日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。
日付ごとにアンカー付けています。e.g. http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary0110.htm#20011001
2001年10月
読・観・聴・その他
セシル・アダムズ『こんなこと、誰に聞いたらいいの?
−日常生活を笑わすQ&A大全疑心暗鬼の巻』
ルキノ・ヴィスコンティ『夏の嵐』
村山なおこ『ケーキの世界』
ベルナルド・ベルトルッチ『暗殺の森』
溝口健二『雨月物語』
レイモンド・リー『ドラゴン・イン』
フランク・キャプラ『オペラハット』
鈴木清順『ツィゴイネルワイゼン』
ジーン・ケリー/スタンリー・ドーネン『雨に唄えば』
鈴木清順『けんかえれじい』
サム・ウッド『打撃王』
マックG『チャーリーズ・エンジェル』
水野晴郎『シベリア超特急』
アントニイ・バークリー『ジャンピング・ジェニイ』
『Viva!
ITALIA 「旅と芸術と、甘い生活」』@東京都写真美術館
フェデリコ・フェリーニ『カビリアの夜』(『Viva!
FELLINI 「フェリーニの回顧上映」』)@東京都写真美術館
ウェイン・ワン『スモーク』
黒澤明『椿三十郎』
近藤史恵『猿若町捕物帳
巴之丞鹿の子』
ロン・ハワード『バックドラフト』
ジョン・スタージェス『大脱走』
パトリック・ヤウ『ロンゲスト・ナイト』
寺門琢己『かわいいこころ』
淀川長治『淀川長治「映画の部屋」』/『淀川長治の「1/24秒」』
カール・ドライヤー『裁かるるジャンヌ』
GOING
UNDER GROUND『かよわきエナジー』
ケン・スミス『誰も教えてくれない聖書の読み方』
神山征二郎『月光の夏』
ジョニー・トー『ヒーロー・ネバー・ダイ』
鈴木清順『殺しの烙印』
鈴木清順『帆綱は唄う海の純情』
鈴木清順『大江戸捜査網 花吹雪 炎に舞う一番纏』
鈴木清順『東京流れ者』
黒澤明『用心棒』
スクエア『俺の優しさ』@東京芸術劇場
久石譲『カルテット』@丸の内シャンゼリゼ
31(水)
丸の内シャンゼリゼへ、久石譲『カルテット』(日本・2001)をみに行った。
袴田吉彦の魅力全開! といったところでした。物語は平凡で予想通りに進み、それが「予想通りの面白さ」にでもなればいいのですが、残念ながらありきたりな感じを受けただけにとどまりました。要素を散りばめつつも原因と結果が繋がらないので散らばったまま。心情の道筋がたどれません。
夜中1時すぎにシュークリーム。
30(火)
大阪のスクエアという劇団の『俺の優しさ』という公演を東京芸術劇場へみに行った。広告代理店での残業の長い夜。あまりベタベタなギャグという感じではなく、結構スマートな面白さ。大阪で受けたところと東京で受けたところは違うんだろうか、違うんだろうな、どこが違ったのかな、と気になりながらみてた。
29(月)
習い事の先生宅で卵をもらった。初産の卵なのだそうです。
28(日)
鈴木清順の『清順レア&コア・コレクション』@テアトル新宿ていうオールナイトの映画をみてさっき帰ってきた。コンビニ寄った帰り、ラジオ体操を始めようとしているおじいさんがいて、ラジオから「新しい朝が来た
希望の朝だ」の歌が流れてた。まだ覚えてるな、と確認した。
頭はハッキリしてるけど身体が眠いと言ってる。とりあえず寝る。
..
オールナイトの内容。
1.トークショー(鈴木晄:『殺しの烙印』『ピストルオペラ』編集&川勝正幸:エディター)
・『殺しの烙印』'67年公開版幻のシーン
・『殺しの烙印』清順監督インタビュー上映
2.『殺しの烙印』(1967)
3.『帆綱は唄う 海の純情』(1956)
4.『大江戸捜査網 花吹雪 炎に舞う一番纏』(1981)
5.『東京流れ者』(1966)
『殺しの烙印』(1967)。
ご飯の炊ける匂いが大好きな殺し屋No.3の宍戸錠が仕事の失敗により一転命を狙われる側に。No.1の殺し屋との関係が不可思議でコメディ入ってる。理解できる範囲と、はみだしちゃってる面白さが同居していて、映像も含めておしゃれでスマートで大胆。かっこよくてしびれた場面がどさどさある。真理アンヌの謎めいた美しさにも圧倒された。やりたいことをやったなあ、というのは感じた。エロ的に過激だとは思わなかったけれど、30年前だと思うとやはり大胆だったのかもしれない。それにしても、1967年公開時の黒マスクのかけかた自体のほうが“過激”。画面の半分くらい見えなくなってたりするのだ。
『帆綱は唄う 海の純情』(1956)。
海の男・春日八郎は、タイプの違う3人の女性からモテモテ。でも本人は真面目な硬派で、3人以外の船長の娘を好きなのでした。ドタバタとちょっぴりの人情のコメディ。ベタなギャグに会場ちょっと沸く。春日八郎を主役にしていて、ことあるごとに彼は(彼だけ)歌うのです。「歌謡映画」というジャンルらしい?
春日八郎は当時人気だったんだろうなというのがわかる映画でした。
『大江戸捜査網 花吹雪 炎に舞う一直線』(1981)。
題名だけ聞いたことがあるような気がする『大江戸捜査網』。テレビ東京で放映していたらしいです。妙に絢爛な場面があったりして、「らしい」のかも。かたせ梨乃@ホットパンツ姿(?)が出ていた!
『東京流れ者』(1966)。
これまたどうやら「歌謡映画」。渡哲也と松原智恵子が歌います。足を洗ったはずの渡哲也だが義理としがらみでまっとうな生活をすることができない。色彩がものすごく凝っていて『2001年宇宙の旅』の部屋を思い出したんだけど、『2001年〜』は1968年なんですよね。バーや部屋の色づかいや道具に現実感がなくて、でも「歌謡映画」や「任侠映画」なのだと思うとすごく面白い。それから、真っ黒な衣装の悪者たちが真っ黒な部屋にいるのかと思ったら、真っ白い服の渡哲也が扉を開けた途端、その部屋は真っ白い部屋だったのだとわかるのだ。すごい。映画の中で渡哲也が「東京流れ者」の歌を何度も歌うので、覚えてしまったよ(カラオケで歌えるくらい……)。
..
黒澤明『用心棒』(1961)。
途中、ボロボロになる三十郎がいい。時代物にピストルが出てくると反則だ! と激しく動揺します。反則ではないですが、なんかこう無敵なものに思えてしまって。
26(金)
神山征ニ郎『月光の夏』(日・1993)。
鳥栖小学校の片隅に、忘れられたグランドピアノがあった。小学校の元音楽教師である吉岡さんは、廃棄処分になると聞き自分で引き取りたいと願い出る。なぜそれほどこだわるのかと訊ねた校長に、ピアノにまつわるエピソードが語られ始める。……昭和20年の終戦直前、2人の兵隊が鳥栖国民学校を訪れ、グランドピアノを弾かせて欲しいと頼みに来た。彼らは翌日には特攻隊員として突入すべき運命にあった。奏でられるベートーヴェンの「月光」。戦争が終わっても彼らとは再会できないままだったが、ピアノにまつわるエピソードが話題になり、若者探しも始まる。そのうち1人が見つかるも、彼は「記憶にない」と口を閉ざす。
本当に戦争はいや。実話を元にした映画ですが、つい先日このエピソードと2人が再会したところをTVで見たばかりです。一つだけキーがだめになっていたピアノで「月光」が奏でられていました。同じ「月光」が弾かれたということは、雲野さんが弾いた全く同じキーを風間さんが触れていったということなんだ……。
なぜだか、物より思い出という言い方を思い出しました。好きではない言葉。どうして物と思い出を対比させ、分けて考えられるのかわからないからです。
..
ジョニー・トー『ヒーロー・ネバー・ダイ』(香港・1998)。
傑作。『ヒーロー・ネバー・ダイ』、なんて素晴らしいタイトル!
『デッド・エンド』の時と同様、後半からぐぐーっと盛り上がってゆく。その後半のための下地づくりがとても丁寧。「この人は死んだのだ」という表現の仕方が秀逸で、その抑えに抑えたところが重く効く(2パタン)。抑えたといえば、ラウ・チンワンの抑えた演技も素晴らしく、重い熱さと渋さに圧倒されてしまう。
究極のライバルは究極の親友に変換可能である……泣きそうなくらい強く感じた。みていた私は救われない、でも彼らはきっと。
数少ないジョニー・トー関係の映画を今みられる分はみてしまいました。トータルな出来とスウィート加減の『ザ・ミッション』と、渋くて切なくて苦い『ヒーロー・ネバー・ダイ』が横綱。
『ロンゲストナイト』(1997)→『ヒーロー・ネバー・ダイ』(1998)→『デッド・エンド』(1999)→『ザ・ミッション』(2000)、この順に“甘味度数”が高くなる。高くなるといっても、ブラックコーヒーを飲み比べて甘い順に並べるような感じ。
パトリック・ヤウ『ロンゲストナイト』(ジョニー・トー製作)(感想)
ジョニー・トー『ヒーロー・ネバー・ダイ』
ジョニー・トー『デッド・エンド』(感想)
ジョニー・トー『ザ・ミッション』(感想1/2/3)
ああ、ジョニー・トー監督バンザイ!!!
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風が吹いてほんの少しだけ髪が揺れるように感じる。少し伸びたからです。なびく髪は叶わないものとしてあきらめていたけれど、長い髪の頃、ストパーをかけたら体験することができて、ものすごく感動しました。下を向けば髪が落ちるし。ホームに立っていると、電車の通る風でスカートのすそも揺れる。スカートをはきたいと思っている男性は、そういうものに憧れるのかもしれないなとふと思いました。
25(木)
ケン・スミス『誰も教えてくれない聖書の読み方』山形浩生訳
晶文社, 2001を読み終わる。
中学時代に新約聖書を通して読んだときには深い疑問は持たなくて、独特な用語の使い方や、なんで同じことについての違う記述が4つあるの? (福音書のこと)と思っていた程度。大学時代に般教で「キリスト教概論」をとったときも、聖書自体をじっくり読んだり、内容について深く学ぶという感じではなかった。
今まで抱いていたぼんやりとした疑問が解決するかもと思って読んでみたら、面白くてやめられなくなり、家に帰ってきてから聖書を引っ張り出して、引用されている部分を確認しながら読んでいきました。
一般的に「聖書のなかの出来事」として引用される記述に対して「そんなのあったっけ…」と思うことがたまーにあったのが、この本を読んでスッキリ解決。それから、キリスト教→博愛という漠然としたイメージは素敵に破壊されました。キリスト教と殺戮が肩を組んで歩いてた。でも、妙に納得な気分なのです……。
..
どうしてこんなに映画をみてるんだろう。みたいのだろう。端的に言えばいつ死んでもいいように、かな。なぜだかわからないけど、いつもあせっているんです。気持ちを向ける対象があると、少し落ち着きます。落ち着いて、それでも今は走る、って感じ。
24(水)
淀川長治『淀川長治「映画の部屋」』/『淀川長治の「1/24秒」』徳間書店,1990。映画みるより話を聞いているほうが面白そうだなあと思ったりする。
カール・ドライヤー『裁かるるジャンヌ』(仏・1928)。(淀川長治氏による内容紹介)
本で読んだ時よりも、ぐっと近くにいたジャンヌ。だからこそより胸がしめつけられる。苦しい内容にクローズアップ多用というみせかたは圧倒感がすごく、みおわったあと胸がいっぱいでしばらく何もできなかった。
ジャンヌ・ダルク最後の一日。それまでの戦いの経緯はなし。宗教裁判で裁かれる彼女と判事(司教)たちの様子を、顔のクローズアップ場面をつなげるようにして描いている。ジャンヌのはっきりとした瞳、大粒の涙、スローモーションのように微妙に変化していく表情、絶望と喜びの落差。司教たちの片目に映るたくらみ、笑い顔のいやらしさ。
かなり長時間に思えた火刑の場面は、苦しくて苦しくて泣きながらみた。そこで終わりではなく民衆の暴動まで描いていたのが丁寧。
今日も何も書かずに寝てしまおうと思ったくらいの胸の苦しさだったけど、裁判までの彼女が気になって持ってたはずの本を探してみた。井村勝子・白井詔子『ジャンヌ・ダルク』女子パウロ会。女子パウロ会!? 小さい頃、これしかなかったのかな? 政治的背景もきちんと説明してあってわかりやすく読みました。映画の中で指輪を取られてしまうシーンがあるのですが、これはもともと彼女のお母さんが大切にしていた指輪で、戦いの前に合流したジャンヌの兄たちが母から預かってジャンヌに渡し、それ以来ずっと右手の薬指にはめていたものだったようです。
私も、GOING UNDER GROUND『かよわきエナジー』(VICL60792)買いました。「センチメント・エキスプレス」が流れているのをよく耳にしていて、アルバムが出たら買おうと思ってたんです。凝っているわけではないのに曲の終わりの歌詞にハッとすること数回。聴いたあとで初めて歌詞カードだけを読んでみると、気恥ずかしいわりには印象としては強く残らない。けれど、歌として聴いているとちょうどいい。曲と歌詞のバランスが良く、ぴたっと合っているってことかな。
22(月)
ちゃんと物語になっている夢を見た。夢の中では物語を作れるんだなと思った。いつものように、起きた時にはわりと覚えていたのが夜になれば忘れている。SMAPのクサナギ君と知らない女の子が出てきてた。一つだけ映像で残っている場面があって、そのときにクサナギ君が言った言葉のニュアンスは今のところ消えていないけど、言葉であらわすことができそうにない。言葉ではなく記憶のみで保存するにはどうしたらいいのだろう。絵も描けないし。頭の中の映像を写真のように残しておけたら。
外側が光るのではなく内側の光でそれとわかる。それが合図。う〜ん。
寺門琢己『かわいいこころ』メディアファクトリー,2001を読んだ。こころとからだが密接に関係しているのは日々感じてます。今回は「こころ=臓器の個性」について。人の感情は、その人をつかさどる臓器のうちどの臓器の支配が強いのか、それによって異なってくるという話を、「肝臓」「心臓」「脾臓」「肺臓」「肝臓」の5タイプに分けて解説してます。チェックの結果、微妙に脾臓タイプみたいです。「食べないともー全然ダメ」ってところが合ってる。日中つらいときは夜はおいしいもの食べるぞ! というのを励みにする。
駅のホームで高校生の男の子が串だんごを食べてたのがすごくおいしそうだったので買って帰った。彼と同じく、しょうゆだれのほうね!
21(日)
パトリック・ヤウ『ロンゲスト・ナイト』(香港・1997)。
残虐シーンが多く、5分の3くらい隠してみていたと思う。クッションで字幕だけ見えるようにし(しかし、字幕そのものが残酷な時あり)、平気なときは頭の上に乗せてみる。頭が疲れた。悪者対悪者という図式は、正直、あまりスカッとしません。トニー・レオンよりラウ・チンワンのほうがどうしたって迫力ある。鏡の破片が飛びまくるブルーがかった銃撃シーンは“美しすぎる”。 ところで最後がはっきりとは理解できませんでした。ラウ・チンワンは実は生きているの?
甘栗あるいはどんぐりの季節? おでこが隠れるからだね、きっと! ちなみにニット帽はシビラで黒地に赤とベージュのラインが数本ずつ入ってる結構派手なやつです。
20(土)
頭が痛いので家の中で過ごすことにした。我慢できない時には薬を飲んでしまうけど、飲んでもあまり効かないというのがほんとのところで、だったら飲むだけ身体には良くない。それほどひどくもない今回、飲まずに我慢してみることにした。頭痛に効くツボを押してみたり、耳をあたためたり、肩をほぐすように少し動かしたり、ひどくなったら少しだけ横になったり。一番最初にしたのはニット帽をかぶること。頭(おでこ?)を温めるのが私には結構効きます。
ジョン・スタージェス『大脱走』(米・1963)。
あまり爽快な気分にはなれなかったのだけど、テーマ音楽と最後のシーンで幾分救われた。3時間超を感じさせないテンポの良さはある。閉所恐怖症のトンネル堀り常習犯の設定は面白くて哀しい、そしてドキドキさせられた要素だった。戦争中の捕虜収容所からの脱走という設定が物語に影を落としてはいるものの、音楽の明るさがそれをカバーしてちょうどいいバランスになっていたと思う。
19(金)
近藤史恵『猿若町捕物帳 巴之丞鹿の子 』幻冬舎文庫,2001を読み終わる。どんなに疲れているときでも手にとることのできる本となると、この人の作品になってしまう。時代の用語が丁寧に使われていることもあり雰囲気抜群。気になってしょうがなかったのはお袖と小吉。お袖の「小吉」という言葉に対する印象の描写、いい。近藤史恵作品を読むのは謎解き目的ではないようだと今回も気付いた。
ロン・ハワード『バックドラフト』(米・1991)。消防士兄弟の葛藤の物語、というには線が細い描き方。人物が出てくるわりには使い切っていないし、焦点がぼやけていて全体的に散漫な印象。火の迫力に物語が完璧に負けてしまってる。
18(木)
近藤史恵『猿若町捕物帳 巴之丞鹿の子 』幻冬舎文庫,2001
を買う。
途中までみていた映画の続きをみおわる。
ウェイン・ワン『スモーク』(日=米・1995)。脚本はポール・オースター。
「面白そうだ」と思っていたことを実際にやっている人が出てきた。うおぅ、ポール・オースターと偶然の一致?
日常のなかの非日常。最後のエピソードは会話で語られてたときは普通にいい話、ところが、それがサイレント映画のように再現されてゆくのをみていたら、その豊かさに泣いてしまった。
黒澤明『椿三十郎』(日・1962)。
椿三十郎と室戸の最後の対決場面では、呼吸できず。
室戸のほうはコケにされたことで椿三十郎を許せなかったんだろうけど、椿三十郎のほうは、本当に室戸を切りたくなかったんだと思った。認め合っていたライバルに見えたから。
登場人物すべての個性がいかされている。室戸の黒光りするような容姿は不気味だし、奥方と娘の、調子が狂うようなのんびりさは大物。最後にやっと見ることができた城代は、確かにできる人ぽい。とらわれ人の使い方も愉快だし、若侍たちは椿三十郎の前だとかわいらしい犬みたいで頼りなげ。対比が面白い。
椿と刀という組み合わせもすごい。
17(水)
会社が秋季行事日で休み。給料日前でお金がないけど平日が休みならば出かけたい。交通費がかからずにすむ場所へ行き、写真と映画をみることにした。
東京都写真美術館では、2001年のイタリア年企画として「写真と映画でめぐるイタリア」というのをやっています。写真展と映画1つで1600円。写真展は日本人の写真家たちによるイタリア紀行、イタリアのアーティストを撮影したもの。映画は、フェリーニの映画を3つ上映しています。『青春群像』(1953)/『カビリアの夜』(1957)/『甘い生活』(1960)。
写真は素晴らしいものが数多くあって、写真に撮られたものが自分の目で見たものより美しく思えるということは、写真の価値のうちの一つだろうなと思いました。パンフレット(というか冊子)は、実物の写真を見たあとだと買うことができません。見た写真が載っていて欲しいとは思いますが、両者は別物なんだといやでも気付いてしまうせつなさも同時に感じることになるからです。たとえばこんなふうに。
フェデリコ・フェリーニ『カビリアの夜』(イタリア・1957)。
何度もつらい目にあったカビリアを見ていたにも関わらず、あの男を信じるのはやめようとふるまっていた彼女に、「信じて! そして幸せをつかんで!」って願っちゃってた。そういう意味では私もすっかり騙されてたわけだけど、でも、「しない後悔よりして後悔」でいたいから……。ボナセーラと言われて微笑んでゆくシーンの素晴らしさ!!! 一瞬視線がこちらに合った気がした。その力強さにノックアウトされて少しだけ安心した瞬間だった。
新文芸座の「オールナイト・スケジュール」……。
16(火)
Nさんに、「電車では読まないでください」と言って、よしながふみ『西洋骨董洋菓子店』(1)(2)
新書館を貸している。少しずつ読んでいるそうです。漫画は殆ど(多分限りなくゼロに近い)読まないらしく、「ときどき画が小さくなるのはおもしろいね」など漫画の表現方法にも興味が惹かれるみたいです。小さくなるってどういう意味かと思ったら、ギャグぽい場面で簡略化してる画を使うことを指してました。昨晩はTVまでみたそうです。私のドラマの感想を一つだけ。ミスチルの歌があれこれ流れすぎててうるさいです。
23時過ぎの埼京線には女性専用車両があります。まだ乗ったことはないのですが、先日友達が乗ったところ若い女の子がいっぱいで女子大みたいだったと。車両の前には警備員さんが立っていて、ときどき間違って乗ってしまう男の人を降ろしているそうです。乗ってから「あ、そうだった!」とあわてて降りるおじさんもいるらしい。
先日、朝電車に乗るとき、電話しながら私の背中をこぶしでぐいぐい押してくる女性がいたので、後ろ手でその女性の手首あたりをぐっと後ろに押し返した。初めての経験。「あ、ごめんなさい」と素直に謝られた。実はその少し前に別の電車でむしゃくしゃしてたので、そのエネルギーを使ってそういう“反撃”ができたんだと思う。そういう意味では少し後ろめたかった。
アントニイ・バークリー『ジャンピング・ジェニイ』狩野一郎訳 国書刊行会,2001(Anthony Berkeley, "Jumping Jenny",1933)を読み終わる。
倒叙もの? と思ったら純粋にそうというわけでもなく、ロジャー・シェリンガムがあたふたてんてこまいしているうちに事件は解決しましたとさ、って感じ。ひねりを存分に含みつつシンプルな物語。バークリーならこれくらいやるな、とわかっているはずなのに、やっぱり今回も最後の毒にくらくら。予測範囲内なんだけど、過剰さを切り捨てた表現の簡潔さにやられてしまうんだろうか? 最後の一行のあとの紙の上は美しい空白、物語の世界内も時間が止まったとしか思えない。そして私の頭の中も一瞬空白に。全くお手上げです。バンザイの意味もこめて。
全てを知っているのは読者である私だけ、そして彼らの世界と私の世界は永遠に交わらない。
14(日)
マックG『チャーリーズ・エンジェル』(米・2000)。エンジェルたちかっこいい憧れる!
チャーリー羨ましい! どっちにもなってみたい! 「きれいで」「強い」「女の人が」「複数で」「闘う」というのがセットになっているからこそツボ。どれが欠けてもだめなのだ。もっと遊んでくれてもいいくらい。
水野晴郎『シベリア超特急』(日・1996)。突然またみたくなった。嫌いになれないのに変わりはないけど、こんなにひどかったっけ…と思う。とほほ感増幅。けど、今こそみるべき映画なのかも。前回みたときの感想。『シベリア超特急3』が来春に公開されたら、1,2,3とオールナイトでやらないかな。
13(土)
9時半に起きた。今起きてしまえばスケートに間に合うんだな……と一瞬思いながらまた寝た。10時半に起きた。もう間に合わない。洗濯してから散歩に出た。雲が全然なかった。
サム・ウッド『打撃王』(米・1942)。
ニューヨーク・ヤンキースの選手、ルー・ゲーリッグ。2130試合連続出場したものの、病気により35歳で引退、37歳で亡くなった彼をゲイリー・クーパーが演じた。本物のベイブ・ルースも出演。ルー・ゲーリッグは「永久欠番生みの親」らしい。
2時間ぶんしか彼を知らないのにどうしてこんなに涙が止まらないのか。
12(金)
鈴木清順『けんかえれじい』(日・1966)。ああいうエネルギーの使い方って案外正しい気がした。
11(木)
毎朝ウォーターワックスを使うたび、「ちりも積もれば山となる」という言葉を思い出す。一回分は指にちょちょっと取る程度の量。けれどある日、底のほうまで減っているのに気付く。積もってなくて減ってるから表現は逆だけど、「ああまたここまで来たのだなあ」という感慨深さは同じだと思う。
TSUTAYAが14日まで半額セールなので返却ついでに今日も借りて帰る。増村保造はあいかわらず貸し出し中ばかりでタイミング合わないみたい。結局、鈴木清順『けんかえれじい』(日・1966)と、サム・ウッド『打撃王』(米・1942)。
10(水)
昨日は9時に寝ました。特異日なのに雨降ったねえ。コンバースはびしょびしょ、足を冷たくして帰る。情けない気分。
上のリストに挙げた北村龍平『VERSUS』も『殺し屋1』もやめたほうがいいとすすめられたのであきらめます。悔しいです。
ジーン・ケリー/スタンリー・ドーネン『雨に唄えば』(米・1952)
映画館でみたいと強く思った。大笑いと微笑みの両方を体験できる映画。楽しいものをみているとこちらも楽しくなるんだというのを実感した。サイレントからトーキーへ移行するときの苦労もわかったし、どうしてそんなことができるの? という神業的な踊りには感嘆と感動。今、とっても楽しく幸せな気分。ちなみにスタンリー・キューブリック『時計じかけのオレンジ』(米・1971)のことは全く思い出しませんでした! 幸せすぎて(?)
今度雨が降ったらこの映画を思い出すと思う。
8(月)
窓を開けてひきこもろうかななんて書いたけど、昨日は隣駅の往復散歩、そして今日も外出。雨降りに気付いても。
雨が降ったからと、ジーン・ケリー/スタンリー・ドーネン『雨に唄えば』(米・1952)をみようと帰宅するも、なんとなくだらだらTVをみて一日は終わりそう。みる前からなんですが、スタンリー・キューブリック『時計じかけのオレンジ』(米・1971)(感想)より先にみるべきだったと後悔中。みてからもそう思うに違いない。
7(日)
フランク・キャプラ『オペラハット』(米・1936)。同『スミス都へ行く』(米・1939)(感想)と似ているけれど、主人公がちょっぴり短気で、最初からガンガン言ってるのが良かった。じんとしながらも大いに笑った映画。
鈴木清順『ツィゴイネルワイゼン』(日・1980)。あてられた。終わったとたん熱が出た。妖しく美しく不可思議な世界にからめとられてくらくら、そしてぐったり。すごすぎる。家の小さな画面ですらこうなのに、映画館のスクリーンでみたらいったいどうなってたのかと思う。けど映画館でみるべきだなあ。
6(土)
スケートに行きそびれて3ヶ月過ぎたと思う。一度、先生から電話をもらった。前夜には明日こそ行こうと決めているのに、当日になると気持ちがしぼんでくる。今朝は早く起きてちゃんと電車に乗った。でも、席に座ってあれこれ考えていたら行かない方向へ気持ちが動いてしまい、山手線に乗った時にはもうだめだった。どうして行けないか行かないかは自分でちゃんと分析できていて、ただ、今のところそれをひっくり返すほどの理由づけができないんだ。行かないと安心感と自己嫌悪でいっぱいになる。けど、どうしようもない。
駅を通過して新宿のTSUTAYAで3つ借りてくる。増村保造が軒並み貸し出し中で残念。
この3日間は天気が良さそうだから窓を開けてひきこもろうかなと。
じゃこれから映画みます。
..
溝口健二『雨月物語』(日本・1953)。映像がすごい。カメラの動きに加えて光の使い方も素晴らしい。霧の中の湖の描写がこの世のものとは思えず、先を暗示しているようだった。
レイモンド・リー『ドラゴン・イン』(香港・1992)。マギー・チャンの女狐ぶりが妙に魅力的だし、最強の料理人(誰?)の存在などみどころは多い。が、武器として剣が苦手というのを忘れてた。描写が迫力ありすぎて息も絶え絶え。画面を隠すためのクッション手放せず。その分、全然平気な人は大いに楽しめるはずです。
5(金)
村山なおこ『ケーキの世界』集英社新書,2001を読み終わる。ティラミスをはじめとしたデザートブームの変遷、お菓子の材料の説明、自分好みのケーキ屋さんの見つけ方まで専門的になりすぎず、ちょっと物足りないかなくらいの情報量で読みやすかった。著者には『甘いのがお好き』(大海社)という本もあって、お店のガイドブックとして使えていいです(感想)。
ベルナルド・ベルトルッチ『暗殺の森』(独=仏=伊・1970)。物語はあまり面白くなかったけれど、映像の美しさと内容の怖さが増幅しあってると思った。
4(木)
ルキノ・ヴィスコンティ『夏の嵐』(イタリア・1954)。
傍観者である私は、フランツの目を見て冷静に判断できる。でも恋は当事者から客観性を奪う。それがわかるからみているのが苦しい。彼は彼女の心を殺し、彼女は彼の肉体と無理心中したように思えた。
『ERIO vol. 22 外ごはん』日本放送出版協会,2001 お弁当の参考になりそうなメニューも載っていて便利そうだったので買いました。だんだん寒くなってきますが、まだ晴れの日だったら外でごはんもできそうです。
この間、無印でいいランチボックスを見つけたのでそれを使っています。300mlと200mlの細長いタッパー型容器を重ねてバンド留め。それぞれ220円と200円だったと思います。500ml容量のものもあり。細長いと詰めたときにどうだろう? と思ってましたが、詰めやすいし、結構見栄えが良いです。
3(水)
セシル・アダムズ『こんなこと、誰に聞いたらいいの?
−日常生活を笑わすQ&A大全疑心暗鬼の巻』春日井晶子訳 ハヤカワ文庫NF,2001を読み終わる。ユーモアのまぶしかたのせいか、「これ本当?
もしかして冗談?」といつまでも混乱しながら読み進めてた。
2(火)
会社の定期健康診断。大嫌いなさいけつ! しかし今年良くわかりました。看護婦さんが冷静だとそれ以上騒げないのだと。甘えさせてくれそうな看護婦さんだと、つい甘えて騒ぐのだと!
両親は今日引っ越した。夜、無事に着いたと連絡がある。電波の届く範囲の携帯を選んで買ったはずなのに圏外だったとか、夕刊と朝刊が一緒に届くと聞く。電話を切ってから、今回受け取った自分の小さい頃のアルバムを眺める。
月を探しに外へ出た。夕方見た月は低かったのに今はちゃんと高い位置にある。オリオン座と冬の大三角も見えた。裸眼で見られたらいいのになあ。
1(月)
先日、友達を待っている間の青山ブックセンターで、エドワード・ゴーリー『不幸な子供』柴田元幸訳
河出書房新社,2001が目にとまった。「悪趣味の一歩手前」などと書いてある。そんなに不幸なのかなとページをめくっていったら最後まで読んでしまい、本当に悪趣味の一歩手前だったので見事だと思った……。スパッ、ズバッとくる容赦のなさ。
朝、車両故障事故があったらしく、自分とこの駅から次の駅までに40分かかった。らちがあかないので途中のJR接続駅で降り、遅延票とで振替輸送切符をもらう。遅延は60分、今まで経験した最高で、振替輸送切符をもらうのも初めてだった。それだけは少しわくわくした。白くて硬い紙の切符。
29(土)
エルンスト・ルビッチ『天国は待ってくれる』(米・1943)。
しょうもないなあと笑って許してしまうのは、根底にある奥さんへの愛のせい。だらだらしてない終わり方もいい。
夕方の荷物は届いてみたらなんだかいとおしかった。
28(金)
昨日、ネタバレしていました。さっき気付いてあわてて反転させましたが読んでしまった人には申し訳ありません。
本を3冊買いました。村山なおこ『ケーキの世界』集英社新書,2001/斎藤孝『声に出して読みたい日本語』草思社,2001/セシル・アダムズ『こんなこと、誰に聞いたらいいの? −日常生活を笑わすQ&A大全疑心暗鬼の巻』春日井晶子訳 ハヤカワ文庫NF,2001
来週、両親が引っ越す。荷物をつめていて私の物が出てきたというので引き取ってみると、楽譜や教科書や高校時代のプリント。プリントというのは、紙袋に「高1!」と学年ごとに分けて書いていて中身がテストと通知表。主要科目のほかに家庭科のプリントまであった。おまけに体力測定の記録までも。ソフトボール投げがひどくて、高1で9m、高2で10m、高3で11m。
明日の夕方、大きな荷物がやってくる。
27(木)
ピエール・バイヤール『アクロイドを殺したのはだれか』大浦康介訳
筑摩書房,2001を読み終わる。
A 捜査、B 反捜査、C 妄想、D 真実の四つのブロックが美しく起承転結の機能を果たしている。Cのブロックでの、書かれたものと読む主体の間に生み出されるものについての考察は必要不可欠。それがなかったらDで行われた真犯人についての検証をゆるく感じ、深みも面白さも半減だったと思う。
『カーテン』を読んだときはショックだった。「エルキュール・ポワロのこの最後の事件は、いかにして彼自身が人殺しになったかという話」(pp.200-201)とこの本の中で改めて言われると、さらに重い。
『アクロイド殺害事件』は「〜の物語である。」と述べられている最後の一行がきまってる。
バーナビー・ロスの四部作をそれで一つの物語(と私は思う)として読むように、クリスティのポワロ作品を、作品発表順ではなくポワロの年齢を追って読んでいき、『アクロイド〜』『カーテン』で締めくくったらすごかろうなと思った。
『アクロイドを殺したのはだれか』の中ではクリスティ作品がたくさん引き合いに出されていて論の展開上ネタバレ全開なんだけど、それでも読んでみたくなったものがあった。物語の筋を楽しむというより、物語の構成や作品群の中での位置付けを考えながら読みたいという意味で。
26(水)
9:00からだと思っていたら9:25頃から映画が始まった。録画している安心感からか眠りまくってなにがなんだかもう。
進行方向に背を向けた格好で流れてゆく風景。過去を見つめる旅? 思い出は現在を拠点にして過去形で語るもの、か。うつらうつらしながらそんなことを考えた。