日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。
日付ごとにアンカー付けています。e.g. http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary0509.htm#yyyymmdd
2005年9月
読・観・聴・その他
9/30(金)
中野翠『毎日一人は面白い人がいる』講談社。2001年の1月1日から12月31日までの日記。面白かった!
好き嫌いをあっさりさっぱり書いていて、それでいてキツさがない。落書き風イラストがまた楽しい。そのころ観た映画や話題になった事件などが懐かしい。
連休中に横浜へ行ったとき、なんとなく港の見える丘公園に行き、なんとなくそこにあった文学館に寄った。内容が結構良かったので、なんという文学館だったんだろうと調べてみたら、神奈川近代文学館。日本文学を読んでいないことに、久しぶりにそして改めて気付いて、いろいろ読みたい気持ちになった。かといって、すぐに取り掛からないのが私です。
そろそろ来年の手帳も並び始めるんだろうか。
9/29(木)
東川篤哉『館島』東京創元社。ユーモアを効かせたい気持ちはよくわかった。人が死んだ割には、まったりのんきだね。でも、テンポはよいのです。悪くはないけど魅力も特になかった。
妹から電話。毎年、夏休みには東京ディズニーランド&シーに行っている彼女に、もうかなり詳しいんでしょ? と聞くと、「はっきり言って相当効率よく回れるよ。来年一緒に回る?」と誘われた。いいかも。ランド&シーに特に思い入れはないけれど、ある場所に熟知している人の案内で回るというのは魅力的だもの。自分がまったく調べなくてただついて回る、あるいは、自分がとことん調べて思い通りに回る、つまり、無知か熟知かを選ぶのがいいのであって、中途半端な知識で遊ぶのはあまり魅力的ではない。
9/28(水)
ジャン・ユスターシュ監督『ママと娼婦』(仏・1973)@新文芸坐。220分。予告と間の休憩を入れれば約4時間。
アレクサンドルはよく喋る。饒舌だけれどどこか空虚。だから長々と聞いていても実はあまり疲れない。残らない。かといって、この映画が残っていないことには“ならない”のが不思議なところなのだ。ヴェロニカは大抵黙って耳を傾けている。彼女の内面が爆発するラストをみれば、220分は必要だったのかもしれないとも思う。実際、それほど長い時間に思わなかった。
吐露したもん勝ちなのかな。言葉に頼る人は言葉に弱いのかな。
家でビデオやDVDでは、多分眠ったり退屈したと思った。「映画館でみないとだめな映画、それこそが映画ってものなのかもしれない」と、ときどき思うことがある。久しぶりにそんな感情を抱いた。
9/27(火)
浅田次郎『見上げれば星は天に満ちて』文春文庫。収録内容は以下のとおり。
百物語(森鴎外)/秘密(谷崎潤一郎)/疑惑(芥川龍之介)/死体紹介人(川端康成)/山月記(中島敦)/狐憑(中島敦)/ひとごろし(山本周五郎)/青梅雨(永井龍男)/補陀落渡海記(井上靖)/西郷札(松本清張)/赤い駱駝(梅崎春生)/手(立原正秋)/耳なし芳一のはなし(小泉八雲)。
タイトル賞は「百物語」。「耳なし芳一」をちゃんと文章で読んだのは初めてで、かなり怖かった。「ひとごろし」は笑える話なんだろうけど、あまり好きなタイプじゃなかったな。好きというのとは違うものの、しみじみとしみたのが「青梅雨」。
9/26(月)
石持浅海『水の迷宮』 カッパ・ノベルス。帯には「胸を打つ感動と美しい謎」とある。「はぁ〜?」でした。このモヤモヤ感、イライラ感がどこから来るのか考えるのも面倒。少なくとも、ひとりよがりさ(?)は、『月の扉』より尚悪いんじゃないかと思った。あと、傍観者として中途半端に関わる人間がうざい。などなど。とりあえず、あと2冊なので読んでみるつもり。
9/22(木)
石持浅海『月の扉』 カッパ・ノベルス。「くだらない」と思った。ああいう思想を持つのがくだらないんじゃなくて、この小説がくだらないと思ったの。動機の「ひとりよがりさ」にかもしれない。
石嶺のような「本物」の人がいたら大変なことなのはわかったし、こういう人が力への意思を出してしまったらどうなるんだろう、と、そちらのほうへの興味が湧いた。彼は物語の中で重要な役割を果たしている。なのに、彼の存在感がやけに薄いのはなぜだろう。石嶺の行動が、彼を取り巻く周りの人たちによる説明だけだからではないか?
今、何が苦しいのか考えた結果、ピアノの練習だと思い当たったことに少し驚いて、でも正直そうなのだった。練習する時間が取りにくいと先生に言ってしまえば楽になれる。でも、習いに行っている以上、それって言い訳だとも思う。反面、何も言わないまま、先生に「練習しているのかしら」と思われるのも残念で悔しい。でも、時間が取りにくいのは事実だし、休日のすべてをピアノの練習に当てる情熱があるわけでもない。かといって、スッパリやめられるかというと、ここまできたのに、とも思う。先生は、「無理しないでゆっくりで」と時々言ってくれているけれど、先生の思うゆっくりと私の思うゆっくりに差があるのはいやだし。今できるせいいっぱいの努力で練習して、黙ってその成果を見てもらう。あるいは、無理するのはやめだーと自分を解放し、先生にどう思われようとのんびり練習。そのどちらかしかないのだが、言い訳を言って楽になりたいと思ってしまっている。甘い。弱い。
9/21(水)
hanae*『小学生日記』角川文庫。一番最後に一番昔(幼いころ)の文章が収められていて、一人の人の中でこんなに文章の成長がわかりやすく感じられるのは楽しいなと思った。もちろん、その一番小さい頃の文章も素晴らしい。
9/20(火)
石持浅海『扉は閉ざされたまま』祥伝社ノン・ノベル。一見、清く正しく美しく思える動機。でも、骨髄移植を行い命について深く考えたはずというのに人の命を奪うことになるという矛盾は、果たしてどうなんだろう。一方で命を救い、一方で命を消す。意味がない上、そこまでいくと自分に酔ってしまっていないだろうか。「殺すよりほかにやり方はあったんじゃないのか?」という余地があるところが弱いと思う。納得できるやむにやまれぬ動機って、なかなかないもんだ。
一番面白く読んだのは優佳の存在。悪女のような、ファムファタルのような。彼女の本質を気付かずにいたほうが幸せだったかもしれない。犯人が、推理に加えて存在にも負けてるところが良かった。こういう怖さは読むには楽しい。
9/18(日)
歌野晶午『女王様と私』角川書店。頭の痛くなるような会話表記に疲れたー。来未がしおらしくなるあたり(殺人事件の発生)までが一番面白く思え、仕掛け(?)には少し驚いたものの、してやられた感は薄かった。物語・小説はそれ自体が作者の妄想(?)だろうけれども、さらにそれを登場人物の妄想にしてしまわれると、なんとなくスッキリしないのだ。それにまた、実際に罪を犯していて現実逃避の妄想だってことがなんだかなーなのだった。あれが妄想じゃなくて現実に起きたことで、かつ、冤罪をひっかぶってしまう結末だったら、わりと好みだったのに。
『チョコレート工場の秘密』の映画をみようかどうしようか迷っていて、とりあえず読み返そうと本棚を探してみたら見つからない。妹が持っているのか聞いてみたら、妹は新しく自分で買ったらしいので古いやつはやっぱり私が持っているらしい。うーん。
アレハンドロ・アメナーバル監督『海を飛ぶ夢』(スペイン・2004)。
尊厳死については心情的には賛成。ただ、本人だけの力では死ぬことができない、つまりは他人を巻き込んでしまうことが、どうしても疑問点として残る。誰かが死ぬということは、それだけでその人に関わった人たちに影響を与えるものであって、それ以上の重さ……死なせることに協力することを頼む……を他人に抱え込ませていいのだろうか、と、私が当事者だったら考えてしまうかもしれない。死にたいのに自力で死ぬことができない苦しさと他人に抱えさせてしまう苦しさを、ずっと天秤に掛け続けてゆくこと。それ自体が深い苦しみだろう。
ラモンのように考える能力が失われていないこと、それすら、もしかしたら苦しみの一端を担ってしまっているのではないかとふと思ってしまう。少し経ってからのフレアの姿には、もう「死にたい」という考えが失われていたから。ただ、それは、他人を識別できないという代償でもあるわけで、うーん、やはり難しい問題。
あなたがいなくなると私はさみしい、だから死なないで欲しいというのは、すごくエゴイスティックなことなのだろうか? 尊厳死を考えている人の前では、こちらが悪いことを言っているような気になりそう。
期待しすぎたなーという印象。よく言えば淡々。悪く言えばつまらない。の割には書いた、か。
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フアン・パブロ・レベージャ/パブロ・ストール監督『ウィスキー』(ウルグアイ=アルゼンチン=ドイツ=スペイン・2004)。
無表情なマルタの豊かな表情がみどころ。ハコボとマルタの夫婦ごっこはお芝居だったはず。でも、エルマンの存在がその「ごっこ」をとっぱらい、かつ、エルマンが去るのと同時に“離婚”をもたらしたように思えた。マルタの張り切りに押され気味だったハコボはマイペースすぎて、マルタの変化に気付いたり自分のイライラを自覚するのが遅すぎた。
9/15(木)
数ヶ月前から気になっていたことが今日も起きたので、やっぱり書くことにする。数日経ったらしたら消すかもしれない(し、消さないかもしれない)。
家から一番近い本屋さんで、ある女性がレジ担当の場合、袋に入れるときに「か・な・ら・ず」上下を逆にして入れられる。つまり、袋の底に本のおしりがくるのではなく、袋の底には本のあたまがくる。些細なことなので、気にするほうがおかしいんだろうとずっと思ってた。でも、たとえば一応上下のあるものだとしたら袋の上下とその上下を合わせたほうが気持ちがいいと思うし、その気持ち良さが他人によって壊されることにイライラしていた。そして、イライラする自分にまたイライラする。
そして今日、それ以上に不思議なことが加わった。NHKのテキストを2冊に文庫本を1冊、その人に渡すか台に置こうかと差し出したとき、その人は「文庫本1冊だけを手に取って」、カバーお付けしますか? と聞いたのだ。NHKテキストは受け取ってもらえなかったので、台に置いた。どうして全部を受け取ってくれないのか、あるいは台に載せるまで待ってくれても良い。なぜ、「文庫だけを手に取るの?」。すっごく不思議で理解不能でイライラする!!! それでもって、テキストの値段を見るのに本をひっくり返すときにバタッバタッと「投げる」。私の買う本を粗末に扱うな。普通にひっくり返せなくないよな? そしてやっぱり逆さまに入れた。
本に対する愛がないよ。ていうか、きっとこの人は「物に対する愛」ってもんがないんだ。この人がレジにいるときは買わないと決めた。もういやだ。ときどき見かける別のレジの人、男子大学生ぽい人は、礼儀正しくてとっても気持ちがよい対応なので、極端な店だと思う。
鈴木和幸『苦渋の洗濯』アートン。クレームの実例がいろいろ挙げられていて、大変だな……とため息が出る。書きかたは軽快だけど、実際にこういう対処をするのは本当に大変だと思う。アパレル業界との繋がりがあまり密でないのが意外。洗濯表示ひとつ取っても、それが正しくない場合があるなんて。
安野モヨコ 『働きマン』(1)(2)講談社。とても面白かった。主人公の生き方に憧れたときもあったし、今もふっといいな、とは思う。でも、実際に自分がやろうとかできるとは思わないし、私は私で精一杯燃え尽きたなーという思い出があるから、もうそれで充分です。この漫画の中にはいろいろな考えの人たちがいるから面白いし、ほっとする。
9/14(水)
J・M・スコット 清水ふみ訳『人魚とビスケット』創元推理文庫。一番面白くてわくわくしたのは、冒頭の新聞紙上でのやりとり。
デイリーポータル『おとなの自由研究』アスペクト。ざっと眺めると面白そうなんだけど、ちゃんと読んだら面白くなかった。
吉本隆明『中学生のための社会科』市井文学。「老齢とは何か」では吉本隆明本人の状況が書かれていて、こういうのって小説では読めるかもしれないけど「物語」に関することじゃないことをここまで克明には書かないだろうし、自分の親に聞いたとしてもこういう答えを得られるかどうかはわからない。そういう意味で貴重な読み物かもしれない。
何年かぶりに乗り換え間違いをして、自分の駅が通過していく悲しさを味わった。
備忘録。文乃香@嵩山堂はし本。もし、青森、鳥取、長崎に行くことがあれば、平澤まりこ『いつも simple いつも smile』も参考にする。植田正治写真美術館@鳥取に行きたい。
9/12(月)
今年初めて梨を食べた。2切れ。初物は南を向いて食べるんだっけ? と思っていたのに、調べてみるといろんな方角が出てきてなにがなにやら。実際には、方角を意識して食べたことなどないのだが。
先日の中部地方の旅行に持って行きたかった方位磁石。昔昔、トルコ旅行をするときに、方向音痴の私は方位磁石を持っていこうと東急ハンズだかでそれを買い求めました。赤いベルトがついていて、マジックテープでくるりと手首に留められる。見かけは時計です。このおかげで地図がなくても結構歩けたりしました。いくら地図を眺めていても、方角を間違ってしまったら意味ありません。逆に、方角さえ正しければ、いつかはたどり着く、そんなもんです。北にたくさん歩いたら、南へたくさん歩けばまたもと通りってな具合です。そんな便利なものだから連れて行きたかったのに、絶対に捨てたはずはないのに、どこを探しても見つからない。あ〜もういいや……と旅行には間に合わず、探すのにも諦めていた先日、毎日毎日、いつもいつも目にしているはずの文房具入れの中に発見。灯台下暗し。幸せの青い鳥はあなたのすぐそばに。盗まれた手紙(ポー)。そんな思いがいたしました。
9/10(土)
新文芸坐で、キム・ギドク監督『春夏秋冬そして春』(ドイツ=韓国・2003)、キム・ギドク監督『サマリア』(韓国・2004)。
『春夏秋冬そして春』。あの小さい男の子はいったいどこから来たのだろう、という最初から抱いていた問いの答えが、繰り返し、業、輪廻、そんな言葉の中に浮かぶ。老僧にも何か過去があったのだろうか、顔を布で覆った女性の顔は妻の顔に似ていたんじゃないだろうか……。「そして春」の「そして」という言葉に深みがある。老僧が自死してゆく際の、「閉」につたう涙が印象的だった。
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『サマリア』。お金を返してゆくって、どんな方法で? その方法を知った瞬間、ヨジンとこの映画に打ちのめされた。そして、ヨジンに「幸せだ」と伝える男たちの言葉と表情に混乱して、…たぶん感情を揺さぶられて、涙が出そうになった。娼婦と聖女は、とてつもなく近いのか? と、軽軽しく言いたくないようなそんな発言を、ふとしてみたくなるほどに。
身体を売るという金銭のやりとりが介在する場合、セックスによって精神が満たされているということは、肉体の行為の裏に隠れがちだし、そもそも見ようとはしない。だから、精神の充実を見せられたことに少しとまどってしまった。
ヨジンは、男たちに返金することで過去の金銭のやりとりを帳消しにする、…つまりチェヨンの行為をセックスの売買ではなかったことにした(無償での行為とした)。ヨジン自身も無償で身体を与えたことにもなる。それは、ヨジンがチェヨンに罪滅ぼしをし、同じ立場に立とうとしていることなんじゃないかと思った。
男たちの感情に対してヨジン自身の感情は、最初の決意のあとは少し見えにくかった。ただ、そのことすらも、精神を殺して行為のみをやりすごし、無にたどり着いてゆくような感覚があって、今思えば過剰でなくて良いのかもしれない。
ヨジンがラスト近くで見た夢、あれが監督が最初に考えていたラストではないのだろうか、というか、私はそういうふうに終わると思い込んでいた。あまりに救いがないのでこのように変更したのだろうか、と。でも、このほうがずっといい。すべてを破滅に似た帳消しにしてしまうより、何かを残してゆくほうがいいに決まっている。ヨジンの父も、罪滅ぼしを行うのだ……。おぼつかない運転で追いかけるシーンには、足で走って転るのとはまた違った新鮮なもどかしさがあった。
……みおわってから帰宅してここに書くまでこんなに長く書くとは思わなかった。深いところにきてたのが、書き出してわかった感じ。
9/7(水)
竹下節子『不思議の国サウジアラビア パラドクス・パラダイス』文春新書。面白い国……。行ってみたくても簡単に行けない国。行けたとしても、自由に歩き回れない。女だったら尚更。マクドナルドはあるけれど、男女の入口は別々。たとえ家族であっても中で合流。すごーい。
お金があるということ、そしてイスラム教、この絶妙な組み合わせが生んだ不思議の国。段階的に豊かになったのではないことも関係しているのではないか。目が覚めたらいきなりお金持ちになっていました……、そういうほうが、コツコツ努力して豊かになってゆくよりも「余地」「不純物」(どう表したらいいかわからないけど)が混じらないのではないかと。しかし、石油は無尽にあるわけではない。普通の人たちが豊かさを享受しているということ=搾取される人たちもいるということ、そのあたりのパラドックスもきちんと示している。今後どうなってゆくのか、それは確かに気になりつつも、やはり魅力的な国であることを感じずにはいられなかった。
9/4(日)
沿線とはいえ、あまり馴染みのないA駅からB駅まで歩いていたら、宮脇書店を発見した。たしか四国に行ったときに入った本屋で、「本なら何んでも揃う」の「ん」の字が印象的だった記憶がある。関東地方にあるなんて思いもよらなかったので、同じ名前の全然関係ない本屋かもしれないと思いつつ、中に入ってすぐに「あー、同じところだ」とわかった。中の棚の置き方や雰囲気が同じ。でも、看板にもwebページにも、「ん」の文字がない。私が見た「ん」は幻だったのか?
で、石黒謙吾『チャート式 図解でユカイ』ゴマブックス を買った。図解(チャート式)で世の中のいろいろを分析している。この馬鹿馬鹿しさ、面白さ、脱力感、それでいて役に立ちそうなところ、これは見てもらうのが一番だと思う。こういうの大好き。
ところが、そこからB駅まで道に迷ってしまい、1時間くらい歩き回ってた。電車なら5分もかからないのに。宮脇書店は魅力的だけど、次回そこまでたどりつけるかも不明だし、しばらくは勇気がない…。
9/3(土)
カタラーナを食べた。スプーンが、ゆっくり、それでいてさくっと入る。ほんのちょっぴりでも満足度の高いお菓子。
9/2(金)
Dr.Inker著・コダーマン翻訳『普通の人のための、普通のワイン読本』南雲堂。0章は「まず、確認しておきたいこと」。こう始まる。
どうしても最初に確かめておきたいのは、あなたは本当にワインを飲みたいのか?
ということです。馬鹿馬鹿しいと思うかもしれませんが、これは大切です。
ワインを、熱烈に、でなくてもかまいませんが、少なくとも自主的に「ワインが飲みたい」と感じている人でない限り、ワインなんて飲まなくたっていい、のです。(p.12)
もっと“普通”のワイン読本はいくらでもある。でも、これは本当に「基礎の基礎」が書いてあって、逆に言えば、ラベルの説明もない。何かを始める前の深呼吸といった感じ。
久住昌之・谷口ジロー『孤独のグルメ』扶桑社文庫。おいしいものはそうわかるし、口に合わなかったらそう書いてある。お店を決めるまで、入ってからの第一印象、待っている間、食べている間、周りの様子、食べ終わってみて一息、それらのモノローグがたっぷりなのにうるさくない。主人公は一人で食べている。そのことが孤独というわけではないはず。でも、孤独の香りをまとっている。自由と孤独って近しい感じがするな、やっぱり。
9/1(木)
讀賣新聞の電話世論調査を受けた。
返事のお約束はできませんが、なにかございましたらどうぞ。