1250年 (建長2年 庚戌)
 
 

5月1日 丙寅
  鶴岡上宮破損修理の事その沙汰有り。宮寺の番匠等を召し、重々定め仰せらるる所な
  り。筑前の前司・清左衛門の尉・深澤山城の前司等奉行たり。
 

5月9日 甲戌
  将軍家御方違えの為相州の御亭に入御す。奥州並びに佐渡の前司・下野の前司・刑部
  大輔入道等予め儲けの御所に候すと。
 

5月10日 乙亥
  旅御所に於いて鞠御会有り。人数去る三月の如し。その後御馬場殿の桟敷に於いて笠
  懸を覧る。事終わりその日還御有るべしと。
  射手
   北條の六郎  遠江の太郎    武蔵の四郎  城の次郎
   尾張の次郎  小山出羽の前司  城の九郎   遠江次郎左衛門の尉
   上野の十郎  薩摩の九郎    三浦の介   工藤六郎左衛門の尉
 

5月14日 己卯
  罪科人の跡の事、闕所たりと雖も、奉行人の懈緩に依って、年を渉るの後給人に付け
  らるれば、闕所以来の所出物に於いては、宜しく当給人をして領取せしむべきの由定
  め下さると。
 

5月20日 乙酉
  将軍家帝範の御談議有りと。相州参らしめ給う。教隆眞人これに候すと。
 

5月22日 丁亥
  相州の室家聊か病脳す。程無く平愈す。懐孕の瑞相かと。
 

5月25日 庚寅 天晴
  鶴岡八幡宮上宮修理の事始めなり。奉行人等予参すと。
 

5月27日 壬辰
  相州浄眞をして貞観政要一部を書写せしめ、今日将軍家に進せらると。水精の軸・羅
  の表紙、蒔絵の箱(鶴丸)に納める所なり。小野澤の次郎時仲御使としてこれを持参
  す。和泉の前司行方申次たりと。
 

5月28日 癸巳
  讃岐の国法勲寺の地頭壱岐七郎左衛門の尉時重、本補・新補両様を兼帯せしむの由、
  雑掌これを訴え申すに就いて、評定有り。年序を経るの由地頭これを申すと雖も、そ
  の理無きの間、一方に於いては停止せらるべし。然からば本司の跡たるべきか。将又
  新補たるべきか。望み申すに随い仰せ下さるべし。一方を注し申すべきの旨、今日仰
  せ下さると。