ミステリ&SF感想vol.61

2003.05.12
『プリズム』 『死への落下』 『銀河帝国の弘法も筆の誤り』 『霧の中の虎』 『ブラッド・ミュージック』


プリズム  貫井徳郎
 1999年発表 (実業之日本社)ネタバレ感想

[紹介]
 小学校教師・山浦美津子は、一人暮らしのアパートで、頭に傷を負って死んでいた。その原因となったのは、現場にあったアンティークの置時計。ドアには鍵がかかっておらず、窓ガラスの一部がガラス切りで切り取られていた。物盗りの犯行かともおもわれたが、美津子の胃の中から睡眠薬が検出され、それが彼女に送られてきたチョコレートの中に仕掛けられたものだったことから、事件は不可解な様相を呈していく。そして、美津子を知る者たちは、それぞれの思惑を抱えながら事件の真相を探り始めるが……。

[感想]

 E.A.ポー「マリー・ロジェの謎」の後継たるべき作品、というよりもA.バークリー『毒入りチョコレート事件』の系譜に連なる作品といった方がわかりやすいかもしれません。一つの事件をもとに、四人の語り手がそれぞれの“真相”を導き出す、いわゆる多重解決の形式を採用した作品です。事件そのものは非常にシンプルで面白味の少ないものですが(多重解決という形式は、一つの事件に対して説得力のある複数の“解決”を提示するものですから、それぞれが成立する余地を残す必要がある以上、ある程度仕方ないともいえます)、そこから様々な方向へと展開される仮説は魅力的です。また、ややわかりやすすぎるのが難とはいえ、全体を通じて面白い趣向が盛り込まれているところも見逃せません。

 そしてこの作品の最大の特徴は、四人の語り手によって作り上げられた、“プリズムを通して得られたスペクトル”のような構図にあります。これ以上は詳しく説明できませんが、色鮮やかに描き出されたその“スペクトル”は美しく、またそれを生み出す作者の技巧も見事です。

 “ある一点”で大きく評価が分かれてしまう感はありますが、少なくとも『毒入りチョコレート事件』がお好きな方なら必読の佳作です。

2003.05.01読了  [貫井徳郎]



死への落下 A Dying Fall  ヘンリー・ウェイド
 1955年発表 (駒月雅子訳 現代教養文庫3048・入手困難ネタバレ感想

[紹介]
 戦後最大の障害レース〈ロイヤル・カップ〉。全財産を持ち馬に賭け、破産の憂き目に遭ったチャールズ・ラスリンは、優勝馬の持ち主で未亡人のケイトに救われ、やがて彼女と結婚して優雅な生活を送ることができるようになった。だが、チャールズが魅力的な若い女性アンと出会ったことから、幸福な結婚生活に暗雲が忍び寄ってくる。そして、夢遊病を再発したケイトが手すりから転落死してしまった。警察長は事故と判断するが、疑惑を抱いたハント警視は独自に捜査を続ける。一方、ケイトの秘書イザベルは……。

[感想]

 本書はヘンリー・ウェイドの最後から二番目の長編で、どちらかといえば謎解きよりも、主人公チャールズ・ラスリンをめぐるサスペンス的展開に重きが置かれている印象です。物語の発端となる障害レースの場面や舞台を田舎に移してからの狐狩りの様子など、英国らしい風物の描写に力が入っているのも魅力で、雰囲気のある作品となっています。

 賭けに負けて全財産を失った主人公チャールズが、金持ちで年上の未亡人ケイトに救われ、やがて結婚に至るまでのあたりは、客観的にみれば幸運な“逆玉の輿”以外の何者でもないかもしれませんが、多視点での描写を通じてそれぞれに真摯な二人の内面が読者に明かされているのがうまいところで、チャールズが友人に対して率直に語る心情も含めて、決して悪い印象を抱かせるものではありません。

 もっとも、結局のところは友人の忠告そのままに、やがて現れた魅力的な若い女性に惹かれてしまう――というあたり、お約束といえばお約束ではありますが、あくまでケイトに対して誠実な態度を保とうとしながらも、“泥沼”にまっすぐ突っ込んでいくチャールズの姿には、読者にも先が読める“定番”ゆえの吸引力が備わっている感があります。かくして、もはや“いつ来るのか?”を待つばかりとなったところで、ついに事件が起こるわけですが……。

 事件以降は一転して、チャールズとケイトの秘書イザベル、そしてチャールズとハント警視の対立の構図がクローズアップされているのが見どころ。とりわけ、警察による捜査活動にはかなり筆が割かれており、ここにきて『警察官よ汝を守れ』にも通じる警察小説的な側面が色濃く表れています。事故死か自殺か他殺か判然としない事件だけに、捜査陣内部でも意見の対立があり、その中でチャールズに疑いを向けるハント警視の執念が印象的です。

 終盤にくると捜査がやや微に入り細にわたりすぎになってしまうせいで緊張感が損なわれているきらいもありますが、それでもその後のひねりの利いた展開はなかなかよくできていると思います。ある部分が想定の範囲内にとどまるなど、ミステリとしては難点もあるのは確かで、初読時には今ひとつ出来がよくないようにも感じられたのですが、今回再読してみると傑作とはいかないまでも、まずまずの作品といっていいように思われます。

 なお、巻末の仁賀克雄氏による解説は、最初に作者の経歴を紹介するあたりはいいのですが、本書に言及した部分にはややネタバレ気味の箇所(特に320頁)がありますので、本編読了後にお読みになることをおすすめします。

2003.05.02読了
2012.05.05再読了 (2012.05.08改稿)  [ヘンリー・ウェイド]



銀河帝国の弘法も筆の誤り Kukai in Galactic Empire  田中啓文
 2001年発表 (ハヤカワ文庫JA658)ネタバレ感想

[紹介と感想]
 人類が宇宙空間に進出した未来、その支配宙域である〈人類圏〉を舞台にしたダジャレSF連作です。SFにダジャレが導入されているのではなく、ダジャレの効果を高めるためにSFガジェットを駆使して作り上げられた、といった感じの作品群は、心と時間に余裕のない方にはまったくおすすめできません。が、そこに注ぎ込まれた情熱は半端ではなく、各作品の後に置かれた五人の作家による“田中啓文批判”や、巻末の“〈人類圏〉興亡史年表”までも含めて、史上空前の怪作といっていいのではないでしょうか。

 ところで、以前に書いた雑文「ミステリにおける意外性」でも少し触れているように、ミステリとジョークの間には類似する部分があると思うのですが、本書を読んで一層その感を強くしました。田中啓文こそは、ダジャレに(本格)ミステリの手法を最も効果的な形で適用している作家だといえるのではないでしょうか。特に「火星のナンシー・ゴードン」「銀河を駆ける呪詛」などにはそれが強く表れていると思いますし、グロテスクな描写がある意味(ダジャレのための)ミスディレクションとして使われている「嘔吐した宇宙飛行士」は、綾辻行人『殺人鬼』に通じるところがあるといえるかもしれません(←これはいいすぎか?)。


「脳光速 サイモン・ライト二世号、最後の航海」 The Last Voyage of Simon Wright II
 銀河の辺境に出現し、次々と人類を襲う謎の精神生命体・ファントム。それに対抗するため、1000人分のを乗せた宇宙船〈サイモン・ライト二世〉号が出動した。だが、今回の出動には予期せぬトラブルが待ち受けていたのだ……。
 本書の中にあっては最もオーソドックスに思える作品ですが、作中で描き出されるグロテスクなイメージと、坂道を転げ落ちるような〈サイモン・ライト二世〉号の運命は強烈な印象を残します。ラストもまずまず。
 余談ですが、“サイモン・ライト”とは、〈キャプテン・フューチャー〉に登場するこの人のようです。

「銀河帝国の弘法も筆の誤り」 Kukai in Galactic Empire
 「ブラックホールの中にホトケはいるかおらぬか、そもさん」――五万光年彼方の星系から送られてきたメッセージは、禅問答だった。これに答えられるのは、高野山の奥で密かに生き続ける高僧・空海ただ一人。そして今、壮絶な問答が始まった……。
 宇宙空間で繰り広げられる禅問答はひたすらシュール。そして、惜しげもなく詰め込まれた無数のダジャレには、開いた口がふさがりません。

「火星のナンシー・ゴードン」 Nancy Gordon in Mars
 宇宙警察に追われる泥棒ナンシー・ゴードンは、火星へと逃げ込んだ。しかし、無人のはずの火星で、何者かの攻撃を受けるナンシー。何とか窮地を逃れた彼女の前に現れたのは、なぜか彼女を敬愛する様子を見せる、奇妙なロボットたちだった……。
 トリックや真相よりも巧妙に配置された伏線が印象に残る種類のミステリのように、中心となるダジャレ自体の切れ味はさほどではないものの、それを介して浮かび上がってくる“伏線”(?)が非常に鮮やかです。

「嘔吐した宇宙飛行士」 The Astronaut Who Vomited
 宇宙歩行訓練を控えた前夜、気に食わない上官への対抗意識から、無謀にも大食い競争に参加してしまった新兵、李・バイア。見事に上官を打ち負かして優勝したものの、その翌日、宇宙歩行訓練の最中に彼を襲った激しい衝動に……。
 神経の太い方にしかおすすめできない、題名そのままの作品です。全編を覆った悪趣味な描写の隙間から繰り出される、まったく予想外のダジャレが秀逸です。

「銀河を駆ける呪詛 あるいは味噌汁とカレーライスについて」 Curse Across the Universe
 〈人類圏〉に現れた知的生命体は、恐るべき〈人食い〉だった。何とか撃退に成功したものの、再度の来襲は間違いない。かくして、超光速で移動する〈人食い〉に対抗するために、〈人類圏〉全体に超光速通信ネットワークが確立されたのだが……。
 途方もない結末へと向かって注意深く組み立てられた作品です。よくできた壮大な前フリを真剣に読んでしまった私は、この強烈な脱力感を一体どうすればいいのか。田中啓文の本領が存分に発揮された快作といえるでしょう。

2003.05.07読了  [田中啓文]



霧の中の虎 Tiger in the Smoke  マージェリー・アリンガム
 1952年発表 (山本俊子訳 ハヤカワ・ミステリ1709)

[紹介]
 再婚を間近に控えた戦争未亡人・メグのもとに送りつけられた数枚の写真。そこに写っていたのは、死んだはずの夫の姿だった。写真の送り主の指示を受けて、駅へと赴いた彼女の前に姿を現したのは……。
 やがてメグの婚約者・ジェフリーは行方不明となり、さらに大量殺人の恐怖がロンドン市民を襲う。野に放たれた虎のように危険な犯罪者の狙いは何なのか……?

[感想]

 本格ミステリではなく、善と悪の戦いを中心としたサスペンスです。犯人が誰なのかは序盤で明らかになっているものの、その狙いや事件の背景などの小さな謎が興味をひきますし、何よりスリリングな展開によってリーダビリティはかなり高くなっています。ラストは驚くほどあっさりしているように感じられますが、演出としては効果的であると思います。

 登場人物が無闇に多いところがやや難ですが(“名探偵”キャンピオン氏などはまったく不要でしょう)、それぞれの造形はよくできていると思います。特に、“善”を代表するアブリル司祭と“悪”の権化である犯人とが生み出す鮮やかなコントラストは強く印象に残ります。

2003.05.09読了  [マージェリー・アリンガム]



ブラッド・ミュージック Blood Music  グレッグ・ベア
 1985年発表 (小川 隆訳 ハヤカワ文庫SF708)

[紹介]
 バイオチップの開発に携わる遺伝子工学技術者・ウラムは、自分の白血球をもとに“知性ある細胞”を完成させた。だが、哺乳類の細胞を用いた禁断の実験は中止を命じられ、ウラムはすべての実験材料の廃棄を迫られた。“知性ある細胞”に未練を残すウラムは、それを自らの体内に注入し、密かに研究所から持ち出してしまったのだ。“ヌーサイト”と名づけられたそれは、やがてその知性を発達させていき、想像を絶する事態を引き起こしてしまう……。

[感想]

 G.ベアの出世作にして、80年代SFの中で燦然と輝く傑作です。ウラムが創造した“ヌーサイト”が予想外の暴走を始める前半(「分裂前期」まで)は、遺伝子工学という新しい技術を題材に“フランケンシュタイン・コンプレックス”を絡めたパニックSFかとも思える展開で、特にウラムの体内で少しずつ進行してきた事態が顕在化する場面など、ここまででも十分な面白さを備えていると思います。しかし、この作品の真価はやはり、そこから先に繰り広げられる“変容”にあるといえるでしょう。

 “ヌーサイト”の影響を受けて変貌していく人類の姿。その不気味でありながらもどこか幻想的なイメージは鮮烈ですし、拡大していく“変化”の渦中にあってただ一人取り残されてしまった少女の視点を通して描かれているところも秀逸です。そして、それと交互に登場する科学者のパートでは、進行する事態が少しずつ説明され、アクロバティックなアイデアに基づく壮大なヴィジョンが明らかになっていきます。

 やがて静かに訪れるカタストロフィ(といってもいいでしょう)、さらにその後に待ち受けるノスタルジックなラストも含めて、独特の静謐さが全編を支配しているのも特徴的です。それは、手の届かないところで着実に進行していく“進化”を受け入れざるを得ない人類の立場を象徴しているのかもしれません。

2003.05.10再読了  [グレッグ・ベア]


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