日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。
日付ごとにアンカー付けています。e.g. http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary0109.htm#20010901
2001年9月
読・観・聴・その他
劇団フライングステージ『ひまわり』@下北沢駅前劇場
ジェイムズ・キャメロン『タイタニック』
杉浦さやか『旅のおみやげ図鑑』
ジョニー・トー『ザ・ミッション
非情の掟(鎗火)』@シネマ・カリテ
ビリー・ワイルダー『あなただけ今晩は』
中邑房夫・中邑恵美子『トルコを見て生きろ』
グレゴリー・チュフライ『誓いの休暇』
ロベール・ブレッソン『スリ』
黒木和雄『スリ』
チャールズ・チャップリン『キッド』
フレッド・ジンネマン『真昼の決闘』
フランク・キャプラ『一日だけの淑女』
フランク・キャプラ『我が家の楽園』
アガサ・クリスティ『アクロイド殺人事件』
アンリ・サルヴァドール『サルヴァドールからの手紙』
スタンリー・キューブリック『現金に体を張れ』
ピエール・バイヤール『アクロイドを殺したのはだれか』
エルンスト・ルビッチ『天国は待ってくれる』
29(土)
エルンスト・ルビッチ『天国は待ってくれる』(米・1943)。
しょうもないなあと笑って許してしまうのは、根底にある奥さんへの愛のせい。だらだらしてない終わり方もいい。
夕方の荷物は届いてみたらなんだかいとおしかった。
28(金)
昨日、ネタバレしていました。さっき気付いてあわてて反転させましたが読んでしまった人には申し訳ありません。
本を3冊買いました。村山なおこ『ケーキの世界』集英社新書,2001/斎藤孝『声に出して読みたい日本語』草思社,2001/セシル・アダムズ『こんなこと、誰に聞いたらいいの? −日常生活を笑わすQ&A大全疑心暗鬼の巻』春日井晶子訳 ハヤカワ文庫NF,2001
来週、両親が引っ越す。荷物をつめていて私の物が出てきたというので引き取ってみると、楽譜や教科書や高校時代のプリント。プリントというのは、紙袋に「高1!」と学年ごとに分けて書いていて中身がテストと通知表。主要科目のほかに家庭科のプリントまであった。おまけに体力測定の記録までも。ソフトボール投げがひどくて、高1で9m、高2で10m、高3で11m。
明日の夕方、大きな荷物がやってくる。
27(木)
ピエール・バイヤール『アクロイドを殺したのはだれか』大浦康介訳
筑摩書房,2001を読み終わる。
A 捜査、B 反捜査、C 妄想、D 真実の四つのブロックが美しく起承転結の機能を果たしている。Cのブロックでの、書かれたものと読む主体の間に生み出されるものについての考察は必要不可欠。それがなかったらDで行われた真犯人についての検証をゆるく感じ、深みも面白さも半減だったと思う。
『カーテン』を読んだときはショックだった。「エルキュール・ポワロのこの最後の事件は、いかにして彼自身が人殺しになったかという話」(pp.200-201)とこの本の中で改めて言われると、さらに重い。
『アクロイド殺害事件』は「〜の物語である。」と述べられている最後の一行がきまってる。
バーナビー・ロスの四部作がそれで一つの物語(と私は思う)として読むように、クリスティのポワロ作品を、作品発表順ではなくポワロの年齢を追って読んでいき、『アクロイド〜』『カーテン』で締めくくったらすごかろうなと思った。
『アクロイドを殺したのはだれか』の中ではクリスティ作品がたくさん引き合いに出されていて論の展開上ネタバレ全開なんだけど、それでも読んでみたくなったものがあった。物語の筋を楽しむというより、物語の構成や作品群の中での位置付けを考えながら読みたいという意味で。
26(水)
9:00からだと思っていたら9:25頃から映画が始まった。録画している安心感からか眠りまくってなにがなんだかもう。
進行方向に背を向けた格好で流れてゆく風景。過去を見つめる旅? 思い出は現在を拠点にして過去形で語るもの、か。うつらうつらしながらそんなことを考えた。
25(火)
竹内外史『集合とはなにか』講談社ブルーバックス,2001(1982)。最初のほうは、うんうん、と読んでいたけど、このごろは立って読んでいても眠くなってくるのであきらめよう。ペンを持って書きながら確認したくても電車では難しいです。
ピエール・バイヤール『アクロイドを殺したのはだれか』大浦康介訳 筑摩書房,2001を読み始めました。かなり刺激的です。『アクロイド〜』だけでなく他のクリスティ作品についてもネタバレバンバンしながら論を展開していってる。「言及しないこと」が一番の隠れ蓑。まさしく。
明日夜9:00からBS2でマノエル・デ・オリベイラ『世界の始まりへの旅』(フランス=ポルトガル・1997)。
24(月)
6度8分で少し頭が痛くて重い。素晴らしい秋晴れをあきらめて家にいることにする。
スタンリー・キューブリック『現金に体を張れ』(米・1956)。
時間軸を戻りながら見せてくれるため、流れが多角的に見られてよい。いわば各人の行動主体で進む映画。無味乾燥な説明にはならず、どんどんサスペンスが増してくる。
「あーっ!」と叫んでしまうあの場面も良かったし、左右対称でこちらに向かって来る刑事の姿に浮かぶ「THE END」の文字、そんなラストシーンにも震えた。なんてクール。参った。
23(日)
昨日はせっかく友達と会ったのに頭痛の予感がしたので早めに切り上げさせてもらい残念な気持ちで家に帰る。案の定、頭痛がしてきたので薬を飲み、ニット帽をかぶり、素直に眠った。
本当に、毎日毎日こってりとした夢を見る。昨日は超豪華エステに行った。でも、ピンクのコンタクトレンズが30万とか赤いストッキング(名前が付いているんだけど忘れた)もすごい値段がついていたとか、そんなことしか覚えていない。どうしてこうあまりにも非日常な夢を見るのだろう。目が覚めるギリギリまで見ているから余計疲れる。
薬で痛さを無理におさえているような目覚めで、あまりすっきりしない。天気がいいので軽く出かける。ビデオを返却し新しいのを借り、CDを1枚買った。トルコのピアニスト、ファジル・サイ『シャコンヌ! サイ・プレイズ・バッハ』というのも欲しかったけど見つからなかった。
アガサ・クリスティ『アクロイド殺人事件』中村能三訳 新潮文庫,1985を読み終わる。やはり読んでいなかったのだと思う。「書き手」ってなんだろう? とばかり考えて読んでいた気がする。ピエール・バイヤール『アクロイドを殺したのはだれか』大浦康介訳 筑摩書房, 2001では、創元推理文庫版のページが文中で参照されているので、買うならこちらのほうが良いかもしれない。
アンリ・サルヴァドール『サルヴァドールからの手紙』(VJCP-68326)。84歳の人の声だからこんなに甘くてほろ苦いのかな、さながらビターチョコレート。たとえば本を読みながらこのCDをかけると、意識がちょうど半分半分にわけられるような感じ。半分はCDに半分は本に、そしてそれはぶつかるのではなく相互に行き交う。心地よくて押し付けがましくないので、ほかのことをしながらでも流していられる。でも、それがもったいない気がしてくる素敵なCD。
21(金)
このところしっかり夢を見るので毎日ぐったりして目が覚めます。旅館に行ってすごい広い部屋に通されて探検したり、自宅(なぜかひどく広い家に住んでいる)に友達4人呼んだあとに2,30人追加でやってきておもてなしに追われるとか。どっちも「広いスペース」というのが共通している。
髪を切って色を入れました。今までおまかせだったので、自分の色は果たして何色系だったのか良くわからなかった。友達に「私と同じ色の人が通ったら教えて」と言って似た人の色を客観的に眺めてみたところ、どうやら赤系っぽい。
それをさらに赤っぽくするか、緑っぽいのもいいなあと考える。そう素直に伝えたら、じゃあマットな感じの緑に、ということになった。
出来上がった色を最初に見たとき、会社どうしよう……と思った。かなり金髪っぽく見える。でも、家に帰るまでいろんなところで鏡を見るとそのたびに印象が違う。金っぽいけれど茶色にも見えるし、緑にももちろん見える。今までで一番明るいのは確か。
明日友達に会うのでなんて言われるか楽しみです。不良“娘”と言って!
19(水)
フランク・キャプラ『我が家の楽園』(米・1938)。お気楽すぎて、う〜ん……という感じ。いい話にしたかったため無理矢理でっちあげたような煩雑さがあるなあ。
ピエール・バイヤール『アクロイドを殺したのはだれか』大浦康介訳 筑摩書房,2001 を買ったものの、『アクロイド〜』を読み直してからにしようかと思っている。もしかして『アクロイド〜』を読んだつもりで読んでないんじゃないかという不安があるから!!! 犯人がどーのとか断片を勝手に組み立てていただけなのかもしれないと。ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ『赤い右手』夏来健次訳 国書刊行会,1997 (感想)は面白く読んだけど……。
18(火)
明治から新発売になったビターでうすべったくてパリパリしているチョコレートの名前は、ブラックプレシャスカカオでした。「チョコレートはめ・い・じ」というのは結構正しいと思ってるのでチョコレートを買うとき迷ったら明治にすることが多い。
ビデオを2本借りてきて1本をみはじめるも途中で居眠りのため中断。迷って借りるとやはりだめかな。
16(日)
素敵だね〜。前の会社にいたとき「この仕事辞めたら駅の中にあるDTPの人になって一日座って本を読んでたい、そしてその場所から毎日同じ時間に写真を撮ったら面白そうだ」と思ってた。どっかの庭園の売店の人でも良かった。
フランク・キャプラ『一日だけの淑女』(米・1933)。
淀川長治氏の「Classic Film Collection」の中の一つ。このシリーズは映画が始まる前に淀川氏本人が作品の解説をしています。みる前にぐっときて、みおわってからも思い出されるコメントがありました。I.V.C.のページでは解説を口語で載せているので引用させていただきます。
(前略)ギャングが、拳銃で、人を殺して泣かすよりも、心で泣かす、暖かい心で泣かすのが、いかにいいことか、いうのが、ギャングが、ね、目覚めた映画(後略)
離れて暮らす修道院育ちの娘を持つりんご売りの母。スペインにいる娘が、婚約者、その父親(伯爵)とともに母に会いにくるという。自分は上流階級の人間だとずっと偽ってきた母は、この姿を見たら伯爵は娘の結婚を承諾しないだろうと茫然自失。それを知ったギャングの元締め(彼女の売るりんごをいつもお守り代わり買っていた)が、彼女を救おうと作戦を練る。
前半のほうがテンポが良い。悲嘆にくれる母の演技に涙が出る。衣装と化粧でシンデレラのように変身した母の姿もなぜかしら感動的。
うまくいってくれ! と思う反面、隠し通せたとしても後がつらそうと冷静にみていたところもある。だから、思いあまった母が取った行動にハラハラしつつも、それが最善かもしれないし伯爵の人間性を信じるしかない、と思い始めた。そしてきっと物語はそのように流れてゆくのだろうと。
「が、ギリギリの瞬間、本当のおとぎ話が展開する。さっきまで持ってた心配なんて横へけっとばして快哉を叫んだ!!!」
“おとぎ話をしんじるか?”……おとぎ話をしんじるすべての人に。
15(土)
友達と横浜トリエンナーレをみてから中華街へ。良く歩いて良く食べた。秋(の装い)だしね。
フレッド・ジンネマン『真昼の決闘』(米・1952)。
終わったあと何故か物悲しくなったのはどうしてなんだろう。
社会・世間を描いている。決闘は主役ではなく脇役だと思った。
正義がいつも支持されるとは限らない。自分の事情(経済、保身、嫉妬)が大事ならば、それを捨ててまで正義を支持することが難しいときもある。心から保安官側に立ってみることができなかった。
それに気付いたとき、自分の醜さにも気付いたわけで、そういう意味でつらかったのかもしれない。
ただ、すみのすみまで行き届いた緻密な内容だと思った。例えば、グレース・ケリーがあそこで撃てたのは、ゲイリー・クーパーを愛しているからだけじゃないと思ったのだ。
14(金)
Nさんから、「ちくま」(筑摩書房のPR誌)8月号・9月号と、日経新聞の切抜きをもらった。
「ちくま」では、米原万里の「パンツの面目・フンドシの沽券」が面白いのだという。読んでみると、年頃の娘が人に見られるのを恥ずかしいのは生殖器ではなくそれを覆い隠すパンツのほうだとか、在プラハ・ソビエト学校ではパンツの作り方を習うとか、ソ連の人たちにとっての憧れのパンツとか、日本人の毎日パンツをとりかえる習慣だとか。これからもパンツの連載が続くんだ。
日経新聞の切り抜きは、小林恭二の「名前の印象」(2001年9月9日付)。名前からイメージする印象の話から、喫茶店に入ったときにウェイトレスがつけていた名札の読み方がわからなかったエピソードへ。そして、意を決して彼女に読み方をたずねる。無量小路(むりょうこうじ)さん。今度自分の小説にこの苗字を登場させたい、らしいです。
TSUTAYAで4つほど借りて帰る。
黒木和雄『スリ』(日・2000)
アル中の元スリ・原田芳雄は指が震えて“仕事”ができない。彼につきまとう刑事・石橋蓮司は、現役に戻ってもらい、その上で彼を捕えたいと思うのだ。そんな屈折した関係がいい。
原田芳雄にはしつこいイメージを持っていたので、素晴らしい枯れ方に驚いた。抑制された演技なのに(だからこそ?)、にじみ出てしまう雰囲気。香川照之もあなどれない。石橋蓮司には色気を感じます。大好きです。
チャールズ・チャップリン『キッド』(米・1921)
雛を守る親鳥のように、けなげでひたむきな愛。
13(木)
ロベール・ブレッソン『スリ』(仏・1959)をみた。
なめらかな手の動きを追うカメラの動きもなめらかで魅せられた。ジャンヌがミシェルの「犯罪を犯した手」にキスするのがとてもいい。ジャンヌがミシェルを愛しているのを言葉以外にも感じられたから。
12(水)
昨日“火災ニュース”と書いたのが今は奇妙にうつる。
こんだ電車の中で立ったままレース編みする人を見た。レース編みはボビンと針が一体化してるようなああいう器具を使うのか。
気付いたら料理を6品作ってた。3品を倍量作ろうとは思わず、いろんなものを作りたかった。3品は明日のおかずに。料理は別に好きじゃないけど最中にはそれしか考えてないのがいい。気が散らないって素敵なことだ。「集中できること=好きなこと=趣味」とハッキリ言えるものを持てたらなあ。
11(火)
いつも通りの時間に出ても会社に遅れずに着くことができた。窓に当たる雨や風が強すぎると話題はどうしたって台風になる。隣席のSさんはブラインドを閉めながら「あ、こんなことしても意味ないのか…」と照れていた。
昨晩みたグレゴリー・チュフライ『誓いの休暇』(露・1960)をジェスチャー&セリフ付きで説明していたら感極まって泣いてしまった。あはははーおかしい。
戦争中、手柄を立てた通信兵が褒美に休暇を貰うんだけど、行き2日帰り2日滞在2日の予定がいろんな人の世話をしたり関わったりしてる間にどんどん時間がおしてしまう……、という話。
当分映画の魅力にあらがえそうにない。
アメリカの火災ニュースを見てる。ひどすぎて怖い。
10(月)
「どうせ怖いのは私だけでしょっ!」 ……言って欲しそうだったので(お約束)。
中邑房夫・中邑恵美子『トルコを見て生きろ』毎日新聞社,2001を読み終わる。巡った地域の歴史が丁寧に書かれているが、個人的な体験を読みたかったのであまり興味がなかった。旅行記と言うには無味乾燥で、旅行中に書いたメモ書きみたいだなあと思った。本の中で使った写真は別の人によるもので、その人を紹介した文が一番最後に載っている。そのおじさんがいろんなところの理事長だっていうのは写真と関係ないと思うんだけど3つも列挙している。
これ。なんか悪者ぽい。
9(日)
四度の雨。最初の雨で目が覚めて、二度目で干してた洗濯物をあわてて取り込み、買い物帰りに三度目の雨、四度目の雨は映画をみているとき音で知った。
ビリー・ワイルダー『あなただけ今晩は』をみる。大人っぽいコメディ。シャーリー・マクレインの知らないことを私たちが知っているからやきもきしてしまう。そういうびみょう〜に納得いかない部分もそれなりに解決していたし、過程より結果が大事と思えばいい。ジャック・レモンにしてみれば彼女が幸せならそれでいいんだろうから。
昨日TSUTAYAに行ったとき、瀬々敬久『HYSTERIC』(小島聖と千原浩史の逃避行)がDVDになっていたのを知る。黒木和雄『スリ』のビデオが結構たくさん並んでいて、ロベール・ブレッソン『スリ』と共にみたいと思いました。あと……、水野晴男『シベリア超特急』(感想)って、ヒッチコック『バルカン超特急』からきてるのか? 『バルカン超特急』をみていないので良くわかりません。
8(土)
冴西さんとともに吉井さんちにおよばれしてスプリングロール大会をした。少ししてから谷口さんも到着する。猫が家にいたら楽しそう。でも植物枯らすのが得意な私には到底無理だね!
三度目のジョニー・トー『ザ・ミッション 非情の掟(鎗火)』@シネマ・カリテ。一人で来ている男性が多く、いつもの香港映画の客層と違うなあと思った。渋い香港映画を映画館でみたことがなかったからかもしれない。
今まで“謎”と思っていたことが考えすぎのような気もしてきた……。きわめてシンプルにみればいいのか。というのも、今回初めて気付いたことや見過ごしていた場面がいくつかあって、無駄なシーンが何もないのだと実感したからです。一度目感想/二度目感想
気付いたことは例えばこんなん。これは“謎”とは関係なし。
・最初のタイトルバックは黒地に白文字で始まるが、タイトル(原題)である「鎗火」がピストル音とともに出る。その文字で初めて赤が発色、その後の文字が赤で出る。
・殺し屋を捕獲したとき、彼の傷とマイクの傷の位置が一緒。(その後目を合わせた二人がニヤッ)
・フェイが映る(確か)最後のシーンで彼の顎(向かって右)にピーナッツの殻が!
傑作というのは足すことも削ることも不可能なもの。過不足なし。
ビリー・ワイルダー『あなただけ今晩は』を借りて帰る。
7(金)
杉浦さやか『旅のおみやげ図鑑』幻冬舎,2001を読み終わる。というより、イラストを眺めてにこにこするというのが正しい。旅行に行ったときに買ってしまう、チープでダサかわいいおみやげの数々が、杉浦さんのかわいらしいイラストで再現され並べられてゆく。高価なおみやげじゃないところがミソ。時が止まったような場所やお店で、ごそごそ探して見つけ出した!
といった宝物たち。
お昼休み、会社で新聞の広告を眺めながら「うつ病を治す本だって」と知り合いに話し掛けると、「うつなの?」とにやにや笑っている。「うつなんかなりっこないって言いたいんでしょう!」と返すと、その通りという顔をされる。彼女から見たら、なりそうに見えないと思う。自分では…、よくわからない。
「家に着いたらとりあえず何もせずに少し眠ろう」と思っていて、前はそうしていたこともあった。気分転換のようなもの。でも、このごろは少し横になるということができない。帰ってきたら何かしら動いていて「しなければいけないこと」は無意識にしている。ただ、「したいと思ってること」が、あれもこれもと気持ちはあせる反面、すごく無気力で行動までたどり着かない。一つのことに集中できない。TVをつけて“眺めている”のが一番楽だと感じる(watchではなくseeて感じ)。だけど、ふと、「またTVをつけてしまった。私はなにもしていない」という罪悪感のようなのを感じ、TVをつけっぱなしにしたまま別のことをしようとする。なぜだかTVを消すことが難しい、だけど邪魔ではある。そして作業ははかどらない。
今だって書くと楽だから書いてるだけで、いままでなにもしていない。……実際にはご飯を作ったりお茶飲んだり宿題したりしているんだけど、「なにもしていない」っていう気持ちがすごく強くある。なんなんだろうこれは。
こんなふうに、あせりと無気力が同居してて困る。
それに最近人見知りがひどくなった気がしてまずいんじゃないかと思う。ちょっと怖い。
5(水)
本を買った。杉浦さやか『旅のおみやげ図鑑』幻冬舎,2001/『明治の文学
第三巻 三遊亭円朝』筑摩書房,2001
寒くなって窓を閉めたり、見上げる空が高かったり、秋です。早春には「暖かくなったら」、初秋には「寒くなる前に」、そんなふうに言いながらしそびれていることをまた思い出す。
知らない人に電車の中で意識的に押されたり、街中を歩いていてドンと当たられるとなんだか落ち込む。知ってる人に冷たいことされたほうがまだまし。
4(火)
昨日、友達とお茶したとき日記の話になり読み返したくなった。
しまったはずのところにないので捨てちゃったかなと思いつつ、捨てる方法を考えついてないんだから捨てたはずがないや、いきなりピンときて本棚をさぐると見つかった。ノート3冊。トルコに行く前と帰ってきてからだ。
ざっと読んでみると思ったよりポエミ〜ではなく、わりあい冷静で観察系。どんな服を着てて、どんな会話をして、こういうことがあったというレポートに感想がついているという感じ。別に人に見られても平気なくらい淡々としてる。けど1日分に1ページ以上は使ってる。
日記を始めた日、どんな文章で始めたか、細かい言い回しは無理にしてもニュアンスは覚えている。というのも、
“今日に始まったことではないが、私には今好きな人がいる。この思いを何かに吐き出しておかないと苦しくて仕方ない。だからその限界に達した今日、この日記を書きはじめることにする。”
こんなふうに言い訳がましいから。
2(日)
生まれて初めて野菜ジュースを飲んでみた。今までずっと飲まず嫌いだったけど平気に飲めてわりとおいしかった。ちなみに伊藤園の充実野菜。
セロリが嫌い。
1(土)
劇団フライングステージ「ひまわり」@下北沢駅前劇場をみにいった。
ゲイの人たちによる劇団なのですが、家族との付き合いかたにこういうぎくしゃくした部分はきっとある(あった)のだろうと思う内容。そして同時に、関係の根底にある普遍性を思った。しんみりして早く家に帰りたくなっちゃった。良かったです。
『タイタニック』の続きをみる。
・『クオレ』の中の「難破船」に似てると思いました。
・二人のロマンスで泣くのだとしたらどこなんだろう、と考えていた。演奏するおじさんたち見ては泣きました。
・ローズはなんやかんや言って結婚して孫までいるわけで、悲恋もすでにちゃんと思い出になっているのだと思う。人に話せるくらいに。
・どうして自分で宝石を持っていたのに、「宝石見つかりましたか?」って連絡を入れたんだろう。現場に再び戻れると思ったから?
・ローズ役の人の体型についてあれこれ言及があるみたいですが、あれくらい戦う女だったらあの体型は必要だったかも。説得力はある。
・どうして、海に投げ出されたときローズだけ漂流物の上に乗っているのだろう。当たり前のようにあっさり乗ってるんだもの。「ジャック、二人で乗れるわ!」「だめだローズ、バランスが取れない、君が乗れ!」くらいのやりとりして欲しいです。
・救命ボートが来たときにジャックは死んでいるのに気付いたローズは、彼のいいつけを守り自分は生き残ろうとする。笛を取りに行く前にジャックを沈めたのは決別の意味で?
・生き残る強さと悲恋を無理矢理くっつけたような気がして違和感があった。生き残るには確かに映画でみたような行動力と気持ちの切り替えが必要だと思うし、そういう行動を否定するつもりはない。だけど、それを悲恋とつなげると映画の中ではバランスが悪く見える。悲恋を美しく成立させたいのだったら、行動できても気持ちの切り替えができないヒロインのほうが合っているような気がする。もう少し彼女に逡巡という気持ちを与えても良かったんじゃないかなあ。
31(金)
TVで『タイタニック』をやるようなので、みてみた。CGが思ったよりちゃちい。明日の、船が沈んでしまう場面を映している予告をみてたら、こういう遭難もの(?)は胸が苦しくてかなわんと思った。水というのが余計いけない。
白くまはすっかり食べなくなってしまいましたが、かき氷バージョンより棒アイスバージョンのほうが好みです。棒アイスバージョンはミルクアイスの濃いやつのように食べられるのですが、かき氷バージョンは、練乳がちょっと甘いなあと私も思うので。
あれよりも甘いものはまだまだ私が知らないだけでほかにもたくさん存在するんだろうなあ、と昨日買ったエス・ワイルのお菓子を食べながら思いました。ババロワ・バニーユは、おおなんて真っ当な味のババロワ! の上に生クリームがのっている。ババロワ自体はあまり甘くないのですが、生クリームにこくがあるので全体でかなり甘さを感じます。クレーム・ド・オメールというプリン+生クリームのお菓子はプリンに牛乳のかわりに白ワインを使ってるという話で、箱の外にもお酒の香りが感じられるほどの強さです。カラメルは苦いけれどプリンと生クリームの甘さがそれを上回り、しかし、お酒の香りがぷんぷんするという、かなり濃い〜大人のお菓子といった風情でした。
30(木)
アテネフランセ文化センターへ、ロベール・ブレッソン『バルタザール
どこへ行く』をみに行った。
最初のうちとぎれとぎれに居眠りしてしまいましたが、物語が動き出してからは眠ることもなくみました。
人間を描きつつも浮かび上がるのは「ロバの“人生”」。みおわったあとの気分は重いけど、そういうものだと思えるリアルさがある。映像的には手の動きを追うなめらかさが印象に残ってる。
「エス・ワイル」(千代田区神田小川町3-2)で甘いものを買ったほかは寄り道もせずあっさり帰宅した。
後藤繁雄『彼女たちは小説を書く』メタローグ,2001 を読み終わる。柳美里、吉本ばなな、赤坂真理、川上弘美、山田詠美、中上紀、江國香織、松浦理英子とのインタビュー。
「人生の羅針盤」という占いでの「能力をベースにした人生傾向」、結果の最後の一文……。そうだったらいいけど正反対だよ!
29(水)
『ザ・ミッション 非情の掟』のプレミア上映をみに新宿武蔵野館へ。私の好きなン・ジャンユーが舞台挨拶に来ることになってたのではりきって行ったのですが立見とあいなりました。
映画はこの間みたときと、字幕が微妙に違ってました。最初と最後に「説明」が入っていたのです。「説明」なしのほうがむしろ過去も未来もなく今であるということ、そんな刹那的クールさがあっていいのになあと思いますが、副題に「非情の掟」と入れたくらいですから、そういうのを強調したかったのかも。
この映画には何度みても解けない部分がある。それは、謎というより解釈の余地といったほうがいいのかもしれない。観客に見せている部分と隠している部分があり、どこまで彼らのうちで了解があったのかがわからないようになっている。私たちがみてわかっている部分だけでも充分面白いのに、わからない部分がある楽しさが加わってるからさらに面白いんです。
明日一日、最後の夏休みを取ります。映画みてこようかと思ってる。たっぷり寝すぎて「おもいッきりテレビ」を見ないようにしないと!