ミステリ&SF感想vol.37

2002.03.31
『推定相続人』 『玩具修理者』 『悪魔を呼び起こせ』 『永劫回帰』 『タラント氏の事件簿』


推定相続人 Heir Presumptive  ヘンリー・ウェイド
 1935年発表 (岡 照雄訳 国書刊行会 世界探偵小説全集13)ネタバレ感想

[紹介]
 莫大な富を有する老バラディス卿を頂点とするヘンデル一族。その一人・ユースタスは気ままな生活を送り、借金を重ねて零落の危機にあった。相続人父子が事故で水死したのを機に、彼は爵位と財産の相続権を狙って、間に立ちふさがる上位相続人の殺害を決意した。思いがけず標的の従兄から鹿狩りに招待されるという絶好の機会を得た彼は、ついにその手を血に染めてしまう。かくして、計画は順調に進んでいくかに思えたのだが……。

[感想]

 経済的な窮地に追い込まれた主人公が殺人を決意し、実行に移していく過程を描いた倒叙形式のミステリですが、最大の魅力はその丁寧な描写にあるといってもいいでしょう。主人公の心理や言動がきっちりと描かれていることもあって、いつの間にか主人公に感情移入させられてしまい、その計画がうまくいくのを祈るような気持ちになってしまいます。中盤の山場である鹿狩りの場面も非常に印象的ですし、計画に新たな障害が生じたことによる主人公の焦りも強く伝わってくることで、なかなかスリリングな作品となっています。

 ただ、残念ながらミステリとしてはあまりにも物足りないのが難点です。終盤に用意された仕掛けも、発表当時は新鮮だったとは思いますが、現代では色あせてしまっているように思えます。ある程度見通しやすいということもありますが、似たような状況を扱ったある日本人作家の作品と比べると、その仕掛けが非常に素朴なものに感じられてしまいます。よくできた作品ではあるのですが。

2002.03.09読了  [ヘンリー・ウェイド]



玩具修理者  小林泰三
 1996年発表 (角川ホラー文庫 H59-1)

[紹介と感想]
 第2回ホラー小説大賞短編賞を受賞した表題作と、傑作時間SF「酔歩する男」を収録した第一作品集です。

「玩具修理者」
 彼女は、幼い頃に出会った玩具修理者の思い出を語り始めた。独楽でも凧でもラジコンカーでも、どんな玩具でも直してくれる玩具修理者のもとへ彼女が持ち込んだのは、ちょっとしたはずみで死なせてしまった幼い弟だった……。
 スプラッタ・ホラー的な要素や微妙な仕掛けなどももちろんですが、作者の最大の持ち味である、淡々としていながらねちっこい描写が、デビュー作でも十分に表れています。

「酔歩する男」
 飲み屋で話しかけてきた男は、大学の同窓生だと言いながら、私に覚えがないことを知ると、自分の言葉を否定した。それでいて、彼は私のことを詳しく知っているのだ。奇妙に思った私は、彼の語る体験に次第に引き込まれていく。それは、時間の中を酔歩する男の、悪夢のような体験だった……。
 ホラー的な要素もありますが、時間SFの傑作といってもいいでしょう。作中で展開されている時間理論は、特に意識と時間との関係など、B.J.ベイリー『時間衝突』にも通じるところがあるように思いますが、描き出されるビジョンは作者ならではのものです。時間の中を酔歩(ランダム・ウォーク)し続ける男の苦悩はいつしか聞き手(“私”)の心を蝕み、さらには読者をとらえて放さないでしょう。ラストの自問自答がいつまでも虚ろに響きます。

2002.03.09再読了  [小林泰三]



悪魔を呼び起こせ Whistle up the Devil  デレック・スミス
 1953年発表 (森 英俊訳 国書刊行会 世界探偵小説全集25)ネタバレ感想

[紹介]
 ブリスリー村の旧家クウィリン家では、かつて家督相続の際に秘密の儀式が行われていた。19世紀の半ば以来途絶えていたその儀式の復活を思い立った現当主のロジャーは、周囲の心配をよそに幽霊が出るという噂のある〈通路の間〉に閉じこもったのだ。だが、真夜中に上がった恐ろしい悲鳴を耳にして一同が駆けつけてみると、部屋の中ではロジャーが短剣で刺し殺されていた。部屋への出入りは厳重に監視されていた上、扉も窓も施錠されていたにもかかわらず……。

[感想]

 作者は密室ものを中心として研究を行ってきたミステリ・マニアらしく、それが嵩じてこの作品の執筆に至ったようです。作中で起こる二つの不可能犯罪のトリックはさすがによく考え抜かれたもので(特に二番目の事件が秀逸だと思います)、解明の手順も見事です。ただ、幽霊が出るという噂のある部屋や秘密の儀式など、おどろおどろしい雰囲気を感じさせる道具立てにもかかわらず、それが十分には生かされていないのが残念です。個人的にはJ.D.カーのような(いい意味で)ベタな盛り上げ方が好みなので、どうもすっきりしすぎているように感じられます。とはいえ、幻の傑作という評判にまったく偽りはありません。

2002.03.13読了  [デレック・スミス]



永劫回帰 The Pillars of Eternity  バリントン・J・ベイリー
 1983年発表 (坂井星之訳 創元SF文庫697-02)

[紹介]
 コロネーダー哲学者たちによる身体改造を受けて、一種の超人となったヨアヒム・ボアズ。だが、彼は想像を絶する苦痛を体験し、彼の体と機能的にリンクされた宇宙船なしでは生きられなくなってしまった。彼は永劫に繰り返すという宇宙の輪廻に終止符を打ち、苦痛から逃れるため、伝説の放浪惑星を目指す。時を越えて光景を映し出すという時間石を求めて……。

[感想]

 解説によれば、作中で描かれている宇宙観はニーチェの思想が下敷きにされているようで、そのせいか『時間衝突』『カエアンの聖衣』などよりもさらに観念的な作品となっているように思えます。

 とはいえ、もちろんベイリーらしいアイデアは健在で、宇宙船とリンクされた“超人”や時間石、そして何といっても宇宙に喧嘩を売る主人公という設定はあまりにも豪快です。ある意味で神に近づこうとしているともいえるヨアヒムの苦闘からは、最後まで目が離せません。

2002.03.25読了  [バリントン・J・ベイリー]



タラント氏の事件簿 The Curious Mr.Tarrant  C・デイリー・キング
 1935年発表 (中村有希訳 新樹社)ネタバレ感想

[紹介と感想]
 アマチュア謎解きマニアのトレヴィス・タラントと語り手のジェリー・フィランのコンビが遭遇する不可解な謎を描いた連作短編集です。
 短編でありながらそれぞれに登場人物紹介が付されている上、タラントの紹介文が“怪奇な事件に心惹かれる者”“密室に心惹かれる者”などのように作品ごとに違えてあるところがなかなか凝っています。内容の方は、ガチガチのパズラー寄りのものからスリラー的あるいはホラー的なものまでバラエティに富んでいますが、いずれも中心となる謎についてはかなり工夫されています。また、タラントとジェリーを取り巻く人間模様が次第に変化していくところも見逃せません。
 個人的ベストは「釘と鎮魂曲」「『第四の拷問』」

「古写本の呪い」 The Episode of the Codex' Curse
 呪いがかかっているという古写本をめぐる賭けに乗って、博物館の一室で夜明かしをすることになったジェリー。その最中、突然ブレーカーが落ちて暗闇となった間に、古写本が消え失せてしまったのだ。部屋には鍵がかかっていたにもかかわらず……。
 まず、タラントの探偵役らしからぬ登場場面がなかなか意表を突いています。古写本の消失トリックも巧妙です。

「現れる幽霊」 The Episode of the Tangible Illusion
 ジェリーの愛する女性・ヴァレリーは、怪現象に悩まされ、ノイローゼになりかけていた。姿なき足音、そして夜中に現れる不気味な影。やがてヴァレリーは姿なき悪意に階段から突き落とされ、ジェリーはタラントに謎の解明を依頼する……。
 怪現象、特に階段の足音の不思議さは魅力的です。真相はある程度読めるかもしれませんが、その手段はよくできていると思います。

「釘と鎮魂曲」 The Episode of the Nail and the Requiem
 画家の住むペントハウスから高らかに鳴り響いてきた鎮魂曲。不審に思った人々が発見したのは、完全に密閉された室内に横たわる無惨な死体。しかし犯人の姿はなく、被害者を描いた絵に突き刺されたが、犯人の激情を表すかのように残されていた……。
 ややわかりにくいところもありますが、手がかりをすべて提示した上で、予想を超える解決を持ってくるところは脱帽です。

「『第四の拷問』」 The Episode of the "Torment IV"
 モーターボート〈第四の拷問〉号は悪魔の船なのか? 船は無人のまま岸辺で座礁し、持ち主の一家はやがて溺死体となって発見された。船には異常がないにもかかわらず、持ち主は浮き袋も使わずに水に飛び込んだのだ。そして悲劇は繰り返され……。
 “マリー・セレスト号事件”に挑戦した作品です。真相には多少無理が感じられるものの、伝聞、目撃、そして体験へとエスカレートしながら繰り返される怪事件によってスリルが高まっていくという、ホラーにも通じるような手法が秀逸です。

「首無しの恐怖」 The Episode of the Headless Horrors
 48号線道路に繰り返し出現する首無し死体。警察は現場付近を通行する車を厳重に監視していたが、すべての車が監視区間を無事に通行していながら、警察をあざ笑うかのようにまたしても首無し死体が発見されたのだ……。
 手がかりの一部が提示されず、異常な状況によってかもし出されるサスペンスと、終盤のインパクトに主眼を置いたスリラー的な作品です。が、作者の意図したほどには有効に機能していないようにも思えます。

「消えた竪琴」 The Episode of the Vanishing Harp
 “竪琴が三度消失すると、デイブン家の血筋は途絶えてしまう”――デイブン家で、密室状態の書庫から古代の竪琴が消え失せ、いつの間にか元に戻るという事件が発生した。太古の予言が長い年月を経て果たされようとしているのか……?
 密室からの物体消失が繰り返されるという状況は、「古写本の呪い」+「『第四の拷問』」とも考えられます。消失トリックはなかなかよくできていますが、繰り返しによる緊張感の高まりは「『第四の拷問』」ほどではありません。ラストは強く印象に残ります。

「三つ眼が通る」 The Episode of the Man with Three Eyes
 レストランを訪れたタラントたちは、外出中だった執事のカトーが店内の仕切り席で誰かと話し合っているのに気づいた。と、その瞬間、店内の照明が落ち、闇の中で悲鳴が上がった。カトーの同席者が何者かに刺し殺されてしまったのだ……。
 名脇役としていくつかの作品に登場している、タラントの日本人執事(しかもスパイ)・カトーを影の主役とした作品です。謎自体は比較的あっさりしたものですが、ラストのカトーの台詞には味があります。
 しかし、この作品(及び次の作品)で重要な役割を演じているムッシュウ・オールの扱いには釈然としないものがあります。語られざるエピソードにおいてタラント及びジェリーと知り合ったことになっているのですが、その説明があまりにも思わせぶりで鬱陶しく感じられます。特にこのシリーズには、登場人物たちの関係に焦点を当てたキャラクター小説的な側面もあるだけに、唐突さには違和感がぬぐえません。

「最後の取引」 The Episode of the Final Bargain
 ジェリーの妹・メアリーは、車でタラントを送っていく途中に突然、原因不明の重体になってしまった。高名な医師も手の施しようがなく、少しずつ死へ近づいていくメアリー。そこへ現れたムッシュウ・オールは、タラントに奇怪な取引を持ちかけた……。
 謎解きよりもタラントが初めて見せる苦悩が中心となった異質な作品です。内容の方もかなり異質で、ミステリとは言いがたいものがあります。ただ、この作品集のラストとしてふさわしい作品であることは間違いありません。

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「危険なタリスマン」 The Episode of the Perilous Talisman (森 英俊訳 ロバート・エイディー+森 英俊 編『これが密室だ!』新樹社 収録)
 エジプト学者によってピラミッドからひそかに持ち出されたタリスマン。その貴重な小箱を開けた者にはが訪れるという。現在の持ち主である政治家からタリスマンを預けられたタラントは、相手の隠された意図を探ろうとするが……。
 ジェリー・フィラン名義で、しかもF&SF誌に掲載されたという異色作です。内容の方も、謎解きというよりオチに重点が置かれたオカルト・ミステリといった印象を受けます。
 登場人物の方では、タラントの執事がカトーから別の人物に代わっているところが残念です。

2002.03.28読了  [C・デイリー・キング]


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