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日記のフリindex

2005.092005.11

日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。

日付ごとにアンカー付けています。e.g. http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary0510.htm#yyyymmdd


2005年10月

その他


10/31(月)
乙一『GOTH』角川書店。一番最初の「暗黒系」、ここのシーンでぐっと掴まれた。

夜中に僕は考えた。
たぶん、今ごろ森野は殺されているにちがいない。死体はどこかの山で撒き散らされているだろう。
その様を想像しながら眠りについた。(p.23)

「たすけて」というメールが来て「なにがあった?」と返事をして返事が来ない。自宅に電話をかけたが戻っていないことがわかる。それで殺されてるんだろうと思いながら眠る。おおー。

ひとつひとつの物語が素晴らしい上に、さらにトリックを仕掛けるとは贅沢。

:..

フランス・ドルヌ/小林 康夫著『日本語の森を歩いて フランス語から見た日本語学』講談社現代新書。「奥のほうへ進んでください」「玄関先で失礼します」「表参道で降りる」「先生に本をもらった」「行ってきます」「助けて!」「お湯を沸かして」「捻挫は治った」「よくまあいらっしゃいました」「よく言うよ」「ちょっと待った!」「しまった!」「いたっ!」「すごいよね」「おあとがよろしいようで」……

ある言語とある言語が一対一対応しないのは自明のこと。また、一見、一対一対応しているような単語があったとしても、その言葉にまとわっている概念が異なっていれば、これまたズレが生じるのは必須。そのズレを楽しむ本。よく使う言葉を日本語の外側から改めて眺めてみると、「たしかにどうしてそういう言い方するんだろう」と気付き、面白かった。


10/30(日)
島田荘司『摩天楼の怪人』東京創元社。三省堂書店でのサイン会に行ってきた。

2時からのサイン会に10分前くらいから並び、1時間待ってようやくあと少しというところ、私の前に並んでいた男性のところに女性が二人やってきた。知り合いらしく、話し込み始めた。なんとなく嫌な予感。割り込まれるような気がしてならない。でも、何の確証もないし、ただ話しているだけなのだから何も言えない。男性の番が来たとき、二人の女性は本を取り出し、名前を書いてもらうための記入をまだしてないと書店員さんに告げた。書店員さんは鉛筆を渡し、彼女たちは自分の名前を書き始める。というわけで、二人に割り込みをされた格好。

自分の顔が醜くなってゆくのがわかる。それほど、どうしようもないくらい頭に来ていた。何か言ってやりたかったけど、何か文句を言えば私のほうが無粋なんじゃないかという気持ちにもなり、あきらめた。ギリギリの時間にそういうことをされたというやり口、大勢の目の前でよくやるよ、という呆れ。割り込みもキタナイけど、やり方がキタナイというのが更に私をむかつかせる。

けれど、島田荘司さんに「きょうはどうもありがとうございます」なんて言われて手を差し出されて、ふわーっとした笑顔でにっこりされたら、瞬間いやなことを忘れられた。自分から握手の手を出していたし、写真もOKのようだし、おまけに追加の整理券まで発行していた。さぞかし疲れるだろうと思う。

こんなにいい人もいるのに、そこには嫌なやつも来る。しばらくしたらまた怒りがぶり返してきた。こういう場合、どうすればよかったんだろう。やっぱりあきらめるしかないのか。割り込みに頭にくるほうがおかしいのか?


10/29(土)
犬童一心監督『メゾン・ド・ヒミコ』(日本・2005)公式サイト)。

ダンスシーンがめっぽう良かった。じんとした。それぞれの命のきらめきのようなものを感じたのと同時に、このあと物語が動いていろいろな別れに向かう予感を思った。刹那の輝き。

岸本と沙織が心で惹かれあっていたとしても、岸本の体がそれを裏切る。そしてまた、その反面、沙織は心も通っていない細川とそういうことができてしまった。心と体のズレなんて、ゲイの人たちだけじゃなくても起きているではないか。


10/27(木)
よしながふみ『大奥』(1)白泉社。男女逆転大奥。面白くないわけがない。登場人物のかっこよさに触れ、それを描くよしながふみをかっこいいなあと思う。

近藤史恵『黄泉路の犬』徳間ノベルズ。優しさが残酷さへと行き着く過程。そして、たとえば、「あなたのためを思って」、それがいつも免罪符になるわけではない。人生はすべらかく選択であって、私たちは毎日、なにかを選択するかわりになにかを捨てて生きている。


10/26(水)
イ・ジェハン監督『私の頭の中の消しゴム』(韓国・2004)公式サイト:音楽が鳴ります)。前半のチョルスとスジンの関係の描き方が好きだ。チョルスの男らしさ爆発の魅力。こういう役がピタッとはまる日本の役者っているかなあとしばし考える。涙はもう見せないと言っていたのに、しっかりと涙する男。強い男の涙。喜怒哀楽の表情をアップで映すシーンが多く、二人の表情の豊かさを感じた。映画の後半で、男らしさが暴力にいってしまう点が気になったこと、また、チョルスの母とのエピソードはあまりにも付けたしというかおざなりな印象、それに対しての不満はあるものの、それらを差し引いても秀逸。コンビニから繋がるラストシーンはたまらない。あれだけで記憶が呼び戻されるのか? なんて言いっこなしだ。だってそこは天国なんだもの!

とにもかくにも、チョルス役の人がかっこよすぎる!!!


10/25(火)
菅野彰『不健全な精神だって健全な肉体に宿りたいのだ』イースト・プレス。骨盤矯正に行った回はあまりにおかしくて声に出して笑ってしまった。

岡崎武志『文庫本雑学ノート〈2冊目〉文庫王のごひいき文庫ものがたり』ダイヤモンド社。2冊目が出ていたことをずっと知らずにいた。家にある文庫をチェックしたり、文庫探しをしたくなるね。


10/24(月)
ショパンのアンプロンプチュの1番か4番(4は所謂幻想即興曲)、あるいはバラードの1番を選ぶように言われ、一週間考えてアンプロンプチュの1番にした。なぜなら一番短いから。バラード1番は憧れだけど長い。今の私にはキツイ。


10/23(日)
イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル@サントリーホール

ショパン : 夜想曲 ホ長調 op.62-2
ショパン : ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 op.58
スクリャービン : ピアノ・ソナタ第4番 嬰ヘ長調 op.30
ラフマニノフ : ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 op.36

まっすぐ背中を見下ろす席で。ショパンがショパンじゃないみたいだった。解体−再構築って感じ。知らず知らずのうちに聴きながら力が入っていた。息がつまるほどの緊張感。真剣勝負で聴く。音に包まれる感覚の中、音楽は生ものだ、と思う。この場にいられて幸せだ。弾き終えて繰り返されるアンコールで静かに礼をする彼を見ていたら涙が出そうになった。なんとなく、これっきりのような気がしてしまって、こういう別れであっても別れは別れで、さみしい、と思った。


10/22(土)
鈴木淳史『占いの力』洋泉社新書y。文体の軽さが好きではない。内容すらひとりごとめいたように感じられて、損しているんじゃないかと思う。長嶋千聡『ダンボールハウス』ポプラ社。きちんと時間をかけて丁寧に観察したという感じが好印象。好奇心が興味本位になっていないのが良いです。今市子『百鬼夜行抄』(13)朝日ソノラマ。「動き」を感じた13巻。


10/21(金)
山田詠美『風味絶佳』文藝春秋。先日、ご挨拶代わりにと森永ミルクキャラメルを1粒もらった。「なつかしい」ものになってしまったけれど、食べるととてもおいしいお菓子。この本にも森永ミルクキャラメルが出てくる。山田詠美は歳を取るなら不二子さんみたいにと思っているんだろう。


10/20(木)
栗田有起『オテル モル』集英社。主人公・希里がフロント職の面接を受けて採用されるまでや、眠りを求める人のための会員制ホテル、そういう設定にわくわくした。でも、そこから先、物語はどんなふうに膨らむのだろうと思っていたら、物語の中心は希里とその周りの人々であって、物足りない気がした。


10/19(水)
嶽本野ばら『下妻物語・完 ヤンキーちゃんとロリータちゃんと殺人事件』小学館。読んでいると深田恭子と土屋アンナの顔が浮かぶ。殺人事件が起きているのにへらへらとふざけている桃子が多少気に入らないが、この物語自体がおふざけなのだから、と大きな気持ちでいれば良いんだろう。ていうか、イチゴのぼけっぷりがかわいらしいので許す。でもやっぱり、この物語は殺人事件絡みで読むよりもファッション絡みで読みたかった。ファッションについて語るとき、行動するときの桃子の熱っぽさは読んでいてわくわくしたから。

ゆったり大きく揺れる地震だった。玄関に非常持ち出し袋を用意するようになったけれど、中身が完璧じゃない。逃げたいときの格好もどんな状態だか予想できないのが心配といえば心配。


10/18(火)
小栗左多里『ダーリンは外国人(2)』メディアファクトリー


10/17(月)
栗田有起『お縫い子テルミー』集英社。流しのお縫い子さん、テルミー。今まで一度も自分の枕で眠ったことがないという彼女。好きな人、シナイくんのために服を縫うことの楽しさや高揚感、相手が喜んでくれたことがまた彼女の幸せでもあるということが、ひしひしっと伝わってきてときめく。シナイくんへの想いが自分の枕カバーを縫うことに転換してゆく流れがせつない。


10/16(日)
栗田有起『ハミザベス』集英社。「ハミザベス」「豆姉妹」所収。共通して思ったのは、会話だけが長々と続くシーンがあって少しだれるということと、独白をいっしょくたにまとめたようでまとまりがないということ。ただ、「ハミザベス」の最後の一行が「現在形」で終わっているのが良かった。現在形にしたことによって、そこから前の文章すべてが「過去」にぐーんと引いていって、この文章の次からは未来が広がっているような感じを受けた。カッコよかった。


10/15(土)
10時頃起きて12時から夕方5時までまた寝た。よく寝た。夜から音のする雨。


10/14(金)
水曜日ごろから「次の日は雨」と言われていたのに今日も降らない。

草野たき『ハチミツドロップス』講談社。主人公たちはソフトボール部にソフトボールをしたくて所属しているわけではない。ただ集まって話をしたりする拠り所が欲しいだけ。人数が増えてしまえばソフトボール部としてちゃんと機能していないといけないけれど、たった5人なので練習や試合などから逃れられている。だから新学期になって新入部員が入ってくることを何よりも恐れていたりする。実際にその不安が現実になってしまうことに怒りを感じるのはお門違い。「所属」があるのは確かに落ち着くことだけれど、もともとの居場所が間違っているのだから。わがままな女の子たち。元気ぶりっこだった主人公にも多少イライラしてたけど、最後には言いたいことを言ってくれてまあほっとしたよ。


10/13(木)
小栗左多里『ダーリンは外国人』メディアファクトリー同『英語ができない私をせめないで!』大和書房を読んだ。

:..

「家族でない人たちの共同生活もの」という設定に弱いと最近気付いた。

で、昨日、第一回目だった日テレの『あいのうた』をみた。以前から予告CMで玉置浩二が言っていた「さみしい人だったんだろうな」のセリフが耳に残っていたドラマ。現実では耳にすることも口に出すこともないだろうと思えるほどのストレートなセリフが続く。でも、ドラマだからそれくらいでいい。屋上から望遠鏡、のシーンが良かった。自分のいないところで自分に関することを見聞きする、それは自分がそこにいない分その人の本当の気持ちをあらわしていると信じられると思う。ただ、食べ物で遊ぶシーンだけは嫌だった。あと、玉置浩二が半年後に死ぬ設定というのがなければよかったのに。覆されるわけはない、よなあ。


10/12(水)
夏目漱石『三四郎』を読み返していたところ、ある場面で吉田戦車の『伝染(うつ)るんです。』を思い出した。

その牛肉屋の牛が馬肉かもしれないという嫌疑がある。学生は皿に盛った肉を手攫みにして、座敷の壁へ抛き付ける。落ちれば牛肉で、貼付けば馬肉だという。

『伝染(うつ)るんです。』では、たしか、肉がずるっと下に動いて、投げた人が「いい肉だ」と言ったんじゃないかと思う。

高橋秀実『トラウマの国』新潮社。あることに対する漠然としたイメージが翻されるのは面白い。その漠然としたイメージは、本当は心の中でこれまた漠然と予測していたことのような気もする。だからこそ、実際に「あー、やっぱりそうなんだー」という事例を読むと、より深くうなづけてしまうのだ。インタビュアーである著者とインタビューされる側の距離感がいい。距離感を形容するにはおかしい言葉けれど、さっぱりしている。


10/11(火)
半年に一度の検診は気が重い。でも、なんとなくタイミング良く(?)調子が悪くなって、早く診てもらおうという気になるから不思議だ。そして、具合が悪い分、行くと決めてから先生に会って診てもらうまでの間、私のネガティブ思考はめくるめく展開をする。悪い方向ばかりに頭が働いて、繰り返したくない経験を想像しては、ぼーっとしてしまう。でも、とりあえずは何でもなかった。血液検査の結果は来週。でも、たぶんどこも悪くないと思う。大丈夫だとわかると私の想像力ってたいしたものだと笑える。

血液検査の前に先に会計を済ませるシステムなので、会計を支払ったらそのままぶっちしてしまおうかと毎回思う。でも、半年に一度だと我慢して注射室へ行く。今回はちょっとばかり大人ぶって身体もちゃんと真正面を向いて腕を伸ばした。でも、腕を伸ばす段になって、「腕、伸びませんか?」と言われてしまった。伸ばしていたつもりは、本当につもりだった。道のりは遠い。


10/10(月)
朝食に寄せ豆腐が出た。

遠野を見て回る。駅の近くで、語り部さんに遠野の民話を聞かせてもらった。お金を取るところだと30分で5千円くらい。でも、ここはボランティアさんによる語り部で無料なのです。少し前に『遠野物語』を読んだのもこの旅行のためで、その中で知っている話を話してもらえたのがとても嬉しかった。「あ、あの話だ!」と。40歳代と思われるこのボランティアさんでも、90歳代の人の遠野言葉は半分くらいわからないらしい。方言っていいなあ。特に東北の方言は。

商店街でお祭り? 出店? をしていたので見て回っていた。山ぶどうとかおいしそう…。でもさすがに持って帰れないし…。無料らしきずんだ餅を老若男女(若いというのは子どもだな)が食べている。豚汁を振舞っていたところを通ると、「わからないふりしないで〜。食べてって〜」とおばちゃんに声をかけられ、いただく。とってもおいしい。

遠野から花巻へ出て、マルカンデパートでナポリタンとソフトクリーム。ナポリタンは400円、ケチャップもたっぷりならボリュームもたっぷり、豚肉入り! 懐かしくて美味しい! ソフトクリームは100円。のっぽでボリュームがありそうなのにおいしいからこれまたペロリ。割り箸でいただきます。マルカンデパートの雰囲気、素敵〜。バンザイ!!!

東北はやっぱり好きだ。でも、帰宅するとほっとするのも事実。


10/9(日)
朝食後、宿のご主人が目の前でサイフォン式コーヒーを淹れてくださった。贅沢。久慈からやはり海岸を走って釜石まで。景色を眺めながらだったので、とっても時間がかかった。北山崎も良かったが、浄土が浜が素敵。しかし、もっと時間に余裕を持って回るべきところだなあ。鍾乳洞にも行けず、遊覧船にも乗れずじゃあ。道の駅があるたびに立ち寄ったのも遠因か。楽しくて、ついつい。道の駅スタンプラリーにはまる人の気持ちもわからないではないと思った。

釜石からは電車で遠野へ。電車が少なくて釜石で2時間近く待った。夜だったので、駅近くのローソンで買出しをして駅のベンチで夕食。


10/8(土)
一番早い時間の飛行機で三沢空港へ。オーバーブッキングをしていて、「次の飛行機(約4時間後)に変更可能なかたは、名乗り出ていただければ1万円か?マイル(忘れた)を差し上げます」とのこと。何人かは名乗り出たみたいだ。三沢から海岸沿いを走って久慈まで。久慈泊。旅館というより民宿ぽい。旅館のご主人は、私のイメージする東北人そのまま。内気で照れ屋なのに人なつこくて親切全開。


10/6(木)
と思ってたら「H album」発売決定

出口汪『早わかり文学史』語学春秋社。先月、神奈川近代文学館に行って以来、近代日本文学が気になったので読んだ。作家と作品の羅列ではなく流れが書いてあるので理解しやすいし、ところどころに著者の解釈が入っているのが面白い。「はしがき」にはこう書かれている。

所詮、文学史など各個人の歴史観によるしかないのだ。だから、私が自分の文学史の講義を活字にするということは、それはそのまま私の歴史観、あるいは文学観を露呈することに他ならない。(中略)。そういった私に勇気を与えてくれたのは、「物語りたい」という欲望だった。(中略)。そもそも講義とは物語ることであって、物語るとは、個々の出来事にありもしない一定の筋をつけることである。それがたとえ個人の歴史観によるものであっても、そのことで見えてくるものがたくさんあるのも事実なのだ。(pp.iv-v)

「舞姫」はご多分にもれず高校の国語でやったけれど、この本を読んで読み返した。

とにもかくにも、近代文学の読んでなさっぷりっと言ったら! 夏目漱石なんか、たぶん『三四郎』『それから』『こころ』しか読んでないよ。焦るというより、せっかく日本語を母国語として得てるのにもったいない気持ち。

さて、とても魅力的な内容だったのですが、文学史とは関係のないところで ? と思った箇所あり。

今の君たちは大いにいろんなことをやって失敗しなさい。なぜかというと、今なら君たちが失敗したことを自分で責任をとる必要がないからです。親がとってくれますから。けれども、社会に出てから失敗してごらん。自分で責任をとらなきゃいけないんだよ。(p.135)

「高校生がやる失敗で親が責任を取ってくれること」が思い浮かばないです。


10/5(水)
KinKi Kids ファンクラブから、コンサートチケットの案内が来た。新しいアルバムが出るんだろうか。あれから1年なのか。昨年行ったときにはさみしくなるからもう行かないと思ってたけどやっぱり申し込んでしまった。


10/4(火)
柳田國男「遠野物語」『ちくま日本文学全集』ちくま文庫。119本の物語。遠野だけにこのような出来事が起きていたりするわけではなくて、きっと昔の日本では、人々が神々と近い、つまり、神々の存在を身近に感じやすかったのではないかと思った。

“お伽話のことを昔々という”


10/3(月)
石持浅海『BG、あるいは死せるカイニス』東京創元社。SFめいた設定は意外に面白かった。

大場つぐみ・小畑健『DEATH NOTE』(8)集英社ジャンプコミックス。マヌケな死神の登場は気が抜けて楽しい。が、正直、Lが死んでしまった前巻でガックリきちゃったんだよなー。


10/2(日)
ピアノの先生(しかし、実際に習っている先生ではない)に引っぱたかれる夢を見た。夢の中ではショックだったけれど、夜になった今はもう忘れちゃってるんだよね。夢というものは、覚えている必要はないのかしら。儚い。

来年の手帳は1日分がたっぷり書けるタイプにしよう、と目星をつけていたところ、ほぼ日手帳というのを知って俄然欲しくなる。でも、既にサイトでの販売は終了していた。LOFTでは買えるらしいので見に行く。革製のほうが魅力はあったものの、高額なのでナイロンカバーにした。かわりにペンを奮発してSTAEDLERavant-garde light に。

柳田國男の『遠野物語』が、岩波文庫に入っていなくて、新潮文庫にもない。目録で角川ソフィアにあったので探すも在庫がない。仕方がない、と帰宅して、まさか持ってないよなーと一応探してみたら、あった。ちなみに、Amazonで検索してみたら集英社文庫にも入っていたようだ。盲点。

ドトールの窓際の席に座って通りを歩く人たちを見ているのは面白かった。でも、なんとなく冴えない感じなのは、姿勢の悪い人が多いからだと思った。


返事のお約束はできませんが、なにかございましたらどうぞ。

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