられをはんぬ。而るに丹波の国夜久郷神人先達と称すの者有り。事を神
  威に寄せ厳制に背き呵責に及ぶ。百姓その愁いに堪えず参訴すと。武州殊に憐れみ庭
  中に召し出し、直に問答し給う。仍って計り下知せしむべきの旨六波羅に仰せ遣わさ
  ると。
 

7月10日 壬子 甘雨降る、終日休止せず。
  去る月二十七日の雷雨以後、炎旱また数日に及ぶ。この雨すでに国土を潤し、天下豊
  饒の基なり。
 

7月11日 癸丑
  二位家御月忌の御仏事。導師は良信法印なり。御台所御聴聞の為南御堂に入御す。武
  州また詣で給う。
 

7月15日 丁巳 [明月記]
  今日聞く。一昨日后宮入内。
 

7月20日 壬戌 晴
  申の刻内藤判官盛時頓滅す。子の刻に及び蘇生す。妻子に相語りて云く、夢の如く広
  野の中に迷い行くの処、一僧来たりて手を引く。仮令出門の如きの所出思の程蘇生す
  と。これ寤寐帰敬し奉る地蔵菩薩てえりなり。若くは彼の利生の方便に預かるか。末
  代希有の事なり。
 

7月21日 癸亥 霽
  去る月二十日前の齋宮皇后宮に立たしめ御う。今月十三日入内の由、京都よりこれを
  申さる。