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日記のフリindex

04.0704.09

日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。

日付ごとにアンカー付けています。e.g. http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary0408.htm#20040802


2004年8月

その他


予定は未定


8/31(火)
13日に、

友達にメールを書いていたら少し整理ができた気がしたので、最近考えていた自分のことについて書きたいと思っています。そのメールの抜粋になると思います。近々書くかもしれません。

と書いたのですが、自分語り(ばかり)読まされてもつまらないと思うので、やっぱり今はやめておきます。そうでなくても、最近の日記は変なんだし。でも、随分落ち着いてきたような気がします。だからこそ、書かなくてもいいや、と決めたんだろうと自己分析。

6月の日記は、書いていたのですが、7月になってからこっそりUPしました。7月になれば新しいページで気持ちを切り替えられると思ったし、6月の日記をかっこ悪いと思ったからです。7月8月と過ぎても、切り替えはあまりうまくいかなかったし、むしろもっとかっこ悪くなってきている。開き直りだな。まあ、それでもいいか。

明日は9月。


サイト内検索 AND OR  うまく動かなかったらすみません

8/26(木)
なぜ太陽は沈むんだろう、という問いに科学的な答えはあるけれど、気分として納得できない日がある。電気は太陽にかなわない、という思い。せめて夜10時まで出ていてくれないかな。

昔のことを考えることが多くなった。父に叱られた記憶が一度しかないけれど、別に、ベタベタと甘やかされていたわけでもない。姪に言わせると、父は「座っている人」とのことで、家族みんなで集まってTVを見ているときも私たちの会話を聞いて笑ったりすることが大半で、ほとんど喋らない。特別趣味があるわけでもなく、本当に、いつも「座っている」。夜9時か10時頃になると部屋に行き布団に入り、ひとりでラジオの落語(?)を聞く。そして眠る。

小さい頃、お正月に父と凧揚げに行った。でも、私ひとりではうまく揚がらなくて、父に文句ばかり言って挙句の果てにもう帰る、と駄々をこね、本当に本当にワガママな振る舞いをした。でも、父に対してあれだけワガママな振る舞いをしたのは、それが最初で最後のような気がする。

父は私に対して何にも怒らなかった。なだめられた記憶もなく、ただ、私のかわりに淡々と凧を揚げてくれただけだった気がする。黙って。

それをふと思い出して泣きそうになった。いつか謝りたいけど、恥ずかしくて謝れないままだろうなあ。それに、父は覚えてないだろうし、覚えていても、忘れたというだろう。父の口から「本当に思っていること」を引き出すのは、どんな刑事さんでも無理、私の母以外は。

こういうのをファザコンというのか。そういえば、初めて創元推理文庫を手にしたのは、父の『黄色い部屋の謎』を見つけたのがきっかけだった。

積み上がった文庫が視界に入って私を待っている。でも、きょうもだめそうだ。疲れた。こうして日々が過ぎて本は目に入らないところに移されてゆく。こうして文章を書くことはできるのになあ。


8/25(水)
先生に「平均律は聴いたことありますか」と聞かれたとき、「グルダの2巻とグールドは全部持ってますけど、グールドはなんとなく聴く気になれなくて全部聴いてないです」と言った。先生はリヒテルを聴いて欲しいらしく、「今度MDに入れて持ってきますね」と言ってくださったんだけど、図書館にあるんじゃないかな、と調べてみると置いてあったので借りてきた。中身のチェックをしてくれた図書館の職員さんに「まあ、4枚も入っていてお得ね」なんて言われて、面白かった。先生にメールで「借りられました」などとメールをしたら「来週感想きかせてくださいね」とお返事。はーい。でもちょっとした苦行。

メルジャーノフ版と春秋社版の指づかいが全然違うので、とまどい中。改めての課題です。春秋社版は親切はあるけど、慣れというのは恐ろしいものでメルジャーノフ版のと全然違うところがあるのでとまどう。でも、練習すれば慣れてゆくということ、それは当たり前かつ不思議で、面白い。初めての曲を練習するときって、広い海原にひとりぼっちで出航する感覚がいつもある。

堀江敏幸『雪沼とその周辺』が賞を取ったんですね。いつ読んだっけか。

疲れたのできょうは何も読めない。


8/23(月)
目の見えない人も眠っているあいだ夢を見るのかしら。それともやはり闇なんだろうか。

私はほめられて伸びるタイプのほうだ、と実感。井の中の蛙が合っている、と言ってもいい。バッハの平均律の楽譜は春秋社版に決定した。1番のプレリュードの見易さはメルジャーノフ版と全然違っていたし、フーガを見比べてもあまりに違うんで驚いた。さて、実は平均律よりもベートーヴェンのソナタよりも最近苦労していたのは「冬ソナ」で、左手の飛びまくりに「早く逃れたい〜」と思ってた。先生に、「いい勉強になりました。いつか、ショパンのエチュードのNo.10-1を弾いてみたいと思ってるけど、まだまだ無理そうだと思いました」と言ったら、「やりましょうか」。難しいのでゆっくりやればいいですよ、ってことで、そのうち挑戦させてもらえるかもしれない。先生もNo.10-1は好きなのだそうです。でも、ポリーニとかフランソワの演奏聴いたら「弾けるどころか練習できるとも思えん」と思える。

Amazonから本が届いた。モーパッサン 青柳瑞穂訳『モーパッサン短編集II』新潮文庫(→Amazon)/千葉俊二 編『新美南吉童話集』岩波文庫(→Amazon)/マルクス・アウレーリウス 神谷美恵子 訳『自省録』岩波文庫(→Amazon)。

土曜日に立ち読みした絵本では「手ぶくろを買いに」の表記は、岩波文庫では「手袋を買いに」だった。中身の漢字とひらがなの使い分けももちろん違っているはず。同じ物語、つまり音声にしたら同じであるものが、表記によって雰囲気が変わるんだなあと改めて思った。だから、外国の翻訳でいくつか訳の出ているものは、どれを読もうか考えてしまって読まないでいるものがある。有名なほど翻訳がいろいろあるわけで、翻訳によってよって受ける印象が違ってくるのだったらと思うと手が出せない。考えすぎか。

「手袋を買いに」は、大人になって読んでも「いいなあ」と思ったわけだけど、子供のころに出合ってみたかったなあ。どう思ったかな。「ごん狐」も初めて読んだ。

「おれが、栗や松たけを持っていってやるのに、そのおれにはお礼をいわないで、神様にお礼をいうんじゃア、おれは、引き合わないなあ。」(p.21)

って書いてあるところが好きだ。そして、突然幕は下りる。その落差。

そして、本当は1500円して送料無料にするために買った『自省録』。パッと開いたところに

「すべてかりそめにすぎない。おぼえる者もおぼえられる者も。」(p.54)

とあって、買って良かったと思った。


8/22(日)
漫画三昧。和田慎二『神恭一郎の事件簿』(1)(2)(3)メディアファクトリー(→Amazon)。面白く読んだけれど、結構、いや、かなりグロかった。ただ、『スケバン刑事』で好きなキャラクターのひとり、美尾さんの過去がわかる短編があるのでそれだけでもう嬉しい(それも、2つバージョンがある)。

ジョージ朝倉『ハートを打ちのめせ!』(1)(2)祥伝社(→Amazon)。<目指したのは中学生版ロマンポルノ>だそうですが、高校生に置き換えても良かったような気もします。ていうか、中学生にこんな高度な(?)深い(?)恋愛されちゃ、白旗振るしかありません。素直さと、ねじくれさと、ああ、まるで知恵の輪を解いてゆくようだ。間違いなく私のハートは打ちのめされた。

絵本と漫画は読めるから、次は、たとえば岩波少年文庫くらいの字の詰まり具合のものが読めるようになるといいな。


8/21(土)
マイケル・ムーア『華氏911』をみてきました。近くのワーナーマイカルで観たのですが思ったよりは混んでいなかったです。

『ボウリング・フォー・コロンバイン』に比べて“一方的”な感じを多少受けました。ただ、映画に限らず「表現」というのは一方的なものだと思うので、そういう意味では、『ボウリング〜』が“ある程度冷静なドキュメンタリー”だとしたら、『華氏911』はマイケル・ムーアの感情が前面に出てきている気がして、逆説的に、“映画”だなあと思った。

久しぶりに本屋にも行った。でも、本が目に入ってこなくって疲れたなあと思っていたときに、絵本の新美南吉『手ぶくろを買いに』(→Amazon)が目に止まった。この話は読んだことがなくて、どんな話なんだろう? と読んでいたら涙が出てきてしまったので、あわてて場所を離れた。絵本の絵とぴったり合っているからこその良さもあるんだろうと思いつつ、この人の童話をいくつか読んでみたくなって岩波文庫で探したけれど、在庫がなかった。『モーパッサン短編集』(2)も置いてなかった。仕方がないからAmazonで頼む。

小さい頃、本は滅多に買ってもらえるものじゃなかった。絵本類は従姉妹のおさがり。友達に借りたり図書館に借りに行ったり、祖父が本屋に連れてってくれたときも「これがいい」と言ったら値段の安いのをすすめられたり(祖父はおこづかいが少なかったのだった)、たまーに家族で出かけたときには、「1冊だけ買っていいよ」と言われるので、じっくりじっくり選ぶ。あとは、母が買い物ついでに古本屋に連れてってくれて、安くて良さげなのがあれば買ってくれたりもしたけれど、子供時代の「自分だけの本」というのはとても少ない。その分、ボロボロになった今でも大切で捨てられない印象深さがある。いわゆる“有名”と言われる本の多くを読まずにきたんだなあ、と大人になってから気付いた。母から「これ読みなさい」だの言われたことがなくて、大人になってから「私は『ぐりとぐら』も知らないんだよ。そういう“面白そうな本”って、母親とかが買って与えてくれるもんじゃないの?」と聞いたら、「だって興味ないんだもの。それに、あのネズミ貧相だし、動物が人間みたく動いたりするの嫌いなのよね」。……。


8/19(木)
これまた大好きな映画のひとつ、ジャン・ルノワール『ピクニック』がまさかDVD化されていたとは知らなかった(→Amazon)。それほど本と映画の情報から遠く離れてるってことで。本屋には全然行っていないし。

そう、かつて新宿TSUTAYAで「『ピクニック』はないのですか」と店員さんに尋ねたところ、「それはビデオになっていないんですよ」と返事をされてしょぼん。映画館でみたいみたいという願いが叶って観ることができたときは、嬉しくて嬉しくて仕方なかったっけ。モーパッサンの「野あそび」が原作ってことは知らなかった。今、読んでみたいな、と思っているこの気持ちを大事にしたい。これは、無理して読もうとしているんじゃなくて、読みたいという自然な気持ちだ、間違いない。……と自分で確認してしまうあたり、まだちょっとなー。

部屋に本はたくさんあるのに……。手を伸ばしてあげられなくてごめん。

そして、こうしてここに一方的に書くことならできるのに、コミュニケーション、対話、受け取ったものを返すという行為に少し時間がかかってごめんなさい。


8/18(水)
この間、夜中の男子体操を最初から最後まで見て、さすがにヘロヘロになりました。完徹。

ピアノ、スランプ中。全然だめで頭抱えちゃう。オリンピックを見ていると、彼ら彼女らの努力を思って、がんばろうーなんて思ったりもするんだけど(多分こういう思考回路自体が間違っているのはわかっている)、練習すればするほど自分の限界を感じて、「なんでピアノ弾いてるんだろ……」なんてところまで気持ちが落ち込んでしまってる。

実際、なんでピアノを習っているのか、私は何をしたいのか、良くわかんなくなってきちゃった。素直に先生に相談してみるか。

楽しさより苦しさが大きいっていうのは、無理があるってことだから良くない。もっと力抜かなくては。しかし、リラックスって難しいと個人的には思う。たとえば南の島でリゾートというのに興味が持てないのは、のんびり過ごせないとわかっているから。努力してリラックスしようとするタイプ……。

妹から電話。9月に遊びに行くつもりなので、その話を少し。そして、「小沢健二のCD持ってるよね? シングル集ってあるのかな」と聞くので、「小沢健二のシングル集はこないだ出たけどあの内容は全部を網羅しているわけではなくてうんぬん……」と語りはじめると、「流行った頃の曲をちらっと聴いて良かったから、聴いてみたいと思って」と言う。「任せなさい。全部持ってるよ! 何なら全部貸すよ!」と熱く返事をすると、「いや、全部じゃなくていいの。曲名調べてまた連絡するよ」とつれない返事。「キリンジは聴く?」と聞くと「うーん、別にいいや」。

そういえば、私には妹と一緒におでかけ、なんて記憶がほとんどないんだけど、むかーし「今度一緒に遊びに行こうよ」と言ったら「おねえちゃんはワガママだからやだ」とつれなく断られた。


8/14(土)
オリンピックでは射撃が好きなんだけど、録画でしか見られないみたいで残念。

全然知らない人から「メル友募集してましたよね?……」というわけわかんないメールが届いて全文載せたいくらい。掲示板にも書き込みしない私がどこで募集するんだっての。「スリーサイズはまだ言わないほうがいいかな(笑)?」なんて書いてあるよ。


8/13(金)
ほんというと、オリンピックがいつから始まるのか知りませんでした。今晩が開会式かー。

谷川史子『星の速さで駆けてく』集英社 りぼんマスコットコミックス(→Amazon)。やっぱり谷川史子は短編・中編です! 前の2作品で長編向きじゃないなあと感じたので、短編・中編テンポの谷川史子を楽しむことができて嬉しい。異色作(そして名作)「緑の頃わたしたちは」を思い出させる、「もう二度と会えないこと」のせつなさに満ちた作品群。「会えない人」と「今ここにいる私たち」が、きちんと整理をつけられる“場所”はそれぞれの心の中にしかなくても、会いたいときに会える“場所”があればいいのにと時々思う。でも、いつでも会える場所があったら、いつまでも整理がつけられないんだろうね。だから、会いたいときに会える“場所”も心の中にある。つまり、忘れず、思い出すということ。

ジョージ朝倉『恋文日和』(1)(2)(→Amazon)を再読する。言われた言葉よりも書かれた言葉に弱い私には、好きな短編集です。「会えない人」と「今ここにいる私たち」の物語がここにも一つ載っています。

友達にメールを書いていたら少し整理ができた気がしたので、最近考えていた自分のことについて書きたいと思っています。そのメールの抜粋になると思います。近々書くかもしれません。


8/12(木)
和田慎二『怪盗アマリリス』白泉社 全14巻。これは、再読ではなくて、初めて読んだもの。昨晩、夜の10時に寝てサッカー見ようと午前2時に起きるつもりだったんだけど、全然眠れないので結局、1日で14巻全部読めてしまった。こんなに長期連載になると思ってなかったし……的な、あっちこっち飛んでってしまうハチャメチャさや、盛り込みすぎ感がなくはない。っていうか、ネタ出しすぎでもったいないよって感じ。とってもキュートで楽しい物語。和田慎二が映画を愛していることが、よ〜くわかりました。『超少女明日香』を知っているとより楽しめる箇所あり。『超少女明日香』といえば、途中まで揃えていたのですが、出版社が変わったり、何編何編とわけがわからなくなってしまったので、一度売り払ってしまった。

サッカーは、最初の5分で点を取られたことでなんだかガックリして、「もうだめだー」と諦めてしまったので(早すぎ)、1時間経ったら眠れるようにして、ちょうどよく眠くなってきたので寝た。4時頃寝て8時に目が覚めた。どうやら私の睡眠時間は4時間がデフォルトになってるっぽいよ。


8/10(火)
夏に身構えてしまうのは、怪我したり、人を失ったり、小さいときまで遡れば電車に酔って苦しんだり、いい思い出がなさすぎるため。

西原理恵子『毎日かあさん カニ母編』毎日新聞社,2004 を読んだ。面白さと、しんみりさの落差がよかった。いろんな人がいて、いろんな親がいて、いろんな子どもがいるんだよね。

8月に入ってから、かなりの漫画を再読しました。小川彌生『ベイビーポップ』やまじえびね『MAHOKO』ジョージ朝倉『カラオケバカ一代』、同『ハッピーエンド』山本鈴美香『エースをねらえ!』の後半(これは感動しつつ、今はちょっと落ち込んだ)、そして和田慎二『スケバン刑事』。TVでの実写版とは多分全然別物のはず(みてないから断定できないけど)。『スケバン刑事』は、今までに一番再読している漫画だと思う。「一番好きな漫画は?」と聞かれたら、挙げるかもしれない。ベスト3には必ず入る。どうしてだか、別格なのです。初めて読んだのが大人になってからではなく、子供の頃だったから印象深い、というのもあるかもしれない。殴ったり蹴ったり殺したりな場面が多いし、決してハッピーな物語ではなく、せつなく、つらい展開なんだけど。


8/9(月)
部屋の中でPHSを見失った。あちこち探しても見つからないし、どこに置いたかの記憶がまったくない。マナーモードにしていたらずっと見つからないぞ……。と、探すのをあきらめていたら鳴った。でも、音が小さくて、鳴っている間に耳をすませてあたりをつける。ソファのクッションの下敷きになってるのを発見。


8/6(金)
姪が2人いる。姪の姉のほうをA、妹をMとする。母は折にふれ、「父はMのほうがお気に入りだ、でもこれは誰にも内緒よ」と言う。Mに関する父の言葉や振る舞いを、母に聞いたこともある。相当かわいいんだな、と思った。父はもちろんそういうことを母以外に言わない。この、「父はMのほうがお気に入り」というのを耳にするたび、私の頭の中では「父は私より妹のほうがかわいいのだな」という変換がおきる。なぜなら、Aは私に似た性格で、Mは妹の性格に似ている(おまけに顔も)からだ。父は、Mに私の妹の姿を重ねて見ているんだろうと思う。

妹一家が日曜日から両親宅へ遊びに行く。父はちゃんと2人の姪を平等にかわいがるだろう。でも、心の中ではMのほうがかわいいと思っているのを私は知っている。なんだかそれが急に悲しくなって、言うか言うまいか迷ったあげく、どうでもいい用事をつくって両親宅へ電話をかけた。どうでもいい用事のあと、話を切り出そうとしたら、母に「今ちょっと忙しいから悪いけど切るね」と言われてしまった。私がどういう状態であれ、それは昔から変わらない。

でも、やっぱり言わなくて良かったような気がする。「なに馬鹿なこと言ってるの」と笑われてしまう。私が考えていることもバレてしまう。それに多分泣いてしまう。

言いたかったのは、「日曜日に2人が来たらAもかわいがってあげてね」。

感傷的過ぎて自分が嫌になる。書いたらちょっと落ち着いてきた。


8/5(木)
0時に布団に入り、2時半までうとうとして5時に目が覚めたので二度寝しようとしたらできなかった。この頃、また夢をたくさん見ている。でも忘れてしまう。夢記憶装置、発明されないかしらん。

たいてい、風が通るように窓には網戸、そしてレースのカーテンで眠る。クーラーも扇風機も眠るときにはかけない。逆に、明け方近くに寒くなるときがあるので、少し厚手の布団まで用意している始末。反面、最近の平熱が37度弱。うーん、なんかバランス悪い。

昨晩、電気を消して横になったらちょうど月が見えた。夏になって初めて月を眺めたような気がした。満月を少し過ぎた月の光は、網戸とカーテン越しに影を作り、シーツに模様を投げかけている。私もきっと、縞模様だったんだろう。月を見ながら眠れたら乙なもんだな、としばらく眺めていたけれど、あまりに眩しすぎて結局もう一枚上のカーテンを閉じた。

マザーグースにうたがあったっけ。ぼくがつきをみると/つきもぼくをみる/かみさまつきをおまもりください/かみさまぼくをおまもりください(谷川俊太郎訳)

I see the moon,
And the moon sees me;
God bless the moon,
And God bless me.

8/3(火)
来週の月曜日はピアノのレッスンが夏休み。先生に「じゃあ16日までの宿題です。○○ができるようにしてきてください」。宿題。ドキドキする言葉です。学校時代、夏休みの宿題は7月中に終わらせないと落ち着かなかった。自由研究やら何か作ってくるなどは8月にずれこむことはあるとはいえ、ペーパー的宿題はもうさくっと終わらせる。夏休みの最後まで宿題を残したまま過ごすことができなかった。それを「真面目」とか言われたら、頭に来る。ギリギリまで残してパーッとやるか、早くやってしまうか、これはもう性質というか持って生まれた“体質”のようなもんだ。「真面目」だなんて言うな。誰に向かって怒ってるんだろ?

かつて、散歩ばかりしていた頃、私は前日にルートを練ってからじゃないと出かけられなかった。寄り道をすることはあっても、大まかなルートを作らないと不安でだめだった。人といきなり会うことになって、2〜3時間待たなければならなくなった時は街中でいつも途方に暮れていた。そんなとき、家までのルートを適当なところまで戻り、ちょうど待ち合わせ時間に戻ってこられるようにした。20歳で一人旅行したときには、そんな不安で窮屈なことは記憶にない。いつからそうなってしまったんだろうなあ。

そして、いつからかいつも“宿題”を抱えているように感じはじめた。早く終わらせたいんだけど、死ぬまで終わりそうにない“宿題”を抱えてる気分。すごく焦る。自分で勝手に“宿題”作ってるってのはわかっているつもり。

自分の心が不便だなあと思う。


8/2(月)
大好きな映画のひとつ『グロリア』(もちろんジーナ・ローランズのほう!)のDVDが安価で発売されるのでAmazonで予約注文をした(→Amazon)。随所随所に名シーンはあるけれど、最後のスローモーションシーンが好きで好きでたまらない。

ベートーヴェンのソナタOp.2,No.1の第一楽章にOKが出て次は第四楽章。今練習中のバッハ平均律はメルジャーノフ版だった。でも、ずっとこの版を使う感じではないっぽい。


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04.0704.09