1245年 (寛元3年 乙巳)
 
 

6月3日 丙寅 天晴
  右筆の輩を召し聚められ、久遠壽量院に於いて、一日中五部大乗経を書写せらる。則
  ち供養の儀有り。七僧法会なり。三位法印頼兼導師たり。同日法華五種妙行を修せら
  る。導師は卿僧正(良信)と。これ後鳥羽院の追福なり。
 

6月6日 己巳 晴 [平戸記]
  伝聞、関東の早馬武家に到来すと。然れどもその旨趣風聞せず。世以て奇を成す。兵
  革の構え披露す。尤も不審々々。
 

6月7日 庚午
  鎌倉中の民居、人毎に続松を用意し置き、もし夜討ち・殺害人等出来するの時は、声
  に就いて面々松明を取り奔り出すべきの由、保々に触れ仰せらる。清左衛門の尉・万
  年九郎兵衛の尉等これを奉行すと。
 

6月10日 癸酉 天晴
  金泥の法華経五種妙行を供養せらるなり。導師は三位法印頼兼。これまた後鳥羽院の
  御菩提を訪い奉らると。
 

6月12日 乙亥 晴 [平戸記]
  伝聞、関東の飛脚武家に到来すと。子細を聞かず。但し或る人云く、権武所労大事の
  由かと。
 

6月14日 丁丑
  大納言家の御祈りとして六字供を修せらる。法印隆弁奉仕すと。
 

6月18日 辛巳 [平戸記]
  日没後殿下に参る。近く召し寄せられ、世間の事仰せらるるなり。関東の事等なり。
  怖畏少なからず。経時所労大事と。また重事入道殿綸旨を奉り、一日関東に仰せ遣わ
  さる。明年ばかりこの儀有るべきの由、仰せ遣わさるるの処、件の御返事に云く、善
  悪の左右計り申すに能わず。ただ御計在るべしと。これに依って早速沙汰有るべしと。
 

6月19日 壬午
  武州の御不例平減するの間、今日沐浴せしめ給う。医師時長朝臣・頼幸・廣長禄を賜
  う。各々御馬一疋・御劔一腰と。
 

6月20日 癸未
  大納言家の御祈り、日曜供を修せらる。助法印珍譽奉仕すと。
 

6月27日 庚寅 天晴
  同御祈りの為羅ゴ星祭を行わる。晴賢これを奉仕す。但馬の前司定員雑事を沙汰せし
  む所なり。今日戌の刻武州の花第(故武州禅室北隣)並びに左親衛の亭各々移徙の儀
  有りと。日来新造の功すでに成ると。
 

6月28日 辛卯 [百錬抄]
  今夕、女叙位を行わる(従二位近子、将軍頼経卿妻)。中納言為経卿これを参行す。