57 御迎い(参り候)

 末広売の夫婦は内に入て四辺を視廻し「率爾ながら御身にお尋ね申さん、御身は正しく
旧の金沢の城主楽岩寺下総守種久殿の御息女小桜姫にて渡らせ給うべし」と言いければ、
小桜姫打ち驚き「イヤ妾はさせる身にあらず、御身は何用あって其小桜姫をば尋ぬるぞ」、
夫婦「某等は楽岩寺種久殿に頼まれて其姫君を尋ぬるなり、如何に包み給うとも御姿隠れ
無し、唯御名乗り候え」、小桜姫は我が尋ぬる父の事を聞きて、飛立つ程に心嬉しく「今
は何をか包まん、妾こそ小桜なり、父上は何処に坐すぞ」、末広売「さあその種久殿は是
より程遠からぬ所に居給うなり、先に御身が三浦勢に捕れ、諸磯の浜にて首打たれ給いし
と御聞あり、悲歎遣る方無かりしが、余りの思いに人を遣って獄門の首級を盗み取らせ、
種久殿倩々と眺め給い、流石御親子の間柄とて早くも其首の偽りなるを見破られ、こは腰
元八重絹が首級なり、彼の忠節を以て姫を助けしか、それとも城将の情けにて姫を余所に
落せしか、何れの道姫は此世にあるべしと心を尽して遍く国中を尋ね給いたり、我等も折
々種久殿の御贔屓を受け、其御物語をも伺い候えば、フト心に浮びしは花水川にて末広を
買ひ給いし御身の事なり、賤しからぬ御姿と云い、笈を軽々と持ち給いし力量と申し、由
ある姫君と見奉りたれば、其事を種久殿に申上げしに、それこそ姫に相違無し、汝等疾く
行きて姫を迎え来れとの仰せにて候、是に種久殿の御文も候えば、我等と共に御出である
べし」と懐中より玉章を取出し、姫の前に差置きたり、姫は手に取り眺むれば、紛う方な
き父の手跡、「こは懐かしの父君よ、日頃御行方を尋ね参らせて、心に忘れし折はなくも、
是より程遠からぬ所に居給うとは知らざりし、さりながら程遠からぬ処と計りにては分り
難し、何と申す所に居給うぞ」、夫婦「種久殿とて世を忍び給う御身なれば、今はそれと
申し難し、唯一の宮の辺りとこそ思召し候え」、小桜姫「ナニ一の宮の辺りとな、一の宮
は妾も嘗て過ぎしものを、知らざりしこそ悲しけれ」、夫婦「兎も角も唯我等と共に御越
し候え、種久殿もさぞ待ち詫びて居給うらん」、小桜姫は虎王丸を顧み「妾の行くは易け
れども、御身一人を此に残さんは心許なし、折悪しく左衛門殿も来らず、如何はせん」と
躊躇い給う、虎王丸進み出で「姉上が日頃尋ね給う御父君の行方知れたりとは、これに上
越す悦びぞ無き、我身の事は案じ給わで、疾く父君の御許へ参られよ」、小桜姫「イヤ御
身は大事の預り人、独りは此に残し難し」と問答する様子を見て、末広売「それなる幼き
若君を独り此家に残し給わで、共に種久殿の御許へ連れ行き給え、姫君が由縁の人か、如
何にも気高き少人よ、のう若君、御身も姫君と共に参られよ、御名をば何と仰せある」、
虎王丸は何心無く「我身は三浦道寸が次男虎王丸よ」と答えける、末広売驚きたる風情に
て「扨は三浦家の若君なるか、それならば尚更我等と共に参り給え」と勧むる言葉に小桜
姫、眉を顰め由無き事を人に知らせて後の患計り難し、殊更此末広売の夫婦は尋常のもの
ならず、如何にもして虎王丸を三浦家の人々に渡さんと、顔を揚げて鳶尾山の方を眺むる
に、今日も二人を見舞わんとてや、菊名左衛門此方を望んで降り来る、小桜姫打悦び「如
何に虎王どの、妾は父に面会して再び此へ参るべし、不在の間重氏と共に此家を守り給え」、
虎王丸「さあらば御不在を守り候わん、姉上には早く父君を尋ね給うべし、我身の事を心
に掛け給うな」と語る折柄、左衛門重氏山を降りて此家に来る、