1263年 (弘長3年 癸亥)
 
 

10月1日 戊申 晴
  大蔵権大輔泰房御所南庭に於いて天地災変祭を行う。これ去る月十二日大雷の御祈祷
  なり。
 

10月8日 乙卯 晴
  和泉の前司行方この間湯治の処、俄に以て中風を煩い所労と。
 

10月10日 丁巳
  評定を行わる。六波羅検断等の事その沙汰有り。彼の祇候人佐渡入道(使節として参
  向す)を召し出さしめ、当座に於いて仰せ合わさると。強盗人の事、地頭無き権門領
  以下の所々、守護所より相触れるに随いこれを召し出さるべし。然らざれば彼の所を
  追放せらるべし。その儀無くば地頭を補すべきの由、兼ねて本所に申せらるべし。次
  いで地頭補任の所々より強盗人を召し出されざれば、彼の地頭職を改易せらるべきの
  旨相触れるの後、これを注し申せらるべしと。今日暁景正五位下行石見の守大江朝臣
  能行卒す(年)。
 

10月14日 辛酉
  今日の評定、出羽の前司入道道空始めて出仕す。この一両年病に依って籠居すと。
 

10月17日 甲子
  明年正月の御的始め射手の事その沙汰有り。参勤すべきの由仰せらる。左典厩一人の
  御奉書なり。越後の守重服の故なり。
 

10月25日 壬申 晴
  今夜中御所武州亭に出御す。御外戚大臣法印澄圓入滅す。御軽服に依ってなり。彼の
  上綱は、光明峯寺禅閤の御息と。
 

10月26日 癸酉 雨降る
  故奥州禅門第三年の仏事極楽寺に於いてこれを修せらる。宗観房を以て導師と為す。
 

10月27日 甲戌 天晴 暁雨降る
  今日貢馬御覧。
 

10月28日 乙亥 天晴
  将軍家五百首の御詠、民部卿入道(融覺)点を加え返上す。則ち一巻の状、六義奥旨
  を副ゆ。猶御沈思を凝らさるべきの由、條々の諷諫を申すと。