日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。
日付ごとにアンカー付けています。e.g. http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary0505.htm#yyyymmdd
2005年5月
読・観・聴・その他
5/28(土)
柿崎こうこ『GoGo!美人道』『GoGo!美人道DX』、西原理恵子『毎日かあさん』(2)、塩田勉『おじさん、語学する』、カレン・キングストン・田村明子訳『ガラクタ捨てれば自分が見える』、山井教雄『まんが
パレスチナ問題』を読んだ。
新書の2冊、『おじさん、語学する』(→Amazon)と『まんが パレスチナ問題』(→Amazon)が特に良かった。前者は、江戸っ子のおじさんが孫娘(母語がフランス語になりつつある)との会話したさにフランス語を勉強しようと思い立ち頑張るフィクション。外国語を学んでいくときの方法論がメインのようでいて、実は心の変化に言及してあるのが肝。リアルで身近な感じを受けた。おまけに内容がとても面白い。『まんが パレスチナ問題』は、聖書の時代まで遡って始まる。索引までついている。最終章で涙ぐんだ。驚きと希望の美しさに胸を打たれて。
某家電量販店に寄ると、オーディオ売り場の一角にピュアオーディオの部屋があった。中には白髪(はくはつ)のいかにも「ピュアオーディオやってます、天職です、音楽を聴くのではなく音を聴くのだ」みたいな風貌の人がいて(失礼)、勝手に「ピュア爺」と名づけさせてもらった。「音を聴く」のではなく「音楽を聴く」ことじゃなきゃ意味はない。いい音楽は聴きたいことを思えば、漠然と憧れる世界ではあるなあ。
土曜日の午後にラジオでNHK第2をかけっぱなしにしていると、外国語講座がたくさん流れてくる。外国人向けの日本語放送と、ロシア語講座が気になる存在。ロシア語講座は、ゲストで「竹内さん」というのが出てきて流暢なロシア語を話すのです。なのに、先生の言うことに時々「難しいです」などと言っていて、へーえ……、そんなふうに思えないのに……。ロシア語の先生は日本語もできるので、ほとんどロシア語の中にいきなり「竹内さん」と日本語がはさまり、日本語の解説が始まる。その時の独特な「竹内さん」のイントネーションや言い方がやけに頭に残ってしまっている。なので、この「竹内さん」が気になって、本屋さんでロシア語講座のテキストを見たり、ググったりしてみた。テルミンの演奏家でした。そうか、ロシア語講座の始まりで流れるのはテルミンの音だ! と気付いた。
5/12(木)
これまでの出来事。
原宿でスープカレー。カレーとどっちが好きか? というのは愚問かもしれない。別物と考えたほうがいいんだろう。素揚げしてある野菜がおいしかった。
『バカ日本地図』、『アンナさんのおまめ』(4)(6)、『DEATH NOTE』(6)、『PLUTO』(2)、『愛がなくても喰ってゆけます。』、『トルコで私も考えた』(4)を読んだ。
『バカ日本地図』は、あまり面白いと思わなかった。「ネタ?」と感じてしまうようなものが多かったり。自分が間違った知識を持っていることに気付きながら、それを「自分ってバカでしょ」と表にあらわすのが理解できない。バカって自慢することじゃないと思うので。努力して理解できないことじゃないのに、そういうのを放棄してしまっているように見えて嫌だ。
『アンナさんのおまめ』は、「うわー、おとぎ話だー」という終わり方で驚いた。ありえないことだろうけど、あの3人(と1匹)だったらありえそうなおとぎ話だ。
『DEATH NOTE』(6)は、それまでの話を忘れかけていたので「あらすじ」を読み直して読んだ。相変わらず、とても頭を使わないと進めない。『PLUTO』(2)は……、暗い。暗いからこそ、ふと差し挟まれる温かい描写にほろっときやすい。
道理で食べ物描写に力が入っているなあと思ったら、『愛がなくても喰ってゆけます。』で納得できた。自分の好きなお店を紹介してしまって良いのか、ひとごとながら心配。これを読んでも読まなくても、おいしいものや甘いものはもっと食べたいんだけど、太りたくないのですごくセーブするようになった、最近。
『トルコで私も考えた』(4)は3巻から3年ぶりか。今、旅行に行ったら変わったなあと思うことが多いんだろうな。長距離バスの雰囲気も以前とは随分違うようで、少しさみしく思った。
昨日、日テレ『anego』(→公式サイト)を見た。狙いすぎな気がするけど、篠原涼子が魅力的なのでまた見ようと思う。