63 此大役(誰か勤めん)

 種久父子が帰りける後、北条早雲は諸臣を聚めて申しける様「楽岩寺殿の頼みは無くと
も、我兼て三浦道寸を滅ぼさん志あり、今こそ三浦の家乱れたれば兵を起すに屈強の時な
り、さりながら心に掛るは道寸が嫡男荒次郎義意、彼は父に追れて当国鳶尾山に隠れたり
とは申せども、固より万夫不当の勇将なれば、我が三浦に攻入りし跡に後ろより当城を襲
わんも計り難し、殊に当城の旧主たる大森家の残党も多く厚木辺りに隠れ居れり、是等の
者ども荒次郎に力を合せて当城の隙を窺いなば由々しき大事なり、されば今三浦征伐の兵
を起さんには先ず一の宮の辺りに一城を築き、智謀軍略荒次郎に劣らざる程の大将を籠め
置いて、荒次郎が当城を襲うの道を喰止めざるべからず、如何に面々、誰か一の宮の城を
守って荒次郎の押えを為すものは無きか」と座中を見廻し諸士の剛憶を試しける、早雲が
駿河以来の郎等には大道寺太郎・荒木兵庫・多目権平・山中才四郎・有竹兵衛なんどと云
える一騎当千の剛の者ありと雖も、皆荒次郎義意の武勇に聞怯して、我こそ一の宮を守ら
んと言い出ずるもの無し、然るに早雲が嫡男新九郎氏綱慨然として進み出で「口広き申条
に候えども、某一の宮を守って必ず荒次郎を喰い止め候わん、彼も三浦家の嫡男にて、某
も北条家の嫡男なれば似合わしき敵にて候、何卒其役目を某に仰せ付け下されたし」と四
辺を払って申しける、早雲打頷き「我もさこそと思いたり、今荒次郎を喰止めんものは其
方より他にあるべからず、さりながら荒次郎は大敵なり、油断して不覚を取らば悔ゆると
も及び難し、其方の副将として物馴れたる多目権平を遣わすべければ、共に謀を合せて荒
次郎を禦ぎ候え、又当城の留守居には小四郎氏時を差置くべし、汝等兄弟能く志を合せて
本国を守り候え、我は楽岩寺殿を先陣として必ず三浦道寸を破るべし、唯心得難きは今日
入城せし小桜姫なり、彼も三浦家の為に家を破られ国を奪われ、其身生捕とまでなりたる
なれば、三浦征伐と聞かば自ら進んで先陣をも望むべきに、さは無くして出陣を好まぬ様
子は深き子細ありと見えたり、察するに荒次郎と小桜姫は一旦縁組を為さんと約束せしも
の故、姫も其愛に溺れて荒次郎に心を寄せ居らんも計り難し、彼の如き勇婦が当城にあっ
て敵と内通致しなば一大事なり、氏綱も氏時も心を付て小桜姫に油断なすべからず」と申
しけるに、多目権平進み出て「我君の御賢察の通り、小桜姫は荒次郎の味方に相違なく候、
其証拠には某姫を迎えんと其住居へ参りしに、折しも姫が家に居合せたる荒次郎の弟虎王
丸と申す幼き者が姫の事を姉上々々と申し、頻に懐かしがり居り候」、早雲これを聞て俄
に身を進め「ナニ荒次郎の弟虎王丸が姫の家に居りしとな、それこそ屈強の人質なり、欺
いて我が手に生捕る事はならざるか」、権平「それは姫の使いと偽り、姫の偽手紙を持ち
て巧みに欺き候わば、生捕となさんこと敢て難き事にあらず、虎王丸は固より姫を慕い、
早く再び帰らるべしと呉々も其帰りを待ち候えば、姫が迎うると申しなば悦んで来るべし、
唯虎王丸を守護する武士は三浦家の剛の者菊名左衛門重氏にて候えば、其目を盗まんこと
が一つの難儀にて候」、氏綱権平を顧み「然らば我汝と共に先ず一の宮に赴き、一城を築
きて防御の備えを為す間に、緩々隙を窺って虎王丸を盗み取るべし、又首尾好く盗みし上
は小桜姫に知れざる様一の宮の城中に隠し置き、万一の時の人質となし申さん」、早雲「そ
れこそ然るべき計略なり、必ず共に仕損ずる勿れ」と共に定むる秘密の計略、知らぬもの
こそ哀れなれ、