64 槍の稽古(魚を突かん)

 父に劣らぬ智勇の大将北条新九郎氏綱は、大敵三浦荒次郎を押えん為に、郎等多目権平
長康を引連れ一の宮に来りて一城を築き、精兵八百騎を籠め置いて武備厳重に固めたり、
多目権平長康は予て早雲の密謀を受け、小桜姫の偽手紙を作り、再び手馴れし末広売に身
を窶し、其手紙を懐中して鳶尾山の麓に来り、日毎に虎王丸の様子を窺いて、隙もあらば
竊み取らんとぞ計りける、爰に虎王丸は菊名左衛門重氏と小桜姫の家を守りて其音信を待
ちけるに、夏は過ぎハヤ身に浸みる秋風の蘆の枯葉を吹渡る頃となりけれども、更に姫の
便りは無し、虎王丸日毎に姫の噂を為し「のう左衛門、姉上は如何にし給いつらん、此家
を立出で給う時、程無く帰ると仰せありしが、夏の燕は南に帰り、去年の雁金北より来る
に、姉上の御便り今にあらぬは情け無や、姉上とて我が身を忘れ給うにはあらじ、もしや
父君の御許に参られて重き病なんどに罹り給いしか、それなれば大切の姉上、我身御側に
参り、届かぬながら御看病をも致すべきに、唯一の宮の辺りと計りにて御行方も知れ難し、
先に姉上を迎いに来りし末広売とやらは再び此辺りに来らざるか、彼にても参りなば姉上
の御様子も分るべきに、如何に左衛門、汝は一の宮の辺りに赴いて竊に姉上の御行方を尋
ね参らせよ」と幼心の一筋に姫を慕うぞ哀れなり、重氏も共に悲み「さ程までに待詫給う
は理りながら、某若君を残して独り一の宮には参り難し、殊に此頃北条家より一の宮に新
城を築きて軍卒多入れ置くとの事なれば、油断なり難き此時節、某は若君を守護し参らす
る役目もあり、姉君の御事は厚木大膳に頼み置きたれば、遠からずして其行方も知れ候わ
ん、それよりも若君には小桜姫が申残し給いし如く、天晴れ武芸を御励みあって、北条攻
めの合戦に初陣の用意を為し給え」、虎王丸「その武芸を励むに就て想い出したる事のあ
り、先の日姉上が我身に魚を得させんと、此前の流に泳げる魚を竹の槍にて突き給いし事
あり、槍の手練も水中の魚を突留むる程ならば、敵を突かんこと難からざるべし、一つに
は槍の稽古の為、二つには午餉の料を得ん為に、我身は竹槍を以て中津川の流れに参るべ
し、重氏汝も来れよ」と幼き人の面白盛り、魚突く業を興ある事に覚えて急ぎ流れの岸に
立出でける、左衛門重氏は若君の過ちありては相済まずと是も跡より慕い来て、虎王丸を
守護なしたり、されども虎王丸は幼き身なれば遊ぶ事の面白さに、魚を求めて岸を走り、
或は峨々たる巌に登り、或は渦巻く深淵に臨んで独り遊び狂いける、重氏後ろに立って幾
度か肝を冷し「槍の御手練は好けれども、足踏外して此急流に陥り給わば助け参らする便
りは無し、魚は某が漁て参らせんほどに疾く内に入り給え」と頻に諫むれども、虎王丸聞
入れず「イヤイヤ武士の子は危きを懼れずと承る、我身も三浦の海岸に育ちて水の心は知
りたるを、此流れに落ちて溺れ死するほどならば、命ありても物の役に立ち難し」、重氏
「とは申せども、千金の御身に過ちあらば、如何に父君・兄君が慨き給わん」、虎王丸「慨
き給うは悲しけれど、我身は死しても惜しからぬ命なり、我身があればこそ父君も兄上を
退け給うにて、我身無くば兄上は正しく三浦家の御嫡統、父上も必ず国に迎えて御仲らい
も直るべし、生きて甲斐無き我身故死ぬ事を怖ろしと思わばこそ」、斯る言葉に左衛門重
氏竊に袖を絞り「こは以ての外なる御心得かな、命ありてこそ父君・兄君にも御孝行を尽
し給うべきに、自ら御身を軽んじ給うは子たるものヽ道にあらず、兎も角も先ず内に入り
給え」と問答なして留むる折柄、山の上より初声太郎行重旅装束して降り来る、此時山の
麓には末広売の多目権平林の中に身を隠して、竊に虎王丸の様子を窺い居たり、